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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第一章「留まってはいられない」
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ホボノノの変わらない日2

 ウメヲは、クジラ肉を涼しい掘り蔵に置いて、梯子を上ってきたところだった。無言でルシカンテの前を通り過ぎ、アザラシ革の丸合羽を脱ぎ、衣架にかけた。銛を手に椅子に腰かけて、鮫皮の鑢で手入れを始める。

 ルシカンテは、ウメヲの顔色をそっとうかがいつつ、衣架から雨合羽をとった。テーブルを挟んでウメヲの向かい側の椅子に腰かけ、膝の上に雨合羽をひろげる。横着をして座ったまま椅子を引きずり、棚から虫よけ油の入った壺をとった。

 油を雨合羽の表面に垂らして、トナカイの毛のブラシで擦る。二人して、黙々と作業に没頭した。

 しかし、気まずい。短丈着の内側に張り付けたシカの毛が、針のようにちくちくとルシカンテの肌をさす。ルシカンテはたまらず、おずおずと顔をあげた。ウメヲは銛の手入れをしながら、ちらりと、テーブルの端に肩身が狭そうに置かれている籠に目をやる。そして、一言。


「内地の草が、実ばつけたか」


 第一声は、想像していた怒声ではなかった。ルシカンテは、目をぱちくりさせる。肩すかしをくらったが、常にはないウメヲの歓心を得ることが出来た幸運を、素直に喜んだ。もともと、二年間の世話の成果を披露する心づもりでいたのだから、これは好機である。ルシカンテは籠を引寄せると、目隠しの布を取り払った。


「うん! ずっとお世話してたんだども、とって食うだけの分は、なかなか実らねくて。だども、去年の分ばみんな種さして育てたら、今年はいい親株が出来ただ! そっから子株ば増やして、ほれ、こんだけとれた!」


 きらきら光る氷苺が、籠の容量の六分くらい入っている。ウメヲを納得させるには、ちょっと心許ない出来高だが、自信なさ気にしていても良いことはひとつもない。ウメヲはホボノノ一の猟の名人だが、耕作に関しては素人だ。あまり厳しい要求はしないかもしれない。ルシカンテは、敢えて胸をはって、籠をずいとウメヲの前へ押しやった。

 ウメヲは、初めて見た氷苺を、興味薄そうに一瞥するにとどめて、言った。


「丸合羽と交換した種の実りが、二年もかけてそったらべっこか」


 ルシカンテの顔から、自信満々の笑顔がするりと滑り落ちた。鏡面のように磨かれた銛の先に、うろたえるルシカンテの丸い顔がうつっている。ウメヲは、銛の刃に鑢をかけながら、髭に埋もれた唇で、呻くように漏らした。


「丸合羽は、立派なアザラシの皮ば、丸丸二頭分使ってこさえるんじゃぞ。そぉやって、きちっと手ぇかけてやりゃあ、半生使える」


 矢張り、この段階で損得勘定をすると、そう言う結論に達してしまう。しかし、ルシカンテは食い下がった。


「したっけ、氷苺さ手ぇかけて、たくさん実らせるだ! 氷苺はな、いい親株が出来りゃ、そこからどんどん、匍匐茎が伸びて増えるだよ。子株は、親株とまったき同じだすけ、旨くて丈夫なもんをひとつでもつくれりゃ、同じもんを仰山つくれるべ。旨ぇ氷苺、仰山食えるっしょ!」


 わざと、内地の農耕民族が使う言葉を多用して、ウメヲを煙にまこうとする。だが、ウメヲの表情は渋いままだ。ルシカンテは焦った。

 人々が近づきたがらない護柵のすぐ傍に氷苺の種を植えて、ひっそりと世話をしてきた。皆が快く思わないことが、わかりきっていたからだ。

 しかし、せまい居住区である。ルシカンテが柵の傍でとぐろを巻いて、日が傾いても帰ろうとしないこと自体は、こどもの頃から変わらない。けれど、毎日毎日、バケツを持って井戸と護柵を往復していれば、人の目にとまるのだ。ルシカンテが語らなくても、ルシカンテが、柵の外側から手に入れた珍妙な植物に魅入られていることは、明明白白。

 とどめに、雨合羽がなくなっていることが、ウメヲにばれた。問い詰められて、ルシカンテは丸合羽と苺の種を交換したことを白状したのだ。ウメヲは、ルシカンテが護柵の近くによそ者がうろついていた事を見張りに告げなかったことに、ひどく腹を立てた。怒鳴られて拳骨を頂戴したが、氷苺の種のことがうやむやになった。これ幸いと、ルシカンテは氷苺の世話を続けていたのだ。それから一年もの間、ひと目につかないように気をつけていた。 

 二年目にして、はじめての収穫を得た今日。はじめてウメヲに打明けて、認めて貰おうと思っていたのだが、思ったように都合よく、ことは運ばない。

 不利な形勢をひっくり返したい。ルシカンテは氷苺を無造作にひとつかみして、ウメヲの鼻先に差し出した。


「ね、爺さま。これば、食ってみてけれ。なまら旨ぇだよ!」


 氷苺は旨い。野苺みたいにすっぱすぎない。味の良さが、最後の切札だ。ところが、ウメヲは氷苺に手をつけようとせず、胡乱気に顔を顰めた。


「こりゃあ、まるで、石の心臓じゃ」


 ルシカンテは、眉を跳ね上げた。せっかくの収穫を忌まわしいものに例えられて、むっとした。

 殻の獣と呼ばれる、恐ろしいものたちがいる。毛衣、皮膚、血が通う肉、白い骨をもつ、ひとを含めた血肉をもつものを食らう。輝く石の殻、爪、牙、血が通わない塩の肉を持ち、血肉のみを糧とする。姿かたちも性質も様々だが、ただひとつ共通していることは、血肉をもつものの中でも、とりわけ、ひとを好んで捕食するということだ。

 石の殻は固く、如何に鋭利な得物でも貫くことはおろか、傷一つつけることが敵わない。石の殻を破ることが出来る唯一のもの、それが、カシママのこけらを燃やした、祓い火なのである。石の殻に包まれた体は燃えると塩の柱となり、輝く石のみが塩の中に残る。殻の獣の心臓。石の心臓とも呼ばれる。

 ウメヲはついと目をそむけると、疲れたようすで頭を振った。


「よく聞け、ルシカンテ。命の糧は、カシママがくださるもんだ。獣も、貝も、藻も、木の実も、みんな、カシママが糧としてわしらにお与え下さるのが理じゃ。内地のもんは、カシママの理から外れとる。そったらもんにかまけてっと、カシママがお怒りになる。ワシらホボノノの民は、カシママのお陰で、猟が出来るんじゃ。祟られたら、おめぇだけのことじゃすまねぇ。皆、それば心配しとる。ホボノノの外と関わっちゃならねぇ。その実のなる草は、根っこから引っこ抜いて、柵の隙間から捨てれ。おめぇに始末できねぇなら、儂が捨てて来る」


 丹精込めて世話をしてきた氷苺の苗を捨てることを強要されて、ルシカンテは勃然となった。椅子を蹴って立ち上がり、机を両手で叩く。


「なして、いけねぇの? 爺さまだって、ホボノノでねぇ子ば、連れて帰って来たでねぇか」


 あれは、十年前。「カシママのこけら落とし」があった晩が明けた朝のことだった。その二年前、アイノネが行方を眩ました年に、こけら落としがあったばかりで、おかしなことだと、大人たちが首を捻っていたのを、よく覚えている。

 カシママは、暗緑の森林「淵」に住まう白銀の精霊だ。カシママは、水のようにかたちを持たない。万物に宿り、石の心臓を食らい、膨れる。そして、その体が海のように膨大すると、カシママは余分な体を切り落とす。このとき落とされるのが「カシママのこけら」であり、この爆散をカシママのこけら落としという。

 カシママのこけらおとしがあると、猟師たちは淵へ入り、カシママのこけらを探し集める。カシママのこけらが無ければ、猟に出た猟師たちが石の心臓をもつものどもに喰われてしまう。カシママのこけらの蓄えが尽きることは、ホボノノ族の死活問題だ。

 こけら探しに淵へ赴いたウメヲは、その薄暮時、こけらではなく、ひとりの少年を抱えて帰って来た。排他的なホボノノの衆は、少年を居住区に入れることに反対しただろうに、どう説き伏せたのか、ウメヲは少年を自宅に入れた。

 ひどい怪我を負った少年の看病を、幼いルシカンテも手伝った。その頃には、祖母と両親は亡くなっていて、姉のアイノネは居住区を出ていたので、女手はルシカンテしかいなかったのである。手伝いと言っても、血と汗と垢、塵埃と泥などで汚れた顔や手足を、沸かした湯にひたした布で清拭し、所望されれば水を飲ませたくらいだった。少年は、三日ほど滞在し、二言三言言葉を交わしたような気がするが、ルシカンテはそのとき六歳になったばかりで、ほとんど記憶が残っていない。覚えていることは、少年の目が、苺実のように赤かったことだけである。

 そんなことがあった。ウメヲは、他のホボノノ族と違って、余所者を悉く嫌ってはいないのだろうと、ルシカンテは思っていた。

 ウメヲが何だかんだと周囲に文句をつけられても、頭ごなしに、ルシカンテの外への好奇心の芽を摘み取らないのは、ウメヲの中にもそういう心情があるからだとばかり思っていた。

 ルシカンテの震える拳を、ウメヲは、煩わしそうにテーブルから払い落した。


「爺さまの言うことば聞けるな? 聞けねぇようなら、おめぇ用に、護り柵の内側さもうひと囲いつくらねばなんねぇぞ。おら家ばぐるっと柵で囲んで、おめぇが悪さ出来んように、閉じ込めてやらねぇとならん」

「柵の外のこと、ああだこうだって、想像するのもいけねぇの? ホボノノの女は、護柵の外さ出られねぇのに」


 ウメヲは、物言いたげな目を、飾り棚に向けた。正確には、飾り棚の裏に隠した、内地の「本」を見ていたのだろう。ルシカンテは、やましさを恥じ、俯いた。素直な旋毛に、ウメヲが噛んで含めるように言う。


「もう、内地の草は放っておけ。実りば収めて、気が済んだべや」


 ウメヲはそう言ったきり、黙りこんだ。ルシカンテは、とても納得ができなかったが、これ以上ごねたら、ウメヲに軽蔑されてしまうだろうと思えば、口を噤むしかない。

 口を開けば、ウメヲの勘気を被るような失言をしてしまいそうだったので、ルシカンテは、黙って手を動かした。ブラシがけをした雨合羽を衣架にかけ、ブラシと壺を棚に片付ける。やや乱雑な動作で作業するルシカンテに、ウメヲがふいに言った。


「おめぇも、外が気になんのか」


 ルシカンテはぱっと顔を上げた。ウメヲは、飾り棚を見つめている。ルシカンテの視線に気づくと、罰が悪そうに顔をそむけた。いかめつい横顔に寂しい翳りがある。ルシカンテはふてくされていることを忘れて、気遣わしくウメヲの顔を覗き込んだ。


「大丈夫だ、爺さま。おらは、ここからいねくなったりしねぇだよ」

「……アイノネも、そげなこと言ってたっけな」


 ウメヲがそんなことを漏らしたのは、ルシカンテが覚えている限りでは初めてのことだった。ルシカンテが絶句していると、ウメヲはゆっくりと瞬きをして、何事も無かったように目を銛に落とした。その目が鈍く、憂いが晴れない。

 ルシカンテは波濤のような衝撃を受けていた。ウメヲの心に悲しい別離の記憶を呼び戻してしまったのは、ほかならぬルシカンテだ。ルシカンテは、ウメヲの腕のなかの銛にうつった自分の顔を見て、やるせない気持ちになった。

 姉のアイノネがホボノノを捨てたのは、今のルシカンテと同じ、十七歳のときだった。

 アイノネは、ルシカンテより十と一つ、年上だった。歳は離れていたが、良く似ていると皆に言われた。ルシカンテをもっと年上にして、もっと賢そうにして、もっと背丈を足して、もっと洒落っ気をもたせれば、見分けるのが難しくなるだろうといった具合だ。 

 ルシカンテにとって、アイノネは姉である以上に、母のようであった。とても懐いていた。いつもアイノネを追いかけて、手をひいてもらっていた、かすみがかる遠い記憶がある。柵のすぐ傍で遊び、隙間から入り込む小動物と戯れるのは、もともとアイノネのお気に入りの遊びだった。

 アイノネは外に興味をもっていて、猟から帰ったウメヲにも話を聞きたがった。季節や時間によってころころかわる森や海の風情や、獣の生態、それを利用した猟法まで。アイノネは猟師になるつもりなのではないかと、皆が笑うくらい、それはもう熱心だった。

 そんなアイノネは、十六歳になった夏の日、氷が解けるのと同じように、居住区から消えてしまった。

 ウメヲは、連れ合いを早くに病でなくし、息子は猟場で殻の獣に生きたまま喰われ、息子の嫁は産後の肥立ちが悪くてなくした。

 ウメヲにとって、ルシカンテは最後に残った、たったひとりの家族だ。それを思いやると、アイノネのように外へ憧れる気持ちをもつこと自体が、ウメヲへの裏切りのように思えてくる。そこに思い至らなかった今までのルシカンテが、無神経すぎた。

 ルシカンテは、氷苺を入れた籠を手に取り、無言で立ち上がった。氷苺の実を、捨ててしまう為に。

 ルシカンテは、重い心を抱えて、重い足取りで家を出た。二年間の真心と、外との繋がりを捨ててしまうのは、胸が張り裂けてしまいそうな程辛かったが、ウメヲの悲しみと天秤にかければ、どちらに重きを置くか。答えは明白だ。

 ルシカンテは、小蠅のようにたかる無数の視線をすべて無視して、広場を横切った。すれ違う人々は、籠の中の氷苺をまじまじと、または盗み見て、ぎょっとしたり、顔を顰めたりした。潜めた低い声が、聞きたくなくても耳に届く。


「あれ、女房どもが言うとった、内地の果実だべか」

「石の心臓さよう似とる、気味が悪ぃ」

「あげなもんば、護柵の中さ持ち込んで。ルシカンテは、祟りが怖くねぇのかな」

「あの娘はウメヲ・オリュシの愛孫だよって、皆に甘やかされるからな。なにばしてもいいと思っとるんだべや」

「アイノネと言い、ルシカンテと言い。ウメヲ・オリュシはどうも、娘っこば育てるのは、むかねぇようだな」

「あの娘もそのうち、アイノネみてぇに、村ば捨てて出て行くぞ」

「出て行くならいいけども、祟りを持ちこまれちゃ、たまんねぇよな」


 ルシカンテは、聞こえないふりをした。ルシカンテは確かに、禁じられていることをした。しかし、内地の珍しい作物を育てることが、皆に白眼視される程、悪い事だとは思わない。自分のせいで、ウメヲに肩身の狭い思いをさせるのは申し訳なく思うが、悔い改めようとは思えなかった。


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