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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第四章「醜い争い」
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王様とアイノネ

 王様は、ルシカンテを南の塔の天辺にある部屋へ連れて行った。日当たりが良い、居心地の良い部屋なのだと、王様は楽しそうに語った。

 重厚なつくりの扉を潜り、広い部屋に通される。床には、毛足の長い深紅の絨毯が敷かれていて、歩けば靴底が炎に舐められているようであった。白い大理石の壁には、花や動物をあしらった象嵌細工が施されており、それらは野生の営み通りに生き生きと躍動している。露台へ通じる三つの大窓の間にある暖炉には、八重咲きの薔薇の花々が、色彩豊かに飾られていた。

 三人掛けの長椅子にゆったりと腰かけた王様は、世俗の些末事から隔離された、高貴な存在を全身で体現していた。


「アイノネが生きていた頃のままにしてある。今から、お前の部屋だ。好きにつかって構わぬ」


 断ったら、どうなるのだろう。王様は豹変して、ならば処刑だ、なんて言い出すだろうか。

 ルシカンテは、返事を保留して、部屋をゆっくりと歩きまわった。幅が広く、背が低い書架の前で立ち止まる。たくさんの本が並んでいた。アイノネは、本が好きだったのだろう。本来ならば、字を持たないホボノノの民には、楽しめない趣味である。

 ルシカンテは、背表紙をざっと流し見た。そのうちの一冊に、見覚えがあった。目当ての本を引き出して、装丁をじっくりと見て、頁をぱらぱらとめくる。見覚えのある挿絵ばかりだ。ルシカンテは、声を高くした。


「これっ、アイノネが隠してた、絵本だ!」


 どれ、と王様が腰を上げる。ルシカンテの隣に立つと、親鳥が小鳥を覗きこむように顔を寄せた。そして、ぱっと顔を輝かせる。


「それは、余がはじめて、アイノネに贈った本と同じものだ」

「そうだったんですか! アイノネ、おらが眠れねぇでいたら、毛布さ隠れてこっそり、この本ば読み聞かせてくれたんです……ってことは、王様とアイノネは、アイノネが居住区ば出る前から、お付き合いがあったってことですか?」


 ルシカンテが興奮して訊ねると、王様は噛みしめるように頷いた。


「余は、先王の十人が子の末子であった。王位継承権、第十位。まず、お呼びはかからぬとされ、兄上たちと比況すれば、随分と気楽なもので、自由にさせて貰ったものだ。時には、供も連れずに、馬で遠乗りした。ある時、海岸線に近い淵をせめていたおりに、飲み水の入ったヤギの胃袋を、仔キツネに盗られてしまってな。余は、仔キツネを追い、粗末な木の柵に囲まれた、小さな集落に辿りついた。アイノネとは、そこで柵越しに出会い、逢瀬を重ねるようになった。この本は、外の世界が見たいというアイノネの為に、余が柵の隙間から差し入れたものよ」

「東の護柵の隙間!」


 ルシカンテの興奮は冷めやまない。堰を切ったように、言葉が溢れだしていた。


「おらも、あそこで、内地の旅人と会いました。そのひと、仔キツネさ財布ば盗られて、困ってたんです。とり返してあげたら、お礼に氷苺の種ば恵んでくれて。そのひとと、その妹と、一月前に再会しました。おらが危うく、人喰いクマさ食われそうさなってたところば、助けてくれた。おらばここまで連れてきてくれた、恩人です」


 ルシカンテは、はっとして口を噤んだ。迂闊なことをぺらぺら喋ってしまった。ヘンゼルの名は伏せてあるから、問題はないと思いたいが。

 王様は、目を丸くしている。それから、しみじみと頷いた。


「むぅ、そのようなことが……。汝ら姉妹は、誠によく似ておるのだな。妹のお前も、柵越しの恋に落ちるとは……」


 柵越しの恋。言葉にすると、なんとも空想的で情緒的な響きである。と、呑気に考えていたら、王様が投げ込んできた爆弾に気がつくのが、遅れた。その空隙は、王様を一人で納得させるのに十分過ぎた。ルシカンテは、遅れながらも、顔を真っ赤にして否定した。


「ち、違います! 恋とか、そういうのじゃないです! 友達ですよ、友達!」


 王様は、もう決め付けていた。ルシカンテの狼狽を、さも愉快そうに笑っている。


「はっはっは! アイノネより晩熟であるか。そうか、そうか。では、そういうことにしておこう」


 そういうことにしておこう、とは、そうとは思っていない、ということだ。そんなつもりで、話したのでは無かったのに。

 ルシカンテは、左手をさりげなく後手に回し、指輪を隠した。会ったばかりのひとに、恋だろうと勘ぐられるということは、ヘンゼルも、気取っていたかもしれない。


(いや、それはないか。恋心どころか、女心ってやつが、まるでわからねぇひとだもの)


 王様は、赤くなったり青くなったり、真顔に戻ったりするルシカンテを、目に好ましそうに見つめ、訊いた。


「その者は、一緒では無かったようだが、如何した。お前の恩人ならば、余には持て成す用意があるぞ」


 ルシカンテは、ぎくりとした。矢張り、そういう話の運びになってしまう。ルシカンテは、平静を装って、頭を振った。


「いえ、いいんです。忙しい人ですから」

「何処の者だ」

「自由都市群、使徒座十二席の……職人なんです」


 職人だと付け足したのは、使徒や聖職者だと思われたら、まずいと思ったからだった。王様は眉を潜めている。


「ならば、無理にでも引きとめるべきであったな。使徒座には、悪い噂がある。人喰いが人を飼う国であるとか……。あの国の、特権階級は信用ならぬ。その者が心配だ。今からでも遅くは無い。遣いを出し、我が国に迎えようではないか。その者は、名はなんと申す。何処へ向かった」

「あの、本当に、いいんです。彼は、今の生活が気にいっているんです。工房に愛着があるし、小さな妹もいるし、移住はしないと思います。使徒とは、関わりの無い生活をしていますし、本当に、心配ありませんから……」


 ルシカンテは、王様の語尾にやや食い気味で、いかに「その者」をヴァロワへ招く必要性がないか、まくしたてた。ルシカンテがむきになるので、王様は訝っている。崖っぷちである。ルシカンテは、速やかに話題をかえなければならなかった。


「アイノネがホボノノば捨てたのは、王様と駆け落ちしたからなんですよねっ?」


 ルシカンテが苦し紛れに口にしたのは、少し考えれば、胸の内に仕舞っておくべきだとすぐにわかる、疑問だった。唇をはなれてしまったからには、もう、撤回できない。

 容赦のない言葉は、王様に、心理的な衝撃を与えたらしい。しかし王様は、怖気づくことなく、受けてたった。


「番狂わせで、余が王位を継承することになり、早急に妃を娶る必要に迫られた。余には、アイノネ以外、考えられなかったのでな。それゆえ、口説いた。余が、アイノネに故郷を捨てるよう迫ったのだ。勘違いしてくれるな。アイノネは、情の深い女だ。お前と祖父の前から姿を消したことを、一年もの間、ずっと悔やんでいたのだぞ」


 王様の言葉は、重かった。二人の決意が、痛みを伴わない、能天気なものでは無かったのだということが、如実に伝わってくる。息がつまる。胸が、苦しくなる。ルシカンテは、そっと言った。


「たった、一年だけだったんですね」


 そうだ、と王様は、怯むことなく首肯した。


「しかし、幸福だった。あの一年は、人生の宝だ。余は、アイノネと出会う為に、生まれてきたのだろうと、思うのだ。

 アイノネを亡くした直後には……後追いなどとバカげたことが、ほんの一瞬、ちらりとだけ、頭を過ったことさえあった。

 だが、余には、成さねば成らぬことがある。成し遂げるまでは、アイノネには待っていて貰わねばならぬ。アイノネは、待ってくれている。死力を尽くせと、言っているだろう。それ故、お前を余の許へ導いてくれた」


 王様の目は、怖いくらい澄んでいた。その深い愛の底まで、なんの澱みもなく見通せてしまえる。

 たった一年でも、アイノネは、幸せだったろう。王様の語る愛は、ひたすら幸せだった。愛し愛されたものだけが辿りつける境地だ。 時間ではないし、理屈でもない。ホボノノを捨てた負目さえ、王様と一緒にいれば、忘れられる瞬間があったかもしれない。悲喜こもごもが、最終的には幸福に変換されたに違いない。

 ルシカンテだって、この一月の間に、似たような経験をした。

 王様は、ルシカンテの髪を優しく撫でると、目許を和ませた。


「ようやく、笑ったな。余は嬉しいぞ。……いや、無理に笑わずとも良いのだ。祖父と姉の死から、早々に立ち直れなどと、酷なことは言わぬ。今は、ゆるりと休むが良い。余を実の兄と思い、遠慮や我慢をせず、自由に振舞え。畏まる必要もない」


 ルシカンテは、王様をすごく近くに感じた。ルシカンテが話しているのは、恐ろしい暴君ではなく、姉の伴侶なのだ。家族だ。彼が言う通り、臆する必要はない。きっと、わかってくれる。


「あの……お願いが、あるんです」

「畏まるなと言うに。して、願いとは、なんだ。何が欲しい? なんでも、とらして遣わすぞ」


 ルシカンテは、深く息を吸い込んだ。虚心坦懐に話しあう事が出来る、分かりあえる筈だ。二の足を踏みそうになる自分にそう言い聞かせて、本丸に切り込んだ。


「北の海岸線の近くさ……ホボノノの居住区を囲む淵があります。そこさ、収集兵をやるのを、やめてください」


 王様の笑みが消えた。


「異なことを言う。わけを話せ」

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