第83話 大好きなあなたに呪いの指輪
「それは……?」
「これはねー、双子がつけてるのと同じ種類の……うーん、ちょっと変わった指輪でね」
双子の指輪と同じ。そう言った瞬間、リビダが僅かに目を細めた。ビフィダの恍惚としていた瞳にも、やや正気が戻ってくる。
やはり、ソニア絡みには反応が違うらしい。
リコリスはそれを横目で確認しながら、ライカリスの手を取った。広げさせた手の平に、そっと指輪の片方を乗せる。
「これはね『絆の指輪』って言って、2つで1組なんだけど、対の指輪を嵌めている者同士を引き合わせる力があるって言われてるの」
ひとまず、アイテムの説明にある通りを、そのまま口に出す。
名前も効果もありがちで、程よく夢があり、程よく眉唾っぽい。これだけならば、あくまでも言い伝えの域を出ないように思われる。
ライカリスとビフィダの顔には、そんな子ども騙し……と書かれたし、リビダはもっとあからさまに鼻で笑ってくれた。そこにいつもの厭らしさはなく、何か言いたそうに身動ぎする。
何となく言いたいことが分かって、警戒しながらもクイーンの手から解放させた。
「……そんな効果があるなら、ソニアはとっくに帰ってきてると思うけどね」
途端、予想通りの言葉が吐き捨てられる。
こんな風に荒んだ気配がこの男から滲み出すのは珍しいが、リコリスもその気持ちは分かるので、あえて反発はしなかった。
「だろうね。だってコレ、ただのワープアイテムだし」
「ワープ?」
「そ。対の指輪の相手の居場所に移動できる特殊装備。……だから、相手がこの世界のどこかにいないと使えない」
双子の指輪を見る。
視線を当てれば、即座に出てくる表示。そこには、濃い灰色の文字で『ソニア』とあった。
その指輪の対の持ち主を示すと同時に、その暗く沈んだ色が、相手がこの世界のどこにも存在していないか、指輪の力が及ばない場所にいることを教えてくれる。
そう告げても、双子は特に表情を動かさなかった。
ソニアを含む牧場主全員が一斉に消え失せ、誰にも見つからない状況を、現在進行形で経験しているのだ。
今更そんなことを言われても、もう特に驚くようなことでもないのだろう。
「ソニアから何も聞いてない? それ渡された時に」
少しは説明があったのではないか。
双子の反応から、何も知らない可能性の方が高いと感じてはいたが、あえて問う。
問われた兄弟は顔を見合わせ、揃って軽く首を横に振った。
「兄さん、知ってた?」
「全然聞いてない。ていうか、そんな指輪あるのも初めて知ったよ」
「確かに、そんな便利な効果があるなら、もっと出回っててもおかしくないのにね」
「だよねぇ。イロイロ活用できそうなのにさ」
リビダが拗ねたように自分の指を見る。
そのイロイロが不穏だとか、活用じゃなくて悪用だろうとか。ツッコみたい衝動を、リコリスは耐えた。
今はそれはどうでもいい……どうでもいい。藪蛇は避けるべきだ。
「んー、便利と言えば便利なんだけど、ちょっと不自由なんだよね」
双子の会話の中でも、比較的安全な箇所に言及し、リコリスは苦笑する。
確かに、ただの個人間のワープゲートなら、非常に使い勝手がいいものだろう。もっと世間一般に出回っても不思議ではない。
が、そうなっていないということは、そうならない理由があるということなわけで。
「それ、一度嵌めたらもう外せないから」
双子の手を指差し、リコリスはこの指輪最大のデメリットを告げた。
正確には、2つの指輪をそれぞれ別の人間が填めることで、効果が発動するのだが。
いくら移動が便利になっても、それが一生続くとなれば、躊躇う者が多いはずだ。機能を一時的に切れるというならともかく、それもなし。
使うなら、自身と相手のプライバシーのために、余程信頼できる相手でなくてはならず。その相手と一生を添い遂げるに等しい覚悟がいる。
ゲームでは、装備枠のひとつを潰されるが故に『呪いの指輪』と呼ばれていたが、現実になると更に重い。
いざとなれば指を切り落とせばいいのかもしれないが、それはそれで覚悟が必要だ。
リコリスの説明に、双子がきょとんとして、また顔を見合せる。それから、ちょいと指輪に指先を引っ掛け、微動だにしない指輪に目を丸くした。
そこまで全く同じ動きなのが何だか面白い。普通に普通の双子に見える。
「ホントだ。抜けない……」
今まで気がついていなかったのは、つまりソニアからの贈り物を、外そうなどと考えもしなかったということだろうか。
「ね? だから、そんなの流行るわけないの。悪用されたら困っちゃうし」
諸々の理由から、作製できる者も限られているし、材料も特殊だ。そうホイホイと流出することはない。
リコリスやソニアが入手できたのも、限られた製作者のひとりが友人だったからで、つまりそういう限られた輪の中にのみ、ひっそりと存在してきた。
「ホントにホントに大切な人にしか、渡さないものだから」
隣からの視線が、熱をもっているように強く、リコリスの横顔に刺さる。
ライカリスは今、何を考えているだろう。これまでの話の流れを聞いた上で、それでも受けてくれるだろうか。
受けてくれると嬉しい。拒まれるなら、ショックかもしれないが、仕方ないとは思う。正直、重すぎるから。
緊張からか、心臓が痛いような気すらしてきた。
顔に出さないでいるだけで精一杯だ。自分から話を振ったくせに、視線を返す勇気がどうしても湧いてこない。
(あー、もうっ)
双子の前なのに、こんな状態でどうする。
己を叱咤し、これからどう話を展開しようかとリコリスが悩む内、物珍しげに指輪を引っ張っていたリビダがふと首を傾げた。
「じゃあさ、これが左手の薬指なのは、何か理由あるのかな?」
兄弟揃って同じ指に、わざわざソニア自ら嵌めてくれたのだと、リビダは言う。
目敏い疑問。それが何気ない問いでないことは、リビダの表情から分かる。
そこに何か意味があることに感づいていて、暴いてやろう、あわよくば虐めてやろうという意志がはっきりと出ている厭らしい薄笑い。
こんな笑いを見て、それでも答えを差し出す者がいるなら、それは余程の阿呆か、ビフィダ並みの被虐趣味だ。教える気が失せるどころか、選択肢にも上がらない。
(まぁ、そもそも教える気なかったんだけど)
変態ももちろん理由としては十分だが、それ以外にも知られたくないと思う理由がある。
この双子は当然論外としても、隣の相棒にも隠しておきたかったのだ。
だって、ライカリスに指輪を嵌めるとしたら、やはり同じ指がいい。
指輪だけでもずっと一生を共にするという意思表表示にはなる。ライカリスには、それが何より重要なのだろう。
けれどリコリスの方は、ずっと一緒にいたいと思うその理由、感情に、名前がある。玉砕して、宙に浮いたままになっている、一方通行の想いが。
『左手の薬指の指輪』は、その手の感情の乏しい相棒に知られないまま、リコリスの気持ちを形にしてくれる。
こんな話を秘密にしたまま一生外せない指輪を差し出すのも酷いと思う。しかし、元の世界の出身ならほとんどの人間が知るこの意味は、この世界では存在しない。この世界の者には、ただ左手の薬指に嵌まった指輪でしかないから。
だからできれば、このまま自分の中だけの想いとして、ひっそりと。
……とはいえ、リコリスのそんな心境を悪魔が理解してくれるはずもなく。
彼女の態度に何を感じ取ったのか、リビダがますます唇を歪める。
「へぇ、だんまり? ってことは、何か言えないような理由があるんだよね。気になるなぁ。ふふ……言いたくなるようにしてあげよっか」
この男は、本当に懲りない。相手を見て喧嘩を売ればいいものを、繰り返し繰り返し。
鋼の精神通り越してゾンビメンタルなのは結構だが、もう少し相手や状況を考えて動かなければ、結果は変わらないように思うのに。
口を挟みかけたらしいライカリスを、リコリスはテーブルの下で手を握って押し留めた。リビダと本当に相性の悪い相棒を、矢面に立たせないために。
言外に「任せてほしい」と「黙ってなさい」の両方を伝え、不本意そうながらも引き下がったのを気配で感じる。
それでいい。性格の悪い者の相手は、性格が悪くないと務まらないから。
リビダの厭らしい笑みを真っ正面から受け止めたリコリスは、にっこりと微笑んで。
それから、臭いものに蓋――ではなく、リビダの口にクイーンの手を当てさせた。ついでに、両脇を固めさせ、両腕も封じてしまう。
「もがっ、もがもが! むもがー!」
「ずるくて結構。卑怯者上等。っていうか、あんたが言うなだし」
何となくだが、何を言っているのか分かる気がする。目線や雰囲気で……つまり、勘なわけだが。
「むむう……」
リビダが苦々しげに黙り込んでしまったところを見ると、意外と正解していたのかもしれない。
「あー、コレちょっと楽しいかも」
反論は封じながら多少の意思疎通ができ、問いかけにすっとぼけることも、意見をねじ曲げることも容易い。
リビダのような者には、さぞ悔しく不本意な状態だろう。リコリスの不穏な笑みを見て、リビダの目が忌々しげに細められる。
こんな悔しそうなリビダなど、本当に初めて見たかもしれない。今まで何度も対立し退けてきたが、何だかんだ言って引き際も見事だった双子なのに。
なんなら写真に収めて、ソニアへの贈り物にでも、なんて。
行方の知れぬ親友へ思いを馳せ、不穏な笑みはますます深く……なったところで、唐突にガタンと大きな音が響いた。
『?!』
驚きの視線を3人分。一身に受けて立ち上がったのはビフィダだった。
勢いに負けた椅子が後ろにひっくり返っているが、犯人は気にかけることなくテーブルに両手をつく。
それまでの弛んだ空気はどこへやら。
鬼気迫ると表現するに相応しい真剣な眼差しが、真っ直ぐにリコリスを見下ろした。