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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第四章「醜い争い」
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ヘンゼルとの別れ1

 第四話 醜い争い


 斜陽の時分、ヘンゼルは出立を決めた。


「このまま一晩明かしたら、家に火を放たれて、俺たち全員、丸焼きにされるかもしれないぜ」


 ヘンゼルは冗談めかして言ったが、物影からヘンゼルの家を監視している人々を見るに、あながち冗談とは言い切れない。

 生きた石の心臓と、必要最低限の食料と銀蝋と、杖を荷台に積み込んで、家馬車は使徒座十二席の護壁を出た。ママ・ローズは塔の露台から身を乗り出して、何があったの、と叫んだが、ヘンゼルは応えようとしない。グレーテルが元気よく手を振る隣で、ルシカンテはぺこりと頭を下げた。ママ・ローズはよくしてくれた。ちゃんとお別れが言えないのは悲しいことだ。

 ヘンゼルとグレーテルは神命を受けて、ギャラッシカを追うことになった。ルシカンテをヴァロワへ送り届けるついでに、生きた石の心臓を納品し、路銀を十分に確保して、捜索の旅に出ると言う。


「あてがまるでない。長丁場になるだろう。気長にいこうぜ」

「お兄ちゃんとっても短気なのに、気長にやれるの? とっても心配だわぁ」


 とヘンゼルはおどけて、グレーテルはきゃらきゃらと笑っていた。二人が悲観していないことが、せめてもの救いだった。


 赤い屋根の家馬車がごとごとと揺れながら、ぬかるみに轍をつけている。銀瑠璃の月光が道にせり出す木々に、奇妙な凄みを添えていた。悪魔が腕をひろげているかのような影が、黄色い煉瓦の上に落ちている。


 ヴァロワは使徒座十二席より、ホボノノ居住区のある淵よりにあるらしい。使徒座十二席からヴァロワまで、馬車で行くと半日。ヴァロワから淵まで、馬車で行くと三時間余りだそうだ。

 とっぷりと日が暮れても、アーサーは不眠不休で馬車をひき続けている。よぼよぼのおいぼれ馬なのに、凄まじい体力の持ち主である。荷台ではグレーテルが毛布の中で体を丸くして、すやすやと眠っていた。

 ルシカンテは御者台の背凭れに寄り掛かり、ヘンゼルと背中合わせになっていた。今宵のヘンゼルは、とりとめのないことをよく喋る。

 ルシカンテはカンテラに点る祓い灯を眺めながら、ヘンゼルは気を使ってくれている、と悟っていた。ギャラッシカが去ってから、静かな波濤がルシカンテの心を乱し続けている。

 ヘンゼルのお喋りはまるで、観光にでも行くような気楽さで、目的地であるヴァロワに及んだ。


「ヴァロワの正式名称は「ヴァロワが恵みし白銀の国」。何故、こんな長たらしい名前なのかと言うとね、こんな伝承に由来するんだ。

『その昔、この地には、人喰いの餌場にされた退廃の小国があった。人々が心まで喰い尽くされようとしていた時、何処からともなく「ヴァロワ」という女がやって来て、身の内に宿した大いなる銀の奔流をもって、人喰いを消し去った。その後も、人喰いが襲来すれば、ヴァロワはまた顕われ、人々を救い続けた。この地は、聖女ヴァロワが恵みし白銀の国であろう』

 この話は『聖女ヴァロワは、人々に銀蝋を恵む『母なる海』となり、今も淵に在り続ける』で、結ばれる。はははっ、どんなもんだい。俺の名調子は。観光案内でも、食って行けるんじゃないかな」


 翅に大きな目玉の模様があるガが、カンテラの周りをくるくると舞っている。羽ばたきのささやかな音が、耳を澄ませば聞こえてくる。

 ルシカンテは乾いた唇を舐めた。久しぶりに、言葉を発する。


「……十年前、淵で銀蝋の海が枯れたって聞いたことがある。もしかして、それのこと?」

「おっ、冴えてるね」


 ヘンゼルは朗らかに笑い「あたり」と言った。


「血の惨劇で、ヴァロワの護壁は崩壊した。もう、滅茶苦茶だったよ。富裕層がヴァロワに見切りをつけて、財産を抱えて逃げ出して行った。そんな矢先の出来事だ。地衛兵を引き連れて、一人の女がヴァロワに凱旋したのさ。女は一夜にして、ヴァロワを覆い尽くす、銀蝋の円蓋を築き上げた。ヴァロワでは、これを『奇跡の一夜壁』なんて言うけど、旅人たちの間では『銀蝋の鳥籠』の方が通りが良いね。そして、一夜壁と時を同じくして、淵で銀蝋の海が消えた。ヴァロワの連中は、みんな口を揃えたよ。『聖女ヴァロワの帰還だ』ってな」


 ルシカンテは膝を引き寄せた。顔を膝に埋めると、自身の吐息が熱く、煩わしかった。顔を上げると、荷台でぐっすりと眠っている、グレーテルの花の顔が目に入る。あどけない寝顔を眺めながら、ルシカンテは言った。


「ホボノノでは銀蝋の海……生きる銀蝋の、本体、っていうの? それのことば、カシママって呼ぶ。万物さ宿る霊性、カシママ。血肉ばもつ女の胎で育ち、血肉ばもつ獣ば操り、人喰いば喰らう。そのヴァロワって女のひとは、カシママば宿したとしか考えられないども……。

 でも、おかしいよ。カシママは弱いこけらの時、女の胎さ入る。そんで、宿主の血肉ば自分の体さ置き換えて育つ。収まりきらなくなったら、さっさと外さ出て行くものなの。宿主は皮しか残らない。……海って言われるくらい育ったのに、まだ女の胎さ入るなんておかしい。カシママさとって、人の皮ん中さ留まる利点はなんもない筈だ」


 そこで言葉を区切った。グレーテルの寝息が聞こえる。ルシカンテはひっそりとひとりごちた。


「十年前……最後のカシママのこけら落としがあったも、その年だったな……」


 銀蝋の海の消失、ヴァロワの帰還、カシママのこけら落とし。すべてが同じ時期に起こった。ヴァロワでまことしやかに囁かれたように、淵で、銀蝋の海となった聖女ヴァロワが、人の皮を被り直し、人里に再び降りたと言うのか。淵には人喰いが山ほどいるというのに、どうしてわざわざ、人喰いが少ない人里に降りる必要があるのだろう。

 ルシカンテが深く考え込むのに足りる、沈黙の時間が十分にあった。のべつまくなし喋っていたヘンゼルが黙っている。

 ルシカンテが続ける話を待っているのかと思いきや、ヘンゼルはルシカンテより先に口を開いた。


「これは一般的には、知られていない……というか、俺独自の見解だ。君らの流儀に則って、生きる銀蝋を『カシママ』とするが……カシママを宿した女は、ひとの心を保ったままカシママになるんだと、俺は考えている」


 ルシカンテは体ごと振り返った。ヘンゼルの横顔は、研ぎ澄まされた刃の切っ先のように、鋭く冷たく、他者を寄せ付けない。ルシカンテは、首を横に振った。ありえないという意味で。


「まさか。だってカシママは、人の肉ば自分の体さ置き換えるんだよ? 心臓も、脳味噌も。ぜんぶカシママさしちゃうんだよ? 人の心なんて、残らないべや」

「カシママは人体の組織を模倣する。完璧に模倣するなら、母体は正しく保たれたまま、変容する筈だ」


 ヘンゼルは噛みつくように反論した。彼は、まだ続ける。


「思い出も人格も、そのままの状態で、人体はカシママに変容する。カシママがカシママでしか無いのなら、窮屈な人の皮を被ったまま、収納しきれない体を捨ててまで、人のふりをして生活するのは理に叶わない。淵に帰れば、それこそ、銀蝋の海くらい膨れ上がっていいんだ。いくらだって食料はあるものな。皮の中で縮こまらずに、のびのびと生きていける。

 そんな、カシママとしての理想的な生活を棒に振ってまで、人の皮を捨ててしまわないのは……人の心が、カシママになっても生き続けるからだ。

 元の自分のまま、元通りの生活を送りたいと願い、皮の中に留まるんだよ」


 ヘンゼルの言葉には奇妙な説得力があった。凄み、とも言い換えられよう。実現する、言霊の力がこもっていた。

 ルシカンテは考えを改め始めていた。そうして、恐ろしい可能性に撞着する。声が掠れた。


「おら、淵でカシママさ会ったんだ。カシママは、シカば操って、おらば殻のクマ……クマの人喰いから……助けてくれた……と思う。そのすぐ後、グレーテルと会っただよ」


 ルシカンテは太ももの上に蟠ったスカートを握りしめていた。手が、小刻みに震えている。


「なんか、怖くなってきた……。おらも、知らない間に、カシママさなって行くのかもしれない、って思ったら。心を保ったまま、人じゃなくなるなんて……まるで悪夢だ」


 ギャラッシカの体が、輝殻に覆われていく過程が脳裏に再生される。あんな風に、人間でなくなる瞬間が、ルシカンテに訪れたとしたら……考えたくないことだ。

 ルシカンテはスカートの皺を睨みつけている。眼筋に力を入れる必要に迫られていた。


 ヘンゼルの息遣いが、はっきりと聞こえる。まるで、ぴったりと寄り添っているみたいに。或いは、そうしたいと言う願望が、ルシカンテにあるのかもしれない。人一人分の微妙な距離を、詰めてしまいたい。寄り添うと、安心するのかもしれない。

 ヘンゼルはやや乱れた呼吸を整えて、言った。


「もしそうなっても、ルシカンテさんはルシカンテさんだ。心がそのままなら、どんな体になっても、俺は」


 続く言葉は静寂に沈んだ。ルシカンテは、続く言葉を好きに想像することにした。都合のよい言葉を当て嵌める余地があることに、少なからず、救われるような気がした。

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