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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第三章「不吉な牙が胸を噛む」
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舞踏と、不吉な予感

 

 ヘンゼルとグレーテルが、ママ・ローズの双肩からそれぞれ顔を覗かせていた。グレーテルは、のほほんと笑っている。ヘンゼルも笑っている。にぃっと口角を吊り上げた唇と、細めた双眸が、地獄の亀裂のようだ。

 ルシカンテはぎゃあっと悲鳴を上げてとびのいた。心臓が胸の中で、火事場から逃げ出そうと暴れまわっている。ギャラッシカはルシカンテの背中をぽんぽんと叩き「大丈夫、大丈夫」と宥めてくれたが、ちっとも大丈夫ではないことを、ヘンゼルの尖った瞳が雄弁に物語っている。ヘンゼルは、両手を腰に当てて、尻もちをついたルシカンテと、しゃがんだギャラッシカを睥睨した。


「ばれていないとでも思ったかね? このすっとこどっこいども。だがいくら間抜けでも、俺が怒っていないとは思っていないだろうね?」


 ルシカンテはへどもどした。言い訳をするべきではないが、黙っているのも得策ではない。ルシカンテは無難で簡単な道を選んだ。


「……ごめんなさい」

「謝ることないんだよ、ルシカンテ」

「いやいや! あんたも謝るんだよ、ギャラッシカ!」


 ヘンゼルはおろおろしているルシカンテと、けろっとしているギャラッシカの頭をわしっと掴んで、頭を下げさせた。


「君らが無礼なバカだってことは、よくわかっている。とにかく、誠意を見せろ!」


 ママ・ローズはギャラッシカの平らな背に、面白がって熨しかかったグレーテルを窘めて、ヘンゼルを諭した。


「そのへんにしときなさいよ、ヘンゼル。お祭りくらいで目くじらたてることないじゃない」


 ヘンゼルはママ・ローズをきっと睨みつける。


「これはうちの問題だ。部外者 に口出ししされたくないな」

「そんなにルシカンテちゃんが心配だったの?」

「使役犬が小屋から逃げ出したら、誰だって探すさ」

「小屋に鍵もつけない、鎖にも繋がない。気になる物があったら、追いかけて行ってしまうのも、当然じゃないの。それとも、なにかしら? 何があっても、あなたの傍をはなれないくらい、懐かせたと思い上がっていたのかしらね?」


 ママ・ローズがからかうと、ヘンゼルは苦虫を噛み潰したような顔をした。ルシカンテとギャラッシカを、土下座から解放する。吐き捨てるように言った。


「こんなにバカだと、思わなかっただけだ」 


 ママ・ローズは憤懣やるかたなしのヘンゼルと、縮みあがるルシカンテを見比べて、苦笑した。ルシカンテの肩を抱いて、立ち上がらせる。スカートの裾についた土埃を払ってくれた。


「こんなに綺麗にして貰ったら、浮かれて、お出かけしたくなるのが乙女心ってもんよ」

「フィッターさんが勝手に用意した舞踏服だよ」

「ふぅん。それじゃあ、ルシカンテちゃんが自分で、グレーテルと同じ香油を使って、お髪を綺麗に整えたのかしら?」


 ルシカンテはどうしたらいいかわからずに、ヘンゼルを見つめた。ヘンゼルは、苛々と靴底で石畳を蹴っている。

 ママ・ローズはひょいと肩をすくめた。


「一緒に回ってあげればいいじゃない。このおめでたい日に、誰もあんたのことなんか気にしないわよ」


 その時、大通りでぽんぽんとのろしが上がった。ママ・ローズはぱっと顔を輝かせた。


「舞踏の時間ね! さぁ、みんなで踊りましょう!」


 ママ・ローズはグレーテルとギャラッシカの手をとり誘った。グレーテルはきゃっきゃとはしゃぎ、ルシカンテを気にしているギャラッシカの背を押して大通りに出て行く。

 弦楽器や笛が音楽を奏でる。楽しそうな笑いのさざめきが歌声のように聞こえて来た。

 ルシカンテとヘンゼルは、無言で立ち尽くしていた。ヘンゼルは怒っているだろうと思えば、ルシカンテは気まずくて俯く。すると、腰からふんわりとひろがった新緑のスカートの裾が揺れ、ヘンゼルが綺麗に整えてくれた髪が、肩から滝のように流れる。


(こんなに着飾らせて貰って……なんもしねぇで帰ったら、ばかみたいだ)


 ルシカンテは思い切ってヘンゼルの肘を掴むと、ずんずんと大通りに引っ張って行った。ヘンゼルは足を縺れさせたが、黙ってついて来ている。

 大通りに出ると、人々が二人か三人で輪をつくって、蝶のようにくるくると舞い踊っていた。時々、背中や肩をぶつけ合っても、おっと失礼、こちらこそ。とにこにこしている。

 ルシカンテとヘンゼルがぼんやりしていると、顔に白粉をべったりと塗り、先が二股に分かれた帽子を被り、色、柄、形がばらばらの小布を繋ぎ合わせた衣装を身につけた男が、おどけた仕草をしてやってきた。籠から白い薔薇の花を取り出し、ルシカンテの髪にさす。「素敵な舞踏を!」と片目をつむると、人なみを縫い去っていった。髪飾りをつけていない女性の髪に花をさして歩いている。

 ルシカンテが髪に咲いた花を気にして弄っていると、ヘンゼルが頭上で詰めていた息を吐いた。うんざりしているのだろうか、と心配して見上げる。ヘンゼルは強張った自らの頬を両手で張った。


「……よっしゃ。やってやろうじゃねぇか」


 ヘンゼルは大きく吸い込み、薄い胸を膨らませた。深く冷たい海に飛び込むみたいに覚悟を決めると、ルシカンテの腕をぐいぐい引いて、人だかりに分け入る。人々のお尻に押しつぶされそうになっているルシカンテを、ヘンゼルが抱き寄せた。両腕を吊り上げるようにして手をとる。あっけにとられるルシカンテの目を見ないようにして、周囲と同じように、音楽に合わせて足を動かしだした。

 ぎこちない足さばきだった。ルシカンテにいたっては引きずられているようで、ちょこちょこと鳥のようにせわしなく足を動かしなんとかついていっている。優雅さも、へったくれもない。ルシカンテがヘンゼルの足を踏んでしまっても、ヘンゼルは平気そうだったが、ヘンゼルに足を踏まれたルシカンテは、ぎゃっと叫んでしまった。びくりとしたヘンゼルが、背後の男に後頭部を思い切りぶつける。許される範疇の接触ではなかったようで、ヘンゼルが「すみません」と小声で謝っても、男の人は舌打ちしてヘンゼルを睨んでいた。ヘンゼルはもみくちゃにされながら、呻いた。


「だめだ、こりゃ」


 ルシカンテも同感だった。舞踏がこんなにしんどいとは、知らなかった。ルシカンテは脇にはけようとしたが、ヘンゼルはルシカンテの手を放さず、その場に留まっている。ルシカンテがいぶかって見上げると、影に包まれたヘンゼルが、ぬっと覆いかぶさって来た。

 驚いて動けないルシカンテの脇の下に手を差し入れ、抱き上げる。ヘンゼルは、少し眉を顰めたが、目を皿にしているルシカンテと目があうと、悪童のように、にかっと笑った。


「こっちの方が良い」


 ヘンゼルはルシカンテを抱えたまま、くるくると回った。人々の旋毛が、ルシカンテの眼下でぐるぐると回っている。ルシカンテはそっと両腕を広げてみた。風をつかまえ、空を飛ぶ鳥になったようだ。ルシカンテは笑い声をたてた。


「すごい! お空ば飛んでる!」


 ヘンゼルの腕はぷるぷる震えていた。落とされるのではないか、とひやひやする。けれど、見下ろしたヘンゼルの顔は微笑んでいた。雨曇の瞳が瞼に隠れると、白い顔は青天のように晴れやかだった。

 ヘンゼルはもう二回転すると、ルシカンテの体を胸に抱きとめ、地面に降ろした。人だかりから離れ、人気のない道の端に避難してきていた。

 ルシカンテは、ヘンゼルを見上げた。疲れた、とぼやいて肩を回している。思ったより逞しい胸板の感触を思い出して、ルシカンテの頬がかっと焼けた。

 ヘンゼルの視線が、ルシカンテにおりてくる。ルシカンテは、絡んだ視線を慌てて解いて、明後日の方角の空を見上げた。そのとき、塗りつぶしたようなぬば玉の空に、ぱっと光の花が咲いた。一拍子遅れて、腹の底を揺さぶるような爆発音が轟く。周囲の人々は足をとめ、空を見上げた。「花火だ」と歓声があがる。

 ルシカンテは、花火に圧倒された。空いっぱいに、大きな火の花が咲いては、散っていく。爛熟した果実から垂れる果汁のように、崩れた花火から火の子が垂れる。頭上に降り注いできそうで、ルシカンテはのけぞった。背がヘンゼルにぶつかったと思ったら、抱きすくめられていた。

 ルシカンテの頭も、花火のように白くはじけた。爪先から鳥肌の波が駆けのぼり、脳天から突き抜けて行く。心臓が三倍くらいに膨らんで、狂ったように鼓動した。体中が、発火している。

 どれくらい、抱きしめられていたのか、わからない。ほんの一瞬だったのかもしれないが、ルシカンテには、時間がとまったように感じられていた。

 ヘンゼルはぱっと体を離すと、体をぶつけてしまった時と同じように、反射的に謝った。


「……ごめん、つい。……ちっ、これだから花火は嫌だったのに」


 ルシカンテはヘンゼルの言葉をろくに聞いていなかった。二人の間には、微妙な距離と沈黙が置かれた。

 花火がすべて打ち上げ終わった空を、きなくさい煙の緞帳が閉ざしている。グレーテルの明るい声がした。


「おーい、お兄ちゃん、ルシカンテ! 二人きりで踊れて楽しかった?」

「あらあら、グレーテル。走っちゃ危ないわよ、おしとやかになさいな」


 遅れて来たママ・ローズが、ヘンゼルにじゃれつくグレーテルを窘める。鉄仮面を深く被ったギャラッシカの腕に腕をからめ、ご満悦だ。

 ママ・ローズは、瞳をきょどきょどと彷徨わせるルシカンテを見て、ふむと顎に手をやる。にやりとしてヘンゼルに耳打ちをする仕草をした。


「あららぁ? ちょっとあんた。花も恥じらう乙女を林檎みたいに真っ赤にさせちゃってぇ。隅に置けないわ。この口説き上手め」


 ヘンゼルは口をへの字に曲げた。不機嫌な唇の端を捲って、皮肉な笑みに移行する。


「口説き上手って、こういうのを言うんじゃないのか」


 ルシカンテに向き直ると、足元に跪いた。ルシカンテの手を恭しくとる。ルシカンテの手を口元に運んだ。吐息が肌に触れる。


「お美しい。艶を含んだ深い色の舞踏服、品良く詰めた襟に飾れた飾り釦、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花……瑞々しい少女の美をいかんなく備えていらっしゃります。なんてすばらしいのだろう」


 ヘンゼルは口をぱくぱくさせるルシカンテから、ギャラッシカにちらりと視線を流す。その目に性悪の光が閃いた。


「彼の眼が、貴女の一挙手一投足を注視していらっしゃいましたよ。いかに貴女の快闊な舞踏ぶりに興味があったか、語っておいでだ。貴女を手に入れる為には、いったい何人の紳士と決闘しなければならないのでしょう。麗しき、我が目の光。どうか、私に貴女のご慈悲を……」


 ヘンゼルがルシカンテの中指の節にキスする真似をする。ルシカンテの手が電流を流されたみたいに跳ねあがり、ヘンゼルの顔面をべしりと叩いてしまった。

 グレーテルとママ・ローズはお腹を抱えて笑った。ギャラッシカはルシカンテの手をお仕着せのシャツの裾で拭う。ヘンゼルは顔を片手で覆い、わなわなと震えていた。ルシカンテは石のように固まっていた。

 そろそろ交代の時間になると言って、ママ・ローズは壁外へ戻って行った。ルシカンテたちも家に帰ることになった。ヘンゼルは何事も無かったように不機嫌で、グレーテルは上機嫌だ。そうしてどうしてか、ギャラッシカは帰り道すがら、一言もしゃべらなかった。


 帰宅すると、ヘンゼルは入口広間にルシカンテとギャラッシカを並ばせて、お説教をした。


「もう二度と、勝手なことをしないように。俺らから離れるのは、君らがぼんやり思っている以上に大変なことだ。いいね。それじゃあ、寝ろ」

「ヘンゼル」


 中途半端に伸びをしたヘンゼルが、胡乱気にギャラッシカを凝視する。ギャラッシカがヘンゼルに話しかけるなんて、珍しい。

 ギャラッシカはルシカンテの左肩を抱いた。「どうしたの?」と尋ねるルシカンテに応えずに、ヘンゼルを射るように見つめている。


「君らから離れてはいけない理由は、これかい」


 ルシカンテはギャラッシカをまじまじと見つめた。ギャラッシカが、何を言っているのか、わからない。けれど、ギャラッシカの目は鷹の目のようだ。物事の重要な本質を見抜いている目だ。

 ヘンゼルはギャラッシカの凝視を、落ちついて受け止めた。あるかなしかの笑みを唇の端に灯す。ルシカンテに視線をうつして、言った。


「男同士の語り合いだ。君は部屋に戻っていろ。念のために、拳では語らないように言い含めておいてくれるとありがたい」


 ルシカンテは躊躇った。ヘンゼルとギャラッシカがふたりきりになろうとするなんて、何事だろうか。

しかし、ギャラッシカが鷹揚に頷いてみせたので、ルシカンテは留まる理由をなくし、おとなしく階段を登った。そっと振り返ると、ヘンゼルとギャラッシカが炊事場に入り、固く扉を閉めたところだった。

 自室に戻り舞踏服を脱ぐ。寝まきに着替えて寝台に横向きに寝転ぶと、側頭部の下でぐしゃりと音がした。探り当てると、白薔薇が無残に潰れている。

 ルシカンテは溜息をつくと、白薔薇を枕元に置いた。仰向けになって目を閉じる。


(ヘンゼルは波みたいだ。ぱっと近づいたかと思ったら、さっと逃げて行く。おらたち、少しは仲好くなれたんだべか)



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