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第66話 何とかは盲目と申しまして

(恐ろしい格好だったな……)


 体を震わせ、水滴を飛ばしながら、ウィードはそんなことを思った。

 こんな動作にも、いつの間にか慣れてしまっている自分に落ち込むことよりも、今しがた見た光景が彼は忘れられないでいた。


 昼間で自由行動ということで、リコリスとライカリスが去り、チェスナットが浮き輪を持って海に突撃した頃に、ウィードはペオニアたちの元に戻ってきた。

 そんな彼に、



 ――それじゃあ、ウィードちゃん。お嬢様のこと任せたわぁ。



 そう告げて、背を向けたジェンシャン。

 そのあまりにもあっさりとした態度に戸惑うよりも先に、ウィードはその後姿に顎を落としかけた。


 なんというか、紐、だったのである。特に下が。


 思わず顔ごと目を逸らしてしまっている間にジェンシャンは立ち去ってしまったが、ウィードが今人語を話せたとしたら、「隠してくれ!!」と叫んでいたかもしれない。

 信仰上の理由で、牧場に来るまで女性との関わりが極端に少なく、ましてや水着姿など目にしたこともなかった彼にとって、一瞬意識が遠のいたほど、衝撃的な後ろ姿だった。


(破廉恥すぎるだろう、いくらなんでも)


 思い出したくもないが、目に焼きついて離れない。

 この場にいることなくウィードにダメージを与えてくる魔女が、忌々しいを通り越して、心底恐ろしい。

 そんな、炎天下にもかかわらず寒気を覚えて立ち竦んだウィードに、不意に声がかけられた。


「ウィードちゃん?」


 その声に振り返れば、心配そうな顔をしたペオニアがすぐ後ろに立っていた。

 その姿の可憐なこと。同じ水着というカテゴリであるはずなのに、天と地ほどに差があった。


 やたらと露出の多かったジェンシャンと違い、ペオニアの水着はホルターネックのワンピースのような形状だった。スカート部分が長く、膝までをしっかりと覆い隠している。

 上部は白く、腰の下辺りから薄桃色のグラデーションが入っていて、長さの不揃いなデザインの裾付近は濃いめの桃色に薄く花びらが散っていた。

 その上に、薄手で、細い糸でバラの花を編んだ、繊細で涼しげなデザインのカーディガンを羽織り、ワンピースの下には黒いレース編みのレギンスを身につけている。

 元々髪や肌の色素も薄いペオニアだから、全体的に白いイメージで、楚々とした美しさがあった。


(……この差は何だ)


 主人であるペオニアがこうも清楚なのに対し、あの女のアレは何なのだろうと、ウィードは本気で思う。


「暑いでしょう? 海に入ってきてもいいんですのよ」


 遠い目をして動かないでいるウィードが暑さで参っているとでも思ったのか、ペオニアがそっと海の方へ押しやろうとしてくる。

 確かに毛皮もあって暑いことは暑いが、それでも先ほどファーと散々海で水を被ったため、心配されるほどのことはない。

 海へと促す手を避け、彼女の足元に座り込んで見上げれば、離れるつもりがないことが無事伝わったのだろう。困ったような微笑みを浮かべられた。

 それを後ろで見ていたアイリスとジニアが、笑って言い添えてくる。


「大丈夫でしょう、お嬢様。暑くなったら、無理せず涼みにいきますよ」

「……頭のいい子ですから」


 ペオニアと同じく、好意的な視線を向けてくれる姉妹を、ウィードはそっと観察する。


 年の若いジニアの水着は、薄い水色の細かい横ボーダーで、下部分のフレアパンツのやや上、腰周りをゆったりと余らせつつ飾り紐で僅かに絞っているというデザインだった。

 胸元には大きめのフリルがあしらわれており、短い髪は白い花のついたリボンで控えめにまとめている。


 反対に長女のアイリスは、ペオニアやジニアと違って大きく腹部を晒しているのだが。

 飾り気は欠片もなく、トップは白で、下は黒のショートパンツ。

 それだけだが、くっきりと割れた腹筋と相俟って、堂々たる姿に見え、女を感じさせない。色香はないが、とにかく凛々しいのだ。


 そもそも女物の水着のことなど全く分からないウィードだが、この2人は似合っているのではないかと思う。

 何より、ジェンシャンの後姿のように、目のやり場に困ることもない。ウィードにとっては、それが一番重要なことだった。




「――それで、これからどうしたらいいのかしら?」


 頬に手を当て、ペオニアが困った顔で侍女たちに尋ねた。

 海は初めてで、何をすればいいのか分からない、と。

 問われた姉妹は揃って考える風で首を傾げたが、不意にジニアの方がフレアパンツについている小さなポケットから何かを取り出した。


「……貝殻拾いはいかがでしょう? これとか、綺麗ですし、集めても楽しいかと」

「まぁ、本当」


 ウィードの位置からは見えないが、それを見たペオニアが嬉しそうな声を上げる。

 気になって見上げたウィードに気がついたのか、彼にも見える高さにまで、ジニアが手を下げてくれた。

 広げられた手の平の上には、青みがかった白で光沢のある、小さな貝殻があった。欠けたところはなく、綺麗な形をしている。


(こんなもので喜ぶのか……)


 確かに形もいいし色合いも綺麗なのかもしれないが、ウィードには、それはあまりにもささやかに思えた。

 王都で見慣れた貴族たちは、異変の後はやや控えめにはなったものの、昔は特に華美を好み、たくさんの宝石で身を飾る者も多かった。

 ペオニアも、何故この辺境に滞在しているのかウィードには知る由もないが、それでも元々は貴族のはずだ。だが彼女は、こんな小さな貝殻を見て、嬉しそうに笑っている。


「可愛らしいわ」

「では、集めて回りましょうか」

「ええ……でも、アイリスは」


 アイリスが頷き、動き出そうとする。

 しかしペオニアがそれを止めるように何か言いかけたところで、「おぉい」と誰かを呼ばう声が飛び込んできた。


「おーい、アイリスー!」

「チェスナット?」


 見れば、腰の辺りまで水に浸かったチェスナットが、海の中から何度もアイリスを呼んでいた。

 巨大な浮き輪を掲げ持って頭上で左右に振るその隣では、ファーも大きく手を振っている。


「どうした、2人とも?」


 声を張り上げてアイリスが応えれば、チェスナットも同じように大きな声を上げる。


「俺らに泳ぎ、教えてくれーっ」

「はぁ?」


 唐突な要求に、アイリスが怪訝な顔をする。

 だが距離があってその表情に気がつかないのか、あるいは気にするつもりが元からないのか。

 思う存分海を楽しむ、いかつい見た目に反して無邪気な2人は、「早く早く」と期待の眼差しを隠そうともしない。

 その様子を見て、ペオニアが小さく笑い、アイリスを見上げた。


「行っておあげなさいな」

「しかし、お嬢様」

「アイリスも泳ぎたいのでしょう?」

「姉さん、体を動かすことが好きだから……」

「う……」


 ペオニアとジニアにまではっきりと言われてしまえば、意地を張って逆らうこともできないのだろう。

 幾分申し訳なさそうにしながらも頷いたアイリスは、


「分かった、すぐに行く!」


 そうチェスナットたちに告げると、ペオニアに頭を下げた。


「しかし、あまり遠くには行かないでくださいね」

「分かってますわ」

「ジニア、ウィード、お嬢様を頼んだぞ」

「もちろん」

「……わふ」


 女にしては大きくしっかりとした手が、ウィードの頭を一撫でし、離れていく。

 ジェンシャンと同じようなことを言って海へと走り出したアイリスの背を、ウィードは不思議で、複雑な気持ちで見送った。


(何故、私にまで)


 妹であり、同僚でもあるジニアに後を任せるのは分かる。

 だがそこに、あまりにも自然にウィードを並べるのは何故なのだろうか。


 本当は、ここにいたから、ついでに声をかけただけなのだろうと、分かってはいる。けれど、どうしても思わずにはいられない。

 人の手もない、言葉を話すこともできない。今の自分はただの犬でしかないのに、と。

 ついでだったとしても、悪意のない、信頼ともとれる言葉。それは蔑まれる生活を強いられたウィードにとって、決して嫌なものではなく、むしろ心地よいとすら感じるものだったが、同時にどうしてだか苦しくもあった。


「では行きましょうか」

「はい、お嬢様」


 何とも言えない気持ちでいるウィードには当然だが気がつくことなく、ペオニアがジニアを伴って移動を始める。

 それで我に返ると、ウィードもまた彼女たちの後ろについて歩き出した。


(探してみるか)


 女たちの華やかな声を聞きながら、ウィードもまた足元に注意して歩みを進める。

 先行く人間たちの歩みは、足元を確認しながら当然ゆっくりで、多少遅くとも置いていかれることはない。

 だから彼も、じっくりと砂浜を眺めることができる。


 どんな貝殻ならペオニアは喜んでくれるだろう。

 見れば見るほど、形も色も様々な貝殻が落ちている。割れているものも多いが、無事なものも多かった。

 ただの白では面白みに欠けるし、あまり刺々しいものは、女が見て喜ぶほど可愛くないように思えた。

 正直、この手の感性には全く自信のないウィードは、足先で砂を少しずつ掘り返しながら、内心で首を傾げる。難しい。


(――ん?)


 あれでもない、これでもないと、貝殻を見つけては転がすという作業を何度か繰り返していたウィードは、ふと砂に埋もれている薄桃色に気がついた。

 見えているのは僅かだったが、何となくその色に心引かれ、鼻先でそっと砂を退かしてみる。


(これは……)


 さらさらと砂が崩れ、出てきたのは深みのある桃色の貝殻が1枚。

 他の貝と比べると、とても薄いらしい。その深い色に見合う繊細さは花びらの一片のようで。

 よくよく周囲を観察してみれば、割れているからと見向きもしていなかったも欠片の中にも、この貝と同じ色のものが多くあった。やはり見た目通り壊れやすいのだろう。

 ただその美しさは、それまで貝殻を軽んじていたウィードも納得させた。そう、例えば。


(ペオニアみたいだな)


 だが、いざそれを運ぼうとして、ウィードは躊躇する。

 人の身であれば、この壊れやすそうな貝殻も、そっと掴むことができるだろう。しかし、今のこの体では、口を使うしかない。


(くそっ……)


 割れてしまわないだろうか。

 不安で仕方がないが、それでもどうしてもペオニアに渡したくて、ウィードは意を決してこの薄い貝殻を口に咥えた。歯を立てないように、そっとそっと。

 そのまま身を翻すと、少し離れた場所にいたペオニアたちを目指した。


「あら、ウィードちゃん。どうしたの?」


 足元に来てじっと見上げたウィードの態度に何かを察したのだろう。

 ペオニアが身を屈めて、顔を覗き込んでくる。

 その彼女にウィードは前足で何度か宙を掻いてみせ、どうにか手を差し出してもらうことに成功すると、ゆっくりと口を開いた。

 白い手の平の上に、桃色が落ちる。


「まぁ」


 欠けるともなく無事に届けられた貝殻を見て、ペオニアが声を上げる。

 隣にいたジニアもそれを覗き込んで、同じような顔をした。


「……可愛い、ですね」

「えぇ、本当に。ウィードちゃん、ありがとう。とても嬉しいですわ」


(……ペオニア)


 薄らと頬を染め、偽りなく心から嬉しそうに微笑まれ、ウィードは心の内が満たされていくのを感じた。

 牧場に捕まってからはもちろん、それ以前にも、こんな気持ちになったことはない。

 それなのに、はっきりと分かる。今、幸せなのだと。

 こんな姿で、こんな状況で。それなのに、……それでも。


(ペオニア)


 知らず尻尾が左右に揺れ、優しい手に頭を撫でられれば、その振れは大きくなる。

 渡した貝殻をペオニアがハンカチで包むのを見つめながら、ウィードはまるで本物の犬のように尻尾を振り続けた。

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