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第96話 いぬのきもち

 リコリスは、目の前に蹲う男を言葉なく見下ろした。

 顔は伏せられ、その表情は窺うことはできないが、地面につけられた骨張った手は細かく震えている。

 手だけではない。肩も小刻みな震えを見せているし、耳を澄ませばカタカタと、歯の根が合わぬ音が聞こえた。

 怒りや屈辱に耐えている……のではなく、どうやら物凄く怯えられているらしい。


「そんなに怖がられたら、私がこれからあんたを殺したりするみたいじゃない?」


 リコリスは肩を竦め、苦笑混じりに言ってみた。

 先ほどのライカリスといい、この男といい、何だかやたらと厳正で重い空気を作りたがるが、リコリスとしては甚だ心外だ。

 面倒な空気を緩めてやろうと、もちろん冗談で口にした言葉は、しかしリコリスの意図とは全く逆の効果をもたらした。


「……っ御処分、如何様にもお受け致します」

「いや、そこは否定してよ?!」


 絞り出すかのような、覚悟と苦渋に満ちた返答に、リコリスの声がひっくり返る。

 何でリコリスがウィードを殺す流れになっているのだろう。


(え、私そんな怖い? 確かに散々虐めたけど……)


 既に反抗する気もない相手を殺害する趣味などないし、ペオニアとも酷いことはしないと約束したし。

 そんなことをするくらいなら一生飼い殺す方がいくらかマシだ。

 今回この森に同行させたのは、リコリスとウィードの秘密を守る人払いの意味と、ちょっとばかり脅して大人しく話し合いに応じてもらうため。人払いして始末するためでは、断じてない。

 だが、リコリスの意図は斜め上に曲解され、脅しの効きすぎた男はいらない潔さを見せている。


「聖下の御言葉を否定など……」


 この溢れる悲壮感。

 一体、リコリスの何がここまでダックウィードを追い込んだのか……といえば、やはり妖精王(フェアリーロード)云々なのだろうけれど。


(妖精王って、こんな大袈裟にされるもの? ……じゃあ、聖女(シルバーリリー)とか紹介したらどうなるかなぁ)


 同じボス同士、リコリスはダックウィードたちが崇める聖女の正体を当然知っている。面と向かって紹介してやったら、泡でも噴くかもしれないなと、少々思考を脱線させつつ、リコリスはやれやれと頬を掻いた。

 従順になったのは結構だが、このままこのノリに付き合っていては話が進まない。というか、付き合いきれない。


(うん。無視して話進めよ)


 リコリスはひとり納得し、またダックウィードを見下ろす。

 傅かれているわ、顔も伏せられているわで、話しにくいことこの上ないが、仕方がない。


「ね、ダックウィード。ちょっと訊きたいことあるんだけど」

「は。何なりと」


 やはり顔は上がらないが、答えてくれる気はあるようだ。

 ならば、とリコリスはいくつか決めていた質問の一つを投げてみる。


「じゃあ、まず……ヒースのこと。どう思ってる? 立場とか考えずに、正直に答えて」


 具体性に欠ける、曖昧な問い。

 この男がヒースにさほど興味がないとしても、元気がいいとか努力家だとか、当たり障りのない答えが返ってくるはず。

 少なくとも最近の仲のよさを見る限り、否定的な言葉はないだろう。もしかしたら、もっと愛ある評価を聞けるかも。

 そう期待して答えを求めたが、ダックウィードはその問いを耳にした途端、動きを止めてしまった。男の蹲るそこだけ、時間も停止したかのように錯覚するほど、ぴたりと。


(あれ?)


 降りた沈黙に、逡巡の気配がある。

 顔も見えないというのに、その躊躇いははっきりとリコリスに届いた。

 ここでこんな迷いを見せるということは、まさかと思うがヒースの名前すら認識していないか……あるいは。

 リコリスが真っ先に排除していた可能性を再び思い浮かべた時、ダックウィードが僅かに身動ぎした。

 地面に置かれた手が、ぎりっと音がしそうなくらいに強く握られる。


「…………謝罪を」


 ようやく聞けた答えはか細く、消え入りそうだった。


「今更……どれだけ詫びたところで、自己満足に過ぎぬとは存じております。ですが、もしお許し頂けるのなら……この身が裁かれる前に、一言謝罪を、と」

「いや、裁かないからね。でも……ウィード、あんた気づいてたの」


 ヒースが、あの時の被害者だと。

 意外だ。絶対に気づいていないと思っていたのに。

 というか、気づいていてあれだけ仲良くできていたなら、結構図太いな。

 言葉にはせずとも、リコリスが考えた諸々が伝わったのか、ダックウィードが少し肩を落とす。


「情けないことでございますが、気がついたのは本日の昼でございます」

「今日?」

「……は。休憩の折、ヒース……殿が転んだ姿を見て」


 まだまだ幼い少年には、あまり付けない敬称を聞いたが、それはそれとしてリコリスはひとまず頷く。


「なるほど。でもそれ、ヒースに対してしたいことだよね。ヒースをどう思ってるかじゃなくて」


 ここまで悔いて謝りたいと言うのだから、改めて訊ねるまでもないが。

 それでも、リコリスはこの男の口から直接その答えを聞いてみたかった。


「それは……わ、私には、その資格がございませんので」

「立場とか考えずに~?」

「……………………と……歳の離れた友人か…………弟、がいましたらあのような感じかと」

「……そう」


 本当に、この短時間で、変われば変わるものだ。

 リコリスの相槌は短くなったが、そこには驚きを多分に含んでいる。そして悪いが、すんなりと信じられなくもあった。

 恥じ入る声に嘘はないと思いたいが、リコリスを前にしての社交辞令という可能性もある。

 どれ、少し揺さぶってみようか、とリコリスは人の悪い笑みを浮かべた。幸い、ダックウィードには見えていないが。


「じゃあ、家妖精たちは? あの子たちはどう?」

「そ、それはもちろん、その……大変可愛らしいと」

「あの子たち、私の分身みたいなものなんだけど」


 いつか、友人に告げて全否定されたのと、全く同じセリフを口にする。

 リコリスと家妖精の双方を知る者は、どういうわけか(・・・・・・・)両者が同じものだと認めたがらない。

 デイジーなどはすごい勢いで否定してきたし、弟子たちですら曖昧な笑顔で言葉を濁す。かろうじて認めてくれたのは、ライカリスくらいのものだ。

 だからこそ、この男の本音を垣間見るのに、ちょうどいいネタである。

 さて、何と返してくるか。

 楽しみに反応を待ってみるが、しかし返ってきたのはまたしても沈黙だった。


「ウィード?」

「は……。それは、その……」


 何とも言えない沈黙で応えたダックウィードは、リコリスに促され、言葉にもならない何事かをもごもごと口の中で転がし始めた。ゆらゆらと覚束なく揺れる頭の動きから、視線も定まっていないのが見なくても分かる。

 やがて、動きを止め、代わりに一層頭を低くしたダックウィードは、


「………………申し訳ございません……」


 と、それだけ絞り出した。嘘のつけない男である。

 同時に、堪え切れなかったと言わんばかりの、押し殺した笑い声が背後から2人分。リコリスがさっと振り返れば、声は止んで、視線は合わない。

 リコリスも特に追及するつもりはなく、様式美として振り向いてみただけなので、そっぽを向く相棒と弟子を横目にダックウィードに向き直った。


 相変わらず顔を伏せた男は、ますます縮こまって、まるで垂れた耳と丸まった尻尾が見えるようだ。

 見慣れた犬を連想させるその姿に、リコリスはどうやら嘘はなさそうだと、小さく、複雑なため息をつく。

 ダックウィードのヒースへの情が偽りでないことへの安堵と、今後への不安と。ダックウィードはともかく、ペオニアやヒースへのフォローの難しさを考えると気が重い。

 発端はダックウィードたちとはいえ、ここまでの流れを作ったのはリコリスだ。

 過酷な環境に参った心身に、他意のない無邪気な優しさでつけこんで更正させてやろうと、襲撃犯と被害者たちを仲良くさせてしまった、リコリスに責任がある。

 本音では、やはりダックウィードの変わりように物申したくはあるけれども。


(犬にしたからかなぁ。3日飼えば3年恩を忘れないって言うし……)


 犬の体に思考が引き摺られてしまったか。

 もう少しクールな生き物の方がよかったかも……と、どうでもいいことが脳裏を過るが、後の祭りである。


(ウィードを犬のままにしとけたら、一番楽なんだけどな)


 いくらなんでも、それはできまい。

 後はやはり、人間に戻して二度と関わらないよう遠ざけ、ペオニアたちには適当な言い訳で誤魔化すか。

 そう言ったら、ダックウィードはどういう反応を見せるだろうか。


 足元の男は、リコリスの意地悪な問いにますます身の置き場がなさそうにしていて、上手く受け答えできなかったことを悔いているのか、恥じているのか。

 リコリスとしては、ダックウィードのような感想は今更も今更なのでさほど気にもしていないし、むしろお世辞の一つでも言おうものなら嬉々として虐めていた。

 正直さがこの男の身を救ったわけだが、本人はそんなこと思い至りもせずに、ひたすらぶるぶる震えている。


「あんたが私のことどう思ってるか、よく分かったなぁ」

「……ひっ」


 ちょっとばかり嫌味でも言ってみれば、それはもう露骨に身を竦める。

 これ以上虐めると、あれだけ否定した処刑が達成されてしまいそうだ。心臓発作とかで。

 やはり無抵抗の弱者をいたぶるのはどうにも良心が咎めると、リコリスは緩く首を振った。


「まぁ、それは冗談として。……最後の質問、いい?」

「は、はい」


 息をついたダックウィードが、上げかけた顔を慌てて伏せ直し、小さく頷く。

 リコリスはそれを確認し、最後の意思確認のため口を開いた。



「ウィード、人間に戻る?」



 我ながら意地の悪い問いかけだ。

 自由を奪い、虐げるだけ虐げて、駄目押しで脅迫までしておいて、最後の最後で判断を丸投げ。さぞや答えにくかろう。

 だが、答えにくいのは、この男が変わったからでもある。

 リコリスに何か問われる度に冷や汗と共に沈黙してきたダックウィードは、案の定また苦しげに黙り込んでしまった。

 だが、今度はリコリスも促したり助け舟を出したりはしない。ただ待つつもりでいた。

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