第45話 血まみれの忠犬
スプラッタ注意(特に血が苦手な方)
「……今日はやめておいたらどうですか?」
声にも視線にも、憐憫をたっぷりと含めて、ライカリスが後ろから忠告してくる。
その忠告に低く呻き声を上げるリコリスは、ドアノブを一捻りするのにも苦労していた。
(泣けるっ。情けなさすぎて泣ける……!)
心の中で慟哭しているが、何のことはない。
ただの全身筋肉痛である。
無理をしないと約束をした。
だから、水分補給は怠らず、休憩も適度に差し挟みつつ、決して相棒が眉を顰めるような無理はしなかった。それなりに気を遣って作業に臨んだのだ。
ライカリスも、それを理解している。
そして迎えた翌日、襲ってきたドアノブと激闘になるほどの筋肉痛……。
職特性だろうか、それとも単なる運動不足だろうか。どちらにせよ救いがない。
(憐れみの視線が痛いわぁ……)
痛みにか情けなさにか、未だに開かない扉に額をつけて唸っていると、不意にリコリスの体が浮いた。
「わっ?」
慌てて仰ぎ見れば、ライカリスの苦笑いが間近にある。
いつの間にか真後ろに来て、リコリスを両腕に抱え上げた彼は、ゆっくりとベッドまで戻った。
「どうせ鍬なんて使えませんよ。この状態ではね」
「うぅ」
ひどく慎重な動きでベッドに下ろされ、苦笑することしきりのライカリスに頭を撫でられる。
長い指が前髪を掬い、生え際に触れるのが気持ちがいいような、擽ったような。
しかし抵抗する気力がないのでなされるがままだ。
しばらくそのままでいると、満足したのか、あるいはリコリスが大人しくなったからかもしれないが、ベッドの端に腰かけていたライカリスが立ち上がる。
「今日の作業は休みだと伝えてきますから」
「……よろしく」
結局、リコリスは丸1日ベッドの住人となった。
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そして町に来て3日目の悪夢を省みつつ、リコリスは4日目、5日目と大地を掘り起こした。
まだまだ体は痛むが、2日目ほどではないと思えば我慢もできる。時々力の入らなくなった手から鍬がすっ飛んでいくが、ご愛嬌だ。
何より鍬の入った土地は3日をかけてかなり広がった。
ある程度まとまった土地を耕すごとに種を蒔いてもいるので、畑には今、水を撒くために町の人々が行ったり来たりを繰り返している。
第一弾のトマトは、きっともう明日には芽が出て、1週間もすれば最初の収穫を迎えるだろう。その後は水遣りを忘れるなどで枯らさない限りは、この夏の季節の終わりまで一定期間ごとに収穫できるようになる。
畑の周囲には、男たちが今も次々と柵を作り、繋げていた。
振り返れば広々とした畑に、やつれながらも嬉しそうな人々という光景、そして収穫への期待が、心を軽くして、痛みを和らげてくれる気がした。
(……でも)
その光景の中に、ライカリスの姿はない。
懸命に鍬を振り上げながら、リコリスは誰にも見えないように俯きがちにした顔を暗くする。
リコリスが作業を再開した4日目には、彼女の近くで何かしら手伝いをしているか、町の住人に混ざって畑を囲む柵を作っていた。
その次の日も同じだったが、時折何か、考え込むような素振りを見せていた。
不思議に思ったリコリスが問いかけるも、「何でもありませんよ」とはぐらかされ――そして今日は、朝食の後から姿を見ていない。
少し出かけてくると言って、もう昼を過ぎてしまった。
(……はぁ。とりあえず夕飯前に戻らなかったら妖精に行ってもらおう)
必死で平静を装ってはいるが、ライカリスが近くにいないだけでどうしようもなく不安になる自分を、リコリスは自覚している。
妖精に探らせることも可能だが、他者の行動を逐一把握していないと気が済まないというのは、いくらなんでもおかしいと判断できるだけの理性はあった。
……それなのに、気がつけば視線は勝手に相棒の姿を探して彷徨っているのだから、どうしようもない。
リコリスが自身を呆れる思いで、やれやれと首を振った。
それはもう、今日何度目かの行為だったが、そこに静かな声が重なった。妖精の声だ。
ライカリスが戻ってきたという嬉しい報告に、彼女は頬を緩めたが、どういうわけか、妖精から戸惑いの気配がする。
首を傾げ、問いかけようとした時、――恐怖を伝える大きな悲鳴が届いた。
「?!」
一気に顔を険しくし、リコリスが身を翻す。
咄嗟に召喚したクイーンが彼女を抱え上げ、主人と同じ厳しい顔をして走り出した。
悲鳴の出所はすぐ近くで、しかも探す必要すらなかった。既に人だかりができていたからだ。子どもたちを遠ざけようとする、大人の姿も多かった。
リコリスはクイーンと共に迷わずその中に飛び込み、そこにあるものを確認して思わず、
「うぇ」
妙な声を出してしまった。
そこにあったのは、山と積まれたモンスターの死体だった。
ヴィフの町周辺から、少し遠出したあたりに生息していたと記憶しているモンスターが、血に染まった姿で積み上がっている。
中には、レベル50程度まで達しないと倒せないボスモンスターの姿もあった。
これは何事だ。
血の匂いに眩暈がしそうな大虐殺の成果を、リコリスは呆気にとられて見つめてしまった。……が、よくよく考えれば、何事も何も、こんなことをできる人間は限られているわけで。
リコリスはクイーンの腕から降りると、死体の山の周囲を見回し、目的の者を見つけて今度こそ盛大に顔を顰めた。
「ちょっ……」
「あ、リコさん」
場違いに明るく声をかけてきたのは、全身を真っ赤に染めたライカリスだった。
リコリスは眩暈どころでなく意識が遠のきかけたが、踏みとどまって、相棒のHPを確認する。
見慣れたバーは、1ミリたりとも減っていない。
当たり前といえば当たり前なのだが、それでも安堵してしまった。
渋い顔になるリコリスとは対照的に、ライカリスは嬉しそうに微笑んでいる。
「見てください。これだけあれば当分肉にも困らないでしょう?」
(むしろ肉の処理の方に困りそうだけど……)
大量の死体に出かかったため息は、しかし「褒めて褒めて」と言わんばかりの視線に負けて引っ込んだ。
「人を襲うものから優先して、狩れるだけ狩ってきました。畑仕事では役に立てないので……」
少しでもあなたの役に立ちたかったんです、と。
そんなことをしょんぼりしながら言われれば、可愛いと思う気持ちの方が先に立つ。
そう。たとえ、真っ赤な血まみれ状態でも。周囲の人々がドン引きしていてもだ。
完全無欠のスプラッタ状態に戸惑いを隠せないでいる人々は、とりあえず後でフォローするとして。
ざわめきを横目に、リコリスは血まみれの相棒に近づいた。
「汚れますよ」
少しだけ慌てた様子のライカリスが1歩を退いたが、リコリスは構わずに手を伸ばす。
頬にまでべっとりとついた血糊を躊躇いなく拭って、彼女はため息をついた。
「この格好は何?」
「あ……えぇと」
本来なら、この男がこんなに返り血を浴びるようなことはないはずだ。何かあったのかとリコリスは眉を寄せる。
その心配を正確に読み取ったらしいライカリスが、気まずそうに頬を掻きかける。しかしその手も血にまみれていることに気がつくと、諦めて手を下ろして苦笑した。
「すみません。うっかり余所見を……。その、早くリコさんのところに帰りたくて」
(えぇい! なんだこの可愛い生き物はっ)
血まみれでさえなかったら。いや、もういっそ、血まみれでもいいから撫で回してやろうか?
湧き上がる衝動に、リコリスは手を意味もなくワキワキとさせるが、どうにかこうにか、気合いで欲望を抑えつける。
「……はぁ。とりあえず血落とそうか」
「はい」
ライカリスが素直に頷くだけで、髪からパタパタと血が落ちた。頭から浴びたのか。
真っ赤な雫を滴らせる相棒を、井戸……はさすがに水が冷たいから、やはり町の隣に流れる川が妥当だろう。
「あ」
そこで後回しにはできない事柄に気がついて、リコリスは小さく声を上げて足を止めた。
「どうかしましたか?」
「あー、肉をね。しまっとかないと腐っちゃう」
どう処理するにしろ、この季節に外に外に置いておくわけにはいかない。食料にするならなおのこと。
ここはひとまず蝙蝠様に……とリコリスが口を開きかける。と、それを制するように蝙蝠ポーチは口を大きく開いた。
熱された空気と生臭い風が渦を巻く音がして、大量の血肉が地面を滑り始める。量が量だからか、その勢いと迫力は今まで見たことのないものだった。
リコリスは咄嗟に腰からポーチを外してその耳を掴むと、そのまま両腕を前に突き出した。
大量のモンスターがあっという間に姿を消していく光景には、もう笑うしかない。多少引き攣り気味の笑いであったが。
「……すごい光景」
「そうですねぇ」
ちなみに町の人々は、目玉が転がり落ちそうになっている。
最後のモンスターの白い毛皮が口の中に消えると、蝙蝠は何やら口をもごもごさせ、それからぺっと何かを吐き出した。
リコリスが受け止めたそれは、ライカリスの服一式。そしてタオルだった。
「あ、ありがとう。蝙蝠様」
思わずの礼に対して、返答はニヤリと笑みがひとつ。
任せろ、と聞こえた気がしたが、気のせいだろうか。




