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ヘンゼルと悪い魔女  作者: 銀ねも
第一章「留まってはいられない」
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人喰い狩り1

残酷描写を含みます

 ルシカンテは、目を三角にした。問題は深刻なのに、ふざけて茶化されて、頭にきたのだ。グレーテルの兄は、跳ね上がったルシカンテの手首を捕まえた。ルシカンテはいともたやすく吊り上げられて、万歳をするような姿勢にされた。

 小さなルシカンテを覗きこもうとすると、グレーテルの兄は腰を曲げなくてはならず、否応なしに、子ネズミと、それを踏みつけたオオワシみたいな体制になってしまう。

 はなせ、はなせと暴れるルシカンテに、グレーテルの兄がずいと顔を寄せた。たじろぐルシカンテに、額を合わせる。グレーテルの兄の顔が、ぼやける程近い。

 ほっそりとした輪郭の内側に、精悍な眉、黒めがちの双眸、細い鼻梁、小さめで薄い唇が、絶妙な位置に静止しているのだ。それらが動き、表情を形作る様は、神秘的と言っていい。ひとを見下げ果てた本心が透けて見える作り笑いなのに、ありがたくって拝んでしまいそうになる。


「仮定の話で深刻になるなんてばかばかしい。想像したところで、思考が悪い方へ悪い方へ流れるだけだよ。そんなことに頭を使うくらいなら、身に迫る危険を潜り抜けることに心血を注ぎたまえ。私は冷たい事を言っているだろうが、バカげたことは言っていない」


 ルシカンテは、グレーテルの兄を凝視した。優しくされたわけでもないのに、暗い目に真剣な光が閃いたように見えただけで、胸がどきどきする。

 ルシカンテの凝視に穿たれたように、グレーテルの兄の瞳の中央で、黒い点が大きくなる。そこに怯えのような色合いがあった。しかし、それは、ほんの一瞬のことで、瞬きをすると、その色はあとかたも無く、消えていた。ルシカンテをすげなく振り払い、いまはただ、食卓に出された不気味な料理を見るように、ルシカンテを睨んでいる。なんて目だ。唸りながら、考える。


(ああは言ったけど、このひとも、影の民が怖いのかな?)


 ルシカンテの袖が、くんとひかれる。振り返ると、グレーテルが、にこにこして草木の叢を指さした。


「ねぇねぇ、見て見て。あれ、さっきのクマさん。こっちに来るよ」


 居合わせた全員の目が、グレーテルの指の先に注目する。濡れた草葉が揺れた。

 黒々とした葉の隙間で、星のように光の粒がきらめく。多面的に光を屈折させて白く輝く殻に、大柄を包んだクマが、暗がりからのそりと現れた。濡れた鼻をひくひくさせ、頭をもたげる。紅い目玉がぎょろりと動いてルシカンテを見つけた。

 大きな力の塊が、弾けるように疾走する。ルシカンテ目がけて、一目散にかけて来る。家馬車を引いていた小柄な馬が、びっくりして、二本足で立ち上がり、前脚で宙を掻いた。殻のクマは唸り、馬に当て身をして横倒しにした。引っくり返った馬には見向きもせず、ルシカンテを見ている。大きく開かれた顎が、地獄の釜のように開かれる。瘴気のように血臭がにおいたつ。


「ひっ……!?」


 竦み上がるルシカンテにグレーテルが抱きついた。恐慌をきたしていた馬車馬が、悲鳴をあげるように高く嘶く。足が激しく足掻いている。殻のクマが一瞬、気をとられた。


「下がれ、はやく!」


 グレーテルの兄が、グレーテルの襟首を掴んで、ルシカンテごと引き下げる。収集兵たちを防壁のかわりにして避難した。収集兵たちの呆気にとられた阿呆面に、卑屈に媚びてみせる。


「今こそ面目躍如のときに御座いますぞ、兵士様がた。あの化け物を、見事打ちとってくださいませ。あれの心臓にはきっと、高値がつきます」


 大男は、最後尾に逃れたグレーテルの兄に何か言いかけて、やめた。仲間の収集兵たちを、大声で鼓舞した。


「野郎ども、この遠征最後の大獲りものだ! 見ろ、あの見事な輝殻を! あれはそうだ、確かに高値がつくぞ! それ、やれ! 燃やせ! 殺せ! やつの心臓は、討ち獲ったやつの取り分だ!」


 収集兵たちは目の色を変えた。立ち膝になり銀火器を構える収集兵たち。次ぐ列の兵たちが、前列の兵たちの頭上で銀火器を構えた。矢継ぎ早に破裂音がこだまし、辺りの木々から鳥が一斉に飛び立つ。五月雨のように銀の弾が殻のクマの体に着弾し、銀の火を噴き上げた。クマが篝火のように燃える。殻のクマが苦し気に咆哮し、身を捩じり、横転した。

 最後尾に落ち着いている大男が、拳を握って勝鬨を上げた。


「よっしゃ! 仕留めた!」

「違う、あんなもんじゃ死なねぇ!」


 あれは、特別に強い殻の獣だ。熟練の猟師であるウメヲでさえ、見誤り、仕留め損なった。

 ルシカンテの叫びが、収集兵たちの断末魔に掻き消される。殻のクマは、殻の表面を燃え上がらせたまま、兵士たちをおし拉ぎ、叩きのめし、噛みつく。氷橋が、みるみるうちに紅く染まる。兵士たちは発砲を続けるが、殻のクマの進撃はとまらない。


「なんだ、なんでだ!? こんなに燃えてんのに、どうしてくたばらねぇんだ!?」

「おい、銀弾が足りねぇ! もっと銀弾を寄越せ!」

「死ね、死ね死ね死ね、死んでくれよぉ!」

「ぎゃあ、いやだ、やめてくれ! 痛い、痛い痛い痛いぃ!……ああ、足が! 俺の足がァ!」


 恐ろしい悲鳴が上がり、何かが紅く尾を引いて川に落ちた。それが人の足だとわかると、吐き気がこみ上げる。前屈みになるルシカンテの背を、グレーテルの兄がどんと叩いた。


「吐くなよ」


 いきなりどんとやられたせいで、本当に嘔吐するところだった。グレーテルの兄は、橋上の、凄惨たる有様を冷めた目で眺め、長い溜息をついた。


「火力に飽かせた素人のあつまりなのね。下手な鉄砲、かず撃ちゃあたる。ってか? なんとも大雑把。じつにヴァロワらしいぜ」


 グレーテルの兄は、じりじりと後ずさる大男の背を杖で押さえる。あおっちゃけた顔で振り返る大男。グレーテルの兄は杖を肩に担ぎ、軽く笑った。


「どうやら、このなかで一番の事情通は私のようです。あとは、私がやります。皆さんには、下がって頂きたい。出しゃばられては、邪魔になる……おっと失敬、これ以上なにかがあったら、大変なのでね。そのかわり、ありったけの灯し油を頂けませんか。銃火器の補充用に、持ち合わせがあるでしょう」


 大男は、ぽかんとしてグレーテルの兄を見つめた。言葉の内容を反芻し、呑みこむと、いきりたってグレーテルの兄の襟ぐりを掴む。腰の革帯からナイフを抜き、グレーテルの兄の細い首筋につきつけ、凄んだ。


「腰ぬけの商人風情が、俺に指図する気か!」


 グレーテルの兄はそろそろと両手を肩より上にあげた。顔色を変えない。恐れおののくことはなく、むしろ不遜な笑みを浮かべている。


「おやおや、兵士様。商人風情の言いなりになるのは癪ですか? 誇りなんて、後生大事にとっておくものじゃないと思いますがね。そもそも昨今、兵士って身分は、そんなに誇れるものじゃない。怖いもの知らずのバカが銀火器を持てば、誰だって収集兵になれるんですから」

「なんだと、この……!」


 大男が怒りに上ずった、その一瞬の早技だった。大人しく両手を上げて居たグレーテルの兄が、大男のナイフをもつ手を掴み、捻りあげる。大男が怯んでいる隙に、身長差を利用して懐に入り、右手で首筋に手刀を入れた。よろめいたところで、杖でナイフを叩き落とす。

 しかし、大男も負けていない。よろめいた揺り返しを利用して、グレーテルの兄に強烈な頭突きを見舞う。グレーテルの兄の上体ががくんとのけ反る。大男は空手でさっきとは別のナイフを引き抜いた。水平に薙いだ刃を、なんとか立ち直った兄が辛うじて避ける。額が割れ、頬の皮が薄く裂けていた。

 グレーテルの兄は、よろめきかけたのを踏ん張った。その足で、地面に落ちたナイフを蹴りあげ、空中でとる。大男が振り上げた腕の上腕を、ナイフで突く。痛みでつま先立ちになった大男の体を横になるまで誘導し、相手の武器を自分から遠ざけた。跪かせた大男の頭を後ろから抱え込み、喉笛にナイフをつきつける。

 大男の喉が、ひゅっ、とか細く鳴った。グレーテルの兄は、軽侮の視線で大男を打ち据えて、切り口上で言った。


「自分が偉かったことなんて忘れちまいな。ガキになったつもりで、頭を柔らかくして、聞き分けよくすることだ。でなけりゃ、長生できないぜ」


 グレーテルの兄は、ぱっと身を引いて二歩下がった。大男も、ルシカンテも、唖然としている。

 グレーテルの兄は、喧嘩慣れしていた。判断がはやく、的確に動く。さき程見せた機動力も併せ持っている。腰ぬけの商人ではあり得ない。蟲のようにころころと体色をかえる、この男は得体が知れない。

 グレーテルの兄は気取って一礼すると、今一度、慇懃無礼に大男に要求した。


「灯し油を、ありったけ。頂戴してもよろしいか?」


 大男の目が、背後にとめてある馬車にうつろう。グレーテルの兄は勝手に、荷台に上がり込んだ。ややあって、ルシカンテの身の丈ほどある金属の缶が荷台から転げ落ちた。重く、土にめり込んでいる。グレーテルの兄は、缶を軽々と蹴り転がし、橋へ向かった。

 残された収集兵たちは後退しつつ、半狂乱になって殻のクマを撃ち続けている。立っているのは、もう五人しかいない。

 グレーテルの兄は、収集兵を押しのけて前に出た。大男が、当惑する収集兵に一喝する。


「てめぇら、一度さがれ! あとはその兄ちゃんに任せる!」


 収集兵たちにも、この場を支配するボスが、かわっていたことが伝わった。グレーテルの兄は殻のクマと対峙した。銀の火の下、クマの目が、岸で震えるルシカンテをとらえる。

 グレーテルの兄は、缶を蹴り飛ばした。殻のクマの頭にぶつかり、クマが怯む。グレーテルの兄は、ボタンで留めた肩帯から、掌に乗る小さな四角い箱を取り出した。マッチ箱だ。内地の人間が火をおこすときに使う道具である。

 すんなりとしたきれいな指で頭薬をつけた軸木を一本摘み上げ、側薬に擦りつける。ぽっと点った小さな火を、ぽいと投げ捨てた。マッチの火は放物線を描いて、地面に落ちる。雪の上を血のように流れる、黒い油に引火して、たちまち燃え上がった。

 火は蛇のようにするすると雪の上を這い、源である缶へ燃えうつる。クマの目と鼻の先で、缶が爆ぜた。火柱が上がり、殻のクマが吼える。

 呆気にとられていた大男が、はっと我に返り叫んだ。


「おい、なにしてる! お前も見ただろ! あのデカブツの殻は、ちっとも燃えねぇんだ!」

「まずい! 橋が崩れるぞ!」


 収集兵の一人が、橋を指さす。その通り、木の骨組に雪を固めた橋は、ぐずぐずと崩壊を始めていた。殻のクマがいる、橋のちょうど中腹あたりから、橋は瓦解していった。殻のクマがうろたえ、後退する。火の壁が、あちらとこちらを隔てている。クマが右往左往する影が火柱にうつりこむ。


 助かった?


 そんな、緩んだ空気が漂った。グレーテルが耳元で、「すごい、すごい、お兄ちゃん! 性格悪いけど、頭いい!」とはしゃいでいる。

 願望でしかない安堵を、ルシカンテは、ぶんぶんと頭をふって振り払った。

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