わたしの話2
わたしはグレーテル・バイスシタインになった。人間の暮らしは楽じゃないよね。主に、ヘンゼルの世話が大変。
最初の頃、わたしの「グレーテル」が少しでもお気に召さないと、ヘンゼルは引き付けを起こした。同じように起こすなら、癇癪の方がまだ可愛い気があるってもんだよ。いちいち死にかけられたら、たまったもんじゃないわ。
わたしはグレーテルとしてではなく「ヘンゼルの理想のグレーテル」として、振舞わなきゃならなかった。つまり、無垢で無知で無力で無邪気。無い無いづくしの、可愛らしい少女のふりをするの。ばかばかしいけど、ヘンゼルの命がかかってるから。ばかに出来ないのよね。
ばかばかしい問題って言えば、アロンソの特殊な性癖も問題だったわ。ヘンゼルのおどおど、びくびくしたところが、アロンソの嗜虐心に火をつけるらしくて、あの変態……まぁ、言わなくてもわかるでしょ。あなたの専門分野なんだからさ。
とにかくアロンソは、幼いヘンゼル相手に妙な気を起こしたの。ヘンゼルがこれ以上、世を儚んでしまうのを阻止するために、わたしは先回りをしてアロンソの寝台に忍び込んだ。
あいつが乗り気になったところで、体中の孔という孔から、銀蝋を垂らして見せてやったんだ。もう二度と、妙な気を起こさないように念押ししてね。そうしたらアロンソのやつ、もう縮み上がっちゃって。何がって、そんなことわたしに言わせるつもり? いい加減にして。
とにかく、わたしの根回しの甲斐あって、アロンソのヘンゼルに対する虐待は、鞭打ちの程度に収めることができたわ。おまけに、アロンソはわたしと目もあわせられなくなったから、せいせいしたね。弱いもの苛めが好きな奴って、たいてい打たれ弱いのはどうしてなのかしら。
打たれ弱いと言えば、そうそう。初めて人喰い狩りに行った時は、ヘンゼルの奴、これでもかって言うくらい、足を引っ張ってくれたよ。カンテラを落として、足に火をつけて、自滅しかけてね。わたしは自分の腹具合より、ヘンゼルの心配をしなきゃいけなかったんだから。
ヘンゼルは本当に面倒くさい奴。わたしが前に立つと、ダメ。自己嫌悪で勝手に潰れそうになる。ヘンゼルがわたしを守るって、かたちをとってやらなきゃ、ダメ。
わたしはバカなふりをしながら、ヘンゼルの足りないところを、影から補ってやらなきゃいけない。
どうして、ヘンゼルを見限らないのか? 良い質問だね。その疑問は、いつでもついて回るわ。
わたしにもわからないの。好きか嫌いかと聞かれたら、嫌い。役に立つか邪魔かと訊かれたら、邪魔。即答出来る。
……でも、必要か不要かと訊かれたら、迷っちゃうな。
そんなこんなで五年もたてば、ヘンゼルも、少しは使えるようになってきた。要領は絶望的に悪いけど、努力は惜しまないから、時間をかければ、なんとかものになるんだよね。
でも十年たっても、精神衰弱って厄介な問題はヘンゼルに付きまとったわ。わたしが、ここまでしてやっているのに、何が不満なのやら。
ヘンゼルは毎晩のように悪夢にうなされ、熟睡出来ずに、目の下に隈をつくる。何年たっても、豚の餌を貪ってたことが忘れられないで、あまりものを食べない。食べても、吐きもどしちゃう。だから、ずっと痩せっぽっちのまま。
ヘンゼルは心の安定を体の外側に求めて、喫煙を始めた。たいして強い葉じゃなかったわ。服用してすぐは、気分が落ち着く。効果が切れると、苛々したり、攻撃的になったり、情緒が不安定になったりする。それだけ。なんてことないじゃない。衝動的に首を括られるより、ずっとまし。
一度はそれで落ちついたんだ。でも、ヘンゼルは、すぐに物足りなくなって、どんどん強いものを欲しがった。やめる、もうやめる、って繰言しながら、より強いものへのめり込んでいく。
まぁね。現実から目をそむけたくなるのも、頷けるよ。それくらい、ヘンゼルの暮らしは、安息とは程遠かったわ。
淵へ行けば、苦痛に満ちた人喰い狩り。街に戻れば、アロンソの欲望の捌け口にされ、街の人たちから中傷と迫害を受ける。
そんな暮らしの中で心が摩耗していったんだろうな。そのうち、すり減って影も形もなくなっちゃうんじゃないかしらって、わたし、思ったもの。
だから、わたしは使徒座十二席を出ることを提案した。でも、あの意気地なしめ、変化に消極的なんだよ。あなたとか、お人よしの仕立屋夫婦が、ちょっと優しくしてくれるからって、こんなに良い街は他にないって、思ったみたい。
ばかばかしい。愛されない人間って、みんなこんなに、優しさに飢えた、バカになっちゃうの?
行った先がもっと地獄かもしれないなんて。行ってみなきゃわからないし、ダメならまた、移動すればいいだけのことじゃない。そんな簡単なことが、なんで怖いのかな。
今でこそ笑い話だけど、その当時のわたしは焦ったわ。このままじゃ、アロンソに握らされた「麻薬」を、煙草の変わりにのむ日がくる。廃人の世話なんて、まっぴらごめんよ。
とかなんとか気を揉んでたら、二年前。ヘンゼルが、ヴァロワ行きを検討するって、急に言いだした。
両脚の断片から、わたしはヘンゼルの身に起きたすべてのことを、知ることが出来る。決心するだけのことがあったんだよね。ヘンゼルはしばらくの間、仰向けじゃ眠れなかったの。
傷を治してやることは出来るけど、ヘンゼルは、足以外にわたしの断片を使うことを嫌がるから、できなかった。わたしに、出来るだけ、ふつうの女の子の真似事をさせたいんだろうな。
そういうわけで、ヘンゼルはヴァロワへ行って、アイノネが独り占めしてる、銀蝋を根こそぎ頂こうって算段をした。
アイノネと言えば、淵で一番大きな銀蝋だった「母なる海」を燃やして、わたしの体を奪った奴よ。
そうは言っても、人に擬態しなきゃ人智や人格はないから、その頃の恨みなんて無いけどね。ヘンゼルと違って。
ヘンゼルはやる気満々だったよ。恨みつらみなんてくだらないけど、やる気を出しくれたなら、大いに結構。夢中になるものがあれば、当面は、死にたくならないでしょ。
銀蝋の海が手に入れば、淵へ狩りに出ずに済む。ヴァロワとして奥に引っ込んでいれば、人づきあいの煩わしさから解放される。ヴァロワに籠城すれば、アロンソと縁が切れる。いいことづくしだ。ヘンゼルは、落ち着くだろうと思ったわ。
ヴァロワを乗っ取ってやるって、決めたはいいけど、やることは今まで通りの人喰い狩り。食べた後の殻を、いくつかちょろまかして、それに油をさして細工をして、石の心臓の贋物を、たくさんつくった。箱二つ分と少したまるまで、二年もかけたわ。
これだけあれば事足りるだろう。ってことで、ヘンゼルがようやく重い腰を上げた矢先に、僥倖が降って来た。アイノネの妹の、ルシカンテって女の子。ルシカンテを咥えたクマが、わたしの前に、とことこやってきたの。こういうの、鴨がネギ背負ってやってきたっていうのかな?
都合が良いことに、ルシカンテは瀕死の重傷を負ってたわ。左肩から腕にかけて、砕かれてて、肋骨も肺も潰れてた。
わたしは断片を分け与え、ルシカンテをわたしのものにした。おまけで、ギャラッシカって人喰いもついて来た。
とにかく美味しそうな奴で、銀蝋が口から垂れそうになるのを我慢するだけで、もう大変だったな。
ここまでお膳立てしてやれば、間抜けのヘンゼルにも、この僥倖の扱い方がわかるってもんよ。計画は動き始めたわ。
……それとは別に、ヘンゼルの心境に変化が起こったの。ルシカンテのことが、気になって気になって仕方がないみたいで。
ヘンゼルは今年で二十四歳になる。七歳年下の女の子を、ヘンゼルはどう扱っていいか、わかんなくってもてあました。イラついて、怒鳴りつけて、我にかえって落ち込む。阿呆な循環に、どっぷりはまっちゃった。
わたしはわたしで、いっぱいっぱいだったんだ。ギャラッシカと暮らすのは、なかなか難儀だったんだよ。美味しそうなご馳走を目の前にして、ずっとお預け。気が変になりそう。ヘンゼルに構う余裕が無かったわ。
気が付いたら、ルシカンテはヘンゼルを怖がって近寄ろうとしなくなってた。ヘンゼルは頭を抱えてた。これは不味い。
でもね、ちょっと取り持ってやったら、呆気ないくらい簡単に打ち解けたのよ。ルシカンテは、仔犬みたいにヘンゼルに懐いた。
ヘンゼルは慕われるって未知の経験に、きりきり舞いになった。でも、それが良かったんだろうね。今までに無いくらい、顔色が良くなって、食欲も出てきた。煙草の本数も減った。
これは、良いひろい物をしたな。そう思ってたら、ヘンゼルが、またどんよりしだした。
ルシカンテを騙して、利用する罪悪感に、押しつぶされそうって言うの。わたし、うんざりしたわ。
いい加減にしてくれ。お前は、何かしら悩んでないと、生きていけないのか。って。
それでもヘンゼルは初志貫徹して、うまくやった。うまくやったけど、ルシカンテに嫌われた。
そして、とうとう麻薬に手を出しちゃった。
もう、こいつはダメだな、って、つくづく嫌になっちゃったわ。
麻薬の力を借りなきゃ、女の子に言い寄ることも出来ない、情けないお兄ちゃんは、麻薬の力を借りても、女の子に泣かれたら、腰が引けて、尻尾巻いて退散した。
放心してるところにつけこんで、ものにするくらい、出来ないでどうすんのよね。まったく、もう。度し難い抜け作だ。
ついさっきの話しだけど。ヘンゼルはルシカンテひとり部屋に残して、自室に戻った。ルシカンテの部屋の下の部屋。そこの露台でたそがれてた。
わたしは銀蝋の足を伸ばして、露台にそうっと近づいたわ。ヘンゼルは、なんかもう、見るからに捨て鉢よ。「もうどうにでもしてくれ」って感じかな? 麻薬の効き目が切れたら、死んでしまいそうなくらい、落ち込むに決まってる。わたしは考えたわ。
発作的に飛び降りかねない。この高さは……まずいな。頭が潰れたら、わたしの体でも、どうにもならない。
放っておけない。仕方がない。わたしは舌打ちしたいのをぐっと我慢して、ヘンゼルの背に飛びついたの。いつも通り、頭が悪くて人の心を思いやれない、バカな小娘としてね。で、甘ったれた声で話しかけた。
「お兄ちゃん。……んもう。お兄ちゃんったら! お返事してくれないの、なんでかしらって思ったら……こんなの、吸っちゃダメじゃない!」
ヘンゼルのサックコートのポケットから、煙草入れを奪った。開いてみて、心の中で唸ったよ。
あの野郎、タバコと麻薬を入れ替えやがったの。
わたしは、じっとりとヘンゼルを睨みつけたわ。
「一度手をつけたら、飽き足らなくなって、もっと強いのが欲しくなるんだよ。アロンソ様が、なんて言ったか覚えてる? 『これほど強い鎖はありませんからねぇ。ひっひっひ』て言ってたんだよ」
そうしたら、ヘンゼルはへらへらして、こう言ったのよ。
「こうも言っていたっけな。『お前はいずれ、どちらかを選びます。これに手をつけるか、首を掻き切るか』首を掻き切らないだけ、ましだろ。煙草の一本や二本で、うるさいこと言うなよ」
あなたも、わかるでしょ。だめだ。この阿呆は。
わたしは、説得を諦めて、実力行使をすることにした。断片を操って、ヘンゼルを強制的に室内に戻したわ。ヘンゼルは、わあわあ騒いで、そのうちに、腹を抱えて笑いだした。
ねぇ、あなたも、わかってくれるでしょ。本当にだめだ。このバカたれは。
もう、本当に嫌になっちゃうわ。馬車馬のアーサーみたいに、四肢を全部銀蝋にしてやろうかしら。あっ、そう言えば、左手以外は全部、銀蝋の断片になったのよね。それでも、相変わらず、手がかかってるんだから、あいつは馬車馬以下だわ。家畜をやってた奴は、やっぱり違うよ。
わたしは、実力行使でヘンゼルの意識を落とした。面倒くさくなったら、いつもそうするの。
麻薬は全部処分して、煙草入れには、もとの煙草を戻した。まぁ、気休めだけどね。ヘンゼルは、本気でまた欲しくなったら、すぐに調達出来るもの。その都度、わたしがああやって、処分してやんなきゃならないのよね。
となれば、根本的な問題を、解決してやらなきゃ。
わたし、ルシカンテの部屋を覗きに行ったの。あの娘、今回の騒ぎで、ちょっと大人になったから。ヘンゼルを誑し込んだら、楽しく暮らせるよって、教えてあげようと思って。
でも、そっちはそっちで、涙の海で溺れそうになってるのよ。流石のわたしも、お手上げしそうになった。
ルシカンテが壊れたら、ヘンゼルも無事じゃすまない。ヘンゼルにとって、これは、一世一代の恋なの。これでしくじれば、もう二度と、暗い夜の海に漕ぎ出すことなんて、出来ない。
別に、それでもいいんだよ? ヘンゼルが、恋で破滅する類の愚かな人間じゃなければ、いい。
でも……わかるでしょ。見事に破滅しそうだってことが。
波長が合うってことは、何処か、似たものがあるってことなんだろうね。手のかかるのが、ふたりに増えちゃった。ああ、もう、困ったな……。
……今、ここ」




