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第68話 海に潜む危険

(やっぱり居心地いいなぁ)


 ほう、と息をつくと、白く細かい泡がコポコポと水面へと上っていく。

 リコリスが今いるのは、水深5メートルほどの海の半ば。

 海の近くの生まれで、泳ぎも得意であるらしいライカリスも、彼女の隣に並んで進む。


 夏の日差しを受けた海の中は明るく、海底近くを魚の群れが泳ぐのがよく見える。群れの向きが変わるたび、銀色の光が放たれ目を引いた。

 それらを見ては指で指し示すリコリスに、相棒はその度に柔らかく微笑んでくれる。

 それで最近働きすぎな心臓がまたも懲りずに大きく音を立て、彼女は慌てて視線を前方へと戻すのだ。


(うぅ、海の中でよかった……)


 顔が赤くなっていても誤魔化せるし、夢中になっているフリをしていれば、問い詰められることもない。

 何より、懐かしさを感じさせてくれる、美しい海。この温かい海水に包まれているのが、とても心地よく、落ち着きのない心を容易に宥めてくれる。

 いっそエラ呼吸ができるようになったら。そうしたら、ずっと潜っていられるのに。

 ちなみにこれは故郷の海でも何度か考えたことだったが、海に入るといつもそんなことを考えてしまうくらい、リコリスにとって海の中は相性のいい空間だった。


(何だっけ、あの、海エリアの……)


 長時間の潜水、で思い出すのは、スィエルの町よりも遥か南にあるコロー・フルールの海だ。


 コロー・フルールの海は適正レベルは500ほどで、レベル的には中堅だが、滞在に時間制限のある特殊マップだった。

 内部は色とりどりのサンゴが海底洞窟内を飾る美しい場所だったが、海の中なので当然人の身ではそう長くは居られない。この海に入る上での前提クエストをクリアし、NPCから【海王の吐息】という1時間だけの補助スキルをかけてもらわなければ攻略できなかった。


(あの半魚人なんて名前だっけ? ヒポ……ヒポ……)


 その【海王の吐息】をかけてくれる半魚人NPC、コロー・フルールの海に生きる半魚人たちの中では賢者とされていたのだが……名前は何と言ったか。プレイヤーたちが皆、長い名前を縮めて「ヒポさん」としか呼んでいなかったから、リコリスも正式名称を覚えていない。

 それはともかく、あの【海王の吐息】があれば、この気持ちのいい海に長く潜っていられるのだろう。


(どうしてるかなぁ、ヒポさん)


 NPCとはいえ、人間ではなかったから、食糧問題が影響しているかどうかも分からない。

 今は訪ねることの叶わない、遥か遠くにあるサンゴの海を思い出したリコリスがそんなことを考えたところで、不意に軽く腕を引かれた。


(ん?)


 そんなことをするのは、今はここには1人しかいない。

 振り返れば、やはり相棒がリコリスの手を掴んでいて、何やら困ったような顔をしていた。

 何事が起きたのかと問いかけようにも、ここは海の中。

 そろそろ息継ぎもしなければならないし、とリコリスは水面を目指して強く水を蹴った。


「――ぷはっ」


 勢いよく水面に顔を出して、大きく息を吸う。

 間を置かずライカリスも浮かんできて、同じように大きく息をついた。

 その呼吸が珍しく乱れているようで、リコリスは首を傾げた。


「どうかしたの? ライカ、大丈夫?」

「あぁ、すみません、大丈夫です……」


 顔を顰めたライカリスが、顔に張り付いた前髪を掻き上げながら、首を振る。

 その様子がやはり、妙に疲れているように見えて、リコリスは相棒の濡れた頬に手を伸ばした。

 普通でない相棒の様子に、照れている暇も余裕もなかった。


「ホントに大丈夫?」

「……」


 頬を撫でる手を素直に受け入れて、ライカリスがまた大きく息を吐き出す。

 それから、困っているような、悲しんでいるような……あるいは拗ねているような、何やら複雑な顔でリコリスを見つめた。


「……すみません、情けないことを言いますが」

「うん?」

「リコさんちょっと泳ぐの早いです……」

「え」


 ぽかんと口を開いたリコリスに、ライカリスはますます気まずそうにして視線を逸らす。

 そうして消え入りそうな声で、ついていくのがやっとでした、と続けた。


「えっと……ごめん」


 気持ちよく泳いでいるうちに、知らずスピードが上がっていたらしい。

 それにしても、この相棒が運動面でリコリスに遅れをとるなどあり得ないこととばかり思っていた。

 驚きのあまり短い謝罪しか口にできなかったリコリスに、ライカリスが眉尻を下げる。


「本当に泳ぐのが好きなんですね。相当息も続くようですし」

「うん……昔からよく泳いでたしね」


 そう自分で言ってから、リコリスは気がついた。


(あれ……そういえば私、普通に泳いでた……?)


 思い返せば、この世界に来る前の彼女と何も変わらずに。そう、体が覚えていた、とでもいうような動きで。

 普通なら、妖精師(フェアリーマスター)故の動きの鈍さは水の中でも変わらないのではないかと思うのに、そんなことはなく。むしろ、陸地よりもよほど体が軽かった。

 それはどうしてだか重要な疑問のように思えたが、ライカリスがため息をついて、それも霧散する。


「ライカ?」

「……リコさん、楽しそうですよね」

「それは、まぁ」


 素直に答えれば、ライカリスはますます不満そうにして、そっぽを向いてしまった。


「え、ちょっと、どうしたの」

「……別に。何でもないです」

「何でもなくないでしょ?」


 背けられた顔の方に移動して覗き込んで食い下がる。

 視線が合って、暗い目をしたライカリスが、ようやく口を開いた。


「…………だって、リコさんが置いていくから」

「えぇ?」

「海の中だと、私のこと忘れてるみたいで」


 どうやら一瞬とはいえ置いていかれたことを拗ねている。

 それが分かって、リコリスは慌てて相棒の腕にしがみついた。


「ご、ごめんね。そんなつもりなかったんだけど」

「……」


 必死で謝るものの返事はなく、おろおろと様子を窺えば、


「……くっ」

「ん?」


 俯いていたライカリスが、細かく肩を震わせていることに気づいた。

 笑って……いる?


「……ライカ」

「す、すみませ……くくっ」


 あの暗い雰囲気はどこへやら、一転していつも通りの声で、しかも笑いながらの謝罪。

 どうやらからかわれたらしい。

 

(本気で心配したのに……!)


 嵌ってしまったらしく笑い続けるライカリスに、面白くないのはリコリスの方だ。

 ぷう、と大きく頬を膨らませると、彼女はしがみついていた腕を掴みなおした。


「えいやっ」

「うわっ」


 しっかりと掴んだ腕を引き、水中で思うように抵抗できないでいる大きな体を盛大に振り回してから、リコリスは勢いよく身を引く。

 突然回転させられ呆然としているライカリスに意地悪く笑って、


「そんなことするライカはホントに置いてっちゃうもんねー」


 宣言して舌を出し、また海中に身を沈めた。


「え、ちょ、待っ――」


 慌てた声が追いかけてきた気がしたが、水に入ってしまえば聞こえない。

 それでも追いかけてくる気配を感じながら、リコリスは次第にスピードを上げていった。


 真っ直ぐ浜に向かうのではなく、蛇行しながら、時折無意味な動きを織り交ぜて、とにかく泳ぐ。

 全力で泳ぐのはいつ以来だろうか。あまり記憶にないことだ。

 ライカリスが先ほど言った通り、水の中では彼もリコリスを捕まえるのは容易ではないらしく、未だ追いついてはこない。

 さて、どこまで振り回そう。あまり苛めても気の毒か。


(んー、もう少し息は続くけど……、……ん?!)


 そう考えたところで、背中と腰の辺りに違和感を覚えた。

 何事か、と疑問に思うより先に、本能で理解して血の気が引く。襲ってくる混乱と焦燥。


(うそぉっ)


 どうやら背中と、ショートパンツの下に穿いていたショーツの紐が同時に解けたらしい。

 そもそも今日のリコリスの水着は全力で泳ぐことには向いていない。それ故の悲劇だった。

 下は上にショートパンツがあるからまだいいとしても、上はまずい。

 しかも、後ろには相棒が追ってきている。

 ごぼ、と口から空気が逃げ、リコリスは慌てて胸元を押さえると、大急ぎで水面に上がった。




「リコ?!」


 急に浮かんで立ち往生したリコリスに、追いかけて浮かんできたライカリスが声を上げる。

 背中の紐だけでも結んでしまいたかったが、残念なことに相棒が追いついてくる方が早かった。

 どうしたのかと問う声に、丁寧に説明する余裕はない。

 どうしたって隠しようのないくらい顔に熱が集まっているのが分かるが、それもどうしようもなかった。


「やっ、ライカ後ろ向いてて……っ」

「えっ? ……あ、は、はいっ」


 真っ赤な顔で水着を押さえるリコリスを見て、すぐに状況を察したのだろう。

 ライカリスが慌てて言われた通りに背を向ける。その耳が赤く染まっていたが、気にしてもいられなかった。


 今のうちに……とは思うものの、立ち泳ぎしながらで、更に動揺もあって上手く結べない。

 というより、後ろで紐を結ぶために前から手を離すのが怖いのだ。

 もちろん、このまま浜まで泳いでいくのも無理だった。遠すぎる。

 そうなると、考えられる手はひとつしかないわけで。


(うぅ……っ)


 きゅっと唇を引き結び、逡巡の末、リコリスはそっとライカリスに手を伸ばす。

 遠慮がちに広い背をつつくと、ぴくりと震えたのが分かった。


「ラ、ライカ」

「……リコさん?」


 困惑を滲ませた声が返ってくる。


「ごめん。あの、……あのね、」


 散々迷って、しかしやはり恥ずかしいものは恥ずかしいが、もうこうなっては言うしかない。

 無理矢理覚悟を決めて、リコリスはどうにか言葉を続けた。


「…………後ろの紐、結んでくれる?」

「……っ」


 調子に乗った数分前の自分を、心底吊るしてしまいたい気分だった。




■□■□■□■□




「さて、お昼ご飯作るよーっ!」


 白いパーカーにすっぽりと包まれたリコリスが、右手に愛用の包丁、左手にウロコ引きを掲げた。


「すごいね、ウィロウ! こんな立派なクロメジナ!」

「ど、どうも……」


 テンションの高さについていけないでいるウィロウが、褒められて照れるより先に困惑を見せる。

 何故にこんなハイテンションなのか、誰もが疑問に思うが聞けないのをいいことに、リコリスは目の前のクロメジナのウロコを取り始めた。

 親の仇かという勢いで、一心不乱に包丁を振るうリコリスを前に、弟子たちが当惑の眼差しを交し合う。


「何かあったのか……?」

「さぁ……。わたくしたちが戻った時には、あの状態でいらしたのだけど……」

「……ライカリス氏も少しおかしいな」


 いつも通り甲斐甲斐しくリコリスの手伝いをしているライカリスだが、彼もまた普段と変わらないように見えてどこかおかしい。リコリスと視線が合うたびに、ぎこちなく逸らすのを繰り返しているのだから。


『………………』


 弟子たちは考えた。

 考えて、



「よし、見なかったことにしよう」

『異議なし』



 ――考えるのをやめた。

ライカ目線、読みたい人いますでしょうか。

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