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第62話 海への道のり

「ふぁ……」


 全員で揃って朝の作業を片付け、牧場を出たのが6時過ぎ。途中で短い朝食を差し挟み、そして現在、午前8時を迎えようとしていた。

 この時間になれば、いつもならば既にはっきりと目を覚ましているはずのリコリスだったが、今日はこっそりと欠伸を噛み殺していた。昨夜は、今日の準備のために普段よりもほんの少し夜更かしをしてしまったのだ。

 とはいえ、今日一日への期待のお陰で、多少の睡魔など跳ね除けられる程度には気分が高揚している。


 目的地はスィエルの町から北上し、以前幽霊のカリステモンを拾った山の横に広がる森に分け入って更に北へ。その奥に聳える山を越えた所にある。

 だが、その森の小道の入り口であるはずの場所を前に、リコリスは不安そうに首を傾げた。


「あれ……道こんなのだっけ」


 リコリスの知るその道は、あくまでもゲームの記憶と比べてだが、それでも変わり果てて見えた。かつては舗装こそされていないものの、確かに道と呼べる道があったはずのそこには、今はもう以前の痕跡が鬱蒼とした森の奥へと続いているだけで。


「……使う人間がいなくなりましたからね。荒れたんでしょう」

「あ……」


 疑問に答える相棒の声は幾分苦いものを含んでいた。


 使う人間――その意味を悟ってリコリスが口を噤む。

 これから向かう海岸は、かつては主に牧場主たちが様々な目的のために訪れていた場所だった。それ以外に利用する者がいないわけではなかったが、やはり牧場主たちが大多数を占めていた。

 その牧場主が消え、状況も変わり……そうして荒れ果ててしまったのだろう。

 リコリスが黙り込んでしまうと、ライカリスは小さく首を振った。

 その話題の終わりを告げる合図、と同時に、


「――失礼」

「えっ、あ」


 ライカリスが手を差し伸べる。伸ばされた手は、リコリスが反応するより早く彼女の腰に回された。


「足場が悪いですから」


 言いながら、流れるような動きであっという間にリコリスを抱え上げて、ライカリスは微笑んだ。


「……っ」


 いつも通り、今まで通りの、よくあること。ただの気遣い。

 それなのに、そうと分かっているのに、リコリスの頭の中は今の一瞬で真っ白になった。


 今更だとは思う。この程度、何度も繰り返されてきたやり取りだ。

 けれど、昨日の今日だから。努めて忘れようとしているところに、ふとした拍子に蘇ってくるその居た堪れなさや羞恥が、リコリスを落ち着かない心地にさせる。いつも通りに、普通に普通に、と考えれば考えるほどに。


「リコさん?」


 ひっそりとそわそわしているリコリスに、ライカリスが首を傾げる。

 抱き上げられたまま顔を覗き込まれて、リコリスは体を強張らせた。


「あ、や、そのっ……よ、妖精に」

「え?」


 妖精に運んでもらう。そんな方法もある、と。

 慌てるあまり、うっかり心にもない言葉が口から零れかけ、しかし最後まで吐き出されることなく消えた。きょとんとした相棒と視線がかち合ったその一瞬。


 ――やっぱりライカリスと一緒がいいと思ってしまったから。


(や、すっごい居た堪れないけどさ……っ)


 居た堪れない上に、未練がましいのは自覚しているが、それでも開き直るしかない。そもそも、何とも微妙な玉砕が昨日のことで、しかも今までと変わらず優しくされて、それで早々に割り切れるはずがないのである。

 そう、無理やり自分を納得させながら、リコリスは必死で迂闊な発言の代わりになる言葉を探した。


「え、えーと。ペオニアたちを、妖精に抱えてもらおうかと」

「あぁ……」


 苦し紛れの誤魔化しに、ライカリスの声が低くなり、目線が後ろへと流れる。その先には、今までじっと気配を殺すようにしてリコリスたちを窺っていた弟子たちがいた。


 今日はよく動くこともあって、程度は違えど動きやすそうな格好をしている女たちに、ウィロウ。そしてペオニアの隣にぴったりと控えているウィードと、それから。



 ――何故か、頭の上半分の毛が綺麗に刈られているチェスナットとファーが。



 昨日の夜、気がついた時にはもうそんな面白い頭になっていたこの弟子2人。

 思い当たることといえば、やはりリコリスたちが水着選びをしていた時だろう。きっと懲りもせず覗こうとして、ライカリスに制裁を受けたのだ。

 今まで散々酷い目にあって、さすがにもう……と考えて、対処を怠ったリコリスが甘かった。下手をすると相棒に始末されていたかもしれないことを思うと、この妙な髪型を見ても正直笑うに笑えない。

 だから、2人の変な頭を見るたびに、リコリスは心の底から安堵してしまうのだ。


(頭ごと刈られなくてよかった……いや、ホントに……)


 そんなことを考えているリコリスとは反対に、ライカリスは全く興味がなさそうな、それでいて面倒臭そうな顔をしている。

 温度のない視線を受けて、一部例外を除き、弟子たちは揃って身を縮めた。

 例外はもちろん、チェスナットとファーの頭を見ては肩を震わせているジェンシャンだ。口元をひくつかせて、涙目で。ライカリスからの冷たい空気を気にする余裕はないらしい。


「女性はそれで構いませんよ。チェスナットさんたちは走らせましょう」


 さらっと告げられた提案に、リコリスは顔を引き攣らせて首を横に振った。


「いやいやいや。ここまで結構歩いたし、これ以上本番前に疲れちゃうのは困るから」

「別に……それはそれで……」

「よくないからね?」

「……」


 苦笑いで見上げるリコリスから、ライカリスが顔を背ける。

 小さく舌打ちが聞こえたのはきっと気のせいではないが、リコリスは気づかないフリをした。


 相棒がそれ以上何も言わないのを確かめ、リコリスは弟子たちを見た。正確には、その足元の少し後ろを。

 位置を定めて意識すれば、次の瞬間にはそこに光の花が開く。渦を巻いた風に思わず目を閉じた彼らの隣に、それぞれ1体ずつナイトが立った。


「じゃあ、よろしくね」


 リコリスの言葉にさっと一糸乱れぬ敬礼を見せたナイトたちが、更に揃った動作でペオニアたちを抱え上げる。悠々とその両腕に悠々と、男女犬の隔てなく。

 ペオニアたちやウィードはまだいい。だが大柄とはいえやはりシルエットは女であるナイトに、がっしりとした男たちというは妙にアンバランスで、弟子たち自身もそれを理解しているからか、居心地悪そうに身を縮めた。


「では行きましょうか」


 後ろを一瞥したライカリスが、足を森へと向けて歩き出した。




 かつての山道の名残の獣道は、日のほとんどを、さほど背の高くない木々の濃い緑が遮り、僅かに零れた光の白を際立たせる。しっとりとした草木の香りが随分と強い。

 先頭に立ったライカリスが最初は足場を確認するようにゆっくりと藪を掻き分け、やがて徐々に足を速めていく。後続は皆妖精だから、この相棒が本気で走りでもしない限りは置いていかれることもない。

 風を切って進む心地よさと、勢いよく流れて始めた景色に、リコリスは思わず目を細めた。


「……眠いなら、着くまで寝ていてもいいですよ」


 リコリスの表情の変化に気がついたのか、ライカリスが告げてくる。

 見上げれば一瞬だけ視線が寄越され、それはすぐに前方に戻る。それでも返事を待っている気配があって、リコリスは慌てて首を振った。


「いや、運んでもらってるのに寝るとか」

「構いませんよ、やりたくてやっていることですから。それに」


 微かなため息に、


「昨日、遅くまで作業していたでしょう?」

「う」


 気遣う声が続いて、リコリスは気まずく身を竦めた。

 やはりバレていたらしい。


 実は昨日の準備。ライカリスが寝付いた後に、こっそりと部屋の隅で裁縫をしていたのだ。

 特に隠すつもりはなかった。ただ、一度ベッドに横になってから思いついて、寝てしまう前にちょっと作業しようとした結果だった。

 わざわざ起こすのも悪いと思って相棒には声もかけなかったが、今のこの渋い顔を見るに、どうやらそのことが不満であるらしい。


「ごめんね?」


 気を遣ったつもりだが、的外れであったなら申し訳ない。

 だが、起こしたところでライカリスにできることがあったかというと、残念ながら何もないのである。薬の調合と散髪は得意だが、それ以外ではとことん不器用なのだ。この男は。

 料理をすれば怪しい薬物実験になり、モザイク必須な何かができる。針と糸と布を用意すれば、完成するのは何故か不気味極まりない呪いの道具で。

 元々のライカリスの住居の惨状が心から納得できる、そんな破壊的な不器用さだった。弟子たちの頭が無事なのが、別の意味で奇跡に思えてくるような。


「……いえ。手伝えなくて、すみません」


 本人もそれを自覚しているから、行き場のない不満はやりきれないため息に変わるのだ。


「あはは。アレはアレで面白いけどねぇ」


 ゲームでの出来事から、あるいは掘り起こされたばかりの記憶から、過去の惨劇を思い出してリコリスは笑う。


「――でも、もう十分助けてもらってるよ。今だって」


 なんら構えることのない普通の会話が、そして軽やかな笑いの余韻が、リコリスの内にわだかまっていた気まずさをほぐして。

 少しだけ軽くなった心のままに、リコリスはごく自然にライカリスの胸元に頬を預けた。甘えるように、頬を擦り寄せる。

 まるで告白前のように、今まで通り、普段通りに。


 だがその一瞬、相棒の体が微かに強張って、一定だったスピードが緩む。本当に短い、瞬きひとつの間の違和感。

 リコリスとしては特に変わったことをしたつもりはなかった。むしろそんな風に接せられたことを嬉しく思ったのだが、相棒はそうではなかったのだろうか。


「ライカ?」

「い、いえ、何でも……。とにかく、もうしばらくかかりますから。寝るのは無理でも、目を閉じているだけでも違うでしょう?」

「でも」

「――リコ」


 誤魔化す空気に気がついて食い下がろうとしたリコリスに、ライカリスが声のトーンを落とす。


「……っ」


 嫌な予感に恐る恐る視線を上げれば、予想を違えず、意地悪く輝く瞳。今の今までそこにあったはずの気遣わしげな色は一体どこへ消えたのか、何事か企んでいるかのような不穏な気配に取って代わられていた。

 まるで、海に着いたら、そのせっかくの海を目の前に、近くの手頃な木にでも縛り付けられそうな……。

 今のライカリスならばさすがにそこまでの無茶はしないだろう、しないはずだ、過去のこの男ならばともかく、と思いつつも、完全に否定できない薄ら寒さ。今の逃げ場のない状況も相俟って、リコリスの背を嫌なものが走る。


「………………着いたら教えて」

「はい、ごゆっくり」


 早々に白旗を揚げたリコリスが目を閉じると、そこに勝者の満足げな返事が落ちた。

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