第55話 やんちゃ坊主と約束の……
出稼ぎから戻った翌日。
「――さて、挨拶回り行きますか」
久しぶりの牧場の朝作業を終え、弟子たちと賑やかな朝食をとった。
その後片付けも済ませ、さて、挨拶やお礼、情報交換に町を巡ろう、と背伸びをしながら言ったリコリスに、何故かライカリスが低く笑った。
「……覚悟しておいた方がいいと思いますよ」
「え?」
何だ、その不穏で不吉な予言は。
「え、何それ。どういうこと?」
「さあ?」
人の不安を煽っておいて、相棒は無責任に笑う。
これから町に出るというのに、随分と機嫌がいい。
暗褐色の瞳が悪戯っぽく……むしろ意地悪く瞬いて、まるでリコリスが慌てているのを楽しんでいるようにも見えた。というか、事実そうなのだろう。
「……ライカ」
「まぁ、そう難しい顔をしないで」
どの口がそれを言うのかと。
だが、リコリスが更に眉を寄せても、ライカリスはどこ吹く風だ。彼は涼しい顔をして、足を止めてしまったリコリスの手を取る。
「なるようにしかなりませんから。――さ、そろそろ行きましょう」
「えー……」
「ほらほら、皆さんお待ちかねですよ」
(いやいやいやっ。どう見ても変だから!)
違和感に気圧されて、リコリスは内心で悲鳴を上げる。
半ば引きずられるように家の外に出た彼女の背に、「いってらっしゃいませ」と声がかかった。
家の脇で、ウィードのパンツ部分の毛をブラッシングしていたペオニアだった。
寛いだ風に見えるウィードが恨めしい。分かっている。八つ当たりだ。
「い、行って、きます……」
何を企んでいるのか分からない相棒に、牧場の出入り口まで引っ張られたところで、色々と諦めたリコリスは力なく手を振った。
――そうして、しばらくぶりのスィエルの町で。
最初の目的地である町長宅に辿り着くより早く、リコリスはライカリスの言葉の意味を知るハメになった。
「悪かったなぁ、リコリス。黙って勝手なことしちまって……」
「本当にごめんなさいね。私たちが役に立てるってあれくらいしか思いつかなくて」
「い、いえ……」
ちなみにこれは本日3度目のやり取りで、リコリスを囲む人々は3グループ目である。
例の報酬について、真相がバレていると知った町の人々は、苦笑しつつ謝罪を繰り返す。しかし心からのそれらの中には、ライカリスにされた説教と同じような気配があった。
リコリスを責めるのではなく、水くさい、寂しい、と訴えてくるのだ。
更に、リコリスにダメージを与えたのが、
「僕もお小遣いあげたんだよ!」
という、5歳の少年の発言だった。
それを受けて、少年の友人たちも誇らしげに胸を張る。
「あたしだってブタさん割ったんだから」
「俺も! 父さんの手伝いした!」
「…………あ、ありがとう。嬉しくて涙出そうだよ、ホント」
本当は、その涙の何割かは切なさだが。
必死で表情を取り繕うリコリスに対し、子どもたちはきゃっきゃと楽しげにお小遣い寄付自慢大会を繰り広げている。
「まぁ、大人の真似をしたい年頃だから……」
「分かってます。大丈夫です……」
ただちょっぴり哀しいだけだ。
周囲の大人たちに肩を叩かれ、リコリスはそっと涙を呑む。
そうして目線を下げた時、大人たちの後ろに隠れるようにしながら、それでいて何かもの言いたげに彼女を見ている少女に気がついた。
賑やかな子どもたちより少し小柄で、何故だか怯えた目をしているその少女。
「――コメリナ?」
スィエルの町で一番大人しく、滅多に何かを主張することのない子どもだ。
いつもは白いリボンで短いツインテールにされていた薄茶の髪を、今は珍しく下ろしているコメリナは、リコリスに呼ばれピクリと肩を揺らした。
そこに見える明らかな怯え。後悔。要するに、叱られることを恐れる子どもの目だ。
「どうしたの?」
内心で首を傾げ足を踏み出せば、人々はすぐに道をあけてくれる。
それに目礼しながら改めて少女を見れば、
「……ん」
白いワンピースのスカートを握りしめ、心細く立つその姿にふと違和感を感じた。
今は括られていない髪よりも大きな違和感を少し考え、足りないものがあるが故だとすぐに気がつく。
「あれ……ヒースは?」
コメリナの隣にいるべき少年が見当たらないのだ。
以前の忌々しい襲撃事件を切欠に、目標を定め、その足がかりを得た少年、ヒース。コメリナは彼の相棒である。
元気がよすぎて突っ走るタイプのヒースと、のんびりおっとりのコメリナは意外と相性がいいらしく、ゲーム中でも何かと一緒に行動していた。広場を走り回るヒースの後ろをコメリナがゆっくりついて歩き、距離が離れすぎるとヒースが慌てて戻ってくるというように。
時間帯によって行動内容は違えど、常にそんな感じで微笑ましい光景を見せてくれていた……のだが、今ここにはそのヒースがいない。
リコリスの口からその名が出ると、コメリナがきゅ、と眉を寄せた。
「……ヒースは、お熱」
「ありゃ」
襲撃事件の時はともかく、それより以前は元気なエピソードばかりを背負っていたあの少年が、今はどうやら寝込んでいるらしい。
意外な情報にリコリスは目を瞬かせる。
だが、それをもたらしたコメリナの表情は暗く、まさかそんなに重病なのかとヒヤリとしたあたりで、少女は更に重い口を開いた。
「あのね……私のリボン、川に……それで……」
「え、あぁ、そういう」
川に落ちた親友のリボンを拾おうとしての結果なのか。
十分に元気エピソードだった。
「危ないなぁ。ヒースらしいけど……怪我は?」
「それは大丈夫……。リコお姉ちゃんの妖精さんが、来てくれて」
「えぇ?」
初耳だった。
スィエルの町に残していた妖精たちの誰からも、そんな報告は受けていない。
妖精の巡回も、人々の生活を監視するためではないから、自分の牧場のことほど詳細に報せを求めるつもりはもちろんない。
だが、せめて妖精が関わった危険な出来事くらいは、その時に軽くでもいい。教えてほしかった、と思ってしまう。
妖精たちへの指令をもう少し考えるべきか。
リコリスが小さくため息をつくと、それに気がついたコメリナが泣きそうに幼い顔を歪める。
「……ごめん、なさい」
「あ、いや。コメリナは悪くないからね。ヒースも、危ないことしたのはちょっと困るけど」
慌ててフォローを口にするが、しかし少女はなおも首を振り。
「でも私が、リボン落とした、から。ヒース、修行なくなったらどうしようって。楽しみにしてたのに……だから……」
ヒースを怒らないでほしいと懇願するコメリナに、周囲の子どもたちも同調する。
小さな町のこと。友人である彼らはもちろん、苦笑している大人たちも当然事情を知っているのだ。
リコリスは周囲を見回し、同じように苦笑いしてからその場にしゃがみ込んだ。コメリナと視線を合わせ、ふわりと微笑む。
「うん。大丈夫だよ。修行は、ヒースの熱が下がるまでちょっと延期になるだけだから。ね?」
「本当……?」
「ホント。だから、これからヒースに会いにいって、治ったら修行がんばろうね、って言ってくるよ」
それを聞いて、ようやくコメリナの表情が緩む。
小さな口から、安堵の吐息が零れたのを見て、リコリスは理解した。妖精が何故報告を見送ったのかを。
戦闘妖精たちは、リコリスの一部であると同時に、意思を持っている。
ポーンはポーン、ナイトはナイトと、その種類ごとに意識を共有し、家妖精たちのように個はないが、感情と意思がある。自ら考えて動くことができるのだ。
そうなると、基本的には与えられた命令に従いながら、本当に危険な状況を除いて、時折ちょっと横道に逸れてみることがあり得る。今回の出来事がそれだろう。
要するに、修行の取り消しを恐れるヒースとコメリナ、親友思いな2人の子どもに無意識に情に訴えられて、負けたわけだ。
そして、リコリスが戻る前にヒースが復活すれば当事者たちにとっては良かったのだろうが、そうはならなかった。
(でも、これは仕方ないかなぁ)
理解し、納得した。
多分、リコリスも同じ立場になったら、きっと同じことをするだろう。
もしかしたら、妖精たちがうっかり情に流されるのは、大元であるリコリスがそういう性質だからなのかもしれない。
(ま、一言くらいは言わせてもらうけどねぇ)
既に散々叱られた後だろうから、ほどほどに。
目に見えて安堵しているコメリナには内緒でそんなことを考えつつ、リコリスは少女の頭を一撫でしてから立ち上がった。
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町長宅にお邪魔し、例によってひとしきり謝罪しあった後、次いでリコリスたちはヒースの見舞いに向かった。
以前ヒース少年によってトラップになった扉は、今回は何事もなく、ごく普通に2人を招き入れ。
扉を開けてくれたヒースの父サフランは、リコリスの顔を見て穏やかな微笑を穏やかな苦笑に変えた。夫に続いて出てきたカトレアも、また。
お茶の用意をするというカトレアがキッチンに姿を消すと、残ったサフランにヒースの部屋へと案内された。促されて軽くノックをし、ノブに手をかけると、そっと室内を覗き込む。
少年の集めてきたらしい宝物の数々が、壁や棚に無造作に飾られているのが見え、それから視線は窓際のベッドへ。
その上にはお目当ての人物、ヒースが枕を抱えて横たわっていた。
「こんにちは、ヒース。具合は――」
ごく普通に声をかけながら、リコリスは室内に足を踏み入れた。
それから、その挨拶に続けようとしたのは、体調について尋ねる言葉だ。病人を見舞うのだから、何も間違ってはいないはずだった、のに。
「?!」
「えっ?」
当の病人が客の顔を見るなり全身で恐怖を訴えたものだから、リコリスとしてはたいそうショックだった。
(…………私、そんな怖い……?)
怒られる、とヒースは思っているのだろう。
それは容易に察せられたが、布団を頭から被る直前、確かに見えたリアルムンクの叫びは……。
後ろから笑いの気配が2人分漂ってきているのも、切なさと虚しさに拍車をかけてくれる。
リコリスは心の中でそっと涙した。
「ヒ~ス~?」
しかし、悲しんでいるだけでは進まない。
ぐっと切なさを堪え布団団子に歩み寄ったリコリスは、ベッドの端に浅く腰掛けると、小刻みに震えている塊に手を伸ばす。
標的は背中部分である小山の頂上付近。そこを人差し指の先で、すすす、と。
「わぁあっ!」
「あ、なんか元気そうだね」
跳ね起きたヒースは想像していたよりも動けるようで、そのことに安堵する。
しかし同時に、まだ顔にはやや赤みが差していて、全快には遠いようにも見えた。何にせよ、無理は禁物だ。
藻掻く小さな体をベッドに沈めてから、顔を覗き込む。
「無茶したんだってね。具合はどう?」
「も、大丈夫、だけど…………リコ姉ちゃん、怒ってない?」
頼りなく掛け布団を手繰り寄せ、顔を半分だけ出したヒースが上目遣いにリコリスを見る。
「ん? 怒られたい?」
怯える小動物さながらの様子に、ニヤリと笑んで問えば、少年は大きく首を振った。
それがあまりにも必死で、どう見ても振りすぎなものだから、リコリスは慌ててその頭を両手で挟む。
「ハイハイ。大人しくしようね~」
「うぅ……」
クラクラしているらしい。
病人に無理をさせに来たのではないのに。反省して、リコリスは表情を改めた。
「あのね」
「う、うん」
「話を聞いて、怒るよりもびっくりしたし、心配したよ」
「……」
ヒースの目が気まずく泳ぐが、リコリスは視線を逸らさない。
だが、気まずさの中に確かに存在する反省と後悔を見つけて、僅かに表情を緩めた。
「これがコメリナのためじゃなかったら、丸1日お説教コースなんだけどねぇ」
口調は悪戯っぽく。
きつく言い渡すわけではなく、それでいて本気を匂わせながら。
「でもやっぱり、本当に心配したんだから」
「ごめんなさい……」
「もう危ないことはしないって、約束してくれる?」
「――うん」
ヒースは頷き、それからもう一度「ごめんなさい」と囁くように言った。
その頭を、コメリナにしたように撫でて、リコリスも頷き返し、
「ん、よし。じゃあ、約束の指切り!」
ぴっと小指を差し出した。
約束事ならやはりこれだろう。大人同士ですることはほとんどないが、子ども同士、あるいは幼い子どもが相手ならば。
自然に何気なく出てきた、それはリコリスにとってはごく一般的なやり取りだった。
……はずなのだが、そもそもここは日本ではなく、地球でもないのである。そのことを彼女は失念していた。
思い出したのは、背後で見守っていた大人2人が「え?」と声を上げてから。
そして、小指を差し出されたヒースが見事に顔を引き攣らせ、
「指切り?! 指切るのっ?!」
と叫んでからだった。