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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第四章「醜い争い」
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アイノネ

 


 ***


 ルシカンテは、己の浅はかさを思い知っていた。少し優しくされただけで、良い気分になって、好きになって、なにもかも、わかったつもりになっていた。根っこが単純に出来ているのが、恥ずかしい。

 王様は、アイノネを人喰いに殺されて、人喰いを激しく憎むようになったのだ。憎悪の炎は、十一年が経っても、赤々と燃え上がっている。ぽっと出のルシカンテの言葉で、主義を変える筈が無かった。

 考えなければならないことが、山積みだ。しかし、鉛が詰まったように重い頭は、働かせようとすると鈍く痛む。ルシカンテは、雲で出来たみたいな、ふんわりとした寝台に倒れ込み、泥のように眠った。


 ルシカンテが覚醒すると、大窓から、丈高い塔に砕かれた西日が差しこんでいた。

 夢すら見ない、深い眠りから覚める時、楽園から追放された感じがする。ルシカンテは、倦怠感を引き摺り、体を起こした。頭は、ぼうっとしているが、興奮と混乱の波は退いている。

 ぼうっとしていると、書架の下に落としたままの絵本が目に入った。寝台から這い出し、靴をつっかけて歩き、本を拾い上げる。


(王様の寵愛ば受けていた、お妃様……それが、アイノネだったんだ)


 王様が、亡くなったお妃様を寵愛していたことは、ママ・ローズやヘンゼルの口から聞いていた。まさか、そのお妃様がアイノネだったなんて、思いもよらなかったけれど。

 表紙の文字を、指先でなぞる。左手の薬指に嵌めた指輪が、きらりと光った。綺麗な輝石を、西日に翳してみる。赤い石の中で、炎が揺らめくようだ。

 ルシカンテは、目を細めた。次いで、目を見開いた。

 ヘンゼルの父親は、アイノネの警護についていた。アイノネは、ヘンゼルとその父親の目の前で、人喰いに食い殺されたと、いうことになる。

 淵で、初めて顔を合わせたとき。ルシカンテを見るヘンゼルの瞳に滲んだ、恐怖の正体に、ルシカンテはようやく気がついた。

 ルシカンテが、アイノネに似ていたからだ。


(ヘンゼルは、アイノネが死んだのは、自分のせいだと思ってる。だから、おらば見たとき、アイノネが祟ったと思ったのかもしれねぇ)


 アイノネとルシカンテは、良く似ている。死んだアイノネと、今のルシカンテは同じ歳だ。ヘンゼルは、ルシカンテを一目見て、アイノネと血縁関係があることを見抜いただろう。

 最初から、少し、おかしかったのかもしれない。素性のわからないルシカンテたちを、家に置いて、衣食住の面倒を見てくれるなんて、見ず知らずの相手に対して、好意的過ぎた。

 体が、氷のように冷たく透き通っていく気がする。左手の薬指が、熱をもったように、そこだけが熱い。


(罪滅ぼしのつもり?)


 ルシカンテには、ちゃんとわかっている。ヘンゼルのせいではなかった。アイノネの死は、不幸な偶然だった。

 ルシカンテを凍えさせたのは、アイノネの死とヘンゼルの関係ではない。


(優しくしてくれたのは、ただの罪滅ぼし? おらさじゃなくて、アイノネへ向けたもの?)


 ヘンゼルが、ルシカンテを通して、アイノネを見ていた。そう思っただけで、腹の底が煮えたのだ。言葉に拾い上げることを憚るような、みにくい感情がふつふつと湧きだしている。窓硝子に映った、醜悪な相貌が、己のものとは思えない。悪魔に変わってしまったようだ。ルシカンテは、自身の変化にうろたえた。

 呼吸が、浅くなっていった。胸が、押しつぶされたように痛む。ルシカンテは、胸を押さえてへたりこんだ。薬指の指輪を握り締めて、しゃくりあげた。

 苦しいし、不安だし、怖い。こんな時に、ヘンゼルが傍にいてくれたら良いのに。

 ヘンゼルと離れると、胸が痛い。本当に痛い。ヘンゼルと離れたら、生きていけないかもしれない。

 こん、こん、とノックの音がする。ルシカンテは、びくりと竦み上がった。王様が、侍女を宛がうと言っていた。その侍女が、ルシカンテがいつまでたっても起きないから、痺れを切らして、やって来たのだろうか。ルシカンテは、鼻を啜って、出来るだけなんでも無いような声を出した。


「はい?」


 答えがない。ルシカンテは、首を傾げた。こちらから扉を開けて招き入れなければ、入室が許されないのだろうか。

 ルシカンテは、よろよろと立ちあがった。扉に近づく。もう一度ノックの音がした。扉からではない。

 ルシカンテは、ぱっと周囲を見回した。扉は一つしかない。ならば、窓か。ルシカンテは、大窓を振り返った。


(真ん中の窓だけ、鏡さなっている?)


 鏡でなければ、窓の外にルシカンテが、もう一人いることになる。光の加減による反射ではない。

 暮れなずむ城下を背負い、ルシカンテとよく似た少女が、微笑みかけてくる。星屑をちりばめたような白銀のドレスが、斜光を跳ね返す水面のように、きらめいた。

 ルシカンテは、危うい処で悲鳴を呑みこんだ。もしかしたら、まだ目覚めていないのだろうか。夢を見ているのか。夢だろうと疑いつつ、現実であってくれたらと願いつつ、ルシカンテは、そっと窓硝子に触れた。

 ルシカンテとよく似た顔をもつ、ルシカンテより大人びた、賢い目をした少女が、硝子越しにルシカンテと掌を合わせた。

 騒いだら、灯のようにふっと消えてしまいそうで、ルシカンテは、声を潜めて言った。


「アイノネ……? アイノネなの?」


 少女が、こくりと頷く。ルシカンテは、窓を開け放った。

 ふわりと、日に焼けた風が吹き込む。アイノネは、幼い日の記憶を透きうつすようにそのままで、淑やかに、ちょっと悪戯っぽく、ほほ笑んでいた。


「会いたかった、ルシカンテ。大きくなったね」


 ルシカンテは、アイノネの胸に飛び込んだ。アイノネの方が、少しだけ背が高い。銀糸のドレスは、ひんやりとしている。アイノネの肌は、それ以上に冷たかった。ルシカンテの涙に触れたところから、淡雪のように溶けてしまいそうだ。ルシカンテは、アイノネをきつく抱きしめた。


「アイノネ……あんた、生きてたんだね……!」

「違うの、ルシカンテ。おらは、シャルル様……陛下が仰る通り、一度は死んだの」


 アイノネは、ルシカンテの体をやんわりと押し返した。悲しそうに、けぶる睫毛を伏せている。つられて、足元に目をおとしたルシカンテは、言葉を失った。

 アイノネのドレスの裾から、銀の流体が流れ出ている。アイノネの細い足を人魚のように一纏めにして、銀蝋の流れは遥か下へ続いている。

 アイノネは、ルシカンテの頬に手を添え、正面を向かせた。癖の無い髪が、夕日を受けて紺碧に透き通っている。幽しき姿だった。アイノネは、己の細い喉に触れて、言った。


「人喰いさ、喉ば喰われてね……だども、助かった。……おらの胎さ、カシママが宿ってたすけ。

 おらが、ホボノノば出た日。こけら落としがあったの、覚えてる? シャルル様と待ち合わせた場所さ行く途中に……カシママさ、体ばもって行かれた。気ば失って……気が付いたら、なんともなかった。

 大丈夫だと、思ったんだども……だんだん、おかしくなってきた。胎さ、何かいるのがわかるの。どんどん膨らんで、内側から肉ば啜ってる……痛みはねぇども、恐ろしかった。シャルル様さは、どうしても言いだせねかった。気のせいだと思いたかったの。本当にそうだったら、おらは、もう一緒さいられねぇから……」


 アイノネは、下腹部を撫でている。ルシカンテは、叫びださずにいるのが、やっとだった。アイノネの独白めいた語りは続く。


「人喰いさ喰われて死にかけたとき、カシママはおらの中ば全部、つくりかえたんだ。死んだ筈のおらは、そげして、蘇っちまった。今は、皆しておらのことば、ヴァロワって呼ぶよ。この国の、伝説の救世主の名前……誰も、おらを、火のカシママがつけてくれた名前で呼んでくれねぇ。シャルル様も」


 アイノネが辛そうに唇を噛んだので、ルシカンテは、衝動的にアイノネを掻き抱いた。アイノネは、ルシカンテの背をあやすように叩き、語り続ける。


「おらは、こんな体になっちまったけど……なっちまったからこそ、シャルル様のお役さたちたくて、収集兵ば引き連れて、淵さ行った。……おらさ宿ったカシママは、淵で一番大きな生きる銀蝋『母なる海』が、こけら落としして、生まれたものだったの。おらは、母なる海ば……火で燃やした。収集兵さ頼んで、少しずつ、母なる海さ、灯し火を混ぜてもらってたから……よく燃えたよ。母なる海は、こけらさなって、何処かへ飛んで逃げた。おらは、残った銀蝋ばとり込んで、国さもって帰って来た。シャルル様のお役さ、たちたくて……」


 護壁の銀蝋は、アイノネの体だったのだ。アイノネは、ルシカンテの左の肩口に額を擦りつけてくる。首筋に冷たい肌が触れ、拒絶の気持ちがなくても、生理的な鳥肌が立った。アイノネは、すぐに顔を上げた。ルシカンテは、嫌がったわけではなかった。言い繕おうとしたが、アイノネは微笑み、首を横に振る。わかっている、大丈夫。

 その笑顔は、季節が過ぎるように、自然にうつろい、悲しみの表情になった。


「だども、シャルル様は、喜ばなかった。おらが死んで、化け物さなっちまったと思っとる。おらがやったことば見て、ますます、怖くなったみてぇなの。……違うね。おらは、化け物さ、なっちまっただ……」

「違う!」 


 ルシカンテは、叫んだ。アイノネが、見つめて来る。その目には、諦念の色が濃い。ルシカンテは、もどかしく首を横に振った。違う。違う。


「アイノネは、アイノネのまんまだ! 心がそのままなら、体がどうなってたって、関係ねぇ!」


 叫んでいて、ふと、これはヘンゼルの言葉だということを思い出した。それを聞いて、釈然としない気持ちになったことも、思い出す。

 大事な姉がこのような不幸に陥って、ルシカンテは、初めてヘンゼルの考えを理解出来た。心がそのままなら、体がどうであっても、人間ではなくなっていても、変わらないではないか。そう、信じたい。

 ルシカンテは、アイノネの目を、力づけようとして、真っすぐに見詰めた。


「おらが、シャルル様さ話してみる。ちゃんと話せば、わかってくれ……」

「だめ!」


 アイノネが悲鳴のように叫んだ。怯えている。


「だめだよ、ルシカンテ……。おめぇ、さっき話してみて、わかんねかったの? シャルル様は、国王陛下だ。人の言葉さ惑わされねぇ」


 アイノネが、俯き加減に長い睫毛をふるわせる。あまりにも哀れだ。ルシカンテは、やるせない気持ちだった。

 どうして、王様には、わからないのだ。これは、アイノネだ。アイノネ以外の何者でもない。人間でなくなったら、アイノネではなくなってしまうとでも言うのか。王様は、アイノネの真心を愛でていたのではなかったのか。


「……王様は、アイノネのことば、とても好きだよ。大好きだ。なのに……なして、わかってくんねぇんだろ……」


 アイノネの銀色の双眸が、不意に、燃え上がった。激しい感情が、銀色の火屑になって飛んだようだった。


「陛下の望みは、人間のアイノネには、叶えられない。今の陛下に必要なのは、化け物のヴァロワよ。アイノネの姿、アイノネの思い出、アイノネの愛、そして、陛下の夢を支える力を持った……このヴァロワだわ」


 アイノネは、ルシカンテの凝視を、瞑目してかわした。目を開くと、苛烈な眼差しは影もかたちもなくなっていた。ひたすら、優しい。


「いいの、いいんだ。ルシカンテが、信じてくれた……ううん、こげして、会えた。それだけで……こげな体さなっても、生きていた甲斐があったよ」


 アイノネは、ルシカンテを包み込むように抱きしめた。ルシカンテも、アイノネを抱きしめ返した。

 アイノネの体に、自身の体が沈みこむような、不思議な感覚がある。アイノネと、ひとつに融け合うようだ。アイノネの顎が、ルシカンテの左肩に沈み込む。

 左肩が、心臓みたいに、どくんと脈打った。左腕が勝手に跳ねあがり、アイノネを突き飛ばす。

 ルシカンテは、唖然としていた。謝らなくては、と思ったのだが、肺を大きな手でわしづかみされたような胸苦しさに、倒れこんでしまう。

 ルシカンテは、空気を求めて口をぱくぱくさせた。潰れた肺に、空気をうまくとりこめない。アイノネの、銀蝋に包まれた裸足が、横になった視界にうつっている。視界の端が、焼けるように黒ずんできた。

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