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第70話 メインディッシュは唐突に

 豪華な昼食が賑やかに終わり、一転して静かになった午後。

 静けさの原因は食べ過ぎた面々がタープの下やビーチチェア、あるいは直接砂浜に転がって微睡んでいるからだ。

 リコリスが大量に作ってきたおにぎりに惣菜その他、ウィロウが釣ってきた魚に、妖精が素潜りで獲ってきたアワビやサザエまで出揃えば、大人数でも腹は十分すぎるほど満たされた。

 満腹すぎて、さすがにまたすぐに海に出ようという者はおらず、自然と各々で寛ぎの時間に移行したのだ。


(――さて)


 寛ぐ弟子たちを横目に、リコリスはそっと座っていたシートから立ち上がり、海とは反対の方向へと向いた。

 砂浜が途切れ、山に入る手前の木の影に、ライカリスが座って目を閉じている。


 先ほどのあの件で、どちらともなく気まずい状態が続いているようで、昼食時もお互いあまり目を合わせなかった。

 今もまだ恥ずかしさも居た堪れなさも後を引いているが、謝らなければと思う心の方が強く、彼女はゆっくりとライカリスに歩み寄っていった。


「ライカ」

「はい?」


 遠慮がちに呼びかければ、即座に返事はあった。

 閉じられていた目がリコリスに向けられ、それから少しばかり落ち着きなく揺らいでから、また彼女を映す。

 リコリスもまた同じように落ち着かない心地だったが、どうにか踏ん張って視線を合わせた。

 ただ、いつものように気軽に近づくことはできないままで、目的を口にする。


「えっと……ごめん、ライカ」

「え?」


 何を言われたのか分からない。

 そんな顔をした相棒に、リコリスは困惑の表情で言い募る。


「さっきの、あれ。変なことお願いしちゃって」


 実際のところ、具体的にどう気分を害したのかまでは分からないままだが、やはりあまり気分のいい頼みではなかったはずだ。冷静なようで意外と照れ屋である相棒に、切羽詰っていたとはいえ無理なお願いをしてしまった。

 その後の相棒の態度を思い返して、もう一度「ごめん」と言葉を重ねた。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 その二度目の謝罪が出るまで呆けていたライカリスは、それを聞くなり慌てた表情で立ち上がった。

 手前に立ち止まっていたリコリスとの距離を一瞬で詰め、彼女の腕を掴むと、身を屈めて顔を覗き込む。


「あれは私が悪かったでしょう? 私がリコさんをからかったから」

「いや、でも。私が調子乗っちゃったから、あんなことになったんだし」

「その原因を作ったのは私です。あなたが謝ることはない」

「でも……」


 堂々巡りである。

 このままでは、きっとどちらも譲らない。お互いに自分の非を認め続けそうだ。

 その不毛さに、おそらく相棒も気がついたのだろう。

 同時に口を閉ざし、顔を見合わせて一瞬の間があり、それからライカリスが苦笑して首を傾げた。


「では、お互いに謝って終わりにしませんか」

「そ、そうだね。……ごめんね、ライカ」

「こちらこそ、すみませんでした」


 これは仲直り、なのか。

 考えていた結果とは違ったが、それでも許しを得たことに安堵していいはずだ。

 胸を撫で下ろしかけて、ふとリコリスは思考を止めた。


(あれ、なんか、近……)


 そこでようやく思い至ったのだ。

 必死で自覚がなかったが、随分と間近で言い争いをしていたことに。

 腕を掴まれて、顔を覗き込まれていたのだから当然といえば当然なのに、今の今まで気がついていなかった。いっそ気づかないままでいられればよかったものを。


「……っ!」

「? リコさん?」


(ひえぇっ)


 近い近い。

 叫びだしそうになったのを、しかし無理矢理抑え込み、リコリスはあえてゆっくりと首を振った。


「な、何でもない。……あ、そろそろ向こう戻る?」


 タープの方を指差し問えば、それで誤魔化されてくれたのか、ライカリスも緩く微笑んで。

 しかし頷くことはなく、リコリスの腕を放すと、代わりに手を取って指を絡める。


「私はもう少しここで休憩していますよ。リコさんもどうですか?」


 ここ、と示されたのは、今まで彼が座っていた木陰だ。

 海を見渡す場所であり、潮騒と葉擦れの音が耳に優しい、涼むには絶好と言える。


 そこに、問いかけてておいて返事を待たないライカリスが元のように座り直して、リコリスも黙ってそれに倣った。

 「どうですか」と問われたにもかかわらず、彼女には選択肢が用意されていなかった。

 手を繋がれているのだから、離れることもできず、立っているのも不自然だから、隣に座るしかないのである。

 握られた手を、振り払えるわけもないのだから。


(今まで通りなのに……)


 顔を直接見なければまだ平静を保っていられるから、リコリスは隣にある肩にそっと頬を預けた。

 誰よりも信頼する相棒の隣でこうしていることが彼女を落ち着かせ、今まで通りのはずの、手を繋ぐだけの行為が、心を浮き立たせる。

 居心地はいいのに、落ち着けないのだ。

 ライカリスとのたわいない会話と穏やかな時間を楽しみながらも、心の内にある矛盾に、リコリスは静かなため息をついた。




■□■□■□■□




 リコリスとライカリスが木陰に居ついてから、どれだけの時間が経ったのか。

 腹が軽くなり微睡みに飽きた面子はとうに海へと戻り、水遊びを楽しむ姿が遠目に見える。

 未だに砂に転がっている仲間を、こっそり埋めている者もいたが。


 昼は過ぎたが、夏の太陽はまだ高い。

 だがそれでも、白から黄に緩やかに変化を始めた日差しを確認したライカリスが、ポツリと呟いた。


「――そろそろですかね」

「……ん。んー、そうだねぇ」


 うつらうつらしていたリコリスもその声に覚醒すると、同じように空を見、それから彼女だけに見える時間表示を確かめて、頷いた。

 時刻は15時の15分前。確かに、もうそろそろだ。


「ポーン、全員連れ戻してきて」


 妖精を喚び出し見送ると、リコリス自身も立ち上がって大きく伸びをする。


「行こう、ライカ。片付けしないと」

「ええ」


 同じく立ち上がったライカリスと共に、リコリスは坂を駆け下りた。




 まだまだ遊ぶつもりでいたらしい弟子たちは、リコリスの放った妖精に唐突に連れ戻され、心なしか残念そうに肩を落としていた。

 リコリスが両手に掲げ持った手提げ蝙蝠が、タープやパラソルをそのまま吸い込んで回収していくのを、切ない顔を並べて見つめている。


「よし、片付け終了」

「もう帰るんスか……?」


 全てを吸い込み終わってリコリスが手を下ろすと、チェスナットが堪りかねたように訊ねてくる。

 いかつい大の男がうっかり幼い子どものようにも見えた。

 逆に、問われたリコリスはといえば、対照的な楽しげな笑みを浮かべて。



「まさか。――ここからが本番だよ?」



 不穏。

 そう表現するしかない空気がその場を支配する。

 美しく楽しい海への名残惜しさを一瞬で嫌な予感へと変えられた弟子たちが、肩を竦め、顔を見合わせた。

 更に、珍しく彼らに笑みを向けたライカリスが、その不安を後押しするのだ。


「期待していますよ」


 常であればあり得ない発言に、弟子たちの誰もが「何に?!」という顔をしたが、言うだけ言って黙ってしまったライカリスに直接問える者はいない。

 恐怖は一層加速する。


「で、次はこっちの準備かな。――蝙蝠様」


 一体何事が始まるのかと怯える弟子たちに向き合ったリコリスが、手提げ蝙蝠を持ち直した。

 どうやら主人と同じく状況を理解しているらしい蝙蝠が、大きく開いた口から吐き出し、吐き出し、吐き出し。1つや2つでない量が飛び出してくる。

 重い音を立てて砂に落ち、物によっては突き刺さる。

 出揃ったのは、大量の武器と防具だった。


「こ、これは……?」

「見ての通り。詳しい説明は後でするから、とりあえず急いで選んでくれる? あと、ペオニアとウィードはライカの後ろに下がってて」

「は、はい」


 戸惑う暇すら与えないリコリスの指令に、弟子たちはまたも顔を見合わせる。

 だが、結局逆らうことはできないと理解しているから、恐る恐る武器を選び始めた。


 とはいえ、並んだ装備は今まで彼らが持ったこともないほど本格的なものも多い。

 すぐに選べるものではないようで、あれでもない、これでもないと右往左往する弟子たちに、黙っていたライカリスがため息をついた。


「仕方がないですね。ではチェスナットさんは斧を。ファーさんは――」


 厳しい態度に声ではあったが、指示をもらえたことには安心したのだろう。

 ライカリスに言われるままに、各々が武器を手に取っていく。

 チェスナットは小振りの斧を両手に、ファーは棍棒、ウィロウはライカリスと同じく双短剣を。

 アイリスはオーソドックスな長剣を、ジェンシャンはロッド、ジニアがメイスを持った。


「こんなものでしょうかね」

「そうだね」


 弟子たちがどの職業(クラス)を望んでいるかは分からないが、何となく将来図が見えるような取り合わせだ。

 興味のないフリをして、この相棒は意外とよく見ている。

 言えば否定しか返ってこないだろうから言わないけれど。


「――さて、そろそろ始まるかな」


 防具も見繕い、全員が慣れない様子ながらも身を固めたところで、リコリスに見える時計は15時ちょうど。

 戦々恐々とする弟子たちに、リコリスは海の方を指し示した。


『?!』


 素直に振り返った全員が、ぎょっと目を見開く。

 閉じることを忘れられた口からは、しかし言葉はなく。

 今の今まで、鮮やかな青に支配されていた美しい世界は、装備を選ぶために背を向けていたほんの数分の間に一変していた。

 空の青はそのままに、海だけがその色を変えたのだ。


 それは夕暮れよりもなお濃い、――赤。


 夕日の時間にはまだ遠く、突然の赤潮というわけでももちろんない。

 それなのに、見渡せる範囲がひたすら赤く染まっていた。


「始まったね。ちょっと下がろっか」


 リコリス自身、この現象を実際に目にするのは初めてのようなもので、なかなか奇妙な光景だった。

 だが、事前に知っていたこともあって、隠せる程度の驚きしかない。

 規則正しかった波が乱れ始めたのを見て、固まっていた弟子たちを砂浜の半ばから山の方へと促した。


「なんか……来てないッスか?」


 移動しながらも海を振り返り振り返りしていたチェスナットが、引き攣った顔で不安そうな声を出す。

 リコリスもライカリスもそれには答えない。すぐに分かることだから。


 果たして、移動を終え改めて海を振り返った弟子たちが見たものは。

 広い海だけでなく、白い砂浜までも染めんとする、――大量の蟹だった。

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