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第47話 追加攻撃は念入りに

 多大な精神的ダメージを受けたリコリスは、ライカリスに手を引かれながらサイカッド宅への道を歩いていた。背後からは、まだ宴会の喧騒が聞こえてくる。


「……」


 街灯の灯りの下、リコリスは渡された依頼書をひらひらと泳がせ、チラリと相棒を見遣ると、おもむろに口を開いた。


「で? ライカはこれ、いくら出してるの」


 目の前の背がギクリと揺れて足が止まり、繋いでいた手が離れた。


「………………」

「おかしいなぁ。さっきからライカと目が合わないなぁ」


 幾分棒読みの台詞に、ライカリスから怯えた視線が返ってくる。

 やっと視線が合って、リコリスは微かに笑みを浮かべた。


「……やっぱり……怒ってます?」

「んーん。全然。あ、でもスィエルの人たちも関わってるよね、コレ。多分だけど」


 これは勘だったが、見上げた先で、暗褐色の瞳は右へ左へ。

 ライカリスの方だけ一方的に気まずい沈黙には構わず、リコリスは黙って言葉を待った。

 やがて、相棒はため息をついて、真っ直ぐにリコリスに視線を落ち着けた。


「こうでもしないと……断れない状況を作らないと、あなたは受け入れてくれないでしょう」

「……かもね」

「かも?」


 物言いたげな切り返しに、リコリスは肩を竦める。


「そうだね。絶対受け取らなかったよ」


 あんな状況でなければ。

 本当に、あの空気を思い返すと、悲しくなってくる。

 眉間に皺を寄せて肩を落としたリコリスに、ライカリスが顔を曇らせた。


「あなたはいつもそうですね。重要なことほど相談してくれないし、頼ってもくれない」


 返す言葉もない。

 覗きこんでくる瞳が不満よりも寂しさを訴えてくるから、なおさら。


「リコさんが、スィエルの人たちに食料を提供したのは何故ですか? あなたにとって大切な人たちが困っていたから、助けたいと思ったから、そのように行動しただけでしょう? 他に何か考えましたか?」

「……何も」

「私も同じですよ。あなたが大切だから、助けになりたい。スィエルの人たちも、ヴィフの人たちだって、同じです。食料のことがなくても、あなたが何か困っていたら助けてくれたでしょう。もちろん、今回のあなたの厚意に応えたいという気持ちもあるでしょうけど……それは頑なに拒むほどいけないことですか?」


 静かな問いに、とうとうリコリスは俯いてしまった。

 自身の至らなさを突きつけられるようで、それはきつく責め立てられるよりも辛かった。


 力なく落とした肩を、ライカリスが軽く叩く。

 続けて、小さな笑い声が耳に届いた。苦笑だ。


「やりたいことをやっただけです。しかも、それは正当な労働の対価ですし。申し訳ないとか、弱みにつけ込んだとか、無駄に考えすぎないで。恥じることは何もしていないんですから、気に病まずに素直に喜んでいればいいんです」

「う……うん」


 リコリスは小さく頷いた。今すぐに納得するのは難しいけれども。

 そんな心情を見透かして、ライカリスは「それに」と悪戯っぽく笑う。


「それでも遠慮するなら、次はあんなものでは済まないかもしれませんねぇ。スィエルの人たちも、役に立ちたくて仕方ないみたいでしたから……もっとすごいことをされるかも」


 脅しか。

 リコリスが顔を引き攣らせると、相棒は目を細め、その笑みを深くする。


「ふふふ……。私もね、あんまり素直じゃないと、どうしてやろうかと思ってしまいます」

「……?!」


 妖しく微笑まれ、周囲の気温が下がった気がした。――否、気だけではなく、実際に空気が重い。まるで真夏の夜の怪談話に等しく、背筋が凍り、首筋の産毛が逆立った。

 久しく見ていなかった相棒の本性を垣間見る羽目になって、リコリスは妙な汗が流れるのを感じながら両手を上げる。


「……こ、降参。分かったから、それやめて。オ願イシマス」

「いいですよ~? リコさんが分かってくださるなら、ね」

「鳥肌が立つほど理解したよっ」


 自棄クソ気味に叫べば、「ひどいですねぇ」という軽い言葉と共に、空気が緩む。

 そのことにリコリスが息をついているうちに、ライカリスが再び彼女の手を取って、止まっていた歩みを再開した。


「ねぇ、ライカ」

「はい?」


 2人はのんびりと、会話もなく夜の町を歩いたが、サイカッド宅が目の前になってから、リコリスはそっと隣を歩くライカリスに身を寄せた。繋いでいた手を外し、代わりに腕にしがみつく。

 顔を見られないように、俯き加減で。


「……ごめんね」


(あんな寂しそうな目をさせて、ごめんなさい)


 甚だしく鳥肌を誘発してくれた、あの妖しい空気を纏いながらも、ひどく寂しげだったライカリスの目。あんな目をさせたことが心苦しい。

 もっと素直に甘えてほしいと望んでおいて、自分はそれができないなんて。


 上手く言葉にならなくて、ただ一言謝罪を口にしたリコリスに、ライカリスはしばし考える素振りを見せ、それから無言で腕を解くとリコリスの背を押した。

 リコリスが促されるままに家に入ると、続いて室内に入った相棒は後ろ手に扉を閉めてから、背を屈めて、彼女の顔を覗き込む。


「今のは、どういう意味の謝罪ですか?」

「えっ?」


 まさかそれを訊かれるとは思っていなかった。

 驚き、視線を上げれば、ライカリスは至極真面目な表情でリコリスを見つめている。


「え、えっと、あの」

「あぁ、念の為言っておきますが、本当は分かってますからね?」

「ラ、ライカ?」


 戸惑うリコリスに、ライカリスは微笑んだ。

 しかし、「もちろん分かっていますとも」と言う彼の目は、全く笑っていない。


「リコさんがどんな気持ちで謝ったのか、それくらい分かってます。でもね」


 表情だけは薄い笑みを浮かべながら、ライカリスは指先で微かにリコリスの唇に触れる。


「リコさんはそうやって、言いにくいことは口にしないんですよ。誰だって自分の考えの全てを表に出すわけではないですが、あなたは隠しすぎです」

「……う」

「色々考えているくせに、肝心なことほど胸の内にしまって、教えてくれなくて。誰にも頼らずに、人の厚意も変に遠慮してしまう。あなたの周りの人間は、あなたの言葉を待っているのに」


 やれやれ、と言いたげにライカリスは一度軽く首を振り、


「だから、ちょっと練習しましょう。ご自分の考えを言葉にすることに、少し慣れてもらわなくては。あなたが素直になれるように、ね」


 それから今度は、いい考えだというように頷いた。


 はて。目は相変わらず真剣なのに、どことなく楽しそうなのは何故だろうか。

 不安になってきたリコリスが思わず後退りしそうになると、素早く伸ばされた手が彼女の腕を掴み、阻む。


「逃げないで。今、私に謝ってくれた理由を説明するだけでいいんです。簡単でしょう?」


(いや、今逃げそうになったのは、ライカが妙に楽しそうだから……)


 まるで、リコリスがライカリスを可愛がる(いじめる)時と同じ気配を感じる。

 しかし不穏な空気に怯えるリコリスはお構いなしで、ライカリスは彼女を促した。


「リコさん」

「うぅ……」


 確かに、ライカリスの言うことは正しい。リコリス自身、同じことを考えたこともある。

 だからきっと、どれだけ難しくても努力すべきなのだ。

 他でもないこの男が望むなら、尚更。

 何より、寂しい思いをさせたことを、たった今、後悔したばかりではないか。


 リコリスは一度唇を引き結び、それからのろのろと口を開いた。


「……本当に、上手く言えないよ?」

「いいですよ。できるだけで」

「……」


 深呼吸。

 目を逸らしたのは、面と向かって言えるだけの勇気がなかったからだが、ライカリスは何も言わなかった。


「その……ライカがすごく寂しそうだったから……」

「……そうですね」

「私さ、いっつもライカにもっと我侭言ってほしくて。でも、よく考えたら私もそれができてないのにね。それでライカにあんな顔させて……だから、ごめんなさい」


 最後の謝罪だけ、リコリスはどうにかライカリスの顔を見て言えた。

 そしてまた視線を落とし、息をつく。


「……さっき言われたことも、本当は分かってる。大切な人を助けたい気持ちも、それを遠慮されたら悲しいってことも。ライカにも、ペオニアたちにも、スィエルの人たちにも、そんな思いさせてたんだって」


 言い切って、俯いたリコリスは更にため息を重ねる。

 常々、自分の気持ちを素直に口に出せる人のことを羨ましいとは思っていたが、いざやってみれば激しく神経が磨り減ってしまった。

 広場での無数の同情の眼差しを頂いたときよりも、よほど辛い。


 眉を寄せて盛大なため息をついたリコリスの肩を、ライカリスが抱き寄せた。なされるがままのリコリスを腕の中にすっぽりと包んで、その背を労わるように撫でる。


「よくできました」


 小さな子どもを褒めるような声は、どこまでも優しい。

 大きな手がリコリスの頬に添えられ、促されて伏せていた顔を上げると、優しいのに悪戯っぽく輝く瞳がそこにある。


「これからも、こうやって時々は訓練していきましょうね?」

「努力はする……けど、楽しそうだね」

「楽しいというか、嬉しいというか、ですね。ふふ、リコさん可愛い」


(チクショウ……!)


 口を尖らせたリコリスが、相棒の胸元に顔を埋める。

 その耳が染まっているのを見たライカリスが軽く笑い声を上げ、そうしてひとしきり笑ってから、「そろそろ休みましょう」とリコリスから体を離した。


 ――その時。


「え、あれ?」

「ん?」


 腰の辺りに違和感を感じたリコリスが慌てて確認すれば、そこで蝙蝠ポーチが大きく身動きしている。


「こ、蝙蝠様?」

「何か怒ってません?」


 羽をバタつかせ、牙が並ぶ大きな口を開けたり閉めたり。その度にサイズが変わる。

 口でしかその表情を推し量ることはできないが、どうやら今はかなり不機嫌であるらしい。


「ちょ、どうしたのっ?」


 リコリスが暴れる蝙蝠を何とか宥めようと手を差し出した。



 ――その瞬間、それは起こった。



「うわっ」

「ライカ?!」


 蝙蝠が一際大きく口を開け、そこにライカリスの驚きの悲鳴が被った。

 咄嗟に伸ばしたリコリスの手は、目の前で輪郭を失った相棒に届かずに宙を掻く。

 赤い影はそのまま蝙蝠の口に吸い込まれて――……。


「……うそ」


 風の音が消えた室内には、



(ラ、ライカが食べられたーっ?!)



 ……あまりの展開に真っ白になったリコリスだけが残されていた。

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