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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第一章「留まってはいられない」
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ホボノノの変わらない日1

 

 ***


 そんなことがあってから、二度目の春が訪れた。

 居住区の東のはずれ。ルシカンテは小柄な体躯をさらに小さく縮こめて、小指の爪くらいの可愛らしい苺実を摘んでいた。透明な蜜の結晶が丸い実を覆っていて、宝石のようにきらきらと輝いている。十分に蜜を纏った、赤く瑞々しく熟した実を見定めて、肘に掛けた籠に入れていく。苺実のような口唇をほんの少し尖らせているのは、集中している時のルシカンテの癖だ。

 ルシカンテが世話をしているのは、氷霜に負けずに育った氷苺の畑である。手をかけた甲斐あって、仔キツネの兄弟が跳ねまわれるくらいに広がった。

 籠が氷苺でいっぱいになると、ルシカンテは足元でちょろちょろする仔キツネを蹴飛ばさないように注意して立ち上がった。すん、と鼻を利かせる。ここからは、家々の影になって見えないが、南の門から血の匂いがした。

 仔キツネが、皮の長靴の爪先を噛んでいる。やんちゃな仕草が微笑ましく、自然と頬が緩む。つま先をちょいちょいと動かして、仔キツネを退かせる。足元から見上げて来る仔キツネに、籠をふって見せた。しゃらしゃらと、澄んだ音が鳴る。


「氷苺ば摘んだし、おらぁ、家さ戻るよ。そろそろ、おらいの爺さまが猟から帰ぇる頃だ」


 仔キツネに分かれを告げ、ルシカンテは、なだらかな坂を小走りで下った。

 海風が運んでくる血臭が、濃密になっていく。猟は成功だ。獲物を担いだ猟師たちが、傍まで戻って来ている。

 ここはホボノノ居住区。護柵に囲まれた、掘り下げられた平坦な土地に、五十余世帯が暮らしている。家々の中央には広場があり、こもごもの儀式が執り行われる。

 坂を下ると、血臭を嗅ぎつけたのだろう女たちが、広場をせわしなく行き来している。猟獣の肉を取り分ける為に、粘土を焼いた器と脂身を切るナイフを手にして。家々の高床の下では、繋がれた犬たちが興奮して吼えたてている。

 ルシカンテは、偲び足で家路を急いだ。苔むして滑りやすくなっている階段を、注意を払って登っていると、隣家から、大鍋を抱えて出てきた女房と鉢合わせになった。隣に住むウダリと言う猟師の女房だ。彼女は円らな目を丸くして声をかけてくる。


「あんらま、ルシカンテ! おめぇ、まぁだ、そったらとこでもたもたしとったんか! はよ支度しねぇと。せっかく爺さまが獲ってきてくれたおまんま、食いっぱぐれるんでないかい。今度はどこさいて、油うってただよ」


 気せわしくまくしたてていた女房が、ルシカンテに肱にかけられた籠に気がつく。こんもりと盛られている氷苺を見る目がだんだん険しくなり、鼻孔が膨らんだ。ルシカンテはあわてて籠を後ろ手に隠す。引き攣り笑いを浮かべた。


「うん、もう済んだすけ、すぐ支度して行くだ。気にしてくれて、あんがとね」


 言うが早いか、ルシカンテは戸口に飛びついた。物言いたげな女房を引き攣り笑いでいなして、戸を閉める。隙間から、女房の大きな鼻息が滑り込んできたが、本人の侵入は防いだ。ひとまず、煩わしい小言から逃れることが出来た。

 ルシカンテは小さく嘆息して、氷苺が入った籠を寄せ木のテーブルの隅に置いた。クジラの髭で繕った布を目隠しにかけておく。テーブルの上に置きっぱなしにしていた、猟獣の腱を縒った編みかけの網を片付けて、竈へ向かった。女子供用の脂身を切るナイフを手に取る。三日月型で、両端を結ぶように木製の持ち手がついており、女子供の弱い力で、切りづらい脂身を断ち切る工夫がされている。

 壁にかけた大鍋を持って振り返り、光り取りの窓の外を窺ってみる。隣の女房の姿はない。と言う事は、噂話に花を咲かせる相手を見つけたのだろう。隣の女房の、聞えよがしの囁きが聞こえて来るようだ。


『オリュシの孫娘でなければ、ルシカンテはとっくにカシママに嫌われ、持っていかれていただろう』と。


 すぐに表に出たら、女房とその仲間たちにつかまって、おもしろくないことになる。ルシカンテは、憂鬱な気持ちで椅子を引き腰かけると、ナイフを鞘から引き抜いた。刃にこびりついた乾いた脂を、爪でそぎ落とす。ぐずぐずしていると、櫓の見張り番が法螺貝をふきならす開門の合図が、居住区中に響き渡った。猟師たちが帰還したのだ。

 ルシカンテは椅子を蹴って立ち上がると、光りとりの窓から外の様子を窺った。ひとびとが、門前に集合している。ルシカンテは鞘に戻したナイフを腰紐に挟むと、鍋で顔を隠しながらそっと戸を押し開き表に出た。

 大の男を三人積んでも超えられない高さがある門を、大の男が六人がかりで押し開く。門が開け放たれると、海風に晒された外側に白くふいた塩が、ぱらぱらと降ってくる。塩の雨垂れにうたれながら、銀の槍を掲げた猟師たちが、門をくぐる。

 槍の先端によく燃える髪をひと房巻いて、祓い火を灯している。猟師たちはその逞しい肩に、アザラシの皮を張った小舟と、皮と脂がついた輪切りのクジラ肉を担いでいた。最も旨みのある頭と内臓は、影の民に捧げる贄として、海岸においてきたのだろう。

 ルシカンテの祖父、ウメヲは堂々と先頭に立っている。鰭がついた大きなクジラの肉塊を、連峰のように実った肩に軽々と担いでいた。肩に刻まれた、最も優れた猟師を意味する、誉れ高いオリュシの証が、服の下で黒々と輝いていることだろう。

 二十人の猟師の殿しんがりが門を潜り終えると、門番は猟師たちから槍を受け取り、隙なく四方を警戒する。櫓の見張りの合図で門が閉ざされた。閉門するや否や、門番たちは急いで祓い火に土をかけて揉み消す。貴重なカシママのこけらを、無駄に出来ない。十年前「カシママのこけら落とし」の日に、海のように大きなカシママが、大きな窪地を残して、一夜で跡形も無く消えてしまってから、カシママのこけらは手に入りにくくなったという。


 殻の獣を寄せ付けない祓い火を灯す銀器は、カシママのこけらを研磨してつくられる。カシママのこけらは、安全が約束されている居住区の外で猟をする猟師たちにとって、命綱だ。

 成果をあげた猟師たちを、待ちかねていた人々がどっと取り囲む。浮足立つ人々が、クマの姿毛皮を頭からすっぽりと被った小柄な老婆に、さっと道を開けた。老婆は、両脇を世話役の女房に支えられながら、ほとんど引き摺られるようにして、よろよろと歩いて来る。

 自然に宿りし精霊、カシママの声を聞くことが出来るまじない師の老婆、アヴクコだ。長命で、この居住区に住む者の名は皆、このまじない師が火のカシママから賜り名づけたものである。

 ウメヲは、進み出たアヴクコの前に跪き、クジラの肉塊を捧げ持った。アヴクコは黙然と、三日月型のナイフを袂から取り出した。クジラの皮に切れ目を入れ、脂と肉をえぐり取り、口に運ぶ。ヤニがこびりついた目を瞑り、十分に咀嚼した後、おもむろに頷く。


「よき血、よき肉、よき糧じゃ。今日もお護りくだすったカシママに、海より深い感謝ば捧げて、皆の者。かしこみかしこみ、頂戴しなせ」


 アヴクコが隙間風のような細い声で言うと、村の衆は歌でカシママを讃えた。美しい故郷、波で命を運ぶ海、生と死を繰り返す太陽。それらに宿りし霊性カシママへ、尊敬と畏怖を、風にのせて捧げる合唱である。

 ルシカンテは、そそくさと階段を下りて、さりげなく歌唱の輪に加わった。高く低く、歌声は潮騒のように震える。海鳥が渦潮のようにぐるぐると廻っている下で、朗々と歌いあげた人々は、待て、を解かれた犬のように、猟師と肉塊に群がった。

 たくさんの異なる口が、いっぺんに猟師たちの腕前を褒め、ナイフで肉を切り取り鍋に盛っていく。人々に取り囲まれる猟師たちの中でも、最も人を集めるのは、ウメヲだ。背丈が頭ひとつ抜きんでているので、髪と髭の境目が分からない白い毛に埋もれた顔の表情が、最後尾にいるルシカンテにもよく見える。いつもは冬のように厳しい表情を、心なしか緩めて、まじない師に頭を垂れている。

 ルシカンテは、ウメヲの労をねぎらおうと、鈴なりの人だかり身を滑り込ませた。小柄を生かし、体と体の隙間を縫って前進する。それでも進めなくなると、四つん這いになって、樹の根のように縺れる幾人もの足の間を潜り抜けた。

 やっとのことで人だかりを抜け出して、ルシカンテは最前列にやってきた。ウメヲとばっちりと目が合って、ルシカンテが浮かべた喜色満面の笑みは、ウメヲの肩越しにのぞく、なじみ深い顔を見つけて、剥がれ落ちた。ウダリの女房が、ウメヲに何事か耳打ちしている。否、告げ口している、のだろう。ウメヲの功績を称え、生還を寿いでいるような、円満な雰囲気ではない。ウメヲは、白眼の上で頼りなく泳ぐルシカンテの瞳を、大海原にぽかりと浮かぶアザラシを銛でつく要領で、鋭く射抜いた。


「ルシカンテ」

「はいっ!」


 ルシカンテは、号令をかけられた兵隊蟻のように、きびきびと立ち上がった。急に立ち上がったものだから、それまでルシカンテの姿が見えていなかった周囲の人々が、驚いてのけ反った。

 ウメヲは、ユキクマのようにのしのしと近づいて来る。ルシカンテが反射的に頭を庇う盾にした大鍋に、クジラ肉の塊を叩きつけるように入れた。耳のすぐ傍でドラを叩かれたみたいな衝撃で、ルシカンテは目を回す。くらくらしているルシカンテの長靴の踵を、ウメヲが軽く蹴った。ルシカンテが肉塊の重さに竦めた首を巡らせて見上げると、ウメヲは苦い顔つきで、顎をしゃくった。


「家さ帰ぇるぞ」


 言外に、お説教は帰ったあとだ、と付け加えて、ウメヲはさっさと歩きだした。ウメヲの背で銛が、白々と輝いている。ルシカンテは、鍋の影に隠れようとするかのように小さくなって、人々がウメヲの為に開いた道をこそこそと通り抜けた。

 自宅に戻ると、血臭を嗅ぎつけた三匹の犬が高床の下から出てきて、吼えて飯の催促をしている。柱に結わえた首紐がぴんと張り詰めるまで前に出て、涎をだらだらと垂らしていた。ルシカンテが近寄ると、短い足にまとわりついてくる。ルシカンテは、くすっと笑った。


「おめぇら、さもしいなぁ。こら、やめれ、とびつくな。お行儀よくしねぇと、おまんまやんねぇぞ?」


 利口な犬たちは、ルシカンテの言葉を理解して、地面にぺたんと尻をついた。

 ルシカンテはよし、と頷いて、鍋を地面に下ろした。鞘から引き抜いた抜き身のナイフで、おいしい皮と脂がついた肉を切り取って、投げてやった。犬たちはとても喜んで、鼻先をぶつけ合いながら喰いついている。旺盛な食欲に釣り込まれて、しゃがみ込んで眺めていると、頭のすぐ上で、光り取りの窓が開く。ぬっと出てきたウメヲのあきれ顔を仰ぎ見て、はて、とルシカンテは小首を傾げた。


「ん? 爺さま、どげしただ?」

「……ルシカンテ」


 物憂げな溜息混じりで名前を呼ばれて、ルシカンテは合点がいった。両手で口を覆う。


「わっ、いけね! おら、怒られてんだった! すまねぇ、爺さま! いますぐ、行きます!」


 ルシカンテはナイフを鞘に納めると、大鍋を頭に載せて階段の前へ回り込んだ。あまりに焦っていたので、苔を踏んでつるっと足を滑らせ、仰向けに転倒する。鍋は放さなかったが、肉塊が頭の先で転がった。地面に打ち付けた尻と、階段の横棒に擦りつけた脹脛が痛い。ルシカンテの一人騒ぎを遠巻きに眺めていた人々が、ひそひそと囁き合っている。


「せっかくの糧ば粗末にして」


 ルシカンテがもう一人いたら、そのもう一人も、人々と一緒になって、ルシカンテに後ろ指をさしていただろう。ルシカンテが体を丸めて、棘のように咎める視線と痛みに耐えていると、ウメヲが戸を開いて出てきた。


「ふつつかな子じゃ」


 ウメヲは、ルシカンテを跨ぎ超えて、肉塊をひょいと抱えあげる。ルシカンテを顧みずに家に入り、ばたんと戸を閉めてしまった。閉ざされた戸が、お前なんてもう知らない、と、ウメヲの失望を代弁している。ルシカンテは、慌てた。


「待って、爺さま! 待ってけれ! おらも入る!」


 膝がすり剥けた右足を引きずって階段を上る。施錠まではされていなかったので、ルシカンテは家に入ることが出来た。戸をぱたんと閉めて、冷ややかな衆目を締めだす。

氷いちごは、いちごあめを小さくしたような見た目です。甘いいちごの味です。

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