虹髪のアスリクルツ 中篇
★中編★
変わらない世界。繰り返される日常。終わらない平和。
誰もが一度は思い描き、そして忘れていく夢。
そんな世界に俺は居る。いや、囚われている。
俺の名はエリト。漢字で書くと恵理斗。苗字はイスギ。井杉絵里斗。女の様な名前だ。でもこの名前を覚えたての頃はまだ自由な世界だった。
いつしか人々は想像する事を止め、創造する事も止めた。
皆、機械の様に同じ事を繰り返す。昨日話した内容を一語一句違わずに話し、昨日やった行動を寸分違わずに行う。
一体どうなってしまったのか。俺の家族、高校の友人、近所に住むお婆ちゃん、帰り道に寄るコンビニの定員。皆昨日した事を繰り返す。話した言葉を繰り返す。
この世界は狂っている。それも永遠に。
俺は何度も現状を変えようとした。でも身体が動かなかった。まるで別の身体を持っている様だ。俺の身体は昨日した事をやり、歩いた道を一センチのズレもなく歩き、昼休みのバスケットボールの試合で同じ数のゴールを決める。
既に俺の身体にも自由は無かった。
唯一の自由は声。声なら自由に出せた。
俺は出会う全ての人々に声をかけ続けた。何度も何度もこの世界はオカシイと言い続けた。
でも届く事は無かった。
皆、俺の声を無視するように昨日見た光景を作り上げる。母は朝昼晩に決まったご飯を作り、先生は同じ授業を続け、俺の身体は同じ内容をノートに書き写す。
そしてこんな声を出しているのは俺一人だけだった。誰か一人でも同じように考える人が居るなら声を出している筈だ。でも俺の声には誰も答えない。
この世界を否定しているのは俺一人。
気付いた時は既に遅く、唯一出せていた声も世界に縛られ始めていた。
ある朝。
いつも変わらない日常に少しだけ変化が現れた。いつもなら同じ内容しか放送しないデジタルテレビがあるニュースを流していた。
内容はこうだ。
『先日、駅前の交差点で都内の大学生が不審人物に襲われ、頭部と腹部に重傷を負いました。犯人は特定されず、現在、警察による調査が進められています』
俺は最初、この小さな変化を見落としていた。このニュース以外は昨日の繰り返しだったからだ。しかし、次の日になって俺はようやく変化に気付く。
『昨晩、また新たに◇◇区で通り魔事件が発生しました。襲われたのは会社員の〇〇さん四十七歳。警察は対策本部を設置し、事件の解決に努めるとの事です』
俺はこのニュースを見て驚いた。今までこんな事は無かった。もう何度も繰り返した日常、そこに生まれた変化。
朝の食卓での会話も徐々に変わってきていた。
「まぁ、また通り魔ですって。しかも◇◇区ってこの辺じゃなかったかしら。怖いわねぇ」
「そうだね。母さんも注意しなよ。襲われる人は無差別らしいけど、まだ捕まってないんだからね」
いつも交わされる父と母の会話とは違う内容だった。もう何度繰り返したか解らない日々。その日々が徐々に変化してきている。
俺は嬉しくなった。遂に俺の苦労が報われたとも思った。
そして世界の軌道は変わり始めた。
朝に歩く通学路。そこでいつも話しているオバさん達の会話は通り魔の事でいっぱいだった。学校でも話される内容は通り魔の事。ホームルームで先生が配布したプリントに書かれていた事も通り魔の事だった。
さらに世界は回り出す。
『昨晩未明に△△区のとある住宅から変死体が発見されました。所々身体が腐敗し、骨が剥き出しになっていたそうです』
このニュースも変わらなかった日常に変化をもたらす。そして次から次へとそんなニュースが近隣で起こり始めた。
『今朝、某公園のトイレで……』『昨晩未明に謎の変死体が……』『この前放送した事件ですが、ここにきて新たな犠牲者が……』『新たな変死体が昨日……』『誘拐犯と思われる人物が……』
一日を過ぎるたびにまた新たに起こる事件。それに比例していくように日常が変化していく。
俺は完全に舞い上がり、毎日喜びの言葉を叫び続けた。身体の自由はまだ無いものの、声は再び自由になっていった。
全て元通りに成る。
その思いが俺の心を繋ぎ止めていた。
翌日。
更なる変化はどこに? と俺は期待しながら階段を降りていく。俺の身体は朝九時四十二分三秒に起き、そこから二十四秒で一階に降りる。その動作は変わらない。
しかし今の俺には希望が有る。前の様な世界に縛られる俺じゃない。
今日の変化は一目で解った。
なぜなら家族が居ないからだ。
いつもなら、リビングで朝食を食べている筈の母と父と小学五年の弟が居ない。
本当に居ない。どこにも居ない。
俺は家を飛び出した。
そして他の人々も消えている事に気が付いた。
近所のお婆ちゃんも、いつも話しているオバサン達も、朝のランニングをしている人も。家の中に居るんじゃないかと思って他の人の庭に入った。もちろん誰も居なかった。
これはどうゆう事だ? 皆通り魔に殺されたのか? でも血なんてどこにも無かったし。
パジャマ姿のままで近所中を走り回った挙句、人は見つからなかった。俺はとりあえず一旦家へ戻ろうと考えた。とにかく冷静になる必要があると感じたからだ。
そしてようやく身体が自由になっている事に気が付いたのだった。
――俺は軽く身支度を済ませた後、通っている高校へ向かおうした。高校なら友人が集まってると思ったからだ。
そしていざ高校に向かって走り出そうとしたその時、遠くの方で鋭い銃声が鳴り響いた。
俺は咄嗟に銃声が鳴る背後の方へ身体を向けた。見ると煙が立ち上っている。あそこは確か……阿蘇可使公園の方だった気がする。ここから一キロメートル程離れた所に有る巨大な公園だ。走っていけば二十分もかからない筈。
「阿蘇可使公園に煙?」
俺は呟きながらも走り出していた。
走っている最中にも銃声は響き、響いた数だけ煙が上がっている。これだけの音量なのに誰も家から出てこない。やはり皆どこかへ消えてしまったのだ。
俺は息を切らせながら走り続ける。その先に答えが待っているような気がしていた。
――ようやくたどり着いた公園には、至る所にある遊具を蹴り飛ばし、唸りながら向かってくる亡者の様な軍勢を、たった一人で撃ち倒す一人の少女の姿があった。
★後編に続く★