第80話 いらっしゃいませ
ヴィフの町周辺からスィエルの町まで大量に配置してある妖精たちの網には、双子は引っかかっていない。
当然といえば当然。
なにせ、ライカリスと並ぶ世界有数の実力者だ。奴等ならば、妖精の目を掻い潜るくらいきっと容易い。
だが、少なくともまだ牧場周辺にはいないから、今のうちに弟子たちを避難させなければ。
目を白黒させているライカリスに手紙の最後を押し付け、散らばっている妖精たちへ指示を伝える。
双子の捜索と、弟子や町の人々の安全確保。外出中の人には申し訳ないが、家に帰るか、最寄りの建物に入ってもらって。
ああ、1人に1クイーンでも足りないかもしれないくらいだ。
「クイーン、ウィロウをお願い。避難途中に鉢合わせとかしないように」
「畏まりました」
喚び出されたクイーンが、主人と同じく厳しい顔をして、一礼もほどほどにウィロウを促した。
「さあ、ウィロウ様。お早く」
「し、師匠」
「急いで。あいつらはね、私を痛めつけるためならライカやあんたたちを殺すのだって躊躇わない。他人が苦しんでるの見るのが大好きなんだから」
そしてライカリスを苦しめるためなら、彼の前でリコリスに、それこそ口に出せないような鬼畜なマネもできる。
ライカリスのことを気に入っているとか、リコリスがソニアの親友だとか、そんなもの何の役にも立たない。
もちろん、そんな勝手を許すつもりはないが、それでも弱点は減らしたいし、隠しておきたい。守るものがない、あるいは最低限という状況なら、あの双子には絶対に負けない自信があるから。
だからこそ、下準備が重要なのだ。
「早く行きなさい。足を引っ張るつもりでないのなら」
一気に殺気だったライカリスが、ウィロウを睨む。
もう何に怯えるべきか分からないであろう青い顔をした弟子は、それでも何とか頷いて、クイーンと共に扉をくぐっていった。
「……さて。ちょっと派手にいこうかな」
弟子を見送り、静かに呟いたリコリスの腰で、蝙蝠ポーチが蠢く。
するすると吐き出されたのは、最近では使っていなかったカボチャ印のステッキだった。
この現実にも慣れて、普段の生活には必要なくなったが、戦闘になるなら話は別。リコリスが強化に強化を重ねた逸品は、ステータスを大幅に増強してくれる。
これが出てきたということは、蝙蝠様的にも用心すべき状況と判断したのだ。
「派手に、ということは……」
「うん。――背中は任せるよ」
何をするつもりなのか、正確に予想したらしいライカリスに頷いて、リコリスは一つ息をついてステッキを一回し。
【無限召喚】
ふわりとリコリスの髪が持ち上がり、全身が淡い燐光を帯びる。
スキルを発動し、ややあって、MPがぐんぐん減っていくのが、簡易ステータス情報からも目視できるようになった。自己回復が追いついていないのだ。
元々最大MPが多く、更に装備各種で底上げしているリコリスは、多少スキルを使ったところで自己回復の量が上回って一定以下には下がらず、一瞬で回復してまう。それが今は、消費の方が遥かに早い。
自分の内から何かが盛大に削れていく感覚もある。辛いというほどではないが、あまり愉快な感覚ではなかった。
【無限召喚】は数に限りなく、召喚者の望むだけの妖精を喚び出す。
足を踏みしめてスキルを維持し続ける間にも、1人、また1人と家の中に妖精が出現し、新たな召喚の邪魔にならないようにと、開け放された扉から外に出ていった。次から次へと、列をなして。
外はきっとすごい光景になっているだろう。だが、まだまだ。
家の周囲から広がって牧場を埋めつくした妖精たちは、牧場から溢れそのまま更に外へ。道も森も川も、やがてはスィエルの町も隙間なく妖精で埋まっていく。
普段誰も見ないような建物の裏も、誰も意識しない橋の下も、木々の間も岩の影も、全て全て。
(これがゲームじゃなくて良かった~。……いろんな意味で)
絶え間なく妖精を召喚しながら、リコリスは思い出していた。その膨大な数の妖精で、かつて『PCクラッシャー』の異名をとったことを。
参加すること自体が少なかったある日の対人戦で、ふと思いついて、その専用フィールドを妖精で埋めつくし。結果、プレイヤーキャラクターを通り越して、参加メンバー全員のパソコンにダメージを与えてしまったことがあるのだ。
処理落ち、フリーズ、クライアント強制終了、果てはブルースクリーン。画面の向こうが阿鼻叫喚の地獄絵図。
気がついた時には、リコリス自身のパソコンも制御不能に陥っていた。
結局、自分のパソコンもフリーズさせた挙げ句、後ほど味方にまで叱られた苦い思い出……。
それ以来、ほどほどに制限されてしまった【無限召喚】だが、本来は、特殊な条件を満たしリ再挑戦不可のクエストを完了させた、唯一の妖精師であるリコリスだけが使うことを許された、切り札のひとつだった。
その条件を満たしてしまうことで、ゲームでは対人戦の参加制限を始め、特殊な役割がついてくるなどかなりの制約があり、それを煩わしく思うことも多々あったが、しかし今は現実。
面倒な制約も制限も、関係がない。
自分の守りたいものを守るために、全力で力を揮える。躊躇う必要などどこにもない。
そして、身動き取れぬほど妖精を召喚しても、固まりもしなければ、怒られることも……多分ない。
配置された妖精たちは、彼女たちの見たもの全てを主人に伝える。
これで双子が見つからないということはないだろう。
海の中すら、妖精でびっしりなのだから。
やがて、森の中ほどに召喚された妖精から、待ち望んだ声を聴いた。
「――見~つけた」
にやり。
リコリスの唇が弧を描いた。
■□■□■□■□
――数分前、スィエルの森某所。
「さぁて。どうやって奇襲しかけよっかな」
木の幹に背を預けた兄――リビダが、いつになく弾んだ声で呟いた。楽しくて仕方がないと、顔に書いてある。
兄は、これから出向く旨を分かりにくくしたためた手紙を、たった今、鷹に持たせたところだった。
宛先は目と鼻の先。この強風で、鷹が上手く飛べないのも織り込み済み。そして、旅の間にコツコツ書き溜めてきた報告書も兼ねた手紙は分厚かった。
様々な要素で読み終わるまでに時間がかかるであろう手紙。相手がそれを読んでいるところに……と、兄は考えているようだが。
(そんなに上手くいくかな?)
ビフィダは内心でほくそ笑む。
決して口には出さないが、彼の考えは兄とは真逆だった。
リビダには、ビフィダとは違った方向で捨て身なところがある。
他者をいたぶることを何よりの楽しみとしている兄は、往々にして相手の力量を意識しないで動く。強かろうが弱かろうが、とりあえず痛めつけようとする。
そうすると、相手によっては返り討ちに遭うことも当然あるわけで。
ビフィダはそちらの方が目的なので願ったりだが、そうでないはずのリビダは、しかし懲りない。折れることなく、敵を作り続ける。
ビフィダは、そんな兄のことが好きだった。
今はここにはいないビフィダの愛する主人、ソニアの次に大切な人だ。兄と一緒にいれば、ビフィダはたくさん気持ちのいい思いができるから。
きっとリビダも同じ。愛されている自信がある。
ビフィダを痛めつけてくれることはあまりないが(多分嫌がらないからつまらないのだろう)、兄が誰かを苦しめるために、ビフィダはとても役に立つ。
双子だからなのか、とにかく相性がいいのだ。
……けれど。
互いが互いの目的を優先するがゆえに、大切な兄弟を顧みないことも多々あった。
例えば、今のように。
ビフィダは今、こう考えている。
兄の企みは、恐らく成功しないだろう。そして、例によって返り討ちに遭うだろう、と。
(兄さんには悪いけど、リコリスさんがいるからなー。ライカさんだけならともかく……)
ライカリスだけが相手ならば、きっとリビダに軍配が上がる。戦闘面では彼と兄は互角だし、精神的な余裕では言うまでもない。ビフィダもついている。
しかし、相手がリコリスとなると全く話が変わるのだ。
戦力、戦略でリビダに勝り、性格の極悪さで並ぶ。彼女は強い。
きっと今回も、すぐに兄の策は見破られ、対処されるはず。
ビフィダはそれを、心から楽しみにしていた。
(どんなことをしてもらえるかな)
リコリスはなかなかに過激で素敵な女性だ。
ライカリスに斬りつけられるのも十分に気持ちいいが、リコリスの仕置きは幅が広くて楽しい。
純粋な数の暴力。身動きを封じてから、あるいは抵抗する気力さえ奪ってから与えてくる、心身への容赦のない攻撃。笑顔で吐き出される言葉の棘。どれをとっても堪らない。
過去にされた数々の仕打ちを思うと体が疼き、これからのことを想像すれば、ゾクゾクと背中を這う快感で下半身に熱が集まってくる。
(あぁ……、駄目だ)
こんなところで動けなくなるわけにはいかないのだ。リコリスのところまでは、ちゃんと辿り着かなくては。
静かに息を吐き熱を逃がし、どうにか自身を落ち着かせる。
(何か他のこと考えるか。うーん……)
そうは思えども、それ以外で思考を占めることといえば。
ビフィダは左手を軽く持ち上げ、視線を落とした。そこには、薄紫の指輪がある。
それは2年前、最愛の主人が兄弟に残してくれた、彼の宝物であり、今の心の拠り所でもあった。
本当は、いつでも主人のことを考えているのだ。
ただ、いくらポジティブで待つのが得意なビフィダでも、時折は耐えられなくなることがあった。
彼女を探し、彼女のことを考え、彼女を想って。どこにもいない女性の影を追い続けていると、ふと、思考が止まる瞬間がある。
手足の感覚がなくなり、地面が消えたように錯覚し。息をしているはずなのに、生きているのか分からくなって。
最近、ようやくそれが絶望なのだと思い至った。
それを理解してから、ビフィダはその瞬間が嫌いになった。
絶望を認めるのは、絶対に諦めたくない人を諦めるようで。許容範囲の広い彼にも、どうやら受け入れられないことがあったらしい。
だから、ビフィダはたまに関係のないことを考えることにしているが、そんな彼にとって、リコリスは非常に都合のいい存在だった。
彼の性癖を満たしてくれ、更に主人の帰還への希望でもある彼女は。
今回、リビダが唐突にリコリスたちを訪ねようと言い出したのも、きっとそういうことなのだろう。
想い続けることに少しだけ疲れた兄もまた、ビフィダと同じ理由でリコリスに会いにきた。
(ソニア様……)
ぼんやりと指輪を眺めているうちに、体を蝕んでいた熱は引いてくれた。
これならば、いつ兄が動き始めても大丈夫。――そう安堵した時。
「……ビフィダ」
「え?」
兄の声に警告の響きを認め、ビフィダは顔を上げる。
警告の意味は、考えるまでもなかった。
強風を見事に受け流して木々の間に立つ、白い女がそこにいた。
「お久しゅうございます、リビダ様、ビフィダ様」
彼らを相手にも、柔らかく優しげな微笑の女は、その手に銀の槍を携えている。
間違いなく、リコリスの妖精だった。
「お探し致しましたわ」
そう、二言目を発したはずのクイーンの口は、動いてはいなかった。
それを疑問に思うより早く、クイーンの後ろから全く同じ美貌の女が現れ、最初のクイーンの隣に並ぶ。
「主がお待ちです」
そしてもう1人。
「さ、参りましょう」
更に、もう1人。
4人目のクイーンが現れた時にはもう、周囲は数えるのも馬鹿らしい数の妖精に囲まれていた。
ただでさえ気配の薄い妖精が、かなり遠くから円を狭めてきたようだ。気づけなかった。
「やあ、クイーン。熱烈な歓迎嬉しいよ」
軽く応じたリビダが短剣を抜いたのを合図に、ビフィダも倣って剣を抜く。
妖精たちにも予想通りの展開だったようで、その場に集まった彼女たちも一斉に武器を構えた。
(あぁ、最高だ)
どうしたって不利な状況に、……背中を這う快楽の予感に、ビフィダは幸せそうに微笑んだ。