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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第一章「留まってはいられない」
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人喰い狩り2

「だめだ! 殻の獣は、火なんて怖がらねぇ! 今は、びっくらこいてうろうろしとるだけだ。落ち着いたら、あんな火つっきって、こっちさ来る! 今のうちに、逃げねぇと!」


 ルシカンテの鶴の一言に、ふぬけたような顔をしていた収集兵たちが色を失う。わっと叫んで、馬車に突進していった。御者が馬に鞭を入れる前に、グレーテルの兄の声がぴしゃりと言った。


「動かないで! クマは逃げるものを追います!」


 兵士たちが凍りつく。グレーテルの兄は、鼻息をついて橋を降りて来た。呆れが宙返りすると言わんばかりに顔を顰めたまま、ルシカンテに尋ねた。


「あれは、ユキクマかな」

「えっ? わっ、うっ、あの、その」


 委縮したルシカンテがへどもどしていると、グレーテルの兄の眉間に深い皺が刻まれる。委縮させたくて、そんな怖い顔をしているのかと思ったが、そんなこともないらしい。


「人喰いは、宿主とだいたい同じ習性をもつ。宿主がわかれば、対策を練れる。で、どうなんだ?」


 さっさと応えないと、クマの餌にされかねない。そんな悪い予感がひしひしとしたので、ルシカンテは慌てて応えた。


「そう、ユキクマ。穴持たずの。腹ば空かせてて、特別、気性が荒ぇやつ」

「君は何処で襲われた?」

「山の麓、ホボノノの集落」


 グレーテルの兄は、一歩前に出た。燃え上がる氷橋を見つめて、考え込んでいる。ややって、ルシカンテを振り返った。少し顎を上げて振り返るので、相手を見下す、傲慢不遜な態度になる。そんなことをしなくても、ルシカンテは彼よりずっと小柄なのだから、見下ろす事が出来るのに。きっと、癖になっているのだろう。誰にでもこうやっているのだ。

 グレーテルの兄の命乞いを見て、感じた不快感の正体がわかった。あれは演技、ウソっぱちだ。彼は周囲をバカにしているが、それを隠せるほど、嘘がうまくない。

 グレーテルの兄は「クマさん、クマさん、どうなった?」と、雛鳥のようにひょこひょこ前に出ようとするグレーテルの首根っこを押さえつけつつ、いぶかってルシカンテに聞いた。


「腹を空かせたクマに襲われた君が、ぴんぴんしているのは、なぜ?」


 そう言われましても。ルシカンテは口ごもった。無傷だったことは、ルシカンテだって不思議なのだ。

 そう言いかけたが、ルシカンテは左肩を押さえて、口を噤んだ。肩の布地は破れ、血に塗れているが、無傷だ。グレーテルの兄は、そのことを怪しんでいるのだろうか。だとしても、ルシカンテには説明がつかない。

 ルシカンテが応えあぐねていると、グレーテルの兄は、左肩を押さえているルシカンテの手を、鬱陶しい翅蟲でも追い払うようにはらい落とした。


「噛み傷や爪痕のことを言っているんじゃない。腹を空かせたクマの人喰いに襲われた君が、五体満足でいられるのが不思議なんだよ。どこかしら食い千切られて、クマの腹に収まってるはずだ、ふつうなら。納得いかないのはそこなのさ」


 ルシカンテはやっと要領を得たが、やっぱり答えを持ち合わせてはいなかった。


「いや、どんくらい腹ばすかせてたかまでは……。ただ、この時期は、獲物さなる獣が穴さ籠ってっから、腹ば空かせてっから」


 グレーテルの兄の、精悍な眉が跳ね上がる。ルシカンテは、肩をはねさせた。何もまずいことを、言ったつもりはないのだが。


「どうして、腹を空かせていたことがわかる? 奴の胃が空っぽって、潜り込んで確かめたのかい」

「そったらことしたら、おらは生きてねぇよ! 獣の腹具合なんて、知るすべはねぇ」

「かもしれない、だったような、気がする。なんて、曖昧なことを言われちゃ困る。正確に、確実に、実益のある情報が欲しいんだ。俺は、まだまだ死にたくないからな。命をかけて博打がしたいなら、俺たちがいないときにしてくれ。いい、わかった?」


 ルシカンテは、ぐぬぬ、と唸った。彼の言うことはごもっともだが、非常に細かいことまで問題にして、口うるさくつつきまわされた気がして、納得がいかない。じたばたして兄から逃れたグレーテルがルシカンテの正面に立ち、ぐっと顔を顰めて「ぐぬぬぬー」と唸っている。ルシカンテの真似をしているようだ。

 苛々はおさまらないが、腹をたてて言い争いをするのは愚かだ。せっかく稼いだ時間を、有効につかわなければ、本当に命が危ない。いまひとつ、緊張感に欠ける兄妹に流されないように、ルシカンテは気を引き締めた。


「あいつ、居住区で暴れて、人ば、食っちまっただ」

「ほほう、ひとをね?」


 グレーテルの兄は言いながら、杖の持ち手を捻り、引き抜いた。仕込み杖になっていて、中から銀色の剣があらわれる。濁りの無い、透き通るような銀色。匂いは波打つようで、ルシカンテの間抜け面をはっきりとうつしている。

 よく練成されているのもあるだろうが、カシママのこけらそのものの質が良いのだ。カシママのこけらは、カシママの身から切り離されると、ゆっくりと白濁していく。濁ると、着火しづらく、燃え上がらない。カシママが切り離したばかりのこけらは、油や髪などの着火剤を使わなくても、火を近づけるだけで燃え上がる。その分、消費も激しくなるから、良質なカシママのこけらは貴重なのである。

 グレーテルの兄は、鞘を外套の腰紐に挟んで言った。


「なるほど。その気の毒な女をひとり腹に納めて、腹具合はある程度、落ち着いたんだろう。だから、わざわざ君を引きずって淵まで戻った。雪に埋めて保存食にでもするつもりだったのかもな」


 自分だっていま、「だろう、かも」って言ったじゃない。とまぜっかえしそうになるのを、ぐっと堪える。そんな子供じみたことをしている場合ではない。


「なんで、女のひとだってわかるの?」

「クマは、女を食べたら女ばかり、男を食べたら男ばかり襲うようになる」


 へぇ、とルシカンテが感心して頷くと、グレーテルの兄が振り返った。また、あの感じの悪い振り返りかたで、おまけにひとを見下げ果てたあの嫌な嘲笑だ。


「そんなことも知らないで、君、本当に猟民なのかい? さっきから、てんでまとはずれなことばかり言って。中途半端に齧っている分、素人より性質が悪いぞ」


 素人である。彼が臭い臭いとこきおろしたらしい革製品をつくるなど、女の仕事は、要領が悪いながらも一通りこなせるが、猟についてはずぶの素人なのである。中途半端に聞きかじった知識で、知ったかぶったことは、否定できないが。しかし、よせばいいのに、ルシカンテはついつい負けん気の強さを発揮して、ずんずんとグレーテルの兄に近付いて行った。


「へぇへぇ、ごめんなさいね、なんも知らんくて。けど、こんなおらさ、お手伝い出来ることが、あるんでしょ? だからこげな一大事に、おらとのんびりお話しなんか、しとるんだべ」


 ルシカンテの精一杯の厭味を、グレーテルの兄は笑顔で受け止めた。いやに良い笑顔だ。ルシカンテは身構えた。これは、倍返しされるぞ、と悪い予感が告げている。グレーテルの兄は声高に言った。


「クマは、仕留めた獲物に執着するんだ。クマは君を追い掛けている。他の連中には目もくれない。奴の狙いは君だからだ。いざとなったら、君を置いていく。時間稼ぎにはなるだろうさ。怒らせてしまったから、見逃してはくれないだろうが。人喰いは、例外なくねちっこいからね」


 ルシカンテは、頭をがつんと殴られたように立ちくらんだ。いざとなったら見捨てると言われたこともそうだが、それよりも、聞き捨てならないことがあった。


「待って……それって、もしかして……あのひとたちが喰われたのは、おらのせいってこと?」


 グレーテルの兄は、せせら笑いを引っ込めて、真顔になった。ルシカンテから目を外し、マッチ箱を手にする。マッチを擦りながら、気の無い声で言った。


「君のせいか。だったら我が愚妹も同罪だな。君をここへ連れてきた」

「はいはーい! よんだ?」


 グレーテルが、兄にぴょこんと飛びつく。おっと、と、兄は反射的に火を妹から遠ざけた。グレーテルは、兄の手元を見て目を輝かせている。


「わぁ、マッチだ、マッチ! シュってやりたい! お兄ちゃん、わたしにもやらせて!」

「だめだ、火は危ない。あっちへ行ってろ」

「大丈夫なの! ちゃんと気をつけるもん。ねぇ、かして、かして! シュってやりたい!」

「大丈夫じゃないからダメだって言ってる! あっち行け、しっしっ! ああ、こら!」


 グレーテルが兄の腕にしがみつく。全体重をかけてぶらさがられて、グレーテルの兄はよろめいた。グレーテルが振り子のように揺れて追い打ちをかける。兄は火がついたマッチをもつ腕をぴんと伸ばし、妹から遠ざけた。グレーテルの兄がマッチの火を振りまわすので、ルシカンテは恐れを成して距離を置いた。


「気ぃつけて! 髪はよく燃えんだから!」


 ルシカンテは、しっとりと油気のある髪を押さえた。内側の白っぽい柔らかい毛は燃えにくいが、外側の黒っぽい硬い毛はよく燃える。

 妹を足蹴にしたグレーテルの兄は、ルシカンテをじっと見つめた。足蹴にされたグレーテルはひっくり返された亀のようにじたばたして


「お兄ちゃん、ひどい! お兄ちゃん、いやー!」


 と騒いでいる。そんなグレーテルには目もくれず、兄はルシカンテを見つめている。熱視線に、ルシカンテがどぎまぎしていると、彼はおもむろに、自身の尖った鼻をつまんだ。


「君……獣臭いな。血の臭いのせいかとも思ったが、髪からも獣臭さが臭ってくる。身にしみた獣臭さだ。あまり近くに寄らないでくれるか」


 もしもこんな状況でなければ、ルシカンテは彼の薄い胸に体当たりくらいしただろう。

 だが、こんな状況だ。冷静になれ、とルシカンテは己に言い聞かせた。この兄妹がいくら呑気だからと言って、逼迫した状況に変わりはないのだから。

 グレーテルの兄は、マッチの火を剣の溝に押し当てている。着火した銀の火が溝をとおる。剣が銀色に燃え上がった。

 殻をもつクマが唸っている。橋は焼け落ち、炎は冷たい川の水に押し流されつつあった。クマの巨体が、じりじりしている。そろそろ、火の輪を潜って此方にわたってきそうだ。

 そうしたら、真っ先にルシカンテに飛びかかってくるだろう。クマは獲物を間違えない。鼻がきくのだ。グレーテルの兄いわく、ルシカンテは体臭がきついらしいし。

 そのとき、ぱっと閃いた。グレーテルの兄の袖をひっぱりそうになり、ぐっと堪えて、あまり近づかずに、話しかけた。


「囮がいれば、クマば仕留めんのは易くなるよね?」

「その通り。聞きわけがいいね、感心、感心。じゃ、ちょっと橋の袂で寝転んでいてくれるかな」


 澄ました顔で、なんと恐ろしいことを言うのだ。ルシカンテは己の命を護る必要性に迫られた。むっすりとむくれるグレーテルに、合羽を所望する。不思議そうに大きな目をまるくするグレーテルから受け取った合羽を、頭から被った。前のボタンをすべて留めると、踝までが覆い隠される。

 これなら、いけるだろう。ルシカンテは覚悟を決めて、合羽の中にもぐり、しゃがみ込んだ。靴を脱ぎ、合羽の中でごそごそする。外套、短丈着、ズボンを脱いで、合羽の中は下着だけの姿になった。

 外套の中に他の衣類を包んで、靴を履き直す。足が、すーすーする。こんな恰好をしたのは、生まれて初めてだ。羞恥心の問題はあとまわしにして、ルシカンテは耳の傍の髪を、爪で一束切り取った。それを外套の留め具に巻きつける。仕上げに、爪で人差し指の先を浅く傷つけ、血をなすりつけた。衣類を包み、丸めた外套を、グレーテルの兄に差し出した。


「これば、おらの代わりさしてけれ」


 はじめは怪訝そうにルシカンテを見ていたグレーテルの兄だったが、身代わりを受け取る頃には、ルシカンテの意図を正確に読み取っていた。外套を受け取り、口角を吊り上げる。


「知能も体臭と同じで獣なみかと思えば。割とやるじゃないか」


 そのとき、背が泡立つような恐ろしい咆哮が上がった。殻のクマが火の輪を潜って、此方岸にわたって来たのだ。ルシカンテはグレーテルの手を引いて、収集兵たちと一緒に馬車の後に身を隠す。

 一人取り残されたグレーテルの兄は、ルシカンテの外套の端に、マッチで火をつけていた。マッチを捨て、靴底で踏みにじり、火を消す。ひどく気が立っている殻のクマを見やり、にやりとひとの悪い笑みを浮かべた。


「細工は流々。仕上げはどうぞご覧じろ、ってか」

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