魔女のジューダ
「クレセ、ぼんやりしているみたいだけど大丈夫?」
朝食が並べられたテーブルの、正面の席に座っていたジューダに声を掛けられたことによって、私は我に返った。
顔を上げた先では、ジューダがパンにジャムを塗っているところだった。相変わらずなので今更もう気にしていないが、そのジャムはどう見ても塗りすぎである。甘党なのだろうが限度を超えている。
「夢をね、見たのよ」
私がぽつりと零せば、ジューダはジャムを塗る手を止めて私を見る。
「夢って、例の前世の記憶ってやつかしら?」
「うん、そう」
ジューダには嘘が吐けないし隠し事も出来ない。何故ならすぐにバレてしまうから。だから、私は前世の記憶について彼女に話していた。
彼女に話した理由は、ただ嘘が吐けなかったり隠し事が出来なかったりというだけではなく、その不思議な話を誰かに聞いてもらいたかったということもあった。
一人で抱え込むには少々気味が悪い気がしていたから。
そんな不思議な話……というか、よくよく考えてみれば意味不明な話でもある前世の記憶の話を、彼女は信じてくれた。そういうものもあるのね、と案外あっさり。
そんなあっさりしたところが彼女の良い所でもあるのだけど、信じてもらえるなんて思っていなかった私は拍子抜けした事を覚えている。
「いつもの夢を見ただけではなさそうね?」
ジューダは魔女特有の金色の瞳を光らせて、私の瞳を真っ直ぐ見据えながらそう言った。やっぱり、彼女にはすぐに見抜かれる。
魔女だから解るの?と問えば、クレセが解りやすいから解るだけよ、と私を小ばかにしたように笑う。
「ほとんどいつもと同じ夢ではあったのだけど……今日はいつもよりほんの少しだけ長かったの」
いつもの夢は例の彼に告白されるところから始まる。
やたらとガチガチに緊張した彼が、私に「ずっと好きでした! 付き合ってください!」と私の鼓膜をブチ破らんばかりの声で叫ぶシーンから。
それから付き合いだして、公園デートをしたり、遊園地に行ったり、動物園でヤギに噛まれる彼を見て笑ったり、とても幸せな日々。
いつの間にか私も、彼の私を思う気持ちに負けないくらい彼を好きになっている事に気付いて、そしてすぐに突然の別れがやってくる。
ごめんね、と言って去っていく彼の背を見送るところで私はいつも目を覚ます。
その夢を幼少期から何度も何度も見ていたが、今朝見た夢は少しだけ時が進んでいた。
彼と別れた後のシーンがほんの少しだけ追加されていたのだ。
「長かった?」
「そう、私が彼と別れた後……、彼が失踪したらしいっていう話を聞くシーンだった」
彼に別れを切り出されたのは、中学を卒業した直後だった。
別れの理由に納得出来ていなかったし、まだ未練が大きかったので、私はその後の彼について何も調べなかった。
他に好きな人が出来たと言っていたから、その子と付き合っているのだろうと思っていたし、調べたってつらいだけだって解っていたから。
そんな時、友人が私に言ってきたのだ、「アンタの彼氏失踪したらしいんだけど何か知ってる?」と。
友人に詳しい話を聞いてみれば、彼は私と別れ話をした直後に行方知れずになってしまったとのことだった。
友人知人が彼を探し回ったり、警察に捜索願が出されたり、ちょっとした事件になっていたらしかった。
私も探そうかと思ったのだが、もし新しい恋人と家出しただけだったとか、新しい恋人の家に入り浸っているとか、そんなものを見つけてしまったらと思うと怖くて探せなかった。
本当は私が探し出してあげたかったのに、私は臆病者だったから。
ちなみにその時、その友人に彼と別れたという話をしたら死ぬほど驚かれた。あれだけアンタを溺愛してた男が他の女を好きになれるわけが無い、と。
私だって、そうであってほしかったけれど。
「失踪……ね」
ジューダはそう呟いた後、「他には?」と楽しそうに私の方を見ている。
「他は……あぁ、そうそう、彼の名前を思い出したの」
そんな私の言葉を聞いたジューダの瞳がキラリと輝いた。
その瞳は、童話を読み聞かせてもらっている子供のものと同じだった。
「彼の名は、陽志」
そういえば、彼は太陽のように明るい少年だったな。
「ヨージ……? ヨウジー……不思議な響きね」
ジューダはなんどか彼の名を呟いてみて、くすくすと笑う。
私の名を聞いた時も、彼女は笑っていた。
この世界の人達にとっては発音しにくい名前なんだそうだ。
「それで? 失踪後はどうなったの?」
童話の続きをせがむ子供のような眼光が私を貫くが、残念ながらそこで起きてしまったので続きは見ていない。
「失踪を知って葛藤してるところで起きちゃったわ。思い出すことも出来ない」
彼はどこかで見付かったのだろうか、生きていたのだろうか。前世の私は真相を知ることが出来たのだろうか。
臆病者の私が知って、耐えられる結末だったのだろうか……。
「ふぅん。……あぁそうだわ、今日は仕事の依頼が来ているのよ」
私の夢の話から興味を逸らしたらしいジューダは、見ただけで胃もたれしそうな程ジャムを塗りたくったパンに齧りつきながら依頼書を差し出してきた。
ちなみに彼女が飲んでいるホットミルクにはおぞましいほどの砂糖が入っていたりする。この人きっと朝から5日分の糖分を摂取する気なんだわ。
「これはこれは質の良い紙ね。依頼主……ねぇジューダ、これ、王家の紋章が見える気がするのだけど、私の目は幻覚でも見てるのかしら……」
ジューダから受け取った依頼書を見ながら、私はひたすら目を擦る。寝起きで視界がぼやけているのかもしれないし、もしかしたら既に衰えてしまったのかもしれない。
「ううん、あなたの目はまだ衰えていないから大丈夫よ。見間違えてなんかないわ」
衰えてなかった。
何を思ったのかジャムを塗り足し始めたジューダはうふふと嬉しそうに笑っている。
絵に描いたような上機嫌である。
「まさか私達の作る砂時計の話が王家にまで届いているとは思わなかったわ……」
私は少し温くなっていたミルクをごくりと飲み干しながら呟いた。