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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第三章「不吉な牙が胸を噛む」
32/65

綺麗なお洋服着て、お祭りにいきたい

 ***


 三日間塩に漬けこんだ、キャベツと大根の浅漬けが盛られた皿を前にして、ヘンゼルは仏頂面をさげている。不味かったから、ではない。ヘンゼルはまだ、口をつけていない。怪しんで、なかなか思い切らないのだ。ルシカンテが、これはれっきとした保存食であり、腐っていないのだと懇懇と説いて、ヘンゼルはやっと、千切りキャベツと細切り大根の浅漬けをフォークで刺し、口に運んだ。ルシカンテは、向かい側から身を乗り出して、ヘンゼルの感想を待つ。ヘンゼルは、口をへの字に曲げた。


「うるさいぞ」

「何も言ってないっしょ」

「ご主人様、褒めて、褒めて! って気配がうるさいんだ」

「おいしくない?」


 ルシカンテが不安になってしゅんとすると、ヘンゼルは眉間に皺を寄せてそっぽを向いて、言った。


「悪くない」


 ルシカンテは、ぱっと顔を輝かせた。これは、ひねくれ者のヘンゼルの讃辞だ。


「やった! したっけこれ、今朝の朝食から食卓さ出すね!」

「そりゃ、出すだろうよ。料理は、腹に入れる為に作るもんだ。飾っておいても仕方がない」


 小躍りしているルシカンテを横目に見て、ヘンゼルはやれやれと頭を振っている。ルシカンテの体が弾むと、お仕着せの裾と白い前掛けが、花弁のようにひろがった。

 音も無く炊事場に入って来たギャラッシカも、先日、フィッターが届けてくれたお仕着せを着こんでいる。


「おはよう。御機嫌だね、ルシカンテ」


 ギャラッシカは、主人である筈のヘンゼルを無視して、ルシカンテに朝の挨拶をした。ヘンゼルは、とがめない。内地の常識の枠にあてはめると、ヘンゼルのこの対応は、とても寛大と言えるだろう。

 ルシカンテはすっかり浮かれて、ギャラッシカに飛びついた。両手を繋いで輪をつくり、ぐるぐると回る。


「やったよ、ギャラッシカ! おらの浅漬け、ヘンゼルが美味しいって言ってくれた! お料理ば褒めて貰えたの、初めて。すごくうれしい!」

「そうかい」


 喜びの円舞がとまると、ギャラッシカは、指で唇の両端を耳に引き付け、頬肉を上げ、目尻を下げて「嬉しい顔」をつくって見せた。ルシカンテは、それを見てけらけらと笑った。寝ぼけ眼を擦ってやってきたグレーテルも、ギャラッシカの変な顔を指さして大笑いしている。ヘンゼルは五月蠅げに顔を背けて、もぐもぐと浅漬けを咀嚼していた。

 ヘンゼルの家に来て、今日で十日目。ルシカンテは、すっかり今の暮らしに馴染んだ。ちょっと前までめそめそしていた癖に、毎日にこにこして、元気印の娘に戻った。自分でも現金だと思うが、怯えなくて良くなると、何事にも意欲的になれた。

 ヘンゼルに怒鳴られても、拳骨を落とされても、そんなに気にならない。理不尽だと感じたら、すかさず言い返す。生意気なこまっしゃくれだと、歯ぎしりするヘンゼルを、指さして笑うこともある。

 ルシカンテは、煮たり焼いたり、簡単な調理なら、なんとかひとりでも出来るようになった。わからないことがあったら、ヘンゼルに聞けば、たっぷり厭味をくれてから、ちゃんと教えてくれる。

 今朝の朝食は、玉ねぎと人参と鳥肉を煮たスープを作った。二人分、皿によそう。ヘンゼルが地下貯蔵庫からライ麦パンを出してきて、適当に切り分け、籠にいれて食卓に並べた。ルシカンテ渾身の浅漬けも添える。ギャラッシカの為に、生肉もちゃんと用意した。

 グレーテルは、一緒に食事をとらない。ヘンゼルに尋ねると「あいつは決まった時間に食べたがらないんだ。腹が減ったら勝手に食うから、構わなくて良い」と言うので、構わないことにしている。

 ヘンゼルは、スープを啜りながら、塩気が強すぎる、玉ねぎが煮崩れてジャムみたいだ、人参は煮えにくいから、下茹でするか細く切れって言っているだろ。とぶちぶち文句を垂れつつ、綺麗に平らげる。ヘンゼルはどんなに味が気に入らなくても、食べ物を粗末にしない。

 朝食を終え、皿を洗い片付けると、ルシカンテは工房にむかう。鳥の笛をつくるためだ。

 やんちゃ坊主たちに鳥の笛を盗られた翌朝。あの場に居合わせたこどもたちが、工房にどっと押し寄せた。

 しかし、運悪く、応対に出たのがヘンゼルだったので、彼はぎゃあぎゃあ騒ぐこどもたちにたじろいで、怒鳴りつけてしまった。こどもたちは、一度は逃げ帰ってしまったが、骨のある子たちは、後日、出直して来た。その時は、ルシカンテが応対に出て、話を聞くことが出来た。こどもたちは鳥の笛が欲しくて、わざわざ通ってきたのである。

 ヘンゼルに相談すると、ヘンゼルはふぅん、と鼻を鳴らした。そして、値段だけを決めると、あとは「君がとってきた仕事だ。君が責任もってやれ」とルシカンテに丸投げした。

 鳥の笛は、鉄くずで作る粗末なものなので、こどものお小遣いで買える値段に設定できた。そのお陰もあり、鳥の笛は、こどもたちの間で流行した。かくして、ルシカンテは鳥の笛職人として、鳥の笛を量産することになったのである。

 工房の片隅を借りて、ひたすら鳥の笛を作り続ける。もちろん、料理と掃除はおろそかにしない。忙しくなったし、工房に入っても、ヘンゼルは、最初のように優しくなかった。たくさん怒鳴られたが、怖くなかった。充実していた。

 午前中で五つの鳥の笛を作り終えた。ルシカンテは、ほっとして、席を立つ。振り返ると、作業台に齧りついたヘンゼルが、指輪を金床に固定し、腕の内側に打刻を入れていた。

 最後の仕上げだ。こちらも、ぎりぎり、納期に間に合った。

 ステップカットが施された、赤い小さな輝石が、銀色の輪に爪留めされている。ルシカンテは、ヘンゼルの背中に圧し掛からないように注意して、彼の肩口から手元を覗きこんで、ほうっと溜息をついた。


「可愛い指輪だねぇ」


 ヘンゼルは、意外だな、と目を丸くした。


「君、装身具に興味あるんだ?」

「意外? どうして?」

「自分の髪も満足に整えられないからさ。着飾るってことを知らないのかと」


 ひどいことを言う。ルシカンテは、声を尖らせた。


「ホボノノにだって、装身具はあっただ。猟獣の爪とか牙で、首飾りとか、腕環とか、足環とか、耳環とか、作っていたもん。祭事の他には、身に着けなかったけど」


 ヘンゼルは、工具を机に置いた。首を捩って、ルシカンテを振り仰ぐ。ヘンゼルにしては珍しく、上機嫌だ。


「そうか。それならいい」


 ルシカンテは、ヘンゼルの、なんとなくうきうきした背中を見て、頬を掻いた。差し迫る納期から解放されると、さしものヘンゼルでも、浮かれてしまうようだ。

 せっかくの上機嫌に水をさすのは悪い気がしたが、ルシカンテは気がかりについて尋ねた。


「ねぇ、その指輪だけ? あんた、もうひとつ作ってなかった?」


 ヘンゼルには、割とそそっかしいところがある。しかし、自分の非をなかなか認めない。ひどい時は、責任転嫁してしまうこともある。

 しまった、と青ざめたヘンゼルが、感情的になって喚き散らすかもしれない。覚悟していたが、ヘンゼルは涼しい顔をしている。


「気のせいじゃないの?」


 気のせい、ではない。ルシカンテは昨晩、夜中に喉の渇きで目が覚め、一階に降りた。その時に、工房から灯りが漏れていたので、様子を見に行ったのだ。そこで、目の下に隈をつくったヘンゼルが、一心不乱にカボションカットの紅い輝石を彫り止めしているのを目撃した。白銀の華奢な指輪だった。昼間のうちは、その指輪をつくっている素振りは無かったから、急な仕事でも入ったのかと思い、そっとしておいた。ルシカンテに出来ることは無いし、寝不足だと誰しも苛々が募る。

 釈然としないながらも、ルシカンテは追及しなかった。藪を突いて蛇が出たらおおごとだ。それよりも、楽しい話題をふった。


「フィッターさんの指輪、お祭りさ間に合って、良かったね。届けさ行くんでしょ」

「もう出るよ」

「お祭り、行く?」


 だったら、おらも一緒に。と言う準備をしていたら、ヘンゼルは、鼻先で笑い飛ばした。


「祭りには行かない」

「ええっ!? なして? 年に一度のお祭りなんだべ!?」


 ルシカンテは驚愕した。祭りに不参加だなんて、あり得ない。ホボノノでは、喜びの踊りに参列しない不信心者は、黄泉へ通じる道にある大きな岩に挟まれて、すりつぶされると言われている。

 ヘンゼルは、愚にもつかぬと頭を振った。


「農業区はどうか知らないが、九席の謝肉祭は、商人どもの陰謀だ。のこのこ集まってくる愚かな連中を、祭りの雰囲気で酔わせて、いい鴨に仕立ててやろう、って魂胆なのさ。なぜ大事な財産で、奴らのでかい腹をもっと肥やしてやらなきゃならない? 食えもしねぇのによ」


 ルシカンテは、えぇ、と呻いた。ヘンゼルは守銭奴だ。第十席のこどもたちが、お小遣いで楽しめる程度の出費が、惜しいのだ。ルシカンテは、きらきらと目を輝かせたこどもたちが聞かせてくれた話を思い出しながら、反論した。


「でも、金がかかることばっかりじゃないって聞いたよ。みんなが綺麗に着飾って集まって、歌ったり、踊ったりして、わいわいと楽しく過ごすんだって。そんで、みんなで花火ば見るんだべ? 空から火が降って来るみたいで、すごい迫力だってね。おら、見てみたいなぁ。せっかく、フィッターさんがくれたお洋服もあるんだし」


 ヘンゼルは、芝居がかった身震いをして、ルシカンテの言葉を遮った。


「そうだ。人が蟻塚を燻された蟻のように、わらわらと出て来る。派手に着飾って、大声で下手な歌を歌って、人の足を踏んで踊り明かすのさ。想像しただけで気が狂いそうだね、まったく、もう。それに、君は知らないだろうが、花火なんて、ちっともいいものじゃないからな。紙の玉に詰めた火薬を、空で爆発させるんだ。君の言う通り、空から火が降るんだぞ。 なんて、恐ろしい! 今晩は表には出られないね」

「それは、ものの例えでしょ。ほんとうに火が降ってきたりしないよ」

「いいや、わからんぞ。人間は失敗する。人間がやることに、絶対の保障はないんだ。去年は大丈夫だった。おととしも大丈夫だった。じゃあ、今年は? 今年が初めての失敗になるかもしれない。ああ、怖い、怖い! 俺は、祭りなんかには、絶対に行かないぜ。俺が行かないってことは、君。「そうなの? それじゃ、おらだけ行ってきます」なんてことには、ならないからな」


 ヘンゼルはむっすりしているルシカンテの頭を、あやすようにぽんぽんと叩いた。


「祭りなんて関係ない。今日もいつもと同じように、日が昇って始まって、月が降りて終わる。普通の一日だ。いつもどおりに、良い子にしてな。そうしたら、ご褒美があるかもしれないぞ?」


 ヘンゼルは工房を閉めると、完成した指輪を持って、ひとりでフィッターの家へ出かけると言った。ルシカンテは、ぽかんとしていた。あんぐりと開いた口がふさがらない。

 ヘンゼルが、人嫌いだと言うことは、わかっている。しかし、だからと言って、皆で楽しむお祭りすら、ふけようとするなんて、尋常じゃない。

 ヘンゼルは、ステッキを携え、扉の前で立ち止まった。


「納品ついでにちょっと足を伸ばして、工具を制作する工房を覗いて来る。謝肉祭の日は、みんな十席に入り浸りだから、道はすいすい歩けて、品物はじっくり見定められるだろうね。絶好の買い物日和だよ。昼飯は適当に済ませるから、君らはありもので勝手にやってくれ」


 ヘンゼルを見送って、ルシカンテは大きな溜息をついた。


 ヘンゼルと入れちがいに、こどもたちが鳥の笛を受け取りにやって来た。五人の女の子だ。お金と引き換えに鳥の笛を渡してやると、女の子たちはとても喜んで、笛を鳴らした。こどもならではの呑み込みの早さを発揮して、あっという間に、コツを掴んでしまう。


「ねぇねぇ、お祭りにも、鳥の笛を持って行こう。はぐれた時に、これで呼び合うの」

「ちっちっちっち。これが、集合の合図。どう?」

「いいね、いいね! そうしよう」

「わぁ、お祭りがますます楽しみになっちゃった。はやく日が落ちないかな。お母さんがね、新しい舞踏服を縫ってくれたの。早く着て歩きたいな」

「えっ、本当? いいなぁ。うちなんか、お姉ちゃんのお古をそのままだよ。本当は、フィッターさんとこで仕立て直して貰う筈だったんだけど、もう手が塞がっているからって、断られちゃったの」

「フィッターさんとこは、ダメよ。働き者の奥さんが病気になってから、全然ダメだって、お母さんが言ってたもん」

「変な臭いがするしね。お掃除していないのかしら」

「ああ。嫌だなぁ、お姉ちゃんのお古。丈が長すぎるんだもの。回っている最中に、きっと、裾を踏んづけて転んじゃう」

「ジャックの足は、踏まないように気をつけなさいよ。ジャックの足が粉々になっちゃう」

「なんてこと言うのぉ。もう、ひどぉい!」

「きゃははは!」


 女の子たちは姦しく騒ぎたてながら去って行った。

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