第4話 巨大蝙蝠とトマトパスタ
「何を作ろうかな~」
小さなキッチンを前に、リコリスは腕まくりをした。
ちなみに袖を捲くった左腕には手の跡がくっきり。犯人は後ろで無意味にうろうろしている。
確か調理台の下の棚に、器具一式が入っているはずだ。
家と家具はケチったリコリスだが、調理器具はレア品を大量に揃えていた。
『アクティブファーム』には「鍛冶」「革細工」「裁縫」「木工」「彫金」「錬金」「料理」の7つの生産スキルがあり、この中から2つを選んで伸ばすことができる。
リコリスが選んだのは裁縫と料理。故に調理器具にもレシピにも不自由しない。廃人らしく、集められるだけ集めてある。
リコリスはしゃがんで木製の戸に手をかけた。
何も考えずに両開きのそれを開いて、
「……………………」
――パタン。
閉じた。
棚の中にあったのは――否、棚の中は異空間だった。
棚の中は夜だった。見たこともない大きな満月が浮かんでいる。
その満月を背景にして、おどろおどろしい城が建ち、その周囲を無数の蝙蝠が飛んでいて、リコリスはその光景を見下ろしたのだ。
棚はそんな謎の巨大異空間の上空に口を開けており、目当ての調理器具は、その前方を漂っていた。
何事だ。
「リコさん? 何かありましたか?」
「な、なんでもない。何を作ろうかと思っただけ」
不思議そうに訊いてきたライカリスに、力なく首を振った。
自分の家の棚に驚いているなんて、突っ込まれたら言い訳できない。リコリスはずっとこの家に住んでいたことになっているのだから。
それに実は、心当たりがある。
ゲーム中では、棚を開くとマスが並んでおり、アイテムアイコンを自分の持ち物から移動させて収めるシステムになっていた。おそらく、大抵のゲームでそうなっているだろう。
ただ、このゲームではその棚画面の背景画像を設定できるようになっていた。
リコリスがこのキッチン棚の背景に設定していたのが、ハロウィンイベントで配布された画像だった。大きな満月に、歪な城のシルエット、飛び交う蝙蝠……。
(そのせいかーっ)
謎は解けた。だがあえて言いたい。
何故こうなったし。
「何を作るんです?」
「ん~。トマトのパスタとかどうかなぁ」
レシピを所有しているはずだ。
冷蔵庫の中に入れていたアイテムを思い出しながら、リコリスは答える。食材は全てその中だ。
そちらにも色々入っていたはずだが……棚がこの様子だと、冷蔵庫の中もカオスな気がしてならない。
覚悟を決めて、もう一度棚を空ける。目の前に浮いている器具の中からお目当てを探しつつ、内心で少し焦る。この棚、使い方が分からない。
「えぇと、麺を茹でるから【寸胴】でしょ」
言葉にすると、アイテム名に反応したのか、すすす、と中のひとつが近寄ってきた。
寸胴だ。
こうやって使うのか。便利といえば便利。
寸胴を引っ張り出しながら、リコリスは少し感動した。
「あと、【フライパン】、【片手鍋】、【包丁】、【スパゲティレードル】……【お玉】と【木ベラ】もかな」
こんなものだろうか。
近づいてきた物をひょいひょいと手にとって考えていると、ライカリスが隣から覗き込んできた。
「相変わらず前衛的な収納ですね」
「……でしょ?」
家主もドン引きするくらいにね。
でも、そうか。ライカリスはこの棚のことを知っているのか。
そういえば、ゲーム中、何度も彼を連れて家に来ていたし、料理をしたこともある。知っていてもおかしくはない。誤魔化していて本当に良かった。
「これ、下はどうなっているんですか?」
「さぁ?」
こっちが訊きたい、そんなこと。
興味深げに身を乗り出すライカリスにハラハラする。どうなってる分からないだけに心配だ。落ちたらどうしよう。
彼の服の裾を握りながら、そこでふと、他の可能性に思い至った。
(あ、もしかしたら奥行きがあるっぽく描かれただけの絵だったりして)
蝙蝠が動いていたのも、動画だと思えば。
安心しかけた時、ライカリスが僅かに身じろいだ。
え、まさか落ちる?
ぎょっとして裾を握る手に力を込めると、彼は何事もなく上半身を戻して、次いで引き抜かれたその手には、黒い塊が。
「捕まえちゃいました」
やたらと大きな蝙蝠と、10センチの距離で目が合う。
大人しくしている蝙蝠は、よく見ると怯えているようだった。さすが野生動物。自分を捕らえた男が危険なことを、本能で察しているようだ。
小さいながらもつぶらな瞳が、助けを求めるようにリコリスを見ている。
「逃がしてあげなさい」
「はい」
当人もただ何となく捕まえてしまったのだろう。再び棚に腕を突っ込んで蝙蝠を緩く放り投げた。城の方へ飛んでいくのを、リコリスは見届けた。やっぱり本物なのか、この中。
「……」
まぁ、いい。悩んでも仕方がない。今すべきは料理だ。
リコリスのスルースキルはわりと高い。
リコリスは調理台の前に立った。彼女の前には食材が並び、調理されるのを待っている。
冷蔵庫の中は、例によって異空間だったが、今は触れないでおこうか。
(ところでコレ、どうするの?)
このまま始めてしまってもいいのか。
調理台に向く視線に少し力を入れると、べろんと画面が表示された。レシピ一覧だった。リコリスが今まで集めた大量のレシピが載っている。
この中から目的のトマトパスタを探し出し、選択するとレシピ一覧が消えて、レシピが出てくる。
(……ん?)
表示させてからリコリスは気づいた。
そこにはやたらと詳しい手順が書いてあり、代わりに【開始】ボタンは存在しなかった。レシピは調理の邪魔にならない位置に浮いていて、とても見やすい。
ということは。
(え、ガチで作れってこと?)
普通に料理しろと。道具と材料揃えて、開始ボタンをポチッで、トントントンピコーンはどこ行った。
「何か手伝うことありますか?」
固まっていると、ライカリスが覗き込んでくる。
はっとした。このままではいくらなんでも不審すぎる。
「あ、じゃあ食器お願い……」
取り忘れた皿とフォークを頼む。「はい」と返事をして棚の前にしゃがみこむライカリスを見下ろしながら、リコリスはため息をついた。
(いや、料理はできるよ。できるんだけどさぁ)
料理はまだいい。しかし他の生産スキルはどうなる。裁縫とか、切ったり縫ったりして装備作るのか。
予想外の展開に戸惑いつつ、ベーコンに包丁を入れた。
■□■□■□■□
今日ほど料理ができてよかったと思う日はない。
強いて言えば、彼氏を家に招待して初の手料理を振舞う状況に似ている。……ちょっと違うか親友だし。
リコリスは元々一人暮らしだったため、手際は悪くない。作ったことのないメニューだからレシピを見ながらになったものの、作業そのものはスムーズだった。
「美味しいですね、これ」
地味な木製テーブルに向かい合って座り、嬉しそうにパスタをつついているライカリスを眺めて、リコリスは今心底ほっとしている。内緒だ。
「そう? じゃあ、また忘れた頃に作ってあげる」
「忘れた頃なんですか」
「同じのばっかりだと飽きない? 他にも色々作れるし」
そう言うと、ライカリスは嬉しそうに微笑んだ。
「色々作ってくれるんですね。……嬉しいな。楽しみです」
「う」
リコリスにとっては何気ない言葉だったが、ライカリスにとっては『これから』を約束するものだったらしい。
想いが真っ直ぐすぎて、照れる。
「つ、作るよ、たくさんね。ぽよんぽよんに肥えさせてやるんだから」
「いえ、それはちょっと」
ライカリスが苦笑した。
照れ隠しだと、バレているだろうか。いや、肥えさせるのは本気なのだけどね。
「ガリガリよりぽっちゃりの方が好きだなぁ」
「えー……」
何やら本気で悩んでいる様子なのがおかしい。
こっそりと笑いながら、リコリスはぐいっとコップの中身を呷った。中身はついさっき搾った牛乳だ。
ライカリスも食べ終わって、手を合わせている。
「ごちそうさまでした。あ。洗い物は私が」
「いや、ライカは休んでて。そんな顔色で働かせるほど鬼じゃないよ私」
しっかり食べて少しだけ顔色は良くなっているが、まだまだ。
食器を片付けようとするライカリスを、リコリスが止める。
「でも」
「後で畑の野菜収穫して町に行くから、その時に手伝ってよ。今は休憩。ね?」
手伝わせるといっても、そんなに働かせるつもりはないのだが、それは言わないでおく。
「……分かりました」
渋々頷かれる。
それでも食器は運んでくれるらしく、リコリスの分の皿も重ねられて流しに移った。
洗剤は流しとセットなのだろうか。思い返してみると、そんな装飾がついていた気もする。
皿をスポンジで擦りながら、リコリスは後ろに声をかけた。
「お昼寝しててもいいよ?」
「私が寝たらリコさん、どこかに行ったりしませんか」
「しないしない。誰かさんがまた泣いちゃったら困るし~」
返事はない。言い返せなかったようだ。
洗い終わった食器を立てかけて、濡れた手をタオルで拭いながら振り向くと、いつの間にかベッドに移動していたライカリスが、リコリスを見ていた。
目が合うと、ぽんぽんと隣を叩かれる。
リコリスは肩を竦めて、その要望に従った。
「甘ったれ」
また返事はなく。
リコリスの肩に、そっと頭が乗せられる。さらさらと髪が流れた。
何も言わないので、そのままにしておこう。
(この後の収穫は――妖精さんたち呼べるかな)
妖精師のリコリスは何種類かの妖精を呼んで使役できる。
その中に家妖精という種類がいて、戦闘には参加できないが、牧場の仕事を指示しておけばやってくれる。牧場を見た限りではいなかった。未召喚状態で引っ込んでいるのだろうと思う。思いたい。
妖精師なのに妖精が呼べないと、まさしく役立たずだ。
(収穫したら町に行って、話を聞いて)
住人たちを思い浮かべる。
ライカリスのように、プレイヤーのパートナーだったNPCもいただろうか。彼らはリコリスを見てどんな反応をするだろう。
(あと、扉を直さないといけないし、お風呂もなんとかしないと)
よく考えたら、最低限すらそろっていない、この家。
修理と増築諸々でいくらくらいかかるだろう。
確認しなくても知っている己の所持金。桁が少なすぎて覚えている。諸事情で貧乏街道まっしぐらのリコリスには頭の痛い状態だ。
覚悟の上の貧乏だったが、現状は予想外で溢れている。
作物を町の人々に売りつける気はないし、プレイヤー市場がないだけに稼ぐ場が限られてくる。オークションや露天システムで、いくらでも物を売り買いできたゲームとは違うのだから。
冒険者ギルドに依頼を受けに行くにも、スィエルの町に支部はないし、転移装置も動かないようだから難しい。
まさかこのレベルで必死の金策をする羽目になるとは……。
扉を直すくらいなら自分でもできるだろうが、お風呂は無理だ。
近所に天然温泉があるから、毎日そこまで通うしかないか。
悩むことしばし。不意に肩にかかる重みが増した。静かな呼吸音が聞こえてきて、ああ、とリコリスは納得する。
少し身体をずらすと、凭れかかってきていた上半身が彼女の前に落ちてくる。それを、頭が膝の上に来るようにそっと調整して、髪を束ねる紐を解いた。
目は覚まさなかった。あまり熟睡できないのだと以前聞いたことがあるが、相当疲れていたのだろうか。
真っ直ぐで柔らかい髪を梳いてみる。
起きた時には、もう少し元気になってくれていたら嬉しい。
「おやすみ、ライカ」
トマトパスタは、フレッシュトマトのアマトリチャーナのイメージです。