絶身のブラドパイア 中篇
★中篇★
「なぁ。まさかこの穴に飛び降りるって事は無いよな」
「あなたねぇ。来る時は飛び上がったんだから、行く時は飛び降りるでしょ。普通」
「お前らは一つでも普通な生き物なのか」
俺はまだビビっていた。
いきなりこんな穴に飛び込めなんて、とても恐ろしくて出来ない。――何て考えてる内に、後ろから何かに押された。
「――え?」
「……」
そこには虹の髪を持つ不思議な少女が立っていた。
「ちょっと待てぇえええええええええええええええええ!!」
――落ちた。いや、立っていた?
俺はいつの間にか街中の雑踏の中に居た。痛みも、衝撃も、それに行き交う人々の視線も無い。
まるで俺一人だけこの世界の中で孤立している様だ。
「さ、行きましょうか」
いつの間にか後ろに居た青い猫。そして虹の少女。彼女達はごく普通に歩き始める。
「お、おいおい、ちょっと待てよ。お前とか普通に喋って良いのか? ってかお前、さっきはよくも押してくれたな。お前だって、その不思議な格好は目立つだろ」
俺は周囲の人々に聞こえない程度のか細い声で注意を促す。
「何言ってるの? 私達の姿はここに居る人間達には見えない。それに――」
「あ、危ない!」
行き交う一人のサラリーマン風の男性が、虹の少女にぶつかる――筈だった。
彼の身体は立体映像の様に、彼女の体をすり抜け、何事も無かったかの様に歩いて行った。
「えぇええええ?」
「それに、私達の存在はこの世界の人々には影響を及ぼさない。物とか、地面とかは別だけど。それに、“あっち”の方からは丸見えなのよ」
「“あっち”の方?」
猫の視線の先。さも意味有り気に向けたその視線の先には、城が有った。
「な、何だ。あれ?」
まるで中世ヨーロッパ時代から抜け出した古城の様だ。それに、城は浮いていた。
浮遊しているのだ。城そのものが。
外壁は黒く、辺りには黒い靄が覆い、長い鎖を垂らしている城。
その城を見つめていた虹の少女は、不意に猫を抱きかかえると、そのまま右肩に乗せた。
「おい、どうするんだ? まさか、あそこに“ゾンビ”みたいな奴が居るのか?」
「さぁどうでしょうね。“ゾンビ”みたいに簡単な相手なら良いんだけど、今度の敵は明らかに厄介者みたいだし」
猫は肩の上から喋る。とても落ち着いて喋る。
「厄介者って、強いって事なのか?」
そう言った瞬間、虹の少女が俺の手を握った。いや、掴んだ。
「え? 何してるんですか、あなたは」
「……」
少女はそのまましゃがむ。しゃがんで、城の方を見つめる。
――そして跳んだ。
「うぉおおおお!!」
その跳躍力はまさにジェット機の如く、あまりの速度に身体中か凍える程だ。
風を切り、小鳥を撥ね退け、少女は猫を抱え、俺を掴んで跳んでいる。飛んでいる?
「このまま城に突っ込むわよ! あなた、しっかりと頭守りなさいよね!」
途轍もない程の強風と勢いの中、僅かに聞こえる猫の声。見ると、少女が跳躍した場所はひび割れており、まるでその場所に隕石が落下した様だった。
人々は問題なく歩いてはいるが。
「さぁ突入よ! いざ、謎の魔城へ!!」
「助けてぇええええええええええええええ!!」
――瞬間。少女の細い脚が、城の黒い外壁を突き破るのが目に見えた。
「さぁ、ここが謎の魔城の中よ」
「……はぁ?」
気付けば、そこに有ったのは真っ黒なステンドガラスだった。
かなり巨大だが、描かれているのはまさに悪、そのもの。
人々を踏み台にし、頂上に君臨する謎の男性。その手には白い光が握られていた。
「なかなか趣のある所じゃない」
猫は少女の肩から飛び降り、城内を歩き始める。
「趣って、かなり悪趣味な所じゃないか。壁も椅子も階段も、天井もガラスもシャンデリアも、全部真っ黒だ」
「…………あいつも」
虹の少女が呟く。
あいつ? 俺は城内の奥を見る。
最初は辺りが真っ暗だったせいで奥は見えなかった。しかし、目が慣れてきた今なら見える。奥の方に見える人影の事を確認し、俺は自然と前に出ていた脚を止めた。
「――ホゥホゥ。まだ随分な客人が招かれたものだ」
奥に居る人影が語り出す。その声は、まるで闇を統べる王に相応しい様な、闇から聞こえるに相応しい様な、そんな声だった。
「歓迎しよう。私がこの城の主だ。何か欲しい物は有るか? 御客人共」
彼が話す。俺の身体は何故か動かない。動かす気持ちになれない。
「欲しい物なら有るわよ」
猫が答える。俺はその行為を自殺行為と感じていた。
「まずはあなたの自己紹介。それから――この城の支配権。要は、あなたの命……とでも言うべきかしら」
「フハハハハハ! まずは自己紹介、か。イイだろう。私は由緒正しき真血族、ブラドパイア皇という。ブラドパイア・シン・アラドヴァルムだ。今後覚えておくと良いだろう。そして、もう一つの方だが……」
彼はそこで話を切った。
いつの間にか、彼は少女の目の前に居た。その美しい顔立ち。その印象的な銀髪。その対照的な漆黒のコート。
そして、口の隙間から見える白い牙。
「あ、危な――」
「そいつは無理な相談だ」
――瞬間。彼の右腕が唸りを上げて虹の少女を襲う。
辺りには、痛いほど感じとれる殺気が満々ていた。
★終篇に続く★