第91話 平和なままでは終われない
ふよん、ふよん。
艶のある黒翼が優雅に宙を泳ぎ、それはまるで何事かを語りかけているかのよう。
ぱたぱた、ぽふぽふ。
金茶の毛に覆われた柔らかそうな手は、指も関節もないが器用にその意思の存在を伝える。
リコリスの蝙蝠ポーチはいつものことだ。
彼は目も声もなくとも、その豊かな感情を伝え、リコリスたちを彼の意思で助け、支えてきてくれた。
多分生き物ではない……が、確かに意思をもつ、ざっくり言えば謎の物体。
対するは、デイジーの体に斜めがけされている、クマポシェット。
見るからにふわふわしていて、中央に大きなポケットのある白い前掛けをしている。つぶらな瞳が可愛らしく、デイジー(の見た目)にもぴったりだ。
羽で身振り手振りを表現する蝙蝠ポーチに対し、こちらは両手をぱったんぱったんと一生懸命動かしている。
「「…………」」
何、と訊いてきたデイジーの目は、目の前で繰り広げられるカバンコミュニケーションに釘づけだ。
リコリスも、まさか他に意思をもって動くカバンがいて、しかもカバン同士語り合うとは思っていなかった。否、本当に語り合っているのかすら定かではないのだが。
それにしても、いつからこうしていたのだろう。話に夢中で、デイジーに言われるまで気がつかなかった。リコリスにとってはそれほどに、蝙蝠ポーチが動くのが自然なことになっているということか。
《えぇと、コレはね。蝙蝠様です》
《蝙蝠……様? え、様って何》
《何って言われても……様って感じだから……》
友人の問いに、こう、と明確な答えは出てこない。
いつの間にか。本当にいつの間にやら、この蝙蝠ポーチはその行動によって、今の地位を築いていた。
誰より空気を読んで、リコリスや周囲を助け、あるいは振り回し、新しい能力まで得てしまう、頼りになるカバン。様付けも定着してしまって久しい。
とは言っても、デイジーの疑問ももっともか。
リコリスも帰還当初はぎょっとさせられていたし。今でも、予想外の行動に驚かされることもある。
そういえば、異変以前もこのカバンはこうだったのだろうか。
こちらの世界で暮らしていたリコリスは、いつ頃この蝙蝠ポーチを得たのか。そもそも、ゲームでは課金アイテムだったものは、どのようにしてプレイヤーの手元にやってきたのだろう。
何となく思考の片隅にそんな疑問を置きながら、リコリスはデイジーに蝙蝠ポーチの今までの行動を報告する。
改めて振り返っても、彼の行動は奇抜でユーモアがありすぎ、それでいて妙に説得力があって信頼すらできた。
ウィードについて話したのとは大違いの、テンション高めの愉快なカバン奇譚に、デイジーが見るからにワクワクと目を輝かせる。
《マジで! 何だソレ、すげー面白ぇ! じゃあ、俺のスピちゃんもそんななるのかな?!》
《スピちゃん?》
《あぁ、このクマのことな。購入画面の一覧で、こいつらエプロンの色で名前が決まってたんだよ。ピンクなら『テディベアポシェット(エリカ)』、青なら『テディベアポシェット(プリムラ)』とかな。こいつは白でスピラエってなってたから、スピちゃん》
《あー、そういえばそんなのもあったかも……》
リコリスは所持品をハロウィンモチーフで揃えていたから、それ以外にはあまり興味を抱かなかったが、新商品の宣伝では確かにそんなことを書いてあったような。
ちなみにリコリスの蝙蝠ポーチを含むハロウィンモデルは全部で3種類。蝙蝠型以外では、吊るし黒猫とジャックオランタンが存在する。
テディベアと違い、見た目が丸っきり異なっていたからか、名前分けは特にされていなかった。
目の前にあるテディベアは、動いている。
その動作は見た目に相応しく、おっとりとどこか幼気で、何とも可愛らしい。
漢気溢れ、それでいて悪戯っぽい蝙蝠とはどうにも毛色が違うようで、こちらはまた別の進化を遂げそうな気がした。
確証があるわけではないので、リコリスはちょっと首を傾げて考えを口にする。
《蝙蝠様みたいになるかは分かんないけど……話しかけたりしてれば、育つんじゃない?》
話しかけて育つカバンとは。
リコリスにもよく分からないが、まあ積み重ねは大切だ。そのうち、もっとたくさん動いて、思いもよらないことをしてくれるかもしれない。
おっさんがテディベアに語りかけると思うと少々アレだが、見た目は幼女。問題はない。笑えるくらい似合ってしまう。
何より友人はリコリスの提案を意外と気に入ったようで、楽しそうにクマの頭を撫でた。
《カバン育成か。なんかちょっと、ゲーマー魂刺激されんなぁ》
『アクティブファーム』のようなゲームを遊んでいたのだから、デイジーは元々その手のジャンルが好きなのだろう。リコリスがそうなように。
何にせよ、目標ができることはいいことだ。
友人の気分が上向いたことにも、リコリスはそっと安堵していた。
それから、1階の光景を眺めアレやコレやと感想を交えつつ、いくつか質問が投げかけられてはそれに答え、あるいはリコリスの方から今までに得た情報を差し出した。
簡単にしか説明していなかった異変後の話、リコリス帰還直後のこと、スィエルやヴィフの町、そこに住まう人々の今。襲撃についてや、それに関連して一人の少年が生き方を変えるに至ったこと、星河祭であった出来事のこと、夢で再生される過去の記憶のこと。
そして、弟子たちとの出会いから今までの努力について語る。
特に今後の弟子たちに関して、リコリスはデイジーにも助けてほしいことがあったから。
《……ってことで、デイジーにはジニアのこと頼みたいんだけと》
《ジニアってあれか、あの夏休み明けの中学生みたいなの?》
《そう、その子。神官希望なんだ》
3姉妹の一番下、ペオニアよりも更に若いジニアは、どちらかというとデイジーの方に歳が近い。
だからか、テンションの高い男たちの宴の最中にあっても、弟子たちの中では最も平和に可愛がられている。
彼女は神官を希望していた。
《へぇ~。レベルも……もう50いってんだな》
《うん。先月は、蛍真珠も採ってきたし》
職業取得のための条件は、いずれも弟子たち自身の頑張りで既に達成されている。
しかし、そこから先については、リコリスだけでは力になれる範囲が限られてくるから、是非ともデイジーの協力を仰ぎたかった。
《おー、いいぜ。神官についてなら任せとけ》
《ありがと。やっぱ、本職がいてくれると助かるね》
《まあなぁ。他の弟子はどうなんだ? 妖精師希望いねぇの?》
《…………いる》
変な間が空いたのは、それについて思うところがあるからだ。
妖精師に進路を定めてしまったジェンシャン。
茨の道を知るリコリスの心中は、未だに複雑だ。弟子の覚悟を尊重したいと思う気持ちは本物なのに。
《いるのか……。それでその渋い顔なんだな》
《だって、私を見て決めたって言うんだよ? 責任って言うかもう罪悪感がさぁ》
《師匠なんだから、弟子に責任取るのは当たり前だ。それに本人がそう言ったんなら、お前がそれだけいい師匠してたってことだろ。だったら育ててやれ。弟子に後悔させんな》
きっぱりと、真顔で言い切ったデイジーをリコリスはまじまじと見つめ、それから手摺に顔を伏せる。
《デイジーが年上っぽいって、初めて思った……》
《年上なんだよ! ぽいって何だ、ぽいって!》
途端に年上っぽさをなくす友人に、リコリスは顔を伏せたまま少し笑う。
《冗談。実はすっごく感謝してます》
《本当かよ……》
《ホントだよ。……おかげで覚悟決まった》
思えば、この友人には背中を押されてばかりだ。
リコリスは顔を上げ、デイジーに微笑み、それから働く弟子たちへと視線を向ける。
いつもの笑みを崩すことなく、生き生きと男たちを転がしているジェンシャン。からかい混じりに仲間をフォローする余裕まである彼女なら、大丈夫なのかもしれない。
《そーそー、師匠はどっしり構えとけ。ま、お前に影響受けるくらいなんだから、性格もアレなんだろ。なら大丈夫だって》
《……どういう意味かな?》
《ナンデモナイデス》
しれっと言ったデイジーが、リコリスの一睨みに、つーんと視線を逸らす。
それから一拍置いて、2人は同時に噴き出した。
酒に酔ったわけでもないのに、気分が高揚するのは、場の空気のおかげか、重荷が少し軽くなったからか。
くすくすと、飾らない笑いが、宴の喧騒の片隅に落ちていく。
《……っと、そうだ。リコリス》
《ん?》
ひとしきり笑いあった後、何かを思い出したらしいデイジーが不意に声を上げた。
《あのな、最後の質問いいか?》
《……どうぞ?》
何をそんなに畏まる必要があるのか。
笑いを引っ込めてしまった友人の、真面目な面持ちに、リコリスは軽く首を傾げて続きを促した。
《じゃあ……》
頷いたデイジーは、何故かそこで階下に視線を落とした。
すぐ下のテーブルでは、相変わらずの様子のライカリスたちが賑やかにしている。
といっても、賑やかなのは既にライラック1人。
兄以外の傭兵たちを潰し終えたライカリスは、更に酒瓶を開け、それを兄に勧めながら手酌しているようだ。
そこに食器や空き瓶を下げにきたジェンシャンが、ライカリスの飲んでいた酒を見て微笑む。
「あらぁ、私、そのお酒好きなんですのよぉ」
「……飲みたいなら、どうぞ」
「うふふ、ありがとうございます」
ライカリスは特に拒まず、持っていた瓶を差し出す。
それをグラスに一杯受け、これまたあっさりと飲み干したジェンシャンは、もう一度礼を述べて去っていった。
恐ろしい光景だった。
何が恐ろしいって、ライカリスがしれっと飲んでいる酒を一口飲んだカンファーが、盛大に咳き込んでしまったことだ。
つい先ほどまで『銀冠の獅子』がと嘆き、懸命に上司のフォローをして、ついに諦めたカンファー。彼自身も、潰れないようにと注意を受けつつもそれなりに飲んでいた。
多少顔を赤くはしているが、泥酔はしていない。それなりに強いはずだ。
そのカンファーがたった一口で、無理無理と首を振るような酒を、ライカリスもジェンシャンも、酔ってはいるがライラックも、まるで水か何かのように流し込んでいた。
……なんて恐ろしい。
他の男たちが潰れてしまったから、そんな彼らのやり取りは随分聞き取りやすくなっている。
なんてモノを、と震えるカンファーの声に密かに同意しつつ、リコリスは隣に目を戻した。
しかし同様に下を眺めていたデイジーは、変わらず真剣な顔をしていて、まさか今更父親の心配を始めたのだろうか、いやでも、とリコリスは首を捻る。
《デイジー?》
質問があるのではなかったか。
今一度促すと、友人はようやくリコリスに向き直り、それからゆっくりと口を開いた。
「リコリスお姉さまとライカリス叔父さまは、ご結婚なさったのですか? 左手の薬指にお揃いの指輪、とっても素敵ですね! デイジー憧れてしまいます!」
その、無邪気を装った高い声に、リコリスは冗談でなく凍りついた。




