第71話 朱の海に剣を掲げよ
パール・クラブというモンスターがいる。
甲羅の内側中央に真珠を持つ、一抱えもある巨大な蟹のモンスターだが、これが夏の2の月のみ10日おきに、スィエルの町の北に位置する海岸に、海を赤く染めるほど大量発生するのだ。
身や味噌は美味であり、また真珠は宝飾品としてより、牧場主たちに作物用の特殊肥料として扱われていた。
人間だけでなく、同種以外の動くものに反応して襲い掛かってくる立派なモンスターであり、狩るためには第一職業を取得する程度の実力が必要になる。
故に一般人よりも、牧場主たちに重要視されていた。
リコリス自身、何かと縁のあったモンスターだ。そして、リコリスと共に行動していた、ライカリスにも。
「今夜の鍋が楽しみですね」
足並みを揃えて海岸に押し寄せてきた大量の巨大蟹を見渡し、ライカリスが薄く笑みを浮かべる。
味のいいパール・クラブを使った料理はいくつかあるが、中でも絶品と称される蟹鍋を、この相棒は特に好んでいた。
「いいですか? 本体と足には攻撃を当てないように。足の付け根の関節を狙いなさい」
この男が、こうも親切に助言をしたことが今まであっただろうか。
それだけ浮かれているのかもしれないが、鍋の材料になる足だけでなく、本体に攻撃を当てるなと言っているあたり、意外と冷静のようだ。
(真ん中いっちゃうと意味なくなっちゃうからなぁ)
手早く指導する相棒と、緊張の面持ちでそれに聞き入り頷く弟子たち。
それを横目に見ながら、リコリスはリコリスで作業をしている。妖精を喚び出しては砂浜に埋める作業だ。
埋まった妖精たちは各々砂を掘り進み、海岸の各地点に配置されていた。
パール・クラブのレベルは、アイリスたち姉妹と同程度の30から40。
多少きつくとも、無茶をしなければなんとかなるとは思うのだが、念のためだ。
(よし、こんなものかな)
どんな状況になっても対応ができるよう等間隔で妖精を配置し終え、リコリスは後ろを振り返る。
視線を下げれば、彼女の真後ろにぴったりと引っ付くようにしてしゃがみ込むペオニアが、ウィードを両手に抱え込み、蟹の大群を見つめていた。
気丈にしているようではあったが、その手は微かに震えている。
抱き込まれているウィードの方は、元が職業持ちだけあって、状況を察しているのだろう。ペオニアと蟹とを交互に見ているが、落ち着いてはいるようだった。
「ウィード、ペオニアをよろしくね。周りは妖精で固めとくから」
じっと見上げてくる犬の目には、リコリスに対する怯えはあったが、同時に彼女の言葉への了解も見て取れた。
周囲は今言ったように妖精たちに守らせるし、アイリスたちが戦いに出る以上、落ち着かせる役目としてはウィードが最適だ。これならば大丈夫だろう。
「――じゃあ、そろそろ、」
ライカリスがあらかた説明を終えたところで、蟹の最前列はもう砂浜の半ばに達していた。
各々がぎこちないながらも得物を構えたのを確認し、
「行ってらっしゃ~い」
師は弟子たちを笑顔で送り出した。
気合の入った雄たけびを上げながら、弟子たちが武器を振るう。
完全に囲まれてしまわないよう、常に仲間に背を預ける形になるよう立ち回りに気を配っているのが、遠目にも分かった。職業取得に手が届くまで修行した成果はあるようだ。
だが、ライカリスとしては不満もあるらしく、忌々しく舌打ちをする。
「あれほど本体を叩くなと言ったのに……」
「んん、でもまぁ、結構難しいからねぇ」
関節を狙えと指導をされても、やはり難しいだろう。それが本番開始の直前であればなおさら。
リコリスとしては、それが何やら懐かしい。
ここの蟹ステージを含め、世界中に点在している狩場のいくつかは、レベル50より上のモンスターを狩るための練習場なのだ。
何をどう練習するのかというと、部位破壊という狩り方だ。
人間がちょうど職業を取得するレベルを境に、モンスターもまた変わってくる。
ただ単純に攻撃力が上がる、硬くなるというだけでなく、体の特定の部分を壊すことで得られるアイテムが変化するのだ。当然、貴重なアイテムほど部位破壊は困難になる。
ゲームでの狩りでは、上手くクリックすることでその部位それぞれをHPのバーを表示させてから攻撃に移る。だが、攻撃を当てるためには側面や背後と、実際に当たるであろう場所に回りこまなければならなかった。
時には、常にジャンプしながらでなければ、なかなか目当ての場所に攻撃が当たらないモンスターも存在した。例えば、薬になる角を生やしたドラゴンとか、カツラを被った巨人、とか。
ゲームでの経験だが、奪われたくない巨人が必死でガードするものだから、カツラ奪取は特に苦労したものだ。
実際に生きてきたリコリスのその辺りの記憶は今はまだないけれど、こうして苦労する弟子たちを見て妙に懐かしい気持ちになるのは、きっと同じ道を通ってきたからなのだろうと思う。
勢い余って甲羅のど真ん中を潰してしまって「あっ」という顔を繰り返しているチェスナットやファーを微笑ましく眺め、リコリスは軽く肩を竦めてみせた。
「ま、今回のメインはウィロウだからね。ウィロウの分さえ上手くいけば、上々でしょ」
焦らない、焦らない。苛々し始めている相棒を、のんびりと宥める。
今言った通り、肝心なのはウィロウなのだから。
そのウィロウは仲間たちと同じく必死の形相ではあるが、2本の短剣を器用に繰り出して、関節を切り落とすことに多少だが成功し始めていた。
それに加え、3姉妹の方もまた、なかなか上手く蟹を仕留めている。
こちらは姉妹だからこそなのか、息を合わせての攻撃が見事だ。
決定打に欠けるジニアが蟹の気を引き、ジェンシャンがロッドを上手く使って動きを抑えたところを、アイリスが一刀両断。
3弟子にレベルでは劣るものの、コンビネーションで勝る彼女たちの方が効率はよさそうだった。
「アイリスたちやるなぁ」
「彼女たちの方が、仕事は丁寧ですね」
「性格出てるよね」
「確かに。……ふむ」
リコリスと会話しながらも、冷ややかな目で彼らを見つめるライカリスは、時折何事かを呟いている。
どうやらそれぞれの動きから、矯正箇所を確認しているらしい。おそらく、これからの修行に役立てるつもりなのだ。
たまに舌打ちが挟まれるのが、今後の厳しさを物語るようだった。
リコリスもまた、弟子たちから――否、むしろ蟹から目を離さないでいる。
例えば1匹だけレベルが高い蟹や、スキルを使うような蟹がいないかどうか。
本来ならばそんなものは存在しないはずだが、異変以降モンスターにも何か変化がなかったとは言い切れない。特に、天敵の牧場主がいなくなってから、長生きついでに突然変異、みたいなこともあるかもしれない。
先日のヴァインバンヤンはあれは人為的なものだったが、似たようなことが自然にないとも限らないのだ。
そんな蟹がいれば、一般的な蟹と同等の実力しかない弟子たちでは対応がきっと難しい。
大怪我をさせるために海に連れてきたわけではないから、そこのところはしっかりと見張っておかなければと思う。
弟子たちに群がる蟹の中には、今のところおかしなものはいないようだったが。
「うおおっ! やった、できたああああ!!」
そうこうしているうちに、チェスナットが歓喜の声を上げた。
片手の斧で上手いこと蟹を突き倒し、もう片方の斧を鋏の下に潜らせるようにして、足を叩き切ることに成功したのだ。
初めての成功らしく、飛び跳ねて喜ぶその気持ちは分かるのだが、その一瞬は激しく無駄な動きだ。
「おい、チェスナット! 喜ぶのは後にしろ!」
チェスナットの背後を取った蟹との間に、ウィロウが慌てて滑り込んだ。
仲間に注意を呼びかけながら、短剣で鋏の攻撃を弾き、しかしさすがに部位破壊を狙うほどの余裕がなかったのか、諦めて甲羅のど真ん中を蹴り倒す。
と、そこにすかさず駆け寄ったファーが、棍棒を振り下ろして関節を破壊した。
それはそれは見事な、漁夫の利だった。
「やったぜぇ!」
「あああっ、ずっりぃぞ、ファー!!」
「だからお前ら、そういうの後にしろって!」
彼らはこんな時にも彼ららしい。
普段であればそんな光景には3姉妹の誰かからツッコミが入りそうなものだが、彼女たちは真剣な面持ちで蟹退治に勤しんでいて、それどころではないのだろう。
(ホント、性格出るなぁ)
勤勉さと効率なら3姉妹、危なっかしくも楽しそうなのは3弟子だ。
3弟子のやり取りには、隣の相棒が相当苛々しているが、リコリスとしては、あれはあれで構わないと思った。
楽しいのはいいことだ。信頼できる仲間がいることも。
「あ、でもほら、コツ掴んだみたいじゃない?」
見方の厳しいライカリスの腕をつついて、リコリスが弟子の1人を指差した。
最初の成功を、チェスナットが忠実に再現しようと、試行錯誤しているのが分かる。その全てが成功とはいかないが、それでも先ほどまでとは動きが変わってきていた。
考えなしの攻撃が、考えながらのそれに変わり、更に考えるよりも自然な動きになる。それが目に見えて分かった。
同時にいまいち動きの鈍いファーは、相変わらず積極的には動いていなかったが、怠けているように見えて実はじっと仲間の動きを見ていた。
じっと、じっと様子を窺い、どうやら敵は転がせば上手く仕留めやすいと気づいたらしく、棍棒でせっせと蟹の足元を掬い始めた。
背後に必ず仲間がいるように移動しながら、相手をするのは正面からの蟹だけだ。横からの襲撃はさりげなく避けて。
そして上手く転がせたなら、そこで改めて関節を狙い、失敗したら無理には追わない。
たまに仲間が仕留めそこなったものを掠め取ったりもしているから、一番動いていないようでいて、意外に侮れない。
もっと言えば、それを理解していて、あえてファーの方に蟹を転がしているのがウィロウだ。
譲っているというよりも、仲間の手柄に見せかけて手間な作業を押し付けている、というのが正解のようだったが。
時間の経過と共に弟子たちの戦闘は無駄が省かれ、姉妹だけでなく6人全員での連携も見られるほどになってきた。
蟹の動きは基本的に単調で、実践の訓練にはもってこいだ。
順調に慣れていく弟子たちの動きは、見ていて非常に面白い。余裕が出てきて増えてきた、漫才のような短いやり取りも。
レベルがレベルだけあって、蟹たちは一切リコリスたちには近寄ってこない。
そのため余裕をもって高みの見物を決め込んでいられたが、不意にリコリスが耳を押さえ眉を寄せた。
「――ん」
「何かありましたか」
小さく漏らした声に、ライカリスが即座に反応する。
それまで纏っていた苛々が、さっと警戒へと変化した。
「うん、波打ち際の妖精が……」
耳を押さえたまま、送られてくる妖精の声に耳を傾ける。
海底を進み来る蟹の群れの向こう、何か蟹の比ではない巨大な影が見えるという。
「何か、大きいのが来るみたいって」
「大きいの、ですか」
「って言ってるけど……どうしよ。とりあえず、下がってもらおっかな」
白熱している弟子たちの戦いに水をさすことはしたくはないが、やはり下がらせた方が安全だろう。
浜に上陸する前に妖精に仕留めさせてもいいが、その影はまだやや遠いところを行ったり来たりしているという。
それならば、今のうちに呼び戻してしまえ。
砂の中に仕込んだ妖精のうち、弟子たちに近い者に指令を出す。
それに従った妖精が、蟹を数匹弾き飛ばして砂の上に飛び出した。
『えぇ?!』
驚き固まる弟子たちを、風のように掻っ攫って妖精たちが走り出す。
それは瞬く間の出来事で、彼らが戻ってくるのもまた一瞬だった。
「おかえり~」
妖精に抱えられ、ぽかんとしたままの弟子たちが、砂の上に下ろされる。
彼らは師の笑みを見、遠退いた蟹の群れを振り返ってから、また顔を前に戻して、それから顔を見合わせた。
どうやら急に戻されすぎて、状況についてこれていないようだ。
「……終わり、ですか?」
戦い足りないのか、あるいはせっかく慣れて楽しくなってきたところだったからなのか、心なしか残念そうにアイリスが問うてくる。
それにリコリスは緩く首を振った。
「ううん。そうじゃないんだけど――」
正体不明の物体接近のための、一時撤退だ。状況にもよるが、続きはまた後で。
そう説明しようとしたリコリスの言葉は、それを告げる前に遮られた。
――突如海に立った巨大な水柱と、それに伴う音によって。
『!』
その場の全員が突然の轟音に目を見張り、その視線は海へと釘付けになった。
海水でできた白い柱が飛沫を撒き散らし、ついでに大量の蟹も撒き散らす。
蟹としては規格外に大きいはずの蟹が、小さく見えるほど遠くなのに、その水柱は距離を感じさせないほど大きく。
それに気を取られていたが、よく見れば海面から砂浜へと、真っ黒い影が移動するのがリコリスには見えた。
どうやらあの水柱は海から何かが、十中八九妖精の報告にあった影が、海から跳ね上がったためにできたのだ。そして、その跳ね上がった何かは太陽を背にし、上空で弧を描いて海から砂浜へ。
落下の衝撃で大量の砂と蟹が吹き飛び、舞い散り。
しかし本体には特にダメージもない様子で堂々とその場に陣取ったのは、立派な8本の足を持つ、
「……蛸?」
「蛸ですね」
――見上げるばかりの、化け蛸だった。
(レベル……150、か)
咄嗟に確認した化け蛸のレベル。これは、今の弟子たちでは絶対に相手にはならない。
着地するなり周囲の蟹を手当たり次第に食べ始めたあの蛸が、人間に対して友好的とも無関心とも思えない。
あの場にいたら確実にこの弟子たちは餌認定されていただろう。
(引き揚げてよかった……)
そう安堵しているリコリスの隣で、ライカリスが短剣を構える。
「ちょっと捌いてきますね」
全く気負うことなく言い置いた相棒が、鍋の具を増やしに走り出した。