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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第一章「留まってはいられない」
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旅立ち

 答えは、やまびこのように、幾ばくかの静謐を挟んでから、かえってきた。


「ヴァロワへ連れていく、だと? なぜ? どうして? なんの為に? 俺に何の得があって?」

「もう、淵ば荒さねぇで貰えるように、お願ぇしさ行きます」


 ルシカンテは大きな声で答えた。何の得になるかと言われると、答えに窮する。頭を絞って、そっと付け足した。


「連れてってくれるなら、おら、あんたの言うことば聞きます。……なんでも、とは言えねぇども、出来る限りのことば。おら、もう居住区さ帰ぇれねぇんです。だから、あんたが気のすむまで、こき使って貰って大丈夫です。ヴァロワさ連れて行ってくれたら、あとはもう。ですから、どうか、お願ぇします」


 無理難題をつきつけられるのを回避する為に「出来る限りのこと」と予防線をひいたが、ルシカンテは誠意をもって頼みこんでいた。

 グレーテルの兄が、意地の悪い顔でどんなことを言ってくるかわからない。でも、彼の出す条件は、出来る限りのもうと覚悟していた。

 ヴァロワに行かなければならない。行って、説得して、出兵を止めさせる。故郷を飛び出してしまったルシカンテに出来ることは、それくらいだ。そして、ルシカンテにしか出来ないことだ。

 それから、沈黙がしばらく続いた。ルシカンテが焦れて、頭を上げようか上げまいか考えあぐねていると、グレーテルの兄が低く言った。


「本気か?」

「へ?」


 何も考えずに、つい頭をあげた。ぽかんとしてグレーテルの兄を見上げる。グレーテルの兄は、さも不愉快そうに顔を顰めていた。ただでも身長差があって、ルシカンテは跪いているのに、顎をつんとあげて、見下してくる。


「その耳は大きな飾りだね。それとも、飾りなのは頭の方かな? 繰り言するのは嫌いだよ。ばかに話していると思うと、ばかばかしくなって、やる気がうせる。もう一度だけ言うぞ。本気なのか?」

「もう、わかってるっしょ? あんたは、ばかでねぇようだから?」


 殊勝な態度に終始しようと思っていたのに、つい、腹をたてて噛みついてしまう。はっとして口を押さえるも、滑り出てしまった言葉は取り返しがつかない。グレーテルの兄が、腹をたてて馬車まで走っていこうとした時の為に、足にしがみついておこうかと考えていると、グレーテルの兄は、顔を顰めて溜息をついた。


「生意気なちんちくりんだ」


 機嫌は良くなさそうだ。でも、その場を動かない。グレーテルの兄は、高圧的に腕を組んだ。


「連れて行ってやってもいいが、ただし条件が三つある。ひとつ。ヴァロワへは行くが、すぐにじゃない。此方にも都合と言うものがある。準備が万事整うまで、一月はかかる。ヴァロワ入国はその後だ。ふたつ。住むところと食べるもの、働き口は用意するが、つかえないようなら放り出す、かもしれない。みっつ。俺は君の大家で雇用主。わからなかったら、神様みたいなもんだと思ってくれればいい。口応えはするな。余計な詮索もするな。俺たちの生活を掻き乱すな。俺は、子供だからって甘くしないぞ。泣く子も騙す、酷い奴だ。以上を了承したら馬車に乗れ」


 畳みかけられて、ルシカンテはあんぐりと口を開けていた。こんな、とんとん拍子で話がまとまる筈がないと思っていたのに。

 グレーテルの兄にきつく睨まれて、あわあわと背筋を伸ばす。はきはきと返事をした。


「わかりましたっ!」


 気持ちの良い返事をしたのに、グレーテルの兄は悪くなったものを口に含んでしまったような顔をした。今度は、何がいけなかっただろうか。


「了承したら乗れと言っただろうが。グズはふん縛って据え膳にして、置き去りにして人喰いにくれてやるぞ」

「お兄ちゃん、アーサーはいつでも走れるわよ。……あら? どうしたの?」


 森に近い岸辺にとまっている馬車の荷台から、グレーテルが兄に呼びかける。グレーテルの兄は、手を上げて答えに変え、ルシカンテを顧みずにさっさと行ってしまった。その薄い背を追う前に、ルシカンテは、静かに佇んでいるギャラッシカへ声をかけた。


「ねぇ、ギャラッシカ。あんたは、どうする? 帰る場所、ある?」

「ルシカンテと一緒」


 つまり、帰る場所はない、ということだろうと思った。ギャラッシカの、長さの足りない袖を掴んで、誘う。


「じゃあ、一緒に行こう。内地がどんなとこか知らねぇけど、とりあえず、淵よりか安心して暮らせる場所だべさ」


 少し考えてから、付け加える。


「おらも、あんたが一緒だったら、心強ぇよ」


 ギャラッシカは、なんの抵抗もなく頷いた。


「何処へでも行こう、君の心の赴くままに」


 ルシカンテは、ギャラッシカを連れて、馬車の前に回り込んだ。御者台にはグレーテルの兄が既に腰かけて、手綱を手に取っている。ルシカンテは浅くお辞儀をして、言った。


「あの、このひとも一緒さ行きます」


 ギャラッシカは、木のように真っすぐに地面に立っている。グレーテルの兄は、ルシカンテが思った通り、柳眉を吊り上げた。


「なんで、勝手に決めちゃったんだ? 何様のつもりなの?」

「……神様ではねぇです」


 あんたと違って、と心の中で毒づく。揉める前に、荷台にとび乗ってしまおう。なんて企んでいると、グレーテルの兄は、軽く肩を竦めて舌のほこをおさめた。


「まぁ、そうなるとは思っていたがね。よろしい。聡明かつ寛大な雇用主様に平身低頭で感謝したまえ。さぁ、乗った乗った。さっさと出ねぇと、淵で野宿することになるぜ。そうなったら君ら、外で寝ろ。特に、あんた」


 グレーテルの兄の目が、ギャラッシカを射るように睨む。


「あんたの傍じゃ、安眠できないからな」


 ギャラッシカは、グレーテルの兄をちらりと上目づかいに見た。すぐにするりと視線を解き、ルシカンテを見る。


「ルシカンテは、僕の傍でよくねむれるよ。何も心配いらないからね」


 きょろんとした目は、ルシカンテしか見ていなかった。グレーテルの兄の厭味が上滑りして通り過ぎていく。ルシカンテは、自分の態度を棚に上げて、ひやりとした。意地悪を歯牙にもかけないこの態度が、グレーテルの兄の気に障って、やっぱり乗せないなんて言われたら、どうしよう。

 兄がそんな大人げないことを言いだす前に、荷物を掻き分けて来たグレーテルが、御者台の背凭れに顎を乗せた。兄の耳元で、こしょこしょと耳打ちする。


「お兄ちゃん、いいの? お兄ちゃんがアロンソ様に折檻されない?」


 でも、声が高いので丸聞こえだった。グレーテルの兄がつまらなそうに鼻を鳴らして答える。


「念には念を入れる。それが商売の鉄則だ。あの変態野郎は、腐っても商人だからね。この二人が、計画に必要だと納得させることは、出来るだろう。一過性の不愉快な出来事は、旨い物を腹いっぱい食って、眠れば忘れられるから、別にいいよ」


 グレーテルは、きゃっと嬌声を上げて足をばたつかせた。


「わーい! みんな、一緒、一緒!」


 ルシカンテとギャラッシカは、馬車の後に回り込んで、荷台に上がる。戸は内側に折りたたまれていた。

 荷台は荷物でごちゃごちゃしている。御者台との境目にも同様の戸が設えられており、閉めきることができるようになっていた。

 業者台の方に詰めて、ルシカンテは腰を下ろした。ギャラッシカが、すぐ隣にしゃがみこむ。尻と背を、床にも壁にも預けない。馬車は広くはないが、同乗者が二人とも小柄なので、大柄なギャラッシカでも足を崩せる広さがあるのに。この苦しそうな姿勢が、落ち着くのだろうか。

 二人が乗り込むと、グレーテルが荷物を掻き分けて、いそいそとやってきた。にっこり笑いかけてくる。


「わたし、グレーテル。お兄ちゃんは、ヘンゼル」


 ルシカンテは名乗りを上げるのを少し逡巡したが、きっぱりと迷いを振り切った。お世話になるのだから、信頼しないのは失礼だ。彼らのことを、よく知らないからこそ、これから知る必要もある。


「おらは、ルシカンテ」

「知ってる。さっき、あなたたち、大きな声でお名前を呼び合ってたよ。ルシカンテに、ギャラッシカ。でしょ?」


 グレーテルはくすっと笑い、ルシカンテとギャラッシカを順に指さした。

 ギャラッシカは、ルシカンテの隣で手足を折りたたむようにしゃがみ込んだまま、黙っている。その顔に、あるかなしかの笑みを仮面のように張りつかせたまま。グレーテルは興味深そうにギャラッシカを眺めていたが、ギャラッシカが置物のように動かないでいると、大きな欠伸をひとつして、ころんと横になった。いつのまにか小脇に抱えていたクッションを頭の下に敷き、体を丸める。すぐに、安らかな寝息をたてはじめた。

 グレーテルは薄着だ。このまま眠っては、風邪をひく。ルシカンテは、心配になった。幸い、すぐ目につくところに、毛布が落ちている。業者台の方へ膝でにじりより、さっきグレーテルがしたように、御者台の背凭れに顎をのせて、ヘンゼルに声をかけた。


「ヘンゼル、ちょっと。毛布、借りてもいい?」


 ヘンゼルは、艶のない馬のたてがみから目を上げた。鼻先に皺がよっている。


「三度だ」


 ルシカンテは、きょとんとした。なんのこと? と問い掛けるのに先んじて、ヘンゼルは、鼻を摘まんで言った。


「君のくれた合羽だよ。石鹸を丸丸ひとつ使って笑い、丸一日天日干しするのを、三度も繰り返して、ようやく臭いがとれた。本体の方は、何度やったら臭いがとれるのかね」


 ルシカンテは、がばりと立ち上がった。天上に頭をぶつけて、うずくまる。腹が立つやら痛いやらで、涙目になりながら、喚いた。


「おらじゃねぇよ! あんたの妹さかけるんだ!」


 馬の蹄の音だけがする。やがて、ヘンゼルが歯切れ悪く言った。


「あぁ……そうか。うん。いいよ、どうぞ。好きにしてください」


 ルシカンテは、毛布をひったくり、グレーテルにかけてやると、どかりと座り込んだ。怒りにすじりもじる。


(なんて態度だ。勘違いしてひどいことば言っておいて、ひとば不愉快にさせたのに、謝りもしねぇ! おめぇこそ何様だ、本当に神様のつもりか!)


 頭に出来た瘤を、ギャラッシカが撫でてくれたが、痛くて飛び上がってしまった。

 怒りが収まり、体を落ちつかせると、忘れていた寒さを思い出す。奥歯をがたがた言わせていると、隣で、ギャラッシカが震えていることに気がついた。


「寒いのけ?」


 毛布を借りてあげようか、と言うと、ギャラッシカは首を横に振った。


「ルシカンテと、同じことをしているんだ」


 厭味では無く、こどものように無邪気に、ルシカンテの行動を真似ている。二十台の半ばくらいに見えるけれど、やっていることは、グレーテルと変わらない。

 ルシカンテは力なく笑い、少しでも温まろうと体を揺すった。

 ふと目線を上げると、荷台の屋根から小さな氷柱がいくつか垂れさがっている。ルシカンテは、それをぼうっと眺めながら、考えた。


 ヘンゼルの視線は、冷たく尖ったつららのようだった。飛び入りの新参者は、やはり歓迎されないらしい。


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