第89話 酔いどれの獅子の宴
スィエルの町の転送装置は、広場の横に設置されている。
今日この日、長らく使う者がおらず、それでも綺麗に保たれていた装置が、2年ぶりに稼働することとなった。
夕食を控えた今の時間、煌々と街灯に照らされている広場には、逞しき肉壁が立ち並ぶ。
吹き荒れる強風をものともせず、威風堂々。鍛え上げられた肉体を晒すのは、25人の厳めしい面構えをした男たちである。ただし、その目元は皆一様に赤い。
ぴっちりみっちりと、隙間なく身を寄せ合って作り出されるまさに肉の壁。
リコリスたちの目の前に立ち塞がる強靭な壁の正面が今、扉のようにゆっくりと左右に割れ、開かれる。
そこに現れたのは彼らの至宝。
何者の跡も残さぬ見渡すかぎりの雪のごとき、清廉なる真白の乙女であった。
そこだけが風にも侵されることのない小さな空間で、幼女は真っ直ぐに背を伸ばして立っている。
なるほど、男たちがやけにくっついているのは、どうやら彼らの珠玉を強風から護るためであったらしい。
薄闇の中にあってなお輝かしい白金の髪。髪と同じ色の睫毛はたっぷりと、縁取られた空色は大きく。透き通るような肌に、まろい頬は自然な桜色が可愛らしい。
純白のワンピースは、袖と裾に控えめなフリルを、襟元に細身のリボンをあしらって、楚々とした印象が彼女によく合った。
それだけならば、いっそ神々しいほどの美しさだが、斜めがけしたテディベアのポシェットが、更に子どもらしい可愛さまでも追加する。
明らかに泣いた後と分かる養父ライラックが斜め後ろに控え、優しく娘を見つめる様はまさしく美(幼)女と野獣。
スカートを細い指先でついと摘まんで、幼女はふんわりとした髪を揺らす。
柔らかな微笑はそのままに、目線を伏せ、淑やかに膝を曲げて。
「ごきげんよう、リコリスお姉さま、ライカリス叔父さま。今日はよろしくお願いいたします」
完璧な美幼女。
どこからどう見ても、非の打ち所のない深窓の令嬢がそこにいた。
とても中身がおっさんとは思えない。
見た目のなせる技かもしれないが、それにしても素晴らしい演技力。
これを笑わずに、何を笑えと言うのか。
なのに、笑えない。笑ってはいけない。ひどい。
筋肉の壁を背景に背負い、澄ましてなされた挨拶に、リコリスは警告の意味を理解したのだった。
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強風のため、挨拶の続きは移動を余儀なくされた。
ライカリスやライラック、他の筋肉たちはよくても、リコリスやデイジーは、支えられるか抱えられるかしないと不自由だからだ。
そうして場所を移しての、エフススの酒場。
始まったのは挨拶の続き……ではなく、宴会だった。
弟子たちと、酒場のマスター、エフススが、事前に用意していた宴の席。テーブルに並んだ大量の料理に、男たちのテンションが振り切れたからだった。
そんな筋肉沸き踊る大宴会を、2階廊下の手摺に凭れて眺める華が2人。
「おじさまたちを受け入れてくださって、ありがとうございます。リコリスお姉さま」
「いいよ。ライラックさんの仲間なら、デイジーの家族でしょ?」
階下の嵐の累が及ばない場所まで逃げ出したリコリスは、デイジーと共に群れる筋肉たちを見下ろしていた。
デイジーからの通話で、ライラック親子だけでなく傭兵団の仲間たちも同行可能かと問われた時、既にリコリスはペオニアやジェンシャンの手も借りて、相当の量の料理を作り終えていた。
最初こそ、「デイジーいつ来るかな」などと呑気に構えていたが、よくよく考えればデイジーが来るならライラックは当然ついてくるだろうし、ライラックが来るなら傭兵団の面子も一緒かもしれない。
デイジーとライラックの性格上、仲間を置いて食事とはいかないはずで、もし遠慮して来なかったとしてもお土産に持たせればいいと結論づけて。
結果として、それは大正解だった。
おかげで、今酒場は歓びに満ちている。ちょっと……否、かなり暑苦しいが、これだけ喜んでくれるなら頑張った甲斐もあろうというもの。
料理を作り終わり、デイジーからの一報を受けて、リコリスは酒場に連絡を取った。
何せ、リコリスの牧場には傭兵団をもてなす場所がない。
この風では客もこないからと、エフススは快く場所を提供してくれた(もちろん料金は払う)。
その後、師の友人帰還を聞いた弟子たちが「それはめでたい」と手伝いを買って出てくれた。
おまけに、飲酒禁止令が出されているリコリスは、ライカリスだけでなく何かを察したらしい弟子たちやエフススからも主役の接待を勧められて、ありがたいやら申し訳ないやら、甘えさせてもらっている。
「おら、お前らも飲め飲めーっ!」
「そうだ! 一緒に飲もうや!」
「いや、俺らは働かねぇと……」
「大丈夫だ!!」
「あの、何が大丈夫……いえ、そうではなく、仕事がですね」
陽気でご機嫌な誘いとそれに対する固辞が、階下から度々響いてくる。
空の食器を抱えて厨房に帰りたいウィロウとアイリスと、一緒に酒を飲みたい酔っぱらいの攻防だ。
チェスナットとファーは飲めや飲めやで早々に潰されて、テーブルに伏している。
この様子を見るに、リコリスも混ざっていればきっと酒を勧められたに違いない。避難して正解だったようだ。
「あらぁ、アイリスもウィロウも情けないわねぇ。そちら、私が頂きますわぁ」
押し負けそうな2人の前に滑り込んだのは、盆を片手に捧げ持った救世主だった。
ウィロウに押しつけられていたジョッキをかっ攫った彼女は、奪ったそれを一息に呷り、滑らかな小麦色の喉元を晒す。
喉から谷間へのラインに男たちの目を釘付けにしながら、零れそうなほど注がれた蜂蜜酒をあっという間に飲み干して、色っぽい流し目ひとつ。ジェンシャンは、空のジョッキを自らの盆に乗せると、颯爽と厨房へと歩き去った。
一拍置いて、それを見送った傭兵たちから口笛の混じりの歓声が上がると、その隙にウィロウとアイリスがこそこそと下がっていく。
そんな大人の世界がある一方、
「嬢ちゃんたちも何か飲まねぇか? ジュースあるぞジュース」
年若い娘への紳士的な気遣いで、ペオニアとジニアがジュースを勧められていたり、
「いいなぁ、犬……。犬はいいよ」
「俺も昔飼ってたんだよ、懐かしいなぁ……グスッ」
「おう、肉もっと食え。あ、魚の方が好きか~?」
ウィードの人気が急上昇しているらしい、比較的落ち着いたテンションのテーブルもある。
地声の大きな男たちと違い、ペオニアたちの声は聞き取れないが、2人とも緊張もなくグラスを受け取って一言二言、笑顔で言葉を交わしていた。
ペオニアの隣のウィードもまた、いつにないモテ期を迎えているようで、撫で回され頬擦りされ、シンプルに焼かれた肉や魚を差し出されと、やけに忙しそうにしている。
確か、最初こそ入り口の横で行儀よく座っていたはずなのだが、いつの間に引きずりこまれたのやら。
可愛がられて嬉しいのか、チェスナットたちより更にガタイのいい男たちに逆らう気力がないだけか、随分大人しくされるがままになっている。
またいつもの死んだ魚の目をしているのだろうか。それとも、意外と楽しんでいるのだろうか。リコリスからは見えないけれども。
何にせよ、チェスナットやファーのいるテーブルと比べると、かなり平和である。
ウィード犬が愛でられている比較的穏やかな空間から少し離れて、リコリスたちのいる2階廊下のすぐ下。
見慣れた赤を中央に据え、一層盛り上がっているのが。
「デイジーちゃんが帰ってきてくれたんだよぉ、ライカぐーん!」
「はぁ……見れば分かりますが」
「もう、僕は嬉しくで嬉しくでぇぇ……」
「はいはい、よかったですね」
「デイジーちゃんが、……デイジーぢゃんがあぁぁ」
「はいはいはい。兄さん、まだまだ飲み足りないんじゃないですか。はい、どうぞ」
「あぁ、うん。ありがとう、ライカ君~」
「さぁ、あなたたちも飲んで飲んで」
目も顔も真っ赤にして「デイジーデイジー」と連呼するライラックと、酒の場とは思えぬ表情で周囲にぐいぐいと酒を勧めるライカリスの、温度差兄弟を含む集団だった。
普段ならリコリスの隣にいるであろう相棒は、デイジーと2人で話すこともあるだろうからと、酒場に着いてから席を外してくれたのだ。
兄は自分が引き受けるから、と。主にリコリスと、ついでにデイジーに、混沌が予想される酒盛りからの避難を命じて。
例によってライカリスは不機嫌がありありと伝わる顰めっ面だが、ライラックは気にもしない。というより、気づいているかどうか。
ライラックだけではない。彼と付き合いの長い古株の団員などは、子どもの頃のライカリスのことも知っているようで、どれだけ冷たくあしらわれても怯えもしなければ、遠慮もしない。
ライカリスもそれを理解していて、下手に逃げるよりとっとと潰してしまえと、酒を飲ませまくっている。
自身も相当飲んでいるはずだが、一切顔色にも態度にも変化がないのが空恐ろしい。
「はは……。相変わらずすごいな、ライカ君」
「カンファーさん」
大量の酒を捌いているライカリスに、犬テーブルから移動してきた金髪の青年が笑いかけてきた。
一部例外を除き、酔っぱらいばかりのこの空間で、珍しくも正気を保っている彼は、ライラックの右腕であり副団長のカンファーだった。他のメンバーと違い、筋肉呼ばわりするにはやや細身で、多少酔ってはいても、よく日に焼けた顔からは爽やかさが損なわれていない。
むさ暑苦しいと評判の傭兵団にあって微妙に異質な青年は、しかし仲間たちと同じく大変な人格者であったと、リコリスは記憶している。
今も、ライカリスが潰しにかかっている仲間たちを心配して、テーブルを移ってきたのだろう。
ライカリスは親しげに話しかけてきたカンファーを一瞥し、酒瓶を彼から遠ざけた。
「あなたは潰れないでくださいよ。この人たちの面倒を見てもらうんですから」
「うん。本当に相変わらずだね」
潰すだけ潰したら、後は知らん。
そう宣言したライカリスに、カンファーは苦笑いするが、気分を害した様子はない。慣れているのだろう。
年も近そうな2人は、カンファーのおおらかな態度のおかげか、ライカリスの表情を差し引いても、親しくなくもない友人同士に見え……なくもない、ようなそうでもないような。
「ガンヴァーぐーんっ」
「それ、もう誰のことだか分かりませんよ、団長。飲み過ぎですって」
ライカリスの肩に片腕を回していたライラックが、自らの腹心に空いていたもう片方の腕を伸ばしてきた。
それを拒むことなく受け入れる部下は、一応の諌めの言葉を口にはしたが、やはり微苦笑を崩さない。
「いいんですよ、どんどん飲んで。むしろ飲んでください。はい、兄さん」
「あ、ありがとう~」
カンファーの心配をあっさりと踏みつけにして、ライカリスが開けたばかりの酒瓶をライラックに押しつける。
肩を掴まれたままだというのに、また随分と器用に酒を配るライカリスのせいで、気がつけば周囲は死屍累々だ。
かろうじて生きている者も、陥落寸前。その有り様に、カンファーがため息をつく。
「明日は皆二日酔いか……。にしても、『銀冠の獅子』がこれじゃあ、格好がつかないよなぁ」
いくら有名とはいえ、仕事中でもない、身内で楽しんでいるだけの傭兵が、気にしなければいけない格好とは何であろうか。
普通ならそう思うが、実は彼らには一般的な傭兵とは決定的に違うところがあった。カンファーがぼやきたくなる理由もそこにある。
異変より以前、依頼を受けて護衛や討伐の任をこなし、日々の糧を得る傭兵は、それなりに数が存在した。ライラックたちも普段こそ例に漏れないわけだが、彼らにだけ許された顔ももっていた。
それは仕えるべき相手がいるということ。
何かあれば、彼らは傭兵から騎士へとその立場を変ずるのだ。
誉れ高き『銀冠の獅子』。
この世界の2大宗教の片割れ、リューヌ教の聖女に仕え、その身を護ることを許された男たちの名である。
ウィードが所属するソレイユ教と対をなし、月の女神リュネを信仰するリューヌ教は、貴族に多いソレイユ教と違い大衆に広く浸透していた。
こちらの宗教事情は、外からの来訪者である牧場主にも、意外と関係がある。というのも、メインの職業に神官を選択した者は男はソレイユ教、女はリューヌ教に所属すると、一応の決まりがあるからだ。ゲーム中の依頼にも、その関連が多く存在していた。
その中にあって、太陽神ソレイユと月神リュネ双方の声を聴くに至った稀有な存在が、神々に直接仕える唯一の者として聖主、あるいは聖女と呼ばれるのだ。
当代は女であったため、聖女と呼ばれるその人は、所属はリューヌ教ではあるものの、実際には双方の宗教の頂点に立っている。
その聖女の色とされる銀色を名に戴くのが、ライラック率いる『銀冠の獅子』……今、辺境の酒場にごろごろ転がっている彼らであった。
……まあ、確かに格好はつかない。
「元々、そんな格好をつけてもいないでしょう。団長からしてコレなんですから」
そんな副団長の嘆きに冷たくトドメを刺す、呆れの色濃い表情のライカリス。
コレ、と指差されたライラックは、相変わらず「デイジーデイジー」と泣いていた。部下の嘆きは聞こえていない。
「いやいや……団長は格好いい人だぜ? 戦神に例えられるくらい強いのに、誰より優しくて、誠実で」
「そして、誰より涙脆くて暑苦しいですね」
「それは…………うん……」
「はぁ……。それにしても、この人はやっぱりなかなか潰れないか……面倒臭い」
酔うだけ酔って、しかし意識をしぶとく保ち続けるライラックに、ライカリスがうんざりとため息をつく。
デイジーが消えてから、あまり整えたりはしていなかったモサモサした髭を涙で濡らして、弟と部下に交互に頬擦りする酔っ払い。確かに涙脆いし、筋肉のおかげで更に暑苦しい。
返す言葉が見つからなかったカンファーは、肩を落として尊敬する上司から目を逸らした。
「「…………」」
色々と情報交換をしつつも、2階から一部始終を見ていたリコリスとデイジーは、そっと目を見交わした。
弟は冷たいし部下は諦めてしまったが、実際ライラックはその欠点を補って余りあるほどに真っ直ぐで情の厚い人だ。人として、尊敬に値すると偽りなく思える人。
涙脆さも優しさの表れで、今回などは行方不明の娘が帰ってきたのだから、それこそ無理もない。
それに本当は、顔だって悪くない。髭のせいで分かりにくいが、何といってもライカリスの兄で、マザー・グレースの弟なのだ。
だからそんなに落ち込まないでいいのに、と2人は思った。
思ったが……巻き込まれてはかなわないので、フォローは心の中である。
酒耐性ランキング
1位 ライカリス、ジェンシャン、双子
2位 ペオニア
3位 ウィード(人間)
4位 アイリス、ウィロウ
5位 チェスナット
6位 ファー
…………越えられない壁…………
最下位 リコリス、ソニア
未経験 デイジー、ジニア
1位が飲み比べすると、近隣の酒樽が空になって勝敗不明で終わる。