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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第四章「醜い争い」
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ヴァロワへ

 

 ヘンゼルは、森の外れで馬車をとめた。東の山の輪郭が、白み始めている。ヘンゼルたちとはここで別れ、徒歩でヴァロワへ向かう。歩いてもすぐに門に着く距離だ。ルシカンテは、荷台から降りた。御者台の前に回り込むと、ヘンゼルが、財布を放って寄越した。


「これまでの報酬だ」


 衣食住の世話をして貰っただけで、十分過ぎる。そう言って、辞退しようとしたら、ヘンゼルに叱られた。


「世間様をなめるんじゃねぇ。渡世は、金次第だぞ。あって困ることはない。君の働きに見合った分だ。たいした額じゃないから、遠慮はするな。門番に話が通じなかったら、こいつを握らせなさい」


 最後の最後まで、一言、いや、二言三言、多い。ルシカンテが唸っていると、荷台からもそもそとグレーテルが這い出してきた。寝ぼけ眼をぐしぐしと擦っている。

 ルシカンテは、幼い、愛すべき姿を愛でた。微笑んで、深く頭を下げる。


「二人とも、ありがとう」


 言いたいことは、もっとたくさんあったのに、万感が胸に迫り、喉に詰まって、何も言えなかった。グレーテルは、きょとんと目を丸くしている。


「ルシカンテ、どうしたの? 寂しくないんだよ。また、すぐに会えるもの」


 ルシカンテは、無邪気なグレーテルに微笑み返した。すぐに、とはいかないだろうが、何も、今生の別れではない。生きて目的を果たしたら、また会う事もあるかもしれない。


「うん。それも、そうだな……したっけ、もう行くね」

「ルシカンテさん!」


 ヘンゼルに呼び止められた。ヘンゼルは、切羽詰まっているようだ。青白い顔に、激しい葛藤が閃いていた。彼は、何かに追い立てられるように、言った。


「きついことも言ったが、俺は、君のことが好きになった。たくさん嘘をついてきたが、これだけは……」


 ヘンゼルは、口元を片手で押さえて、言葉を堰止めた。顔を背けてしまう。

 泣いてはいない。ただ、呆然自失としているようだ。とんでもない、あやまちを犯してしまったかのように。

 ヘンゼルが呆然とするのも、頷ける。ヘンゼルらしくない言葉だった。ルシカンテの顔は、氷苺のように赤くなってしまった。

 でも、そんな恥ずかしい顔を、ルシカンテは隠さなかった。ヘンゼルに恥ずかしいことを言わせたことが、誇らしい。ルシカンテは、破顔一笑した。


「おらも、ヘンゼルのこと好きだ。グレーテルのことも、ギャラッシカのことも! 四人で暮らせて、本当に楽しかった!」 


 ルシカンテは、身を翻して駆けだした。少し走ってから、くるりと振り返り、手を振る。


「お達者で!」


 グレーテルが、両手を頭の上で大きくふっている。ヘンゼルは、動かなかった。じっとルシカンテを見送っていた。



 

 ***


 四方を山と森に囲まれた円状の断層盆地に、銀蝋の円蓋が覆いかぶさっている。ヴァロワは、特殊な構造の国だった。囲繞する堀から流れ出た銀蝋の流れは、円蓋を遡行し、頂点から滝のように流れ落ちている。国内へ通じる地下水路を流れ、循環する仕組みになっていた。

 石橋を渡ると、銀蝋の流れの向こう側に、ぼんやりと関所のようなものが見えた。えいやっ、と流れに飛び込んでしまおうかという、乱暴な考えが閃いたが、カシママに取り込まれた恐怖を思い出して、諦めた。

 入口は、何処にあるのだろう。ルシカンテが右往左往していると、すぐに関所から門番らしき人影が出て来た。銀蝋の壁越しでも、声はよくとおる。


「何者か。何用か」


 端的に訊ねられた。ルシカンテは、しどろもどろになりながら、正直に話した。


「ヴァロワが淵へ収集兵ば派遣することで、ホボノノの民が困っています。派兵ば取りやめて下さいませんかと、王様に直訴しさやって参りました」


 門番が、まともに取りあってくれる気配は、微塵もなかった。それでも固執すると


「ホボノノ族であることを、証明できるのか」


 と、言ってきた。

 ルシカンテは、途方に暮れた。そこを疑われるとは、想定外である。ルシカンテは生まれたその時から、ホボノノであることを疑われたことなんて一度もない。

 門番は、お引き取りを、と短く言って、関所に戻ろうとした。


(そうだ! こんな時こそ、金がものば言うだ!)


 ルシカンテは、慌ててヘンゼルから貰った財布の紐をといた。


「待ってけれ! これ、こればあげます!」


 財布の紐をといて、中身を確認したルシカンテは、驚いた。貨幣の中に、鞘に納めた、脂身を切るナイフが入っている。ルシカンテが、ホボノノにいた頃から愛用していたものだ。ヘンゼルが入れてくれていた。

 これは、ホボノノ族の証明に、なるのではないだろうか。ルシカンテは、半月型のナイフを振りかざして叫んだ。


「これ! 脂身ばきるナイフです! これ、ホボノノしか使わねぇって聞きました! これでは、証明さなりませんか!」


 門番は、億劫そうに戻って来た。銀蝋の棒で、銀蝋の壁をとんとんと軽く叩く。すると、銀蝋の壁に、流れを堰止めた小さな穴が開いた。拳がやっと入る程度の穴だ。ここから、ナイフを入れろと言うことらしい。


「ぐずぐずしていると、穴が塞がる。指をもっていかれるぞ」


 ルシカンテは、すぐさまナイフを差し出した。出来るだけ、銀蝋には触れないように、指先でつまんで押し込む。門番は、ナイフを受け取ると、行ってしまった。穴は、すぐに閉ざされた。

 ルシカンテは、結構な時間を待たされた。一睡もしていないことが仇となり、うとうとしかけたとき、銀の門がぱっくりと口を開いた。呆気にとられるルシカンテを見て、門番もまた、呆気にとられたようだった。それは一瞬だけで、すぐに丁重な挨拶をして、招き入れた。


「大変お待たせいたしました。王がお会いになります。どうぞ、お通り下さい」


 声色は変えているが、さっきの門番と、同一人物だろう。さっきは、ルシカンテを門前払いしようとしていたのに、今は立派な来賓扱いである。

 ルシカンテが恐る恐る銀蝋の門を潜り抜けると、門は、音もなく閉じた。ルシカンテはネズミのようにきょろきょろする。門番はさっと脇に退けて敬礼をしていた。

 ルシカンテを出迎えたのは、立派な黒塗りの箱馬車と、その前に佇む初老の紳士だった。門番と同じように、白いシャツの上に丈の短い茶色のジャケットを着て、同色のズボンを履き、黒い、膝まで覆う編み上げの長靴を履いている。だが、腕章や、左胸の勲章、そもそもの立ち振る舞いなど、風格のちがいが歴然としていた。初老の紳士は、丁寧に腰をおった。


「ヴァロワが恵みし白銀の国へ、ようこそいらっしゃいました。ホボノノ族のお方。我らが国王、シャルル陛下の命により、お迎えにあがりました。お話は、王宮でお聞きになるとのことですので、お手数ですが、御同行願えますでしょうか」


 ルシカンテは、面喰いつつも首肯する。紳士は、ルシカンテの為に箱馬車の扉を開けた。影に控えていた別の男が跪き、踏み台を引き出す。御者は人形のように、ぴくりとも動かない。

 ルシカンテは、踏み台が必要なほど足は短くないぞ。と思ったが


「淑女は、スカートを履いたら、大股をあけて歩かない!」


 のだと、ヘンゼルに注意されたことを思い出す。スカートの裾を踏まないようにつまみあげ、箱馬車に乗り込んだ。

 座席には、深紅の布がかけられている。クッションは、ふかふかだ。座ると、体をすっぽり包み込む。あまりの座り心地の良さに、手足を目一杯伸ばしそうになったが、向かい側に紳士が乗り込んだので、慌てて縮こまった。箱の中は広く、ルシカンテが短い手足を目いっぱいのばしたところで、紳士にぶつかったりしなかっただろう。だが、野放図な振舞いだと眉を潜められることが、ルシカンテにだってわかる。

 馬車が、ゆっくりと動き出した。揺れは小さい。舗装された道であるし、馬車の質も違うのだろうが、御者の気の配り方が違うのだろう。

 車窓は、厚手のカーテンで隠されている。ランプが灯されているので、箱の中は、未明の外より明るかった。

 紳士は、厳めしい顔つきで黙り込んでいる。立派な口髭さえ震わせない。呼吸をしているのだろうか、と疑問に感じる程に、不動だ。おまけに、背に棒を通しているみたいに、姿勢が抜群に良い。

 窓が塞がれている上、正面に紳士が座っているので、気詰まりでならない。紳士にならい、足元に視線を逃そうとすると、綺麗な舞踏服と釣り合わない、履きつぶした長靴に目がとまった。

 いたたまれない。ルシカンテは、紳士に話しかけてみることにした。


「あのぅ……」

「なんでございましょう」


 紳士がすっと目を上げる。ルシカンテは、がちがちに緊張した。


「ええと……どうして、王様は……わたしと、お会いして、下さるのでしょうか……」


 ルシカンテは、精一杯、内地の敬語を駆使して喋った。我ながら、よく出来た。

 初老の紳士は、僅かに目を伏せた。膝先で、組んだ指の動きを見つめて、再び目を上げる。


「わたくしは、存じ上げません。恐れ入りますが、ご自分で王にお聞き願います」


 ルシカンテは「はぁ」と頼りない声を出した。


「そうですか、わかりました。自分で訊いてみます」


 紳士は、また眼を伏せた。ルシカンテが呼吸を整えて、何か言おうとすると、目を上げる。「ちゃんと話を聞きます」というより「まだ何か喋るつもりですか?」と言う視線だった。悪魔で慇懃に、迷惑だと言っている。ルシカンテは、肩を落とし、黙るしかなかった。

 とんとん拍子に、ことがうまく運び過ぎている。

 ヘンゼルは、ルシカンテの幸運を祈ってくれたが、これが、そういうことなのか。順調だと、喜んでいいのだろうか。運命に導かれていると言うより、ころころと転がされている気がして、落ちつかない。いや、運命よりももっと作為的な意思が、ルシカンテを転がして、目指すところに嵌めこもうとしている、そんな悪い予感がする。

 馬車が静かに停車した。小間使いらしき男が箱の扉を開け、踏み台を引き出し、脇へ退ける。

 紳士が先に下りた。ルシカンテも、慌てて後に続く。紳士が、白手袋に包まれた手を差し伸べてくる。ルシカンテは、おどおどしながら、右手を重ねた。紳士は、ヘンゼルみたいに「手じゃない!」 と言わなかった。紳士の意図した通りだったらしい。ルシカンテは、努めておしとやかな所作でスカートの裾をさばき、降車した。がにまたには、ならなかった。

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