第87話 花より団子
メイン食材となる花は、ヴェルデドラードにも少ない。
食用の花は数あれど、それらは見た目を楽しむ目的のものが多い。
鮮やかな花々は食卓を彩り、料理を前にした人々の目を楽しませ、心を豊かにしてくれる。
無論、食用花でなくとも同じこと。庭に、玄関先に、部屋に、あるいは花瓶に活けられて食卓に。
食べようが、食べまいが、花はいいものだ。
しかし、である。
花で心は満たせても、腹はなかなか満たせない。
美味い不味いの話ではない。
花によっては野菜よりも栄養価の高いものもあるが、そういう話でもない。
腹が満たされるほど花を食べる人間は、なかなかいないだろうということなのだ。
何事もバランスが大事なのである。
《そういえば、デイジー花専門だっけ……》
リコリスはゲームで何度も訪れた、デイジーの牧場を思い出す。
彼の牧場は、その可憐な容姿に相応しくメルヘンな空間だった。
色とりどりの花が咲き誇る、花畑のような風情の花壇。
花壇の合間、合間に鎮座する小人や小動物の人形たち。
その中に建つ、赤い屋根のお家。
青空に絵本のような雲が浮かぶ、常春の楽園。
天使か妖精かと見紛う幼き主が、花々の世話をし、蝶や小鳥と戯れる。
まさにメルヘン。
実際には、お遊びでも何でもなく、デイジーは育て上げた花を売って生活していた。
ゲームのことなので、お遊びではないとはこれいかに、だが。まあ、見た目だけではないという話。
彼の育てる花は、最高レベルのプレイヤーらしく、希少で質も素晴らしいと人気が高かく、特に高レベル層の装備やアイテム作成に必要となる特殊な素材は、彼の手によるものが多かった。
《いや、今から野菜とか果物に転向してもいいんだけどよ。スキルがなぁ……》
《だよねぇ》
ゲーム『アクティブファーム』におけるスキルの習得では、NPCたちの場合は職業による固定で、レベル上昇時にオートでスキルを覚えていた。
パーティを組んでいる状態なら、プレイヤー側でも習得スキルの確認と使用は行えたが、選ぶ権利はない。
対して、プレイヤーたちはポイント制、つまり日々の行動で得たスキルポイントを、任意のスキルに必要分振り分ける方式だ。
任意発動型スキルにしろ、常時発動型スキルにしろ種類は多く、プレイヤーたちの楽しみと悩みの種であった。
それは現実としてのこの世界においても変わらない。
プレイヤースキルの種類は主に戦闘用、牧場用とに分けられ、そこから更に細かく分岐していく。
デイジーはその中でも、花の育成に必要なスキルを重視して習得してきたのだろう。
要するに、デイジーの育てる花はリコリスのそれよりも、美しく輝かんばかりの張りがあり、丈夫で長持ちし、生産に使用した時にランダム付加されるボーナスの数値は高くなり、成育にかかる日数も短くなる。リコリスの得意な野菜と果物でなら、それが逆転するのだ。
《ちなみに私、青果100%、繊維90%、花40%》
野菜と果物に関するスキルは全て、繊維植物についてはほぼ習得済みで、花関連では半分に届かない。
リコリスの選んだ生産スキルが料理と裁縫だったため、自然とこうなってしまった。
稼げるポイントに上限はないし、活動さえ続けていれば最終的にコンプリートすることも可能だが、やはりというべきかスキル習得は後半になるにつれ要求ポイントが厳しくなり、ほとんどのプレイヤーが慢性的なポイント不足に陥っていた。
リコリスとて、例に漏れない。
今現在も、牧場作業によってポイントを増やしている最中だ。
現在のスキル習得率をざっくりと告げてみると、デイジーがその声にしては低く笑う。
《ふっ……聞いて驚け? 花100%! 以上!》
《わぁ、清々しい!》
見上げた花卉農家である。
《え、けどそれポイント余ってない?》
戦闘以外では花にしか割り振っていないということか。
ならば、よほどサボっていない限りは、ポイントが余るはずだ。
デイジーも、リコリスと同じく廃人と呼ばれたプレイヤーなのだから。
《あー、余ってる。つーか、今振ってみてる》
あーあ、花に誇りを持ってたのに。
何やらぶつくさ言いながら、時折そこに覚えのあるスキルの名称が混ざる。
リコリスと会話をしながらも、その裏で色々と行動に移していたようだ。
さて、スキル振りを始めたのなら、しばらく時間がかかるだろう。
リコリスはチャットもどきから意識を離し、顔を上げる。
「ごめん、お待たせライカ」
チャットもどきが白熱している間、邪魔をすることなく待っていてくれた相棒は、リコリスの謝罪に軽く首を振る。
「いえ。お話は終わりましたか?」
「終わってはいないけど、向こうがちょっと考え事してるみたいだから」
よく考えたら、リコリスもライカリスも立ちっぱなしだった。
会話に忙しくしていたリコリスはいいが、ただ待っているだけだった相棒は、さぞや退屈だったろう。
「まだかかりそうだから、お茶でも淹れよう。座ってて」
「あぁ、手伝います」
「いいよー。待たせちゃってたし」
もう一度謝罪しながら、リコリスはライカリスをテーブルの方へと促した。
意地になって反抗することでもないと判断したのか、素直に従いながら、彼はチラリとリコリスを見やる。
「別にそこまで待ってはいなかったですが……何を話していたんです?」
「えーとね、外の状況のこととか、これからのこととか……」
ティーポットを取り出しながら、同時に外の妖精たちに厳戒態勢の解除を伝えていたリコリスは、問われてデイジーとの会話を振り返る。
言えないことが多いので、伝える内容は適度にぼかして。
「あとねー、食べ物がないって」
「…………食うに困る牧場主って、初めて聞きました」
「まぁ、あ……の子、花を専門にしてたからね」
うっかり「あいつ」と言いかけ、慌てて言い替える。
「食材は購入してたみたい。でもほら、今は」
「買う相手がリコさんしかいませんね。それで困って、リコさんに泣きついてきたんですか? それにしても、もう少し連絡の取りようがあったでしょうに。いい迷惑です」
幼女に対する物言いにしては非常に辛辣だが、叫びを聞いた直後のリコリスの様子を心配してくれているらしい。
リコリスは苦笑する。
「連絡がつく相手、私の他に誰もいなかったし……色々パニックになっちゃったみたいだよ」
「はぁ……そうですね、まだ子どもですから」
できるだけ曖昧で、それでいて不自然でない言い方を心がけていると、不承不承ながら、ライカリスが頷いてくれた。
子どもは得だ。例えそれが、見た目だけであっても。
手は慣れたもので、あっという間に用意の終わった茶器とお茶請けを、盆に載せてテーブルに運ぶ。
差し伸べられた手にそれを引き渡すと、リコリスはライカリスの向かいに腰を下ろした。
「……休日が戻ってきた気がします」
紅茶を一口飲んで、ライカリスがしみじみとため息をつく。
確かに、今日はまだ夕刻前だというのに、色々あった。あり過ぎた。
弟子2人の職業決定宣言から、双子襲来、そしてソニアとデイジーの帰還。
詰め込み過ぎだ。
「確かにね……」
しかし、まあ悪いことばかりではなかった。
弟子の決意も仲間の帰還もめでたいことだし、双子の存在も。
ライカリスに気づかれないよう、そっと左手を見る。
奴らの存在は迷惑以外の何物でもないとしても、あれがなければこの指輪もここにないままだった。
(これでライカが薬指のこと忘れてくれたらいいんだけど)
そんなことを考えつつ、リコリスもクッキーを齧り齧り、肩の力を抜く。
危機は去ったとクイーンに託けておいたから、弟子たちも夕食までには戻ってくるだろう。
ならば、そろそろ支度に取りかかる頃合いか。最近はペオニアの手も安定してきて、そう急ぐこともないのだけれど。
そういえば、例の鷹はウィロウが保護していると妖精が言っていた。鷹の餌も必要に思われる。
(でも、鷹って何食べるんだろ……生肉?)
誰か知っているだろうか。
頭はぼんやりと、手は3枚目のクッキーを掴んだところに、
《なー? リコリスおかしくね?》
再び天使の声が舞い込んだ。
納得いかないと、疑問系で。
《ん? 何が?》
《だって俺、青果6割で限界だぜ。お前、作物系以外に牧畜スキルも取ってたよな。どーいう稼ぎ方したら、そんなポイント入るんだよ》
余らせていたポイントを全て振り切っても、リコリスのようにスキルが取れないとぼやく。
その答えは至って簡単。
《そりゃ私、妖精師だし》
スキルポイントは戦闘による敵の撃破と、クエスト達成、作物と畜産物の収穫によって手に入る。
妖精師であるリコリスには、牧場を家妖精に任せて冒険に出ることが可能だった。
リコリス本人による戦闘と、家妖精たちによる牧場仕事の両方で、同時にスキルポイントを得られるわけだ。
《ずっる! 妖精師ずっりぃわ!》
《ずるくない! あんた、妖精師がレベル上げるのどれだけ大変だと思ってるの?! それくらいの旨みないとやってられないよっ、舐めんな!》
《えーっ、えーっ、えーっ》
《えー、じゃなーいっ》
《いいじゃねぇかよー、1匹くらいくれたってよー》
《やらんわ!! ていうか無理だし、匹って言うな!》
《……ちっ、俺が飼った方が絵になるのに》
あんなに可愛い家妖精たちに、何て暴言吐きやがるのだ、この男は。
鬼! 悪魔! 幼女! 外見詐欺!