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第75話 とある真夏の朝に

 夜が明け日が昇り始めると、空気はあっという間に熱を帯び、8時にもなれば周囲は目を刺さんばかりの眩さになる。

 夏の3の月に移っても、それは変わらない。いつも通りの夏の朝。

 リコリスは眩しさに目を細めながら、畑を一望した。




 あの海水浴の日から一週間が過ぎ、興奮やら感動やらも落ち着いて、日常へ。

 だが、確実に変わったこともある。


 ひとつはヒース少年がかねてからの約束だった訓練を始めたこと。

 ライカリス指導の下で、基礎訓練という名の体作りに勤しんでいる。無理に戦い方を教えて欲しいとねだることもなく、素直な生徒だった。

 これから、本人のやる気とレベルと体調と相談しながら、頻度を増やしていく予定だ。


 そして、もうひとつ。――弟子たちのこと。

 あの蟹狩りを経てから、彼らの内面というか、意識というか、そういった面が以前とは大きな違いを見せていた。


 職業(クラス)取得のための必須アイテムを、他でもない、自分たちの手で勝ち取ったことで、行き過ぎでない自信と先への希望をもったようだ。

 アイリスやウィロウなどは早々に職業を決め、それに向けた修行に切り替えている。他のメンバーはまだはっきりとは決めかねているらしいが、それでも楽しそうではあった。

 ただ、いつも飄々としているジェンシャンが時折考え込む様子を見せるようになったのが、こう言ってしまうと失礼かもしれないが、少々意外だった。


(相談とか乗った方がいいのかなぁ……うーん)


 それとも、彼女が答えを出すか、少なくとも何か言ってくるまでは待つべきだろうか。

 悩んでいるなら力にはなりたいが、余計な手出しになるのも、と逆にリコリスの方が苦悩している情けない有り様だ。

 しかし、いくら考えてもすぐに決められるものではないし、当面は様子見になるだろう。


「――さて、次は朝ご飯の準備、っと」


 朝の作業にひとまず区切りをつけ、リコリスは手についた土を軽く叩き落とした。

 何を作ろうか思案しつつ、牧場の南東側を見やる。


 リコリスの牧場は建物、施設を除けば、西側に作物用の畑とハーブ園、東側に畜産用の牧草地が広がっている。

 牧場の南東といえば、牧草地の南端。丸々とした動物たちがのんびりと寛ぐ、更にその向こう側になる。


 牧場主の扱う牧草にもいくつか種類があるが、格の高いものほど成長が早い。それこそ、食欲旺盛を極めた動物たちが食べ切れないほどで、リコリスの育てているものがまさにそれだった。

 特に動物小屋から遠い南端では牧草が伸びるがままの伸びっぱなしになってしまうため、その周辺をこまめにに刈り取ることにしていた。

 刈り取られた草は、牧草が伸びなくなる冬の、大切な備えになる。


「そろそろ戻って……あ。ライカー!」


 何となく背伸びをして牧草地を気にしていたリコリスの目に、動物たちの間を歩いてくるライカリスの姿が見えてきた。


 本来草刈りは3弟子の仕事なのだが、今日は弟子たちの定休日だ。そのため相棒がその役目を担ってくれているのだが、やることは同じなのに最初から最後まで全く違う光景に見えるのが面白い。

 作業中も移動中も動物たちに笑えるくらい邪魔をされる弟子たちと、礼儀正しく会釈されるライカリスとでは、同じになりようがないのだけれども。


 今もまた、邪魔にならないよう道を開ける牛たちに見送られながら、刈り取った草を適当な布と紐とで縛った、一抱えもある束を2つずつ両肩に乗せて、絶妙なバランスで器用に歩いてくる。

 何か刺激を与えればそれだけで崩れてしまいそうで、他の人間ならとてもではないが声をかけようとは思えない状態だ。

 だがこれが他でもない相棒なので、リコリスもまた普通に名を呼び、手を振った。

 ライカリスもそれに気づいて、微笑んでくれる。


 後は合流して牧草を受け取り、それから朝食の相談でもしようか。

 何かリクエストはあるだろうかと、リコリスが相棒の方へと歩き始めた時、彼女の後ろが俄かに騒がしくなった。


「うわっ、何だコレ?!」

「ま、眩し……っ」

「目がぁ!」


 肩越しに振り返れば、畑の前で数人の男女が目を細めたり、目を押さえたりしていた。

 わぁわぁと騒ぐ唐突な訪問者たちに、リコリスは慌てるでも驚くでもなく、ただ苦笑いを零す。


「やっぱり来たか」


 まあ、来るとは思っていた。

 休みだというのに、こうして弟子たちが勢揃いするのは、実は珍しいことではない。それどころか、最近ではもう当たり前になっている。


 修行を始めたばかりの頃は体力に余裕もなく、定休日ともなれば喜々として休息に勤しんでいたはずなのに、いつの間にやらポツポツと顔を見せ始め、今では三食目当てと言いながら、しっかり牧場仕事をこなしてくれるまでになっていた。

 男たちの5時出勤が8時になり、大工修行もなく、男女揃って牧場にやってくる。それくらいだ、普段との違いは。


「……はぁ」


 牧草を担いだままリコリスの隣に立ったライカリスが、面倒臭そうにため息をついた。

 こちらも最初は苦々しい顔をしていたものだが、今では慣れたのか諦めたのか……。


「あ、し、師匠! 何なんスか、コレ?!」


 リコリスの存在に気がついたチェスナットが、不自然な細目になりながら問うてくる。

 コレ、と太い指が指し示したのは、彼らの前方に広がる畑だった。


「あー、コレはねぇ」


 リコリスもできるだけ直視しないよう、横目で畑を見る。

 彼らが驚くのも当然だ。

 昨日までは、整然と並んだ野菜が青々とした葉を茂らせていた、誰がどう見ても健全な畑だったのが、今は。


「な、なんかスゲー白いッスよ?!」

「というか、光ってません? すごく光ってますよね?」

「き、昨日何かやっちまったか……?」



 ――そう、真っ白なのだ。



 濃い緑だった葉も茎も、鮮やかだった実さえもが乳白色に変じてしまっている。元の色彩は欠片も残っていない。

 風に揺られていなければ、まるで彫刻か何かのような野菜は、美しいというべきか不気味というべきか、微妙なラインだった。

 その上、薄らと銀の粉を被せたような輝きがありそれが太陽の光をよく反射するのである。眩く光り輝いているように見えるのだ。

 その眩しさたるや、うっかり直視しようものなら目に刺さる刺さる。

 色自体は事前に知識があったリコリスも、この輝きは正直予想外だった。


「落ち着いて。ちゃんと正常だから」


 正常……のはずだ。多分。

 自分たちの世話が何かまずかったのかと、珍しくジェンシャンまで一緒になって慌てふためく彼らに、リコリスは緩く首を振った。


「ででででも」

「こんな白く……」

「白くていいの。――ほら、あの蟹の真珠撒いたから」

『えっ』


 師の言葉に、弟子たちが揃って口を半開きにした。


『……』


 顔を見合わせて何やら考え、思い当たる節があったのか、ハッとする。

 そこまで待ってから、リコリスは軽く頷いた。


「あんたたちが探したあの蛍真珠以外にも、普通の真珠いっぱいあったでしょ? 砕いた後だったけど、撒いてるとこ見てたよね。覚えてない?」

「えぇと、まさかあの時の白い粉、ですか?」

「確か、俺らがそれ何スかって聞いて、いい物って師匠が……だったよな?」

「私はてっきり新しい肥料か何かかと……」


 アイリスとチェスナットが記憶を掘り起こし、間違いがないか仲間たちに目配せした。


 1週間前、海水浴の翌朝のことだ。

 牧場関係者が全員揃う朝食の前に、リコリスが大量の白い粉を、畑の作物に満遍なく振り掛けていた。

 弟子たちはアイリスが言うように、師が新しい肥料を出してきたと軽く流していたようだが、それ自体は別に間違ってはいない。

 ただ、その原料と効果を深く考えていなかっただけで。


「肥料で合ってるよ。パール・クラブの真珠は、す~ごく貴重な特殊肥料なの」


 そして、その蟹肥料を使ってから収穫された作物は、体力、疲労回復の効果が高くなる。また、状態異常全解除か、ランダムステータス上昇のオマケが必ずついてきた。

 効果が発生するのが、畑に生えている作物に使用してから1週間後。つまり今日だ。


 プレイヤー間ではそれなり人気商品で、リコリスも片手で数えるほどだがお世話になっている。

 アイテム情報やNPC曰わく、「見た目はなんか怖いが、味はとてもいい」らしく、贈り物としても重宝されていた。


 しかしパール・クラブそのものは巨大でも、肝心の真珠は小指の先程度の大きさしかないわけで、なかなか量は採りにくい。

 しかもゲーム中、つまりこの世界での異変以前では、パール・クラブ発生の時には冒険者ギルドのNPCが海岸に立ち、職業持ちによる真珠目当ての乱獲が行われないよう目を光らせていた。

 まあそれは、新米冒険者の安全に最低限配慮するためでもあったのだけれども。

 今はそんな状況でもなくなってしまったとはいえ、少なくとも昔は、高レベルのプレイヤーには入手困難なアイテムだったのだ。


「私も滅多に使えなかったんだよね。貴重でさ、こんなに使ったの初めてかも」


 実際に頑張って集めてくれた弟子たちに、リコリスが「ありがとね」と微笑んだ。


「うふふ、お気になさらず~。しっかり食べさせていただきますからぁ」

「しっかし、なんつーか……見た目がすごいッスね」


 リコリスと同じような細目になったウィロウが、そろりと畑を窺いながら呟く。

 確かに、馴染みある形なのに色だけが真珠色で、しかも輝いているというのは、万人受けはしなさそうだ。


(実は私もここまで不気味とは思ってなかったっていうね……)


 ゲームのグラフィックと実物とでは、違和感が桁違いだ。

 ジェンシャンのようにすんなりと受け入れられる人間の方が少ないかもしれない。


「まぁ、収穫したら食べてみてよ。騙されたと思って」


 そう笑ってみせるリコリス自身も白い野菜の味をまだ知らない、というか思い出していないわけだが、結構な数のNPCが口を揃えて美味しいと言っていたのだから、楽しみにしていいはずだ。

 味について全く心配せず、楽観的なリコリスの考えを裏付けるように、隣の相棒も頷いてくれる。


「そうですね。味はいいですよ。味は、ね」

「そ、そッスか……」


 妙に説得力のある断言に、気圧されたウィロウが頷く。

 と、ファーがそんな仲間の背を叩いた。


「バッカだなぁ、ウィロウお前、師匠の作るもんが不味いわけねぇよぉ。野菜でも飯でもさ、いっつも美味ぇだろ~」


 そう言って、顔に似合わずつぶらな瞳をキラキラさせ、リコリスを見つめる。

 そこにはいかなる疑いも不安もからかいも存在しない。

 信じる、信じないではない。師が与えてくれる食べ物は美味しい、と彼の中では決まっているのだ。


(わぁ、プレッシャー)


 無垢な期待が痛い。いつの間にそんなハードルが上がったのか。

 冷や汗を禁じ得ない師の心の内など知らないファーは、何を思い出したのか、ふと口元を緩めた。


「あの蟹鍋も美味かったなぁ~」


 海水浴の翌日に皆で食べた鍋のことだ。蟹の真珠と美味しい物が頭の中で結びついたらしい。

 想像だけで、今にも涎を垂らしそうな、うっとりした表情を浮かべている。


「あー、それは確かに! めっちゃ美味かったな、アレ!」

「あんなに美味しいお鍋……初めてでした……」

「そ、そうですわね。わたくし『お鍋』というのは初めてでしたが……とても美味しいものでしたわ」


 ファーの回想が、いとも簡単に仲間たちに伝染していく。「この世で最も美味なもののひとつ」とまで言われるパール・クラブは、見事彼らを虜にしたらしい。

 その様子を見て、リコリスが苦笑しつつ頷いた。


「食べたくなったらまた言って。材料まだたくさんあるし」


 原材料はまだまだ大量に冷蔵庫の中に浮いている。それも、1年毎日蟹鍋をしてやっと食べ切れるかという量が。

 弟子たちの意向でスィエルの町の人々に配り、自分たちも腹がはち切れんばかりに食べたが、それでもまだ余る。

 リコリスは改めて、蝙蝠ポーチや冷蔵庫のありがたみを痛感していた。本当に、心から。


 それにしても、そこまで気に入ったのなら、今日の夜にでもまた鍋にしようか。

 幸いにして、蟹鍋はライカリスの好物でもある。文句は言われないだろう。

 そんなことを考えたところで、


「えっ、マジッスか! じゃあ食べたいッス! 今から!!」

(いま)から?! 重いなっ」


 予想外の要望に、リコリスの声がひっくり返った。

 さすがにぎょっとしてしまった彼女に、チワワ(ファー)の視線が降り注ぐ。

 他のメンバーの顔にも「あ、いいかも……」と書いてあるし。


 蛸、ネギ類を除いて、塩分を控えた専用鍋を食べたウィードも、ペオニアの足元からチラッチラッと視線を投げかけてくる。

 加熱済みの蟹なら少量ならば大丈夫と与えてみたのだが、思いのほか悪くなかったようだ。出汁がよかったからか。


「あー、まぁ……いいんじゃないですか?」


 その上、隣の相棒にまでそんなことを言い出されては、リコリスに拒否できるはずがない。


「分かった、分かった。――それじゃ準備するから、ペオニア手伝ってくれる?」

「はい」


 ペオニアが微笑んで歩み寄ってくる。


「あぁ、甲羅は私が割りますよ。少し待っていてください。これ置いてきますから……」

「あっ、ライカリスさん、それは俺らが!」


 飼料置き場に向かおうとしたライカリスに、チェスナットが慌てて駆け寄った。

 当然ウィロウとファーもそれに続き、ライカリスも特に抵抗せず無言で牧草を降ろす。異論はないようだ。


「では私たちは動物小屋を回ってきます」

「うん、よろしく~」 


 リコリスに会釈してから、姉妹が動物たちの元へ歩き出す。


「……」


 彼女たちを見送り、リコリスについていくペオニアを振り返ったウィードは、しかし結局、全部で4束ある牧草をどう持つか、試行錯誤している男たちに加わっていった。


「おぉっ? 手伝ってくれんのか、ウィード」

「わふ」

「お前、ホント賢いよなー」

「犬なのに、俺らより頭いいんじゃねぇか~?」

「……」

「………………わん」


 はしゃぐチェスナットとファーに、沈黙を守るウィロウ、妙な声で応じるウィード。

 脳天気な仲間を、1人と1匹はどんな顔で見ているのだろう。

 温度差のある会話を背に、リコリスはキッチンへと歩を進めた。




■□■□■□■□




 賑やかだが不思議と穏やかな日々。

 解決すべき問題も多く残っているとはいえ、愉快な仲間たちに支えられるこの時間は、これからも変わらず続いていくのだろう――そう思っていた。


 あの日、季節の移り変わりを知らせる風が吹き始めた牧場に、



「総員退避――っ!!」



 リコリスの半笑いの叫びが響き渡るまでは。

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