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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
おまけ
64/65

ヘンゼルとわたしの、甘いお菓子のお話 中編

 


 ***


 ヘンゼルは出不精だ。だから、買い物に出る時はたっぷり買いこむ。冬籠りの支度をするリスみたいに。荷物持ちのギャラッシカは山ほどの荷物を器用に抱えている。重さはなんてことないみたいだけれど、バランスをとるのにちょっと難儀しているかな。ヘンゼルが容赦なく、バランスなんて考えないで、買った傍からドカドカ載せていくから、仕方がない。いいぞヘンゼル。もっとやっちゃえ。


 ルシカンテがギャラッシカの荷物をいくらか引き受けようとしているけれど、ギャラッシカは頑として首を縦に振らない。

 この前に買い物に出た時のこと。ヘンゼルがルシカンテの抱える荷物を引き受けようとして、なんだかんだあって、二人は手を繋いで歩くことになった、あの時のこと。ギャラッシカは根に持っているんだ。ギャラッシカは感情の読みとれない、血の色の瞳で、射るようにヘンゼルを凝視していたもの。なんか悔しいけど、ぞくっとした。あの日は一日中、ギャラッシカから目を離せなかった。


 食料品と日用品の買い出しを終えると、真っ直ぐに帰るのかと思いきや、ヘンゼルはついでに寄るところがあると言いだした。工具をいくつか新調したいんだって。


「お金がない、お金がない! って大騒ぎしてたのに、そんな余裕がどこにあるの?」


 揶揄する意図を含ませて首を傾げるとヘンゼルは得意そうに、いつもの財布とは別の、ぎっしりと硬貨の詰まった巾着袋を懐から取り出す。いそいそと工具店に入って行った。わたしは呆れた。


 ヘンゼルはケチ。だけど、工具は金に糸目をつけずに、気に入ったものを使う。仕事熱心、なんて言えば聞こえはいいけれど、装身具加工はヘンゼルの趣味のようなもの。つまり、好きなことに惜しげもなくお金をつぎこみたいが為に、他を締めているってわけ。

ヘンゼルの数少ない楽しみを奪いたくないから、文句はつけないけど。たまに、虫が良すぎるんじゃないかと思うことはある。


 ヘンゼルが装身具加工の為に惜しまないのは、お金だけじゃない。時間もそうだ。無骨な工具が並んだ陳列棚が、ヘンゼルには宝石箱に見えるみたいで、いつまでも飽きずに眺めている。店主は良いカモ……もとい、上客を揉み手で迎え、是非是非お手にとってお確かめください。とあれやこれや勧めるので、ヘンゼルの滞在時間はどんどん延びちゃう。


 ヘンゼルは楽しいだろうな。でも、待たされるこっちは、たまったもんじゃない。この日もわたし、最初の内はヘンゼルに付き合っていたけれど、もう飽きちゃった。工具をひとつひとつ手にとるヘンゼルの上着の裾を引っ張って、鼻を鳴らす。


「ねぇ、お兄ちゃん。退屈。お外で待っていてもいい?」

「ん? んー……いいんじゃない?」


 見事に上の空。心ここにあらず。可愛い妹そっちのけで、無骨な工具に夢中。ちっともわたしの話を聞いていない。これを好機ととらえて、たまりにたまった鬱憤をぶつけてやったら、すっとするかしら? 甘い誘惑にかられたけれど、実行はしない。わたしはヘンゼルと違って、賢明だもの。


 お外に出ちゃおう。後で文句をつけられるかもしれないけど、言質はとったから良いや。踵を返し、お店の扉を開ける。ちりんちりんと可愛いベルの音が鳴った。ヘンゼルがはっとして振り返る。


「遠くには行くなよ。そのへんで、俺の目の届く範囲で、ちょろちょろしていろ。田舎者どもにも、そう伝えておくように」


 聞いていなさそうで、聞いていたらしい。偉そうに指図をするヘンゼルに「はーい」と素直に良い返事をしてやると、わたしは軽やかな足取りで店を出た。


 気持ちの良い風が吹き抜けていく。工具屋の、鉄と油の臭いに辟易していたわたしには、この清涼感が嬉しい。農耕区を吹き抜けてきたんだろう、青くて瑞々しい風を胸いっぱい吸い込んだ。両腕を大きく振って深呼吸。体の中の淀んだ空気を、新鮮なものと入れ替える。すると、もやもやした気持ちまで、晴れやかになるみたい。


 わたしは首を巡らせた。ヘンゼルに「邪魔になるから、表で待っていろ」と言いつけられたルシカンテとギャラッシカは、工具店の隣のお店の前にいた。


 石畳に膝をついたルシカンテが、ぴかぴかに磨かれた陳列窓に張り付いている。あらら、せっかく誂えたお仕着せのスカートが汚れちゃうじゃないの。ヘンゼルが見たら、きっと怒るわ。そうなる前に、わたしはルシカンテに忠告しようとした。けれど、ルシカンテの横顔を見て、やめた。


 ルシカンテは、さっきまでどんよりしていた目を、よく磨かれた黒曜石みたいにきらきら光らせて、見入っている。すごく楽しそう。ルシカンテのこんな顔、見たことがない。


 わたしは足音を忍ばせた。そうっと、ルシカンテの後ろ姿に忍び寄る。ギャラッシカがうるさそうに一瞥を寄こしたけれど、気にしない。あんたなんか知らないわ。微塵の興味もない。あんたが大人しく、良い子にして、わたしたちの邪魔をしなければ、あんたが美味しそうだってことは、忘れておいてあげる。


 ルシカンテの視線の先にあるものを、わたしも見つめた。


 なるほどね、と声に出さずにひとりごちる。菓子屋の陳列窓には、ルシカンテが喜びそうな、目にも楽しいお菓子が丁寧に並べられていた。


 とんがり帽子をかぶり、ツルハシを背負った七人の小人は砂糖細工。担いだ袋から毀れおちた七色の宝石は飴で出来ていて、本物の宝石みたいにきらきら光り輝いている。アイシングで繊細な模様が描かれたクッキーに、上手に積み上げられた春のお花畑みたいに色とりどりのマカロン。香ばしい煎り豆がごろごろ入ったヌガー。ふんわり浮かび上がりそうなメレンゲ菓子。それらが、レースとリボンをふんだんに使って、飾り立てられていた。


 どれもこれも、素晴らしい出来栄え。たいていの女の子が、夢中になるだろうな。わたしも女の子よ。女の子は、夢見る気持ちを忘れなければ、いくつになっても女の子のままでいられるって、お母さんが言ってたわ。


 夢のようなお菓子の中で、特別にわたしの目を奪ったのは、添え物みたいにひっそりしている、メレンゲ菓子だった。大きめに絞りだしたメレンゲを、焼き色がつかないように、慎重に焼きあげた、真雪みたい真っ白なお菓子。お母さんが得意でよく焼いていた、ヘンゼルの好物だ。


 思い出を詰め込んだ綺麗な箱が、心の中でひとりでに開く。今朝、追想した思い出の続きが、眩い光みたいに溢れだす。



 ***


 ヘンゼルとグレーテルはくだらない喧嘩をしていた。グレーテルはぷりぷり怒ったまま、お風呂に飛び込んだ。

 グレーテルがお風呂からあがると、ヘンゼルはまだ、とろとろとミルクを煮詰めていた。お前さえいなければ、おれは仕事が早いんだと、あれだけ豪語していたにもかかわらず。偉そうなこと言うのに、どんくさい。


 そら見たことか、とは言わなかった。だからと言って、手伝いもしなかった。頭にきていたから。口もききたくないくらい。


 ヘンゼルが、ちらちらとグレーテルの様子を窺っているのはわかっていたけれど、グレーテルは先にテーブルにつき、頬杖をついてそっぽを向いていた。


 グレーテルはまだお子様だった。ヘンゼルへの憤懣を、お風呂で汚れと一緒にきれいさっぱり洗い流せるほど、心に余裕がなかった。


 だって、腹が立つわ。お前なんか邪魔だ、って言われたんだもの。ひとりじゃなんにも出来ないヘンゼルのくせに、生意気よ。


 しばらくすると、ヘンゼルがコップに注いだハチミツミルクを運んで来る。ヘンゼルが差し出してきたけど、グレーテルは受け取ってやらなかった。ヘンゼルは無言で、テーブルにグレーテルと自分のコップを置いて、隣の椅子に腰かける。


 お母さんが、焼き立てのメレンゲ菓子を、一人分ずつお皿に盛って、兄妹の前にそれぞれ置いた。グレーテルがむくれているのを見て、くすくす笑っていたけれど、何も言わずに台所に戻っちゃう。ヘンゼルが縋るような目でお母さんを見送っているうちに、グレーテルは自分の分のお皿をひっつかんで引き寄せた。一口大のメレンゲ菓子を、ぽいぽいと口に放り込んで、むしゃむしゃ食べる。ろくに味わいもせずに、飲み込んだ。 

 グレーテルのお皿にこんもり盛られたメレンゲ菓子の山がどんどん削られていくのを、唖然として見つめていたヘンゼルが、口を開く。メレンゲ菓子を食べる為じゃない。


『あれ? お前……メレンゲ菓子は好きじゃないって、言ってなかったっけ?』

『昨日まではそうだったかもね。でも、今日は好きになったの』

『……なんだ、それ。変なの』

『変じゃないわ! 味の好みが変わったの! 変わったったら変わったの! 今のわたしはメレンゲ菓子がだぁいすきなの! だからもう残したりしないし、お兄ちゃんに分けてあげたりしないのよ! そんな物欲しそうな目で見つめたって、ダメだからね!』


 グレーテルは意地になっていた。もうこうなったら、ヘンゼルの一挙手一投足、息遣いさえ勘に障る。

 ヘンゼルは呆気にとられている。グレーテルは一心不乱に、好きでもないメレンゲ菓子を頬張った。いつも、途中で嫌になってしまうんだけど、我慢して食べきった。ヘンゼルに分けてやるものか。

 やっとの思いで完食したグレーテルは、お役御免とばかりに、席を立つ。お皿を下げようとするグレーテルの前に、ヘンゼルはずいっと自分の分の皿を押して寄こした。手つかずのメレンゲ菓子の山が、グレーテルの目の前に聳え立つ。


 グレーテルは戸惑った。怒っているのだから、知らんふりをして立ち去ってしまっても良いのに、グレーテルはヘンゼルの不可解な行動の理由を、ヘンゼルに訊ねていた。


『なぁに? どうしたの?』


 ヘンゼルはグレーテルを一瞥すると、ふいっと顔を背ける。不機嫌そうな声で、ぼそぼそと言った。


『……これ、やる。いらないから』


 ヘンゼルはつっけんどんに言い捨てて、グレーテルは目を皿にする。まじまじと見つめられる視線の熱さに耐えきれなくなったヘンゼルが、バネ仕掛けの飛び出すオモチャみたいに向き直り、噛みつかんばかりの剣幕で言った。


『いいから、さっさと食べろよ! ぐずぐずするな! この、のろま!』



 ***




「そんなに熱心に、何を見つめているんだい?」


 ギャラッシカの声がして、思い出の箱の蓋がぱたんと閉じた。ギャラッシカがルシカンテにぴったりと寄り添って、ルシカンテの顔を覗きこんでいる。ルシカンテはずっと高いところにあるギャラッシカの顔を仰ぎ見た。ほっぺたを紅潮させて、興奮した様子で飾られたお菓子を指差す。


「これ見て。これ、なんだべ? 彩雲ば千切ってこねて丸めたみてぇなものもある。かわいいねぇ」

「これは、お菓子だね。食べ物だよ」

「えぇ!? これ、食えるのけ!?」

「らしいね」


 ルシカンテはわー、へー、おー、と間の抜けた歓声をあげながら、色々な角度からお菓子を眺めまわす。興味津津ね。


「旨ぇのかなぁ?」

「さぁ、どうだろう。食べたいのなら、彼に買わせるかい?」


 こともなげにギャラッシカが言う。磨きあげられた硝子に、呆れがお礼にくるわ、と言わんばかりのわたしの呆れ顔がうつり込んだ。それでも、ルシカンテはわたしの存在に気付かずに、素っ頓狂な声をあげた。


「だっ、ダメだよ! ただ飯食らいも同然のくせして、これ以上、迷惑ばかけられねぇ!」

「ルシカンテは一生懸命、働いている。迷惑なんかじゃないよ」

「……ありがとうね、ギャラッシカ。あんたの優しい気持ち、すんごく嬉しいよ」


 ギャラッシカはこっくりと頷いて、そうするのが当たり前みたいに、すっと屈みこむ。ルシカンテはくすっと含み笑うと、ちょっと背伸びをして、ギャラッシカの頭を撫でた。気持ち良さそうにルシカンテの手に頭を擦りつけるギャラッシカは、正真正銘の獣だわ。わたしは鼻白む。


 ルシカンテは猛獣使いね。鞭を使わないで、獣を手なづける。だけど、ルシカンテ。あなたの可愛いけだものは、待っているのかもしれない。あなたが食べ頃になるまで、あなたを守っているだけなのかもしれないわ。そいつは人喰いの獣。人間とは違う。ねんねのルシカンテちゃんには、ちょっと難しいかしら? 


 わたしは腰に手をあてて、やれやれと頭をふった。わたしが溜息をつくのとほとんど同時に、すぐうしろで、誰かが溜息をつく。誰かっていうか、ヘンゼルなんだけど。


 ヘンゼルはずっしりと重そうな袋を右手で抱えていた。随分と買い込んだものね。もうじき、使徒座を出る予定なんですけど? まさか忘れてる訳じゃないでしょうね?

 

 目で訴えるわたしの真意を、汲み取っているんだかいないんだか。ヘンゼルは「珍しくお兄ちゃんの言うことがきけたな。よし」とわたしの頭をぐりぐり撫でた。


 そりゃあね。わたしだって、野良猫を追いかけてばかりじゃないわよ。


 わたしはヘンゼルを茶化す為の言葉をいくつか用意して口を開こうとした。だけど、ヘンゼルはそれ以上わたしに構わず、ずんずんとルシカンテに歩み寄って行く。まだ気がつかない鈍感なルシカンテの真後ろに立つと、左手を腰にあてて、ルシカンテをぴしゃりと叱った。


「おい、こら。菓子屋の陳列窓にべったり張りつくんじゃないよ。子供か、君は。みっともないから即刻やめろ」


 ルシカンテはぎゃっと悲鳴をあげて、飛び跳ねて振り返る。ギャラッシカに頭を撫でられ宥められながら、口をぱくぱくさせている。ヘンゼルは腰を曲げて、ルシカンテの背後にある陳列窓を覗きこむと、渋面をつくった。


「あー、あー、あー……。子ネズミみたいな手形をべたべたつけたな……文句つけられる前に、とっととずらかるぞ」

「え? ……あっ、本当だ! ごめん、見惚れちまって、つい……ちゃんと拭いてくね!」


 ヘンゼルは、捲りあげたエプロンで硝子についた手形を拭こうとするルシカンテの襟首を引っ張って、ルシカンテをとめた。ギャラッシカの手が唸りを挙げて迫ってくる前に、ぱっと手を引っ込める。息苦しさに涙目になって見上げてくるルシカンテと目を合わせずに、ヘンゼルは頭をふった。


「やめておけ、余計に汚れて迷惑だ」

「でも、申し訳ねぇ……余計な仕事ば増やしといて、知らんふりしていっちまうなんて、良くねぇっしょ。気がひけるだよ」

「良いんだよ、店員に任せておけば。陳列窓は汚れるもんだ。菓子を買って貰えるまで、陳列窓に張り付いて離れない駄々っ子は、君だけじゃないからね。硝子磨きも店員の仕事さ。それで給金を貰っている。不平不満を漏らさずに働くのが、いっぱしの社会人ってもんだぜ」


 ヘンゼルはくいっと顎をあげてルシカンテを眼下に見る。顎をしゃくって、あっちへ行けと指図した。ルシカンテがおずおずと陳列窓から離れるのを見届けると、ヘンゼルはルシカンテに背を向ける。


「そうだ。そのまま、ちょっと待ってな」


 そう言い残して、ヘンゼルは色紙とレースとリボンで可愛らしくラッピングされた贈り物みたいな菓子屋に、躊躇いなく入店した。扉が閉まる前に、わたしはさっと扉を抑える。お店に入らずに、扉の隙間から店内を覗く。ヘンゼルは棚から無造作にメレンゲ菓子の詰まった小袋を取り上げると、若い売り子をつかまえて、訊ねた。


「これ、一袋おいくら?」


 愛想よく振り返った売り子の笑顔が、ヘンゼルの頭の先から爪先までじろじろ眺めまわすと、あまり良くない感情に歪んだ。客商売なのに、あからさまな不審の目をお客様に向けるなんて感心しないけど、無理もないか。


 火事場を駆け抜けてきたみたいな、煤けた外套を羽織り、よれよれのシャツにくたびれた紳士服を重ねた、痩せぎすで白髪頭の、陰気な若者。それがヘンゼル。この街の人なら「こいつ、ヘンゼル・バイスシタインだ!」って一発でわかる。わからなくても「まぁ、素敵な紳士」なんて頬を赤らめることはないだろうな。


 離れたところから黄色い歓声が聞こえる。振り返って確認したわたしは、げんなりした。斜向かいの、生花を商う露天の前で立ち話をしている若い娘たちが、陳列窓の前で佇んでいるギャラッシカを見てはしゃいでいる。逞しい体躯と精悍かつ端正な容貌と、鋭い視線の奇妙な野性味が女心をわしづかみにしているんだ。ママ・ローズもギャラッシカに夢中で「後光がさすような美男」だとか「立ち振舞いに品がある」だとか、なんとか言って、褒ちぎっていたな。美男だって言うのは……後光がさす程かどうかは兎も角……認めざるを得ないけど。品がある? あはは、ご冗談を。獣は品性とは無縁でしょうが。  


 あれかしら? 恋する乙女は盲目? それとも、痘痕も笑窪に見えちゃう? わたし、そう言うのに興味ないから、わかんない。


 わんないわ、本当に不思議。この前もそうだったけど。ギャラッシカを連れ歩くと、色気づいた女どもがうるさいのなんのって。


 娘たちは輪になって、ギャラッシカを遠巻きに眺めている。ひそひそと囁き合って、くすくす笑いの発作を起こしている。

 ギャラッシカが持て囃されるのは、面白くない。でも、娘たちの甘く蕩けた瞳が、ギャラッシカだけに注がれるなら、気にしないでいられる。そうじゃないから、厄介なのよ。ああ、お願いだから、こっちに気が付かないで。


 けれど今日も、ギャラッシカの信奉者たちは、陳列窓越しにヘンゼルを見つけてしまった。そこに嘲りが閃くのを、わたしは見逃さない。娘たちは、心酔する美神を持ち上げるために、しばしばヘンゼルを利用する。


 どうせ、へンゼルがギャラッシカに激しく見劣りするって、言いたいんでしょう。目は口ほどに物を言う、ってね。だから、わざわざ口に出すんじゃないわよ。わたし、地獄耳なの。口さがない女の陰口が、聞きたくもないけど、聞こえちゃう。いい加減に、聞き飽きているのよ。


 わたしは肩越しに娘たちをぎろりと睨む。


 そんなにギャラッシカが気に入ったのなら、暗くて人気のない路地裏に誘い込めばいいんだ。そうしたら、ギャラッシカは喜んで、あんたたちを空っぽの頭から、ばりばりむしゃむしゃ食べてくれる。

 あんたたちは、憧れのギャラッシカと、これ以上ないってくらいお近づきになれて幸せ。

 ギャラッシカは大好物をお腹いっぱい食べれて幸せ。 

 あんた達が永遠に黙ってくれたら、わたしはせいせいして幸せ。


 最高、いいこと尽くしじゃないの。……ギャラッシカが、なにも知らずにのほほんとしているルシカンテをこれからも望んでいるなら、そうもいかないんでしょうけど。


 娘たちの嘲笑が、罷り間違ってもヘンゼルの耳に入ることがないように、扉を閉めてしまおう。けれど、わたしのすぐ後ろで、好奇心ではちきれんばかりのルシカンテが店内を覗きこんでいるから、ままならない。

 どうしよう。扉を閉めたいんだけど……ルシカンテを連れて店に入ったら、この世間知らずの迂闊なお嬢さんが、何か問題を起こさないとも限らない。だからといって、締め出すのも、このわくわく顔を見ちゃうと、可哀そうな気がする……。


 わたしが悩んでいる間に、ヘンゼルは売り子に食ってかかっていた。


「たかが卵白に砂糖と色々を混ぜて焼いただけの菓子が、そんなにする? ふっかけすぎだろう。贅沢品はこれだから……原価は二割切ってるってところかね? こんなものは本当なら、自分でつくった方がよっぽど経済的なんだ。多少の料理の心得と見た目にこだわらないおおらかささえあれば……」


 ヘンゼルは元気いっぱいだ。元気いっぱいで、厭味ったらしい。こんな奴だから、他人によく思われるわけがない。

 わたしは悩みをすっぱり切り捨てることにした。ヘンゼルは売り子を論破しようとして、夢中になっている。娘たちがなんて囀ろうが、聞こえないだろう。そもそも、ヘンゼルは自分の悪評なんて気にしない。いちいち気にしていたら、気持ちが何処までも落ち込んじゃうもの。


 わたし、なのよね。ヘンゼルがギャラッシカに見劣りするって言われると、なんとなく……気分が悪いって言うか、奇妙な敗北感を味わうのは……ヘンゼルじゃなくて、わたしなの。


 ヘンゼルが気にしていないんだから、わたしも気にしなければいいんだ。身嗜みは清潔に整えていれば、あとはみすぼらしく見えようがなんだろうが、構わないっていうのが、ヘンゼルの考え方。


 そうよ。質素なお仕着せを無造作に身に付けただけのギャラッシカを、道行く女のひと皆が振り返るからって、ルシカンテ以外の人間とは会話しようとしない無愛想な奴なのに、一目で女のひとを虜にするからって、ヘンゼルとわたしには関係ない。


 でも、納得は出来ないの。どうして、こんな奴にヘンゼルは負けているんだろう。やっぱり、あれ? 生まれ持った華ってやつ? 


 ……うん。やっぱり、ヘンゼルにもっと食べさせて、肉をつけさせなきゃいけないわ。今は痩せすぎて骸骨のおばけみたいだけど、栄養をつけさせれば、ヘンゼルだって、それなりに見栄えが良いはずよ。素材は悪くないもの。なんたって、ヴァロワで一番の美人だって褒めそやされてた、お母さんにそっくりだもの。この、可愛い可愛いグレーテルのお兄ちゃんが、冴えない醜男なわけがないじゃない?


 気を取り直して、わたしはルシカンテを振り返る。にっこり笑って、引き攣った笑顔の売り子を指差した。ヘンゼルに聞こえるように大きな声ではきはきと言う。


「よく見ておいて、ルシカンテ。あれがいっぱしの社会人だよ。お兄ちゃんみたいな、思わず首をきゅっと絞めたくなっちゃうようなお客様にも、にこにこしてあげなきゃいけないわ。お金を稼ぐのって、大変なのよ」

「当たり前だろ。こんな物に、俺の大切な金を出したんだ。もっと敬ってほしいくらいだね。俺はお客様。つまり神様なんだからな」


 わたしの言葉にヘンゼルが応える。ヘンゼルはメレンゲ菓子の小袋を摘まんで、意気揚々と戻って来た。売り子は、殴りかかってこないのがおかしいような険相で、ヘンゼルを見送っている。わたしは売り子に愛想よく微笑みかけると、ぽんと手を打った。


「あら、お兄ちゃん! その、店員さんが思わず殴りかかっちゃいたくなりそうな、得意げなお顔……値切り交渉は成功したのね!」

「まぁ、それなりにな」

「さすがお兄ちゃん! 守銭奴! 我利我利亡者! ドケチの神様!」

「こんなもので、この俺に無駄遣いをさせようたって、そうは問屋が御さないのさ。交渉上手なこの俺を、もっと褒め称えてくれて構わんよ」


 つんと鼻を高くするヘンゼルに押し出されるようにして、店を出る。


 あらら? またのお越しをお待ちしています、のお決まりの挨拶はなし? 今後は歓迎して貰えないのかしら? ……当然よね。



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