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第74話 宵闇の意義

 ゆらりゆらりと、海風に揺れる松明の火に照らされながら、繊細さとは縁のなさそうな分厚い手が、淡く輝く小さな真珠1粒を深緑の小袋に落とす。大事に大事に。

 きゅっと袋の口を紐で締め、改めてそれを握り締めた。


「…………へへ」


 手元に視線を落としていた幸せそうな満足顔が、直後ゆっくりと真後ろに傾ぐ。


「おい、チェスナット?」

「……」


 仲間の声に応えぬまま、チェスナットの巨体は砂浜に倒れ込んだ。ばすっと重い音がして、砂が舞い散る気配がした。

 先程まで大量に飛び散っていた蟹の甲羅は、真珠を手にしたチェスナットが歓喜の雄叫びを上げた直後に消え始め、今はもうその欠片の1つも残っていないから、当然倒れたのも砂の上。怪我をすることもない。

 HPにも異常はなく、ただ状態異常の欄に『睡眠』とあった。緊張の糸が切れたのと、疲労とからきたのだろう。

 近くにいたジニアが仰向けのチェスナットを窺い、


「……寝てます」


 やはり、リコリスの得たデータと違わない情報を告げた。


「あらあらぁ。……、えぇ、意外と……可愛い寝息ね」


 妹に続いてチェスナットの様子を確認したジェンシャンの声に笑いが混じる。

 そういえば、この弟子の見た目なら豪快ないびきのひとつも聞こえてもよさそうなものだが、不思議とそれがない。

 姉妹の微妙な反応に釣られて耳を澄ませたリコリスの耳に、波の音にも負けそうな、微かな寝息が届いた。


「ぷぉーん、ぷぉーん……」

「?!」


 初めて聞いたこんな寝息。しかも本当に意外と甲高い音で、聞きようによっては何か可愛い系の生き物の鳴き声のような……。

 行動を共にしているウィロウは慣れているのか驚く代わりに、苦笑いして肩を竦めた。


「そうなんスよね。こいつ、寝息だけは妙にコレで」

「そ、そか……」


 厳つい大男なら豪快にいびきをかいて当然というのは多分偏見だ。別に、可愛らしい鳴き声でも誰に迷惑かけるでなし。

 ……と思いはするのだが、やはりこう言っては悪いが、全く似合わない。そう思えば思うほど笑いが込み上げてくる。

 ふ、とリコリスが殺しきれずに零した笑い声を合図に、誰かが釣られるように吹き出して、そうなってしまえば後はもう。呆れたような顔をしている約1名を除いて、じわじわと笑いの輪が広がっていった。


 目尻に涙を浮かべるほど笑いながら、リコリスはふと考えた。チェスナットの寝息はただの切欠だったのだろうと。皆、真珠探しでギリギリまで追い詰められていたのが、不思議な鳴き声で決壊したのだ。

 こうして笑えるのも、弟子たちが揃って目的を達成できたからと思えば、感慨深くさえある。楽しい時間だった。




 ひとしきり笑った後は、やや駆け足の夕食となった。といっても急かしたわけではなく、弟子たちの空腹具合から、怒涛の勢いで食べ物が吸い込まれていったのだ。

 昼の残りの魚介類や、夕飯用に用意していたおにぎり惣菜その他。チェスナットのご飯は蝙蝠ポーチの中に確保されてはいるが、それ以外はもう跡形もない。

 それから一服して、戦い疲れの弟子たちがうとうとし始めたところで、リコリスが立ち上がった。


「――よし、じゃあそろそろ帰ろっか。ナイト、よろしくね」


 日はとっくに沈んでしまって、現在は20時半。この海岸からスィエルの町まで約4時間弱かかるから、帰り着く頃には深夜だろう。家妖精たちには遅くなると伝えてあるし、弟子たちは明日は休日の予定だから、特に問題はない。


 喚び出されたナイトたちが弟子たちを抱え上げたのを確認して、リコリスは砂に刺していた松明を引っこ抜いた。一振りすれば、一瞬で火が立ち消え暗闇が戻ってくる。


「きゃっ」


 急に明かりがなくなったことで、ペオニアが小さく声を上げた。

 松明の火は大きくかったとはいえ、それに目が慣れていたためか、周囲の闇は一層濃い。頼りになるのは、ぼんやりとした妖精の光だけだった。


「く、暗いですわね……」

「あぁ、そっか」


 怯えた様子のペオニアが、彼女を抱きかかえるナイトに擦り寄るのが薄らと見える。

 皆疲れきって寝てしまうかと思って消灯したが、ペオニアはそんな状態でも暗闇が恐ろしいようだ。まぁ屋外で、しかもこれから山の中では、無理もないかもしれない。

 リコリスはその様子を確認し、もう一度松明を振った。


「じゃあナイト、これ持って」


 再度灯って周囲を明るすぎない炎で照らした松明を、ペオニアを抱えているナイトに手渡した。

 どうやら他の弟子たちは今の一瞬の暗闇で瞼が上がらない状態まで追い込まれて、多少の明るさは気にならないようだし、これならペオニアが眠った後で消すのでも問題はなさそうだ。

 ナイトが小さく頷きながら松明を受け取るのを、ペオニアが安堵の表情で見つめる。が、ふと首を傾げてリコリスに視線を投げた。


「この海岸に、灯りを設置したりは致しませんの? その、今の松明やランプ等を置いたままにすればよろしいのに」


 確かに、またこの海に遊びに来ることを考えれば、何かしら光源を設置した方が便利ではある。

 リコリスの持つ松明は消耗品でない、永続使用可能なマジックアイテムだ。見た目が松明なだけで、火に触れても熱くもないし、放置しても火事になることもない。さすがに水中での使用はできないが、雨天くらいならば問題はない……けれども。

 それでもリコリスは苦笑を浮かべてから、海の方を見やった。


「んー、それは無理かなぁ。この海岸には、海亀が来るから」


 今日が終われば、暦は夏の3の月となる。

 夏の最後の月、この海岸には海亀が上陸してくることを、リコリスはゲームの経験からだが知っていた。

 ゲーム中では上陸した海亀の行動まで細かく設定はされていなかったが、彼女たちが陸に上がる目的といえばやはり産卵。実際、3の月の後半、50日から80日のあたりでは、この海岸で小亀の存在を確認している。


「海亀、ですか?」

「そういえば、昔何度か見にきましたね」

「そうだね」


 リコリスを抱き上げようと隣に立ったライカリスが、ふと動きを止めた。

 表情はよく見えないが、なんとなく懐かしんでいる気配がある。


 確かに、ゲーム内ではリコリスは時折、海亀の存在を確かめにこの海岸を訪れていた。ライカリスを伴って。

 海亀の産卵や孵化は、基本的には深夜から夜明け頃。

 光に敏感な彼女たちに遠慮して松明は使えなかったため、微妙に空が白んだような、そんな時間に、相棒と2人、その上陸を待っていた。


(あの頃は、なんかこう……もっとツンツンしてたかも)


 ゲーム中では場所や時間などの環境に応じて、連れているパートナーNPCが喋りかけてくれた。

 海亀見物の時には、夜明け前と海岸という条件で「眠いんですが……」とか「あなたは本当に海が好きですよね……はぁ」とか、そんな台詞をよく聞いたものだ。ちなみに後者は好意的な発言ではなく、呆れの色が濃かった気がする。ため息つかれたし。

 ゲームでは始終そんな感じだったが、実際にはどんな会話をしたのだろう。いつか思い出せるとは思うが、チクチクと嫌味を言われたであろうことは予想できた。


(や、でも深夜に連れ出しで、海岸で待ちぼうけだったし……付き合ってくれただけで十分優しいか)


 しかしやっぱり態度はひどかった。だって、この相棒がここまでリコリスに甘くなったのは、多分彼女がこの世界に戻ってからのはずだから。

 記憶はおぼろげ以下なのにそれだけは妙に確信できてしまって、少し面白い。


「……何か考えてます?」

「ん? んー」


 反応が不審だったのか、ライカリスが訝しげに問うてくる。

 ぼんやりとしか見えない相棒の顔を見上げ、リコリスは曖昧に微笑んでみせる。


「まぁその、……よくついてきてくれたなって思っちゃった、かも」

「自分で言いますか、それ。断ったら1人で行くって脅したくせに……」

「脅しかぁ」


 それが脅しになってしまうのだから、どれだけ態度が悪くても本当は、というやつだ。

 この相棒は、いつだってリコリスに優しかった。昔も、今も。……最初以外は。


「何か言いたそうですね」

「ううん、別に!」


 しかしこのままでは根掘り葉掘り問い詰められてしまいそうで、それはまずいと話を打ち切る。有無を言わさない笑顔を意識して。


「――ごめん、ペオニア。それでね」

「は、はいっ?!」


 急に話を戻されペオニアの声がひっくり返った。


「まぁ、その海亀の子が孵化した後は明るい方に向かうんだけど、灯り置いちゃうとそっちにいっちゃうんだ」


 本来ならば、小亀たちには海の方が明るく見えているから、そちらに向かっていく。だが光源を別に作ってしまうと、光に呼ばれるように藪の中だろうが構わず登ってしまうのだ。

 海の中ももちろん安全ではないが、海に入ることすらできなかった小亀がどうなるのか、考えるまでもない。自然の中でその数を減らすのと、人工的に全滅させるのとでは意味が違う。


 照度の低い黄色照明に覆いを掛ければいいと聞くが、リコリスも専門家ではないので詳しくないし、そもそも海亀のこと以外にもどんな影響が出てくるかも分からない。

 もしかしたら、この世界はリコリスのいた世界とは違うから、海亀も光くらいでは動じないかもしれないし、牧場主の持ち物だということで影響が出ない可能性もある。だからといって、そこに賭けることなどできるはずがない。

 牧場からここまでの距離やかかる時間を考えると、とてもではないが管理もできないから。責任のもてないことはしたくないし、できなかった。――故郷の悲劇を思えばこそ。


「そうなのですか……」

「うん。だから暗いのは怖いと思うけど、ごめんね」

 

 あまりにも具体的で残酷な話は避けて説明したが、伝えたいことは伝わったらしい。

 ペオニアは首を横に振ることでリコリスの謝罪に応え、「我侭を申しました」と頭を下げた。


「いや、これは私の都合だし」

「そんなこと……」

「――はいはい。話はつきましたね」


 謝罪の応酬を始めかけた2人の間に、ライカリスが冷静な声で割って入った。

 それと同時に、リコリスの体が浮き上がる。


「え、あっ」


 例によって、あっという間に抱きかかえられ、しかしいつも通りとはいえ多少の驚きでもって見上げた先には、相棒の苦笑があった。


「展開が見えていたので……省略、ということに」


 口調こそ笑い含みで柔らかく宥めるものだが、足は既に山の方へ向いてしまっている。足取りは淀みなく、今の今までリコリスが会話していたペオニアを、振り返りもしない。

 ペオニアの方もその空気を読み取ったのか、あえて追い縋ってくることもなかった。リコリスもまた。

 ただ、ライカリスがペオニアたちに完全に背を向ける直前、そっと視線を投げたり投げ返したりしただけだ。




 疲れなど微塵も見せないライカリスは、リコリスを抱えたまま変わらぬテンポで砂を踏んでいく。

 さくさくと、潮騒に混ざって聞こえていた控え目な音は、やがて草を踏むそれへと変わり、海岸への別れを知らせてきた。


(ちょっと疲れたかな……)


 力いっぱい泳いだ後の、心地よくも懐かしい倦怠感が体を満たしている。

 もちろん、そんなものは、楽しい海水浴から一転、唐突な修行に見舞われた弟子たちの比ではないのだが。

 それでも、この状態で相棒の腕の中というのは、どうにも抗い難い睡魔を呼び込んでしまう。ライカリスもそれを分かっているのか、あえて話しかけてはこない。

 しかしリコリスは寝たくない。眠ってしまうにはまだ早い、勿体ないと、余韻を惜しむ気持ちと、それからもう一つ。

 遠のく潮の音を名残惜しく聞きながら、欠伸を噛み殺し、目を擦り擦り。それから、相棒の胸に頬を預けたまま視線を持ち上げる。


「……ライカ」

「どうぞ寝ていてください。私に気を遣わなくていいですから」


 ゆっくりと吐き出しかけた言葉は、ゆっくり過ぎたのかいとも容易く先回りされてしまった。


「でも……」

「疲れているでしょう。明日に差し支えますよ」


 駄々をこねるリコリスの肩を、ライカリスが軽く叩く。繰り返し繰り返し。

 その一定のリズムの意図は明らかだ。子どもを寝かしつけるための手、そのもの。


「うぅ~」

「ほらほら、意地を張らずに」

「だって」

「だって?」


 苦笑して問いかけてきながらも、肩を叩く手は止まらない。


「……ライカも疲れてるでしょ」


 職業(クラス)の違い、鍛え方の差はあれど、ライカリスの今日の運動量は弟子たちに劣るものではない。

 往路だけならばともかくも、帰りにまでと、どうしても考えてしまう。


「――そうだ! ライカも妖精に」

「それは遠慮します。色々な意味でね」

「……」


 最後まで言わせてもらえなかった。

 遮られてリコリスが思わず黙った一瞬に、相棒は小さく息を吐いて。


「これは私の特権なんです。……取り上げてないでください」

「……っ!」


 歩みは既に山の中。

 草を踏み、葉が擦れる音に負けそうなほど微かな囁きだったが、確かにそう聞こえた。……聞こえてしまった。甘えるような懇願の響きと共に。


 完全な真っ暗闇ではなくともやはり周囲は暗く、間近のライカリスの表情も窺い知れない。

 一体どんな顔をして、こんなことが言えるのか。知りたいような、知りたくないような。

 気にはなるが、今は安堵の方が強かった。


(く、暗くてよかったぁ)


 リコリスよりも夜目の効くライカリスだが、さすがにはっきりとした色彩までは分からないだろう。

 そう思いつつも、鏡を見なくても分かるほど熱をもった顔を、彼女はそろりと俯けた。


「んー、分かった……」


 平静を装っているつもりだが、成功しているだろうか。

 気が気ではなかったが、幸いにして、そこに触れられることはなく。


「よかった。さ、遠慮なく寝てくださいね」

「……」


 どことなく嬉しそうな声に促されるまま、リコリスは素直に目を閉じる。

 未だに動悸の激しい胸の内で、


(寝られるかっ!)


 そんなことを叫びながら。

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