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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
おまけ
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蛇足3

 

 ルシカンテの肩に、背後から手が置かれた。ルシカンテを押しのけて、前に出たのはヘンゼルだ。

 うらうらとした日差しの下で、久々に見る横顔は、憔悴しているように見えた。肌の青白さが際立っている。皮肉気に歪んだ笑顔が、いまにも、つるりと滑り落ちてしまいそうだった。

 ヘンゼルとカラバの視線が、ほぼまっすぐに交わる。口火を切ったのは、ヘンゼルだった。


「まだしぶとく生きていましたね、カラバ公爵。長い間、ここに寄りつかなかったそうじゃないですか。どんな気まぐれを起こしたんです。まさか、こんな子供を口説くためにわざわざ、いらしたんですか?」


 カラバは、ひょいと肩をすぼめた。顔をしわくちゃにして、くっくっく、と喉奥で笑う。


「まさか、俺はもう、そんなに若くないよ。まぁ、あんまりかわいいから、ついでに、口説こうとしたがね。君らが来ていると聞いたから、これを返そうと思ったのさ」


 カラバは、胸ポケットから金の鎖を引っ張り出した。人差し指と親指でつくる丸と、同じくらいの大きさの、ペンダントだ。

 カラバは、目を丸くするヘンゼルに、ペンダントを放る。ヘンゼルは、両手を皿にしてペンダントをなんとか受け取った。

 ペンダントは、小型の容器になっている。ヘンゼルは、蓋を開け、容器の中身をまじまじと見つめた。ややあって、呆気にとられたような顔を上げる。


「父の遺品は……全部、燃やされたんじゃ……」


 カラバは、にやにやと、人の悪い笑みを浮かべていた。


「兵舎のバカラ賭博で、俺に負けた君らの父さんが、持ち合わせが無いって、金の代わりに置いていったものだ。血の惨劇の、七日くらい前だったか」

「……家族の姿絵が入ったロケットなんて、よくも質に入れたもんだ……」


 一転して、眉を潜めるヘンゼルの背に、グレーテルが飛びついた。肩口から、ひょっこりと顔を覗かせる。


「あら、おかしいことないわよ。金ぴかで、いかにも値が張りそうだもん」

「……母さんからの誕生日プレゼントだぞ」


 グレーテルは、ヘンゼルの眉間の皺を人差し指で捏ねまわすと、きゃらきゃらと笑った。


「やだ、怖いお顔! ふふふ、お兄ちゃんったら、わかってないわねぇ。容のあるものなんて、そんなに大切じゃないのよ。家族の顔は、瞼の裏に焼き付いてるもの。目を閉じれば、いつでも会える。だから、画なんて、なくたっていいの」


 ヘンゼルは、文句がしこたまありそうだ。一方のカラバは、感心しきりで頷いている。


「グレーテルは、父親にそっくりだな。同じことを言っていたぜ」


 カラバは、仏頂面を下げるヘンゼルに、とりなすように微笑みかけた。


「君らのお父さんが変わり者だったお陰で、それだけは、君の手元に戻ったんだ。結果的には、良かったじゃないか」


 ヘンゼルは、座りが悪そうにしながら、金色の鎖をしきりに弄っている。カラバはからからと笑い、どっこらしょ、と掛け声をかけて居上がった。


「さてと、邪魔なジジイは、去るとするか。元気でな、ルシカンテ。幸せになってくれよ」


 カラバは、勝手知ったる様子で、ずんずんと部屋に踏み入り、扉に一直線に向かって行く。グレーテルが、ヘンゼルの背からぴょんと跳ね退いた。


「わたし、カラバさんのお見送りに行ってくるわね!」


 グレーテルは、鴨の雛のようにカラバの後をついて行った。ご丁寧に、扉を閉めていく。


 部屋には、ヘンゼルとルシカンテの二人だけが、残された。


 針の筵のような沈黙が、二人を包んでいる。身じろぎしたら、針が深々と刺さってしまいそうで、ルシカンテは立ち尽くしていた。


 ヘンゼルは、ゆっくりと手摺の前に移動した。手摺に凭れかかり、苦りきった顔で懐を探る。螺鈿細工の煙草入れを探り出した。中から、タバコを一本取り出し、俯き加減に咥える。マッチを擦った。


 あの日の、立ち上るタバコの香気と、ヘンゼルの蕩け澱んだ目の追憶が、ルシカンテを追いかけた。ルシカンテは、逃げるように駆けだしていた。ヘンゼルの体に飛びついて、マッチの火を吹き消す。


 ヘンゼルは、両手を肩の高さに上げて、マッチの火をルシカンテから遠ざけようとした姿勢のままで、固まった。これ以上ないほど見開かれた灰色の瞳が、宝石になってこぼれ落ちそうだ。

 ルシカンテはのけ反ったヘンゼルの胸に、飛び込んでいた。


 ヘンゼルが耳まで赤くなる。ルシカンテの顔は、焼けるように熱い。

 ルシカンテは、あわてて身を引いた。

 ヘンゼルは、手すりに押しつけられたままの体制で、茫然としている。

 恥ずかしい。だからといって、もじもじしているとますます決まりが悪い。ルシカンテはずんずんとヘンゼルに歩み寄ると、たじろぐヘンゼルの口から煙草を抜き取った。


「これ、やめて。この臭い、嫌いだ」


 ヘンゼルは、目をぱちくりさせる。しばらくしてから


「いや、これを最後に、もう、やめようと思ってたところで……」


 と、唇を開かずにもごもご言い、マッチ箱をポケットにしまった。


 ヘンゼルは、決まり悪そうに、ルシカンテに突き返されたタバコを揉み解している。干し草が、ぱらぱらとヘンゼルの足元に降り積もる。

 ヘンゼルのしょぼしょぼした目は、ルシカンテの足元から、体を這いあがるにつれて、だんだんと強気になっていった。


 ヘンゼルが、ずい、とルシカンテに近づいた。途端に、及び腰になるルシカンテを、ヘンゼルは腕組をして、顎をちょっと上げて見下ろした。普通にしていても見下ろしているのに、わざわざ、もっと見下ろす角度をつける。お決まりの、感じの悪い姿勢だ。

 ヘンゼルは、人差し指を指揮棒のように降って、つけつけと言った。


「本当に、がりがりじゃないか。これなら、俺にだって責められるぞ、俺よりひどいからな。……次から、食事は一緒にとろう。君に飢え死にされちゃ、困る。あんまり聞きわけが悪いようなら、ふん縛って口をこじ開けて、食い物を無理やり胃に押し込んでやるから、そのつもりで」


 飢え死にと言われて、ぎくりとしたが、ルシカンテは、とぼけて言い返した。


「食べるよ。食べる。そんなことしなくても。だって、まだ、死にたくないもん」

「そんなこと言って、どうせ、口先だけだろう」


 ヘンゼルは、有無を言わせない口調で言った。ルシカンテは、胸の中で、混乱のもやもやが膨れて行くのを感じた。


 今のヘンゼルは、使徒座十二席にいた頃のヘンゼルに、戻ったかのようだ。そう見せかけて、豹変するのだろう。ヘンゼルは月のように、次々と目に見える形を変えていく。綺麗な顔の裏に、思惑を隠して。


 ルシカンテが沈黙していると、ヘンゼルは、俄かに調子を落とした。落ちつかなそうに、何度も腕を組みかえる。

 やがて、観念したように、溜息をついて言った。


「君が、ちゃんと食ってても、飯は一緒にとる。俺、また痩せたんだよ。だから、君と一緒に飯を食う。君と一緒に飯を食うと、食が進む。気分が良いんだ」

「御機嫌とりなんて、しないで!」


 折りたたもうとしていた怒りが、ばねのように弾けてしまう。ヘンゼルが目を瞠っていた。

 いまさら、なんでもないなんて、誤魔化せない。ルシカンテは腹をくくった。


 ヘンゼルの態度に、おかしなところは、何もなかった。不器用に、ルシカンテの身を案じている、ルシカンテが惹かれたヘンゼルだ。ルシカンテを騙していた詐欺師でも、残酷なことを平然と行う拷問吏でも、愛で脅迫する男でもない。

 上手な演技が、不誠実だと思った。ヘンゼルは、嘘ばかりつく。

 ルシカンテは、ヘンゼルの顔を見上げる。唇の端を吊り上げて、笑おうとした。


「そんなことしなくても、大丈夫だよ。おらは、まだ死にたくない。ギャラッシカが来ても、あんたを殺してって、泣きついたりしないすけ」


 ルシカンテは、俯いた。これ以上、ヘンゼルの顔を見ていられなかった。ヘンゼルは、きっと、如歳ない演技を続けている。騙されそうになる、自分が嫌だ。

 ルシカンテは、ヘンゼルの靴先を見つめて、言った。


「あんたは、淵さ派兵すんのば、やめてくれた。おらは、あんたさ仕返ししてやろうなんて、露ほども思ってない。だから、無理して、おらさ優しくすることない。もう、やめて。惨めさなるだけだよ」


 ヘンゼルは、ルシカンテの恋心を、ギャラッシカの報復への盾にしようとしている。ギャラッシカと別離を果たしたあの日、いきなり豹変したのも。今日になって、ルシカンテがよく知ったつもりになっていたヘンゼルに戻ったのも。みんな、演技だ。


 ルシカンテには、そうとしか思えなかった。猜疑心は、ルシカンテの胸を内側から引き裂いた。


 騙されなくて、良かったとは、思えない。いっそ、何も知らないまま、騙されてしまったら、良かったとさえ、思ってしまう。

 ルシカンテは、本当に一人ぼっちになっていた。


「ギャラッシカが、助けてくれると思ってるなら、大きな見込み違いだぜ。ギャラッシカがどう頑張っても、君の命は、俺らが握ってるんだ。どうにも出来やしない」


 ヘンゼルが、均された声色で言う。貼り付けていた粉飾が、はげ落ちていた。ルシカンテは、項垂れて答えた。


「わかってる。おらはここで、生きていくしかない。たいして変わんないよ。場所が、ホボノノ居住区からヴァロワさうつっただけだ」


 ヘンゼルが、崩れ落ちるように、床に膝をついた。ルシカンテの顔を、覗きこんでいる。

 ヘンゼルの細面は、青白く凍りついていた。強張った繊細な顔から、不格好な冷笑が浮かび上がる。


「言いたいことは、山ほどある。だが、何も言えないな。何を言ったところで、無駄だ。君は、俺の言葉が信じられないんだから。だが、まさか、ギャラッシカが君のお姉さんを食い殺したってことまで、疑ってるわけじゃないだろうね? ……疑っているなら、聞いてみるがいいさ。あの正直者が、なんて答えるか見物だぜ」

「ギャラッシカば、悪く言うな! 正直者。大いに結構じゃないか。嘘つきより、ずっといい!」


 ルシカンテが反論すると、ヘンゼルの米神がひくついた。眉が潜められ、唇が噛みしめられる。瞳には、はっきりと、怒りが走った。


 ルシカンテは、怯えたが、それを顔には出すへまはしなかった。震える喉から、しっかりとした、冷めた拒絶の声が出た。


「腹ばたててんの? いいよ。怒鳴ればいい、殴ったって、蹴ったっていい。好きなようにすればいいんだ。おらの命ば握ってんのは、あんたなんだから」


 ヘンゼルが、無言で手を伸ばして来る。ルシカンテは固く目を瞑った。


 覚悟していた衝撃は、襲って来ない。恐る恐る薄目を開けると、ヘンゼルの手は、ルシカンテの左手に、ぎりぎり触れないところで、ぴたりととまっていた。


 ヘンゼルは、笑っていた。今にも降り出しそうな曇天の瞳を、痛切に細くしている。


「本当に……腹がたつよ。君みたいな頭の悪いガキに惚れた、俺自身にな」


 ルシカンテは、はっと息を呑んだ。すぐに、怒りが噴出する。


「だから、そんな嘘つくなって……!」


 ヘンゼルの手は、今度は寸止めせずに、ルシカンテの手首を掴んだ。力任せに引き寄せる。ルシカンテが傾倒したのは、ヘンゼルの胸だった。ヘンゼルの肩に顎をのせて、腕に収まっている。

 ヘンゼルは、ルシカンテの耳元で喚いた。


「ぴぃぴぃぎゃあぎゃあ、うるさいな! 信じる、信じない、は君の勝手だ。どうぞご自由に! だが、俺が何を言おうが、何をしようが、俺の勝手だろうが! 君の指図は受けない!」


 動けないルシカンテを、ヘンゼルは突然突き飛ばした。ルシカンテは、寝台に尻持ちをつく。

 ヘンゼルの顔に、血の気が戻っている。頭に血が上ってはじめて、彼は人並みに生気が宿って見えた。


「俺が、ギャラッシカの奴を怖がって、君のちっちぇ背中に隠れようとしてるって言うのか! 俺を見損なってくれるな! この俺が、あいつみたいな人喰いを、いったい、どれだけ狩ってきたと思う!? 憎まれてる? 上等じゃねぇか! 今度あいつがのこのこやって来たら、ガキの頃にしたように、徹底的に痛めつけてやる。二度と、君にちょっかいかける気が起きないようにな!」


 あまりに大きな怒声だったので、ルシカンテは反射的に、両手で耳をふさいでいた。

 ヘンゼルは、肩で息をしている。血走った眼でルシカンテを一瞥し、大股で部屋を横切った。扉の取手を回す。体を半分出したところで、猛然と振り返った。


「夕食から、ここで一緒にとる。食い終わったら、君にまた好きだって言うよ。そのうち陳腐になっちまうだろうけど、君が信じてくれるまで、続けるからな!」


 ヘンゼルは、扉を乱暴に閉めると、足音荒く、階段を下りて行く。ありとあらゆる悪態が、反響していた。


 ルシカンテは、支えを失ったように、寝台に倒れ込んだ。枕を手繰り寄せ、顔に被せる。


(あの手この手で、おらのことば騙そうとして……なんなんだ、もう!)


 ルシカンテは、寝台の上でごろごろとのたうった。


 疑いながらも、騙されてしまう日がいつか、来てしまう予感がしていた。ヘンゼルの言う通り、最後に笑うのは、ヘンゼルなのかもしれない。


 そして、そのとき、ころっと騙されたルシカンテも、愚かで幸福な笑顔を浮かべているのだろう。

 ギャラッシカはそれを見て、どういう判断を下すだろうか、ルシカンテには、わからない。




(蛇足、おわり)

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