第40話 嫌な思い出、それは逆襲の前触れ
お湯の沸いた小型の鍋にアイビーグラスの葉を突っ込んだあたりで、ポーンから報告が来た。
曰わく、エベーヌは無事発見したが、当人ならぬ当馬が未だ著しい興奮状態にあるため、もう少し落ち着いてから戻る、と。
一体どれだけ笑い転げているのかと突っ込みたい気もしたが、そこは我慢して、リコリスはひとまず妖精を労うに留めた。
「エベーヌ、見つかったみたい。まだ笑ってるから、落ち着いたら戻るって」
「まだ笑っているんですか……。まぁ、見つかって良かったです」
一瞬生温かい笑みを浮かべたライカリスが、思い直したように言葉を添えた。
気持ちは分かる。……が、ともかく無事なら良しとしよう。
懸念事項が消えて、リコリスは鍋に思考を戻した。
葉の色は湯に通したことで、鮮やかな赤みを帯びた緑に変わっている。
後はホウレン草と同じだ。湯から上げ、水で流してから絞り、食べやすいように適当に切って。
それを一口含んで、リコリスは確かにホウレン草だと納得した。細かいことを言えば、若干甘味が強いだろうか。
何にせよ、普通に美味しい。
「――これなら生でマヨもいいなぁ」
リコリスの呟きに、ライカリスが微かに笑う。
「気に入ったみたいですね」
「うん。これは本気で飼育検討だわ」
「それはそれは……エベーヌが喜びますねぇ」
「……確かに」
一番喜ぶのは間違いなく奴だろう。
相棒の苦笑につられるようにリコリスも笑って、それからまたアイビーグラスを口に運んだ。
ところでライカリスはやはりアイビーグラスの調理方法を知らなかった……というよりも、考えたこともなかったらしい。
捕まえて軽く水洗いしてそのまま齧っていたというのも、まぁ予想通りといえばその通りだが、その場面を想像してみると絵面的には微妙である。
しかしまぁ、何か特殊な処理は必要ないのはよく分かった。
もぐもぐと口を動かしながら、リコリスは残りのアイビーグラスを見、それからライカリスを仰ぎ見る。
「せっかくだし、これで何か作ろうか。リクエストある?」
問われ、ライカリスは首を横に振った。嬉しそうに顔を綻ばせながら。
「何でもいいです。リコさんの作ってくれるものなら」
「……うーん」
本気で幸せそうなその返事もいつも通りだ。
作る側としては、できればリクエストしてもらえた方が助かるし、作り甲斐もあるのだが。
しかしライカリスの表情が、その言葉が心からのものだと伝えてくるから、別にいいかと思ってしまう。本気で喜んでくれるのなら、と。
(でも、おねだりしてくれるようになったら一番いいんだけどな……)
献立の要求など些細なことかもしれないが、それでもやはり、ライカリスが気軽に我侭を言ってくれるようになるのは嬉しい。
この相棒は、どうしても遠慮がちなところがあるから。
とはいえ、リコリスが下手に動くと先走って失敗するし、ライカリスは暴走して手に負えなくなるしで、なかなか難しいのだが。
(ま、それはそのうち)
「リコさん?」
僅かに考え込んで動きを止めたリコリスを、ライカリスが窺い見る。
それには「何でもない」と軽く首を振って、意識を昼食のメニューに切り替えた。
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「――これさ、食べ始める切欠とかあった?」
ベーコンと一緒にバター醤油で炒められたアイビーグラスをつつきながら、リコリスはポツリと言った。
持参したおにぎりと合わせてなかなかいい昼食で、この味ならば定着してもおかしくないとは思う。思うが、最初に食べようと判断したのは、何かがあったのではないか。
スィエルの町は異変の後のこの世界においてかなり恵まれた場所だった。元々そういう町であったし、ライカリスもそう説明してくれたし、リコリス自身もそれを確認している。
にもかかわらず、わざわざこの見た目のアレなモンスターに手を出したのは、そうせざるを得ない何かが……とは考えすぎだろうか。
(や、ただ食べてみようと思って食べたら美味しかったとか……?)
邪推かなぁ、と首を傾げるリコリスに、お茶を一口飲んだライカリスが視線を投げかける。何となく含むものがあるのは、多分気のせいではない。
「興味がなくて放っていましたが……そうですね。町の外に出るからにはリコさんに伝えておかないと。すっかり忘れていました」
すみません、と謝罪されるが、その不穏な物言いの方が気にかかった。
おにぎりを齧ろうと開いていたリコリスの口が、目的を果たせないまま閉じ、それに従って顔が強張る。
それを見て、ライカリスが慌てて「大したことではないんですよ」と言って苦笑した。
「簡単に言うと、何を勘違いしたのか分からない馬鹿な連中が、スィエルから搾取していたんですよ。かなり一方的に。それで町の住人もお人よしなのでそれに応じて食料が足りなくなり、その結果がアイビーグラスのようです」
何でもないことのように、他人事のように言うライカリスの声は、不気味なくらい抑揚がない。込められた感情は……侮蔑だった。
だがその中に僅かに、別の何か苦いものを浮かべながら、相棒は続ける。
「異変のすぐ後……牧場主たちの捜索が行われた後も、他の町と交流がありました。転移装置は止まりましたが、馬で走れる距離で、モンスターも強くないですから。スィエルの環境もよかったですが、何よりあなたの残してくれた作物があって、先のことを考え、しっかり管理した上で、他の町にも食料を譲ろうとなったそうです」
「んー……管理かぁ。そう言ってても、かなりの食料を渡したかな……?」
あの優しい人々が、自分たちさえよければと言うはずがないし、困っている者を放っておけるはずもない。ライカリスの言葉を借りるとお人よしになってしまうが、リコリスが惚れ込んだその人柄、優しさは彼らの魅力だ。
真面目なサマン町長としっかり者のマザー・グレースならば、本来守るべき町の人々を蔑ろにすることはなかっただろうが、それでも自分たちの分をギリギリまで切り詰めていたのではないだろうか。
それはあくまでもリコリスの想像だったが、彼女の呟きをライカリスが肯定する。
「ええ、その通りです。ちなみに一番その恩恵を受けていたのはヴィフでしたが、あの町の人々は特に問題はありませんでした。過ぎた物は断りを入れてきましたし、貰った物もできる限り保存食にしていたようで」
説明を受けながら、ヴィフの町の人々を思い浮かべる。
チュートリアルを終えたプレイヤーが、初めて転移装置を使って訪れる町。冒険者ギルドの支部があり、本格的な活動の最初の拠点になる場所で、非常に活気があった。
人々は明るく陽気で賑やかで、スィエルの町が春なら、あちらは夏だろう。テンションが高く様々な依頼で振り回してくれたが、後味の悪い話はなく、皆親切で優しかった。
しかしそれでいて真面目で堅実な面が依頼の合間合間に覗いており、今の話だと保存食云々にそれが現れているようだ。
「そういうわけで、最初は特に問題もなかったんです。最初は、ね」
「不穏だわぁ、その言い方……」
「ええ、実際不穏でした。本当に最初はよかったんですけどね。しばらくしてスィエルの援助を聞きつけた馬鹿が――個人でなく町ひとつが丸々と干渉してきまして」
町ひとつ、との言葉に、リコリスが顔を顰める。
もちろんライカリスに対してではない。その町と、その後に何があったのか、具体的に見当がついてしまったからだ。
リコリスのゲームの記憶も合わせて浮かんでくる、心当たり。
「……ミステルの町?」
「当たりです」
ヴィフの町から更に10日ほど馬で走った位置にある町の名を呟けば、返ってくるため息混じりの肯定。
「うわーっ。あの町関連かぁ。嫌だな、もう」
嫌な記憶がどんどん蘇ってきて、飯時には非常によろしくない。
リコリスはぐしゃぐしゃとやや乱暴に前髪を掻き毟る。
その問題のミステルの町は、元々は貴族の別荘地だったところに、更に便利さを求めて作られた商店の集まりだ。もっとはっきり言うなら、貴族の我侭を聞くためだけに存在していた。
あれがやりたい、これが食べたい、どこそこに行きたいと、とにかく何かしら要求を突きつけてくる貴族たちの要望に応えるのがミステルの町の人々の仕事である。
別にそれはそれでいいのだが、問題はその影響が外に漏れ出すことだった。
別荘を訪れる貴族全員がそうではないが、大半が非常に我侭で、それはミステルの町の中に留まらず、周辺の町や村が被害を受けていた。食事代のツケ……という名の踏み倒し、ゴミの不法投棄は当たり前、挙句ほしいと思ったものは問答無用で奪っていくという無法振りで。
何とかしてほしいというクエストが、冒険者ギルドからも、道端で出会ったNPCからも発生していたし、リコリスもそれは何度も経験している。
(ゴミ拾いとか、食い逃げ犯と会話するくらいなら別によかったけど……)
解決したい、あるいはされてほしいクエストほど、無情な終わりを迎えることが多かったのだ。結局クエストはクエストでしかなく、当然許された流れの中でしか介入できなかったので、まぁ何とも後味の悪い結末を眺めるしかなかった。
小さな女の子の宝物が取り上げられ、結局戻ってこなかった時は、ゲームとはいえ本当にモヤモヤとしたものだ。
他にも、と思い出せば思い出すだけイライラしてくる。
低く唸って髪を掻き乱すリコリスに、ライカリスが眉を寄せた。
「ああ、ほら……落ち着いて」
感情を反映して動くリコリスの手を掴んで止めると、反対の手で、宥めるようにゆっくりと乱れた前髪を梳いていく。
大きな手が頭を撫でていく感覚に、少し落ち着きを取り戻したリコリスは、一度目を閉じ大きく深呼吸をした。
「……ごめん」
「いえ。あなたがあの町を嫌っているのは分かっていますから」
乱れていた髪が元通りになると、ライカリスの手はそのままリコリスの肩を引き寄せる。
リコリスはそれに素直に従い相棒に身を寄せ、心地よく馴染む体温に安堵する。
それでもどうにも気分が晴れないのは、低レベルの頃に染み付いた苦手意識によるのだろう。
ちなみにその原因になったのは、町周辺の出来事だけではない。
軽犯罪オンパレードだったミステルの町のクエストの元が、更に頭の痛い選民思想だったことも大きい。
分かりやすく例えるなら、犬未満のウィードが沢山いて、当然のように犯罪を要求してくる、と。
『どうしてこんな町を初期マップに作ったんだ?!』
……とは、プレイヤーたちほぼ全員の声である。
ついでに、
『どうしてこんな町をここまで作り込んだよ……』
……という声もあった。
ほのぼの、時々しんみりが売りのはずの牧場ゲームに、何故ミステルの町が作られたのか。
運営開発の真意は謎のまま、『アクティブファーム』最大のツッコミ所となったのだが。
後々に、ミステルの町のクエストは無視しても後に影響がなく、安心して素通りできることの異例の情報提供が運営からなされたのは、連名で粘り強く直訴した先行プレイヤーたちの努力の賜物だ。無論、リコリスもその1人である。
そんなこんなでゲーム中、ミステルの町との接触は最小限に留めていたわけだが、ここに来て改めて向き合う羽目になるのか。
状況的にも地理的にも仕方がないのだが、あの言葉の通じなさを思うと若干頭が痛いのは確かだ。
「……全員虫にでも変えちゃおうかな」
鈴虫にでもしてしまえば、風流で済む……はずもないのだが。
面倒臭さに背を押される形で、とんでもなく投げやりな解決方法がリコリスの口から零れ出る。
それを聞いて、それまで気遣わしげにリコリスの肩を抱いていたライカリスが小さく笑った。
「いいんじゃないですか? 喜んでお手伝いしますよ。なんなら、私が全部片付けてもいいですが」
本来の性格が現れた、性根の曲がっていそうな意地の悪い笑みを浮かべて。
というか、片付けるって何をだ。
(え、それは問題を? 人を?)
どちらかといえば後者のような気がして、リコリスは慌てて首を振った。
全員虫、と考えたリコリスがどうこう言えることではないのだけれども。
「いや、やるなら自分でやるから。多分今なら何とかなると思うし」
「そうですか? まぁ、確かに今の私たちなら、問題はないでしょうけど」
「うん」
そう。レベル20かそこらだったあの頃とは、実力は桁違いなのだから、どうとでもできるのだ。
「1人1人にクイーンつけて、耳元でず~っとお説教続けてもいいしね」
「それは堪えますね……」
相棒は顔を引き攣らせたが、実力行使は実力行使でも、これなら平和的である。
物理的な削除も、虫も、本当に本当の最終手段としても、他に手はある。それができるだけの実力も。
そう考えれば、気分も浮上するというもので、むしろどんな風に苛めてやろうかと楽しみにもなってくるから面白い。
実際ヴィフの町とミステルの町は距離があるし、今回ぶつかることがあるのかどうかはまだ分からないが。
しかし、過去スィエルの町にも影響を与えたというのだから、心構えはあって困るものではない。
「ん。とりあえず、油断しない程度に楽しみにしとく」
「それがいいです。リコさんらしくて。ああ、もちろん本当にやってもいいですからね、色々と」
本音を言えば、それぐらいの心構えでいないと気が滅入ってくるのだが、相棒はそんなリコリスの心情を読んでか、物騒な慰めを口にした。
しかしどれだけ穏やかでない物言いでも、表情が意地悪く歪んでいても、ライカリスがリコリスを見つめる目は優しい。
それに慰められたリコリスがようやく強張っていた顔を緩めた時、彼女はふと声を上げた。
「――あれ?」
「どうかしましたか?」
「や、かなり今更なんだけど。何で今あの町と関わりないの?」
リコリスがこの世界に来てからスィエルの町を訪れた者は、あの襲撃犯たちだけ。他の町との交流などない。
これがヴィフの町だけなら、相手が遠慮したと言われても納得できるが、ミステルの町に限ってそれはない。
しかも馬で15日程度の距離。モンスターは強くない。実際、過去には一方的とはいえやり取りがあって。
なのに今それがないのは何故?
そう思うと、リコリスの視線は自然と、ある意味当然ライカリスに向くが、相棒は緩く首を横に振った。
「私は何もしていませんよ?」
……と言いつつ意地悪く微笑んだ口が、一瞬の間の後「私はね」と言い足した。
作者旅行中につき携帯投稿
慣れないため、帰宅後見直し致します(4/21)