第41話 踊る踊る蔓祭り
「……つまり、自分で手を出さなくていい状況にもっていった、とか?」
リコリスが胡乱な目を向ければ、食えない相棒はしれっとした表情で肩を竦めてみせる。
「それだと私が多少でも介入したみたいじゃないですか。私は本当に何もしてませんよ。何一つ、ね」
微妙な顔のリコリスの額を軽く小突いて、ライカリスは「あなたに嘘をつくことは絶対にないです」と付け加えた。
(嘘つかなくても騙せるくせに……)
別に嘘をつかれても、騙されても、陥れられても、ライカリス相手ならば構わないのだが。
それでも、こうもったいぶった言い方をされては、気になってしまうというもの。
特に痛かったわけではないが、リコリスは小突かれた額を何となくさすりつつ、黙って相棒を見上げ続けた。
睨んではいない。ただ見ているだけ。
しかしライカリスは居た堪れなさそうに苦笑すると、視線を外し頬を掻いた。
「そういう風に、あの…………いえ、何でもないです。とにかく、この件についてはもう少し進めば分かりますから」
「進めば、分かる……?」
「ええ」
ということは、ヴィフの町へ至る道、この道中に何かあるのか。
不思議ではあったが、この相棒のこの様子ならば、少なくともリコリスが不安になるほどのことはないのだろう。リコリスに危害が及ぶのならライカリスはもっと深刻な顔をするだろうし、何よりこの出稼ぎにも反対したはずだから。
心なしか楽しそうなライカリスに、リコリスが「まぁ、いいか」と納得したところで、小さく馬の嘶きが聞こえてきた。
「ああ、戻ってきましたね」
「そうだね。じゃあ、お昼の続きってことで」
そう告げれば、腰の蝙蝠がもぞりと動き、アイビーグラスの山を再度吐き出した。
あのエベーヌのために、この気候の中で傷まないようにと戻しておいたものだ。あの陽気な馬は、戻ってきたらきっと喜ぶだろう。
毎度このことながら蝙蝠様の心遣いに感動を覚えつつ、リコリスはライカリスの皿にもおかわりをよそうのだった。
■□■□■□■□
「ぎゃっ」
リコリスが短く悲鳴を上げたのは、昼食を終え、馬での移動を再開してしばらく経ってからだった。
今リコリスの前には、昼食のために休憩を取った小川よりも若干広い川が流れている。
最初の頃よりも森は深くなり、大きく枝葉を広げた木々によって周囲はそれなりに薄暗い。そのあたりは、特におかしくもないのだが。
――問題は川の向こう岸。
「ちょ、え、えぇ……? 何コレ」
パクパクと口を開閉させ、目を丸くしたリコリスが指差す先。対岸の森は、こちら側とは別の世界のようだった。
色の濃い幹をもつ木々は太く大きく歪み、デコボコした枝についた葉も奇妙に大きく。根は土を押し上げて存在を主張して、地面の下はどうなっているのか全く想像できない見た目をしている。
薄暗い、と感じていた今までよりも、遥かに暗く先の見えない森が目の前にあった。
しかし、それよりも何よりも異常なのは、それらの木々に巻きついている蔓だ。
リコリスの胴ほどもある太さのその蔓が、ただでさえみっちりと詰まった印象を受ける森を、更に狭くし――挙句、動いているものだから尚のこと狭苦しい。
風に揺れているとか、そんな受動的な動きではない。明らかに自発的に波打ち、蠢いて他の蔓と擦れ合って、あるいは踊っているかのようにも見える。
また別の場所では、高い位置に持ち上がった蔓の先端が2本、お互いを打ち合わせている。もしかしてハイファイブでもしているのか。蔓なのに。
「うわー……」
「行き来ができなくなった理由、分かりました?」
微妙なテンションで感嘆の声を漏らすしかできないリコリスの顔を、ライカリスが覗き込む。間近に見た瞳には、悪戯成功、という感じの色があり。
リコリスは口元を引き攣らせて、その切れ長の目を見返した。
「……十分すぎるくらいに。これってもしかして、あの……森の東の端の?」
「ええ。以前は森の隅でじっとしていた、あのモンスターです」
かつての記憶を頼りに、しかし記憶とはあまりにも違う今の姿に、リコリスが自信なさげに問えば、あっさりと答えが返る。
しかしはっきりと肯定されても、すんなり受け入れられるかというと……。
リコリスが覚えているそのモンスターは、森の東端で、1本の大きな木に寄生していた団子状になった細い蔓だった。名をヴァインバンヤンという。
転職後に出現する会話で存在を知らされるモンスターだが、特に討伐対象にもなっていない上にいいアイテムも落とさない。その上場所が辺境で、トドメには攻撃すると木の上の方に逃げてしまうため、狩り対象として不人気で、基本的に放置されていた。
しかし見た目はモソモソとしていてリコリス含む一部プレイヤーに人気があり、もっぱら愛玩用なのだった。
ヴァインバンヤンは自主的には攻撃をしてこないノンアクティブモンスターだが、ここまでみちっと詰まっていれば普通に通行止めだ。
この森は東西を切り立った崖に挟まれていて、崖の方は山羊か、空でも飛ばない限り移動は不可能。
そして絶対に通らなければならない森がこの有様なら、それは行き来も途絶えるはずである。
あんなに可愛かった奴がどうしてこうなった、と何となく悲しくなる光景を前に、リコリスは更なる説明を求めてライカリスを振り返った。
対する相棒は、ただ一言。
「例の双子が餌をやりました」
「………………ああ、うん。わかりやすい」
奴らか。
脱力気味に棒読みになってしまったリコリスに、ライカリスは更に説明を続ける。
「ミステルの町からの搾取が始まってしばらくしてですかね。双子がこちらに来たんですが、彼らが面白がって特製肥料を与えたら半月くらいでこの状態です。短期間でかなり強くなりましたし、何より狩る人間もいなかったので、誰にも邪魔されず大きくなりました」
そう言われてよくよく見てみれば、以前は60だったレベルが200になっているのが確認できた。強くなりすぎだ。
蔓を凝視しステータスを確認していると、ライカリスは楽しげにくすくすと笑った。
「でも普段は大人しいですよ。私が通ろうとすると、道を譲ってくれますし。それに、危険なモノからは隠れようとしたり」
双子の兄が近づくと必死で蔓を回収して隠れてしまうのだと。
そんなことを笑いながら教えてくれるライカリスにとって、このモンスターは人間よりもある意味友達感覚なのだろうか。明らかな親しみを瞳に浮かべて森を眺めている。
「……ライカ、バンヤンと友達なの?」
ちなみにバンヤンとは、正式名称が語呂が悪いのと、ただのバンヤンの方が可愛いという理由で広まった、ゲーム内でのモンスターの愛称である。
「えっ?」
肩越しに問われたライカリスは、意外なことを訊かれた、と目を瞬かせ、それから首を傾げた。
「うーん? 友達云々というより、相手の強さを基準に、好意、悪意に敏感なんですよね」
「ああ。ライカが気に入ってるから、それに反応してるのか……」
つまり低レベル、あるいは非戦闘の人間にはヴァインバンヤンが反応しないから、道が埋まり人が通れないのだ。
道を開けてもらわなければ通れないわけだし、そもそもこの状況なら普通なら近づこうとは思わない。
ただ単純にそう納得したリコリスに、しかし背後の相棒は、軽く爆弾を落としてきた。
「――ちなみにこれ、人も食べますよ」
「うぇっ?!」
ぎょっと見返せば、ライカリスは妙にコミカルに蠢く蔓の彼方に視線を投げる。
「元々の場所に大きな花が咲きました。人間が3人や4人簡単に呑み込めるような大きさの、ね」
ラフレシアの下にウツボカヅラがくっついたような、と教えてくれるが、論点はそこではないと思う。
「あ、でも一応、好物は果物みたいですよ。植物なのに、植物育ててますし」
だから、気になるのはそこではなくて。いや、それはそれで可愛いけれども。
「……ライカ、それ」
「何度も言った通り、私は何もしていません。ただ攻撃されたこの蔓が怒っただけです」
「……」
(あーあーあー……)
ここに来て、その言葉の意味がようやく分かった。分かってしまった。
ライカリスは真実、何もしなかったのだ。
直接手を下すことはなく、モンスターが育つのを止めることもなく。恐らくこの様子ならけしかけることも当然していないだろう。
愚かな人間に悪意を、愛嬌のあるモンスターに好意をもって、愚か者が自滅するのを、ただただ見ていただけなのだ。
「そういうこと……」
思わず額を押さえるリコリスとは対照的に、ライカリスは普段とはどこか違う笑みを浮かべている。
「嘘はついてません。ヴィフの人間はその時の状況で遠慮して、これが育った頃にはもう撤退していましたからね。だから、私は不介入でした。たまに花の前まで散歩はしたので、何があったのか知っていますけど」
軽く語るその笑みには、嘲笑うかのような冷たさが垣間見えた。
前方の蔓を眺める目線との差に、この男の人間嫌いを改めて思い知らされる。
とはいえ、ライカリスを責められるかといえば――そんなことできるはずもない。
その場におらず、仕方ないとはいえ大切な人々の助けにもなれず。モンスターは自分の身を守っただけで、その結果スィエルの町の人々は助けられた。
そして正直なところ、食べられた人々を助けてほしかったとほとんど思えないのだから。
どれだけ複雑でも、偽りのない気持ちと、一握りの理性の板挟みでも、結局リコリスには何も言えない。言う資格がない。
だから、悩んでももうどうしようもない、とリコリスは軽く頭を振った。
いつまでも沈黙していては、ライカリスを不安にさせてしまう。それは避けたかった。
「……とりあえず、刺激しなければ大人しくて可愛いバンヤンのままなんだよね?」
「可愛い……かは、この大きさになっているので分かりませんが、大人しいのは変わっていませんよ。怒ったら反撃するようにはなりましたけど。リコさんの育てた果物とか、喜ぶんじゃないですか」
「よし。戻ったら餌やりに行こう」
果物なら任せろ。
喜ぶと言われ、勢い込んで拳を握ったリコリスに、ライカリスは先ほどまでの冷たい表情を何処へやら。ふわりと目元を緩め、柔らかく微笑む。
「地形も少し変わっていますけど、迷子にはならないでしょうね。喜んで本体の所まで案内してくれると思いますよ」
「あぁ、それいいね。何を持っていこうかなぁ」
何でもない世間話のように会話を楽しみながらも、リコリスは別のことを考えていた。
この森を通り過ぎる時にでも、この周辺に妖精を配備しよう、と。
せめてこれから先、うっかり食べられる人間がいないように、身を守ろうとするヴァインバンヤンが傷つかないように。
(あと、可能な範囲で偵察もいるなぁ)
よくよく考えてみれば、何故今までやらなかったのかと思うが、それはきっとこちらの生活に慣れることに必死だったからだと、更によく考えてみれば分かる。
……とはいえ、いい加減後手に回りすぎだ。襲撃事件のことも、この森のことも。
今回、ヴィフの町に派遣した妖精は、この森について特に言及しなかった。リコリスが、保てる距離を測るように、としか命令しなかったから。
(……難しい)
決められた枠内で行動すればいいゲームではなく、自分で全てを考え、想定外の出来事にも対応しなければいけない。これは元いた世界と何も違わないことのはずなのに、世界が違い、常識が違うからか、予想以上に難しい。
手も気も抜いていたつもりはなかったが、しかし結果がそうなってしまっている以上、認識を改めなければ。
360度無数の蔦が踊り狂う森を通りながら、リコリスはそっとため息をついた。




