記憶のカケラ
運命の赤い糸って、きっとあると思うんだ。
そう言って微笑む君の瞳は、とても綺麗だった。
人は誰しもトラウマというものを抱えていると思う。
大なり小なり、多かれ少なかれ、多分一つくらいはあるだろう。
私にはある。それもかなり大きなトラウマが一つ。
私ことムゲーテ伯爵家長女、クレセ・ムゲーテは朝食の席でぼんやりと己のトラウマについてを思い返していた。
あれは中学三年生の頃だった。私はある男の子から告白された。
そこそこ整った顔にそこそこ鍛えられた身体、当時自分に恋人は居らず、特に断る理由も無かったため、私は彼と付き合うことにした。
自分で言うのも何だが、彼は私の事がとても好きだったように思う。
会う度に何度も何度も、それも熱烈に好きだと言ってくれていたし、愛してると言ってくれた事もある。……その時はちょっと重いと思ってしまったけれど。
そんな彼だったからか、私もいつの間にか彼を好きになっていた。
純粋に、真っ直ぐに、ただただ私を好きだと言ってくれたから、私はきっと嬉しかったんだと思う。そんな事を言われたのは初めてだったから。
しかし、そんな彼との楽しい日々はすぐに終わりを告げた。
何故なら彼から別れを切り出されたから。
彼は悲しそうに顔を歪めながら私に言ったのだ。「別れて欲しい」と。私の記憶違いでなければ、彼はあの時泣いていた。自分から別れ話を切り出しておいて、何故か彼が泣いていた。
彼が別れを切り出した理由は解らなかった。だって、別れ話の前の日も、彼は私に好きだと言っていたんだから。
それが突然掌を返したように別れたいだなんて、わけが解らない。
私は縋るような思いで彼の手を握った。最初こそ断る理由も無いから付き合うだなんて曖昧な事を言った私だったが、その時はもう彼のことを手放したくない程に好きだった。
それでも、彼は別れたいと言った。ただただ頑なに別れたい、と。
別れたい理由を教えてくれないと納得出来ないと言った私に、彼は言うのだ。
「他に好きな人が出来たから」
と、私から視線を逸らして。
数ヶ月前、自分達は運命の赤い糸で結ばれているだなんて言った男がそう言った。
だから、私は思った。あなたの言う赤い糸は随分と脆いんだな、と。
というわけで、私の初恋はたった数ヶ月で幕を降ろしたのだった。
さて、話を戻そう。
この記憶こそが私のトラウマなのだ。
男が言う「好き」だの「愛してる」だの、そんな言葉は信じられない。信じてはいけない。
信じれば裏切られるのだから。
そしてこのトラウマは、相当大きなものだ。
どれくらい大きいかと言うと『前世の記憶』として残ってしまうほどに、大きくて深い。
そう、この彼との記憶は、この世界で起きたものではない。おそらく前世で起きたもの。
だってこの世界には中学校なんてものは無い。
ここは日本でもなければ地球でさえない。そしてどこを探しても地球や日本が無いということから、ここはどう考えてもそことは別の世界であり、簡潔に言えば異世界……という結論で間違いないのではないだろうか。
元々彼との記憶は幼少期から夢として見ていた。その時は幼すぎて何も解らなかったが、ある日誰かが「輪廻転生」の話をしているのを聞いた時に思った。
あぁ、これは前世の記憶だったのか、と。きっと私は転生してきたのだ、と。転生という言葉の存在に気付いた時、足りないパズルのピースを見付けた気分だった。その瞬間、私の中でその夢が"得体の知れない夢"から"前世の記憶"に書き換えられた。
そしてその記憶は私の中にストンと落ちて、現世の私の記憶と融合した。
色々とごちゃごちゃしたが、結局何が言いたいかと言うと、要するに私はこことは別の世界で生きていた前世の記憶を引き摺ってきてしまったのだということ。
それに気付いた私は三日程落ち込み、さらには寝込んだ。己のあまりの女々しさに嫌気が差して。だってたった数ヶ月付き合った相手に振られたことを死んでも尚覚えてるってことなんだから。……完全に引き摺りすぎだ。
ただ、前世の記憶と言っても全てを覚えているわけではなかった。
この彼との記憶以外はどう頑張っても何も思い出せなかったのだ。
考えてみれば自分のフルネームすら覚えていない。記憶の中の彼が私を「月子」と呼ぶので、名前は月子だったのだろう。
視界の隅に紺色のプリーツスカートが見えていたし、彼が学ランを着ていたので、恐らく私はセーラー服を着ていたのだろう。
そんな曖昧な記憶なくせに、振られたことだけはピンポイントではっきりと覚えているなんて、相当根に持っているとしか思えない。
そんな私は今、この世界で貴族のお嬢様として生きている。
日本とは違い、魔法があったり魔族が居たり、それを撃退した勇者が居たり、かなりファンタジーな世界で。
つい数年前までは蝶よ花よと、とことんちやほやされながら育った筋金入りのお嬢様だった。
私が、私の家系には珍しく、微量ながら魔力を持っていたこともそのちやほやの原因だったんだろう。
うっかり前世の記憶をちょこっとだけ取り戻した私は、そのちやほやされた生活が窮屈で仕方なかった。
だから、魔女の弟子になって魔力を伸ばしますなんて言って、友人である魔女の家に転がり込んだ。
両親はもちろん家を出ることに反対していたが、魔力を伸ばすと言われれば諦めるしかなかったんだろう。最終的には折れて、私の意見を通してくれた。
まぁ筋金入りのお嬢様である私が家を出てやっていけると思っていなかったこともあるだろうけど。
魔女、ジューダの家に転がり込んでからの数年間はとても楽しい日々だった。
彼女とは歳も近く、とても気が合う。そんな彼女との共同生活が楽しくないわけがない。
しかしある日を境にその楽しい生活を邪魔する存在が現れ始めた。
私が所謂結婚適齢期を迎えてしまったために、縁談がちらほら舞い込むようになったのだ。
大して裕福な家ではないものの、一応は伯爵家であるから、舞い込む縁談の数は割と多い。
やれ真面目な男だ、やれ誠実な男だ、そんな言葉を売り文句にして縁談を持ち込まれても困る。
だって、私は真面目な男も誠実な男もごめんだから。
どんな男だって、裏切らない可能性なんて無い。
それを身を持って知った私は日々思っていた。
誠実な人を信じるなんてバカみたいなことはしない。
結婚するなら、最初から浮気癖の酷い男が良い。そうすれば信じなくても良いし信じなければ裏切られる心配もない。
いっそのこと最初から愛人の居る男でも良い。そんな男なら、他に好きな人が出来たから別れてくれなんて言わないから。そんな男なら、私だって最初から好きにならないから。
どうせ、貴族の結婚なんて殆どが政略結婚なのだから、愛なんて必要ない。
私はもう裏切られたくないのだ。
あの日、彼は言った。
運命の赤い糸はある、と。
あの日に戻れるのなら、私は言いたい。
そんなものは幻だ、と。
完全な見切り発車です。所謂剣と魔法の世界を舞台にした割と王道の恋愛物になる予定。