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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第一章「留まってはいられない」
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人喰いの襲来

残骸な描写を含みます。

 ルシカンテは広場を扇形に囲む家屋の密集地から離れ、なだらかな丘を登った。氷苺の畑は、護柵の影にすっぽりとのまれている。籠を地面に投げ捨てると、畑の上に仰向けに倒れた。湿った青草が首筋を擽る。

 ルシカンテは空を見上げた。空を鋭く切り取る護柵は、遠くに青く透き通るような山山より、はるかに高くそびえたつようだ。

 ルシカンテは護柵に囲われた閉ざされた暮らしに、馴染めない。アイノネも、きっと同じだった。アイノネは屈託のない明るい娘だった筈だが、同じ年頃の少年少女ではなく、年の離れたルシカンテとよく一緒にいた。ウメヲが留守のときは、飾棚に隠した内地の本を開いて、ルシカンテに見せてくれた。内地の動物のこと、草花のこと。動物や草花を育てる、農業のこと。ホボノノは字を持たないが、アイノネは本に出て来る言葉を読むことが出来た。何処で覚えたかは、教えてくれなかったけれど。

 はみ出し者の姉妹の祖父はなんという運命の悪戯か、ホボノノ族の英雄、ウメヲ・オリュシだった。

 ルシカンテは覚えていないが、ホボノノ族はかつて、殻の獣によって存亡を脅かされて暮らしていた。柵に祓い火を掲げて遠ざけていたが、北の海岸線に強くふく、塩を含んだ海風が、カシママのこけらに張り付き、祓い火を揉み消してしまう。殻の獣どもは、柵の内に集うホボノノの民を食らおうとつけ狙い、柵の外をうろうろしていた。柵を越えて侵入した殻の獣に、女子供が喰われることも珍しくなかったという。その窮境を打破したのが、ウメヲだった。

 影わだかまる淵の底に住まう、石の心臓を持つひとがた、影の民。殻の獣の上位種であり、身体の大きさこそ人とあまり変わらないが、他を凌ぐ狡知をもち、翼をもつものもいると言う。

 ウメヲはその影の民と協定を結んだ。ホボノノは影の民に猟獣の肉を捧げ、見返りとして影の民の庇護を得る。影の民に護られてから、護柵を越える殻の獣はいなくなった。

 この協定は「影との契り」と呼ばれている。ウメヲが影との契りを結んだのは、アイノネがホボノノ居住区から去って間もなくのことで、立場をなくしかけていたウメヲは、この功績により、オリュシとなったのである。

 ウメヲはオリュシを名乗るに相応しい、立派なホボノノの猟師だ。心は勇敢で、筋骨たくましく、思慮深い。ウメヲの落ち度と言えば、孫娘たちの破天荒な振舞いだけだろう。

 雲が風にのって、かたちを変えながら、空をゆっくりと漂い流れて行く。

 ふとしも、生温かい息と固い髭がルシカンテの頬を擽った。首を竦めて見ると、仔キツネが、輪郭がぶれるくらい近いところで、鼻をひくひくさせている。氷苺の畑の上で、仔キツネの兄弟たちがとっくみあって遊んでいた。

 ルシカンテは、仔キツネたちが擦りぬけてきた護柵の隙間を見つめた。

 そよ風が吹き抜け、氷苺がさわさわとざわめく。青い空を行く雲の影が、ゆっくりとルシカンテの上を通り過ぎる。目映い太陽が瞼を赤く透かせた。ルシカンテは追想を雲と一緒に風に流し、ゆっくりと目を開いた。

 氷苺を貰ったこの場所に、氷苺の種を植えた。芽が出なかったり、せっかくの芽吹いた苗が枯れてしまったり、実を結ばなかったり。色々と苦労しながらも、手さぐりで世話をするのは、楽しかった。あの悪戯な仔キツネは、兄弟を連れてよく遊びに来た。あの子はやがて大きくなって隙間を通れなくなってしまったが、次の春には新しい仔キツネが遊びにくるようになった。

 ルシカンテは毎日通って、氷苺の世話をした。世話の合間に、柵の隙間に顔をくっつけて、向こう側を覗きこんだ。けれどあれきり、誰かが柵の外を通りかかることなかった。

 ルシカンテは上体を起こし、籠に入った氷苺の実を手で掬い、ぽつりとつぶやいた。


「せっかく、実ったのに……」


 二年前の雨の日。柵の隙間から伸びてきた指の長い白い手。のぞいた銀色の目。なにもかも初めてで、胸がドキドキした。思い出すと笑いだしてしまいそうになる兄妹のかけあいは、どこか郷愁をかきたてて、ルシカンテの畏れる気持ちを綺麗になくしてしまった。

 聞いたことのない言葉や、触れたことのない手触り。食べた事のない味。それらすべてが感動的で、うきうきと浮き立っていた。何か、素敵なことが始まる予感がした。窮屈な日常に風穴を開けてくれるなにかが、この柵の隙間から吹き込んできたような気がしたのだ。

 掌に載せた氷苺を五粒数えて、まとめて口に放り込む。蜜が甘くとろけ、瑞々しい果実が弾ける。ルシカンテはもぐもぐしながら、手を後ろにつき、空を仰いだ。柵の向こう側で、ヒバリが可愛らしい声で囀っている。


「妹の方の名前、たしか……グレーテル、とか言ったっけ。いまも柵の外の世界のどこかを、あの怒りっぽい兄さんと一緒に旅してるのかな」


 自由に旅しているのかな。そんな風に考えてしまう。

 ルシカンテは太ももに頭を預けてまどろんでいる仔キツネをそっと撫でた。氷苺の畑をつぶすのは、仔キツネが飽きていなくなってからにしよう。悪戯に先延ばしにしたところで、辛くなるだけだとわかっていても、蜜を纏ってきらきら輝く氷苺を、目に焼き付ける時間が欲しかった。

 仔キツネが、帆のようにぴんと耳を立てた。ぱっと立ち上がり、家々の方を凝視する。ルシカンテは、落ちつかない仔キツネの背を撫でようとした。触れる前に、仔キツネは弾かれるようにとび跳ねて、柵の隙間に頭から突っ込んだ。身を捩って、潜りぬけていく。

 ルシカンテが首を傾げて、柵の隙間から外を覗こうとしたとき、轟音とともに柵がずぅんと震えた。柵だけではない、大地が揺れている。

 ルシカンテはよろめき、尻持ちをついた。籠の中の氷苺がぶつかり合って、鈴のように澄んだ音を奏でている。呆然とするルシカンテの耳に、物見櫓の見張りが打ち鳴らす警鐘が届いた。


「殻の獣だ! 南の柵ば破って、殻の獣が来た! 家々の方さ向かっとる!」


 ルシカンテは、四つん這いになり、跳ね起きた。ここからでは、家々の影になって全体が見渡せない。最寄りの物見櫓に向かって走った。見張りに一声かけて、梯子を登る。鳥の巣のように天辺に乗っかった、円形の楼台へ這いあがる。見張りの男が、身を乗り出して南の方を見ていた。ルシカンテは隣にたつ。背伸びをして、手を庇のように眉の上に添えて、目をこらす。

 南の方で、蜘蛛の子を散らしたように人々が逃げ惑っている。人の倍はある、四足の大きな獣が盛り上がった肩を捩って、人々を追いかけていた。

 ユキクマだ、ウメヲが狩ってきたユキクマの生皮を剥いで、外套を繕ったことがある。ただ、その身を覆うのは純白の毛衣ではなく、銀の祓い火と太陽の光を跳ね返す、白い輝殻だった。殻の獣だ。殻の獣は、多くの場合、血肉をもつ獣に酷似した姿と性質をもっているのである。

 殻の獣は、逃げ遅れた女に当て身を食らわせた。枝葉のように吹き飛んだ女の背を、剛い腕で押さえつける。流線型の頭部の割には長い頸を伸ばし、大きな顎で女の頭に食らいつく。女の頭が苺実のように潰れ、断末魔が途切れる。ごりごりと骨を噛み砕く音が、すぐ耳元で聞こえるようだ。

 体中の血が足元にすとんと落ちる。ルシカンテはへなへなとへたりこんだ。呆然と呟く。


「なに、あれ……」

「殻の獣だ……。影との契りで、奴らは護柵んなかさはいれねぇんじゃ、なかったのけ……なして……」


 見張りは、言葉の途中で声を震わせて、口を手で覆った。見張りがなにを見たのか、想像しただけで奥歯がかちかち鳴る。ルシカンテは恐慌状態に陥って、頭髪を掻き毟った。


「どうする、どうすりゃいいの!? あいつ、ひとば、ひとば食っとる!」

「騒ぐな! 今、猟師どもが追っ払ってくれる……ほれ、見ろ、来た! オリュシだ!」

「……爺さま!?」


 ルシカンテは胸壁に掴まって、なんとか立ち上がった。夢中で女の腹に鼻をつっこんでいる殻の獣を、祓い火を灯した槍を装備した猟師たちが、ざっと二十人程で囲みこんでいる。家々を背に庇う扇形の陣形をとり、牽制しながら、じりじりとにじりよる。

 殻の獣の正面に、ウメヲがいた。殻の獣は、猟師たちを威嚇して二本足で立ち上がった。顎から、たらたらと赤い血が垂れている。凶相に怯んだ猟師たちに、ウメヲの檄が飛ぶ


「背ば向けんな! 飛びかかって来るぞ!」


 ウメヲが指図すると、両端の猟師たちが、交互に槍を突き出して、殻の獣を牽制した。輝殻の表面や、むき出しの肉球を炙られ、殻の獣が気をとられる。

 ウメヲは、機を逃さず前に出て、殻の獣の顔を祓い火で殴った。耳介、吻端、目、とむき出しの弱い部分が密集している顔に祓い火をあてられて、殻の獣が飛び退く。短い前足でしきりに顔を擦っている。ウメヲが猟師たちに指図した。


「今じゃ! 油ば持て! ひとの味ば覚えた熊は、怖いもの知らずじゃ。淵さ帰しちゃなんねぇ。ここで仕留めるぞ!」


 ウメヲの合図で、後方に控えていた桶と柄杓をもった猟師たちが、殻の獣に目がけて、一斉に油をまいた。殻の獣は、轟くように唸り身震いをする。猟師たちは、体の前面を殻の獣に向けたまま、後退して行った。包囲網が拡がる。中央に取り残された殻の獣は混乱しているのだろうか、自分の尻を追うようにぐるぐると回っている。しきりに身震いして油を跳ね飛ばそうとするが、輝殻にべっとりとはりついてはがれない。

 殻の獣は地団駄を踏むように、前脚で大地を殴りつけた。咆哮し、血でぬらぬらと輝く牙を剥く。正面で槍をかまえるウメヲめがけて突進し、前肢を繰り出した。

 強い前足に打たれる間際に、ウメヲは槍を体に引き付け、風にふかれたように身を引いた。殻の獣の鋭い爪が、ウメヲの槍を棒きれのように真っ二つにする。ウメヲは余勢を殺せず尻持ちをつき、殻の獣もまた、体制をくずしてつんのめった。ウメヲは祓い火を灯した槍先を拾い上げ、大きく振りかぶって叫んだ。


「やれ、やれぇ!」


 猟師たちが殻の獣に狙いを定めて、祓い火を灯した武器を投擲する。祓い火は油に引火して、銀色の滑らかな膜になり、輝殻を包んだ。

 殻の獣の咆哮が地鳴りのように轟く。殻の獣は、怒りに任せて立ち上がり、両の前足を振りまわした。猟師たちは、凶暴化した殻の獣から距離をとる。

 ウメヲは、仲間たちへ、肩越しに手で合図を送った。猟師たちとともに、注意深く後退していく。石の心臓をもつものはしばらくもがいていたが、やがて、白炭のように崩れ落ちた。

 見張りが、拳を握って歓声をあげる。


「おお、やった、やったぞ! 流石はオリュシじゃ!」


 極度の緊張が解けて、前進の筋肉がふにゃふにゃになってしまい、ルシカンテは潰れたように座り込んだ。日常へ突如として飛び込んで来て、滅茶苦茶に破壊した獣は、退治された。ウメヲも無事だ。だが、殻の獣に吹き飛ばされた。遠目から見ている分には、怪我は無さそうだったが、本当に大丈夫だろうか。

 身の毛がよだつような不安にせきたてられて、ルシカンテは梯子を一段飛ばしで、滑り降りた。よろけつつ、丘を駆けおりた。

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