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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第三章「不吉な牙が胸を噛む」
33/65

こっそり、脱走

 ルシカンテが家に戻ると、グレーテルが階段を一段ずつ跳ね登りながら一人遊びをしていた。ギャラッシカが炊事場から出て来る。ルシカンテをまじまじと見つめるギャラッシカに「お腹が空いたの?」ときくと、ギャラッシカは横に振った首を傾げた。


「どうしたんだい」

「え?」

「ルシカンテの元気が無いのはよくない」


 ルシカンテは急ごしらえの溌剌とした笑みを顔に被せた。元気、元気! と跳ねまわり、グレーテルと一緒に階段で跳ねれば、ギャラッシカはそれ以上詮索しようとはしなかった。


 ヘンゼルが不在の午後はべた凪のようだった。穏やかな時間が砂のように流れて行く。ぼんやりと掃除をして、気が付いたら昼食の時間を過ぎていた。

 案の定、グレーテルは食事はいらないと言うので、ルシカンテとギャラッシカは久しぶりに二人で生肉を食べた。時々、口直しに浅漬けを食べる。試しにギャラッシカに勧めてみたが、矢張りだめだった。口に入れた途端に吐き出された。

 食後はギャラッシカとグレーテルと、まったりと話をして過ごした。それとなく、謝肉祭についてグレーテルに探りを入れてみたが、グレーテルはひたすら頭をふるだけだった。


「わたし、わかんない。お祭りに参加したことないもん。お兄ちゃん、ああいうバカ騒ぎって好きじゃないのよ」


 そのうちに、ヘンゼルが帰宅した。おかえりなさいと声をかけたが、ヘンゼルは曖昧なうめき声のようなものを出しただけで、まともに取り合わない。

 ヘンゼルが外出先から戻ると不機嫌になるのは、珍しいことではない。しかし、今のヘンゼルは苛立っているというより、呆然としているように見える。なにか、途方も無い衝撃に揉まれているような。

 ヘンゼルはそのまま工房に籠ってしまった。ヘンゼルのために、夕食は鍋に少し残しておくことにした。

 夕食はギャラッシカの腹の虫に合わせてつくった。ヘンゼルの為に鳥肉と卵のスープを作り、ルシカンテもそこから、少しだけとって食べた。あまりお腹が空いていなかった。

 食後は間髪いれずに湯を沸かし、浴槽に溜める。二日に一度は入浴しなければいけないと、ヘンゼルが五月蠅いのだ。ルシカンテは、そんなしょっちゅう入浴する必要性を感じないのだが、主人がそう言うなら従うだけである。

 ルシカンテはグレーテルと浴室に入り、たがいの髪を洗いあった。グレーテルの手つきは乱暴なので、ルシカンテはやんわりと遠慮するのだが、グレーテルはにこにこして「遠慮しないでいいのよ!」と、ルシカンテの髪をぐちゃぐちゃに掻き乱す。頭皮が抉りとられるようだ。

 寝まきに着替えて脱衣所を出ると、ヘンゼルが櫛を手に待ちかまえていた。グレーテルの髪を梳かして手入れをする為である。そして、悪戦苦闘しているルシカンテを見兼ねて、やってくれる。ヘンゼルの髪に触れる手つきは心地よく、ルシカンテはわざともたもたして、グレーテルの次に呼ばれるのを待つようになっていた。

 就寝前だと言うのに、ヘンゼルはルシカンテの髪に椿油をたっぷり馴染ませた。


「だんだん、髪のひろがりが落ちついてきたんじゃないかい?」


 そう言われてみると、そんな気がする。ハリネズミみたいに、朝起きるとぶわっと広がっているなんてことは、ここのところない。ヘンゼルは念入りに髪を梳かしてくれた。烏の行水を終えたギャラッシカと交代して、ヘンゼルが脱衣室へ消える。グレーテルは眠くなったと言って、一足先に部屋に引き取っていた。ルシカンテとギャラッシカも、ヘンゼルが工房に戻った後に各々の部屋に引きあげた。

 部屋は薄暗い。火は危ないからと、ヘンゼルはランプを貸してくれない。月明かりだけでも、夜目が利くルシカンテには十分だけれど。

 ルシカンテは、ヘンゼルがギャラッシカに命じて資材庫から引っ張り出した、化粧箪笥の抽斗をひいた。フィッターが仕立ててくれた、舞踏服を取り出す。

 詰襟の、深緑のワンピースドレスである。襟元には鳥の翼をモチーフにした飾りボタンが付いている。胸ぐらは白い綿で、合わせ目にはレースがふんだんにあしらわれ、砂糖菓子のように甘そうだ。肩先と袖口を絞って膨らませた、パフスリーブという特殊なかたちの袖が、なんとも言えずに可愛らしい。

 お仕着せを届けに来たフィッターに、手渡された袋の中身を確認するように言われ、袋から二着のお仕着せを取り出したところ、さらにもう一着、これが入っていた。ルシカンテがびっくりしてフィッターのやつれた顔を見上げると、フィッターはしっ、と唇に指をあてて片目を閉じた。

 二人の様子を不審に思ったヘンゼルはルシカンテから袋ごと取り上げ、舞踏服を見つけた。ヘンゼルが顔をしかめても、フィッターは悪びれず陽気に笑った。


「ルシカンテちゃんがこの舞踏服を着ておめかししたら、流石のヘンゼル君でも、お祭りに行かないなんて言えないんじゃないかな」


 ヘンゼルは、バカなことをと呻いた。舞踏服の分の代金を支払うと言ったが、フィッターは受け取らなかった。


「無理を言ったお詫びだよ」


 ヘンゼルは「お詫びなら、私が喜ぶようなものになさるのが筋じゃありませんか」と軽口を叩いたが、フィッターは微笑んでいた。帰り際にルシカンテの耳元で「これが一番、彼が喜ぶ贈り物だよ」と囁いた。

 フィッターは間違っていた。ヘンゼルが、グレーテルならまだしも、ルシカンテの舞踏服姿に興味なんてもつ筈がない。

 ルシカンテは未練がましく、舞踏服を体にあてた。鏡にうつってみる。ミルクに蜂蜜を混ぜたようなほんのりした肌色と、青みがかった髪と瞳の色は、深い緑色の舞踏服と不思議な調和がとれている、気がする。椿油を馴染ませた髪は、癖が無くつやつやしていて、外の風に靡くのを今か今かと心待ちにしている感じだ。総合的に見て、ヘンゼルの言葉を借りると「悪くない」のではないだろか。

 試しに、袖を通して見る。お仕着せと同じく、体の線に吸いつくように、ぴったりだ。鏡の前でくるりと一回転。裾がふわりと翻る。ルシカンテは、頷いた。


(うん。悪くないかも)


 鏡に映る顔が柔らかく笑みに綻ぶ。このまま窓の外へ、鳥のように飛び立って行けそうな、軽やかな気持ちになった。


(……なにしてんだ、おら)


 我にかえったルシカンテは、寝台に崩れるように腰かけた。足がぽんと跳ねる。

 忘れてはいけない。ルシカンテの一番目の目的は、ヴァロワが淵を荒らすのを、やめさせることだ。二番目はホボノノの外で生きていけるようにすることだが、それは、一番目の目的を果たした後の話である。今はヴァロワに行くために、ヘンゼル兄妹の厄介になっているのだ。綺麗なお洋服を来て遊びに出掛けたいなんて、浮ついている場合ではない。

 しかし、ルシカンテに誂えた綺麗な舞踏服が、ルシカンテを誘惑する。


(でも、ヘンゼルは行きたくねぇって言うし……舞踏服にも、興味ねぇし……)


 ルシカンテは寝台の上で立ち膝をし、窓辺へにじりよった。窓から花火を見るくらいなら、良いだろう。打ち上げがいつからなのかも知らないけれど、今晩は花火を全て見届けるまで、起きていよう。

 窓から空を見上げる。危ういところで、悲鳴を呑んだ。膝たちになり、窓を開け放つ。


「……なにやってんの!?」


 ギャラッシカが、鳥のように器用にベランダの手摺の上でしゃがみ込んでいる。寝まきではなく、お仕着せを着ている。ギャラッシカは、ルシカンテの頭のてっぺんからつま先までをじろりと眺めると、指で顔を捏ね「嬉しい顔」をつくった。

 褒めてくれているんだろう。しかし、今はそんなことより、ギャラッシカがどういう心算でこんな危ないことをしているのか、問いただすのが先決である。ルシカンテは、ギャラッシカに手を伸ばした。


「ギャラッシカ! とりあえず、中さはいんな。そったらとこさいたら危ないよ。ちょっと風が強く吹いたらぐらっとして、あんた、落っこちてしまうよ!」

「大丈夫、大丈夫」


 ギャラッシカはにんまりと笑っている。ルシカンテが伸ばした手を掴むと、ルシカンテの側へ来るのではなく、ギャラッシカの側へ引寄せた。ルシカンテは喚く暇もなく、ギャラッシカの懐に抱きこまれてしまう。


「行こう、ルシカンテ」

「……行くって……どこさ?」


 ルシカンテが暴れたら、二人は二階から真っ逆さまに落ちて、ベンチをぺしゃんこに潰してしまうだろう。大人しく腕におさまっているルシカンテの旋毛に鼻を擦りつけて、ギャラッシカは言った。


「お祭りだよ。それは、お祭りへ行く恰好だろう?」


 ルシカンテが顔を上げた。ギャラッシカはこくりと頷いた。


「わかる。僕はルシカンテをいつも見ているからね」


 ヘンゼルの言いつけが頭をよぎる。しかし、禁止された理由がわからないルシカンテは、きまり事を破る緊張とその向こうの期待に、のぼせあがってしまった。



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