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第37話 意外な生き物

「それじゃあ、行ってくるから。何かあったら、クイーンに言ってね」


 牧場の出入り口に立って、リコリスは見送りの弟子たちを振り返った。


「はい、行ってらっしゃいませ」

「心配はいらないと思いますが……お気をつけて」

「牧場のことはお任せください」


 ペオニアやアイリス、ジニアのように真面目に送り出してくれる者もいれば、


「頑張って稼いできてくださいませぇ」

「うーん、金持ちの師匠って想像できねぇッスけど」

「バカ、ファー。そんな一気に金持ちになれたら、今貧乏してねぇって」

「……まぁ、せめて5桁いくといいッスね」


 などと、微妙な声援を送ってくるのはジェンシャンと、特に余計な一言はファー、チェスナット、ウィロウである。……うん、本当に余計だ。

 生温い空気に顔を引き攣らせながら、それでも言い返せないリコリスは弟子たちから目を逸らした。

 逸らした視線の先にいるのは勢揃いの家妖精たちで、2人ほどウィードの背に乗っているが、振り落とされたりはしていない。分かりやすく疲れきった表情の犬を意外に思いつつ、しゃがみこんで妖精たちと視線を合わせた。


「ちょっと出かけてくるから。牧場、よろしくね?」

「はぁい!」

「いってらっしゃいなのです、ご主人さま!」


 ゲーム時代も含めてならば、この妖精たちはこういった留守番には非常に慣れている。本体と共に戦うのが本来の仕事である戦闘妖精たちとは違い、牧場の留守を守るのが家妖精の役目だから。

 若干の不安要素といえばウィードだったが、ジェンシャンが厳しく見張っているし、最近は妖精たちを威嚇することも牙を剥くこともなくなった。むしろ積極的にペオニアや妖精たちの近くにて、作業を手伝おうとしていることもある。この様子ならば問題ないだろう。

 リコリスは一番近くにいたリリの頭を撫でながら、顔を上げた。妖精たちの後ろで常と変わらぬ笑みを浮かべているクイーンと目が合う。


「ってことだから」

「はい。お任せくださいませ」


 彼女に任せたのは、牧場従業員たちの安全、そしてスィエルの町を警護している戦闘妖精たちの統括である。

 以前あったような襲撃に備えて、リコリスは警備にはこれでもかと力を入れた。レベル1000の妖精たちが大量にうろうろしているこの町を襲うのは、それこそレベルカンストで廃人装備の牧場主(プレイヤー)か、そのパートナーでなければ難しい。


(まぁ、だからって不安がなくなるわけじゃないけど)


 しかし、できる限りのことはした。

 出かける前から始まりそうなホームシックを気合いで振り払って、リコリスは立ち上がる。その途端、背後からするりと腰に手が回り、軽く後ろに引き寄せられ、彼女はきょとんと目を瞬かせた。


「ライカ」

「忘れ物はないですね?」


 そう問うてくるライカリスの後ろには、巨大な黒い塊がゆったりと構え、人間たちを見つめている。がっしりとした体躯が立派な馬だ。

 艶々とした見事な毛並みの青鹿毛の馬は、名をエベーヌという。名前は女性的だが、れっきとした雄馬で、ゲーム中、リコリスはよく乗って出かけていた。といっても基本的に近所のみだったので、今回は初めての遠乗りということになる。


「うん。全部持った……はず」

「……まぁ、何を忘れても、届ける食料だけ持っていればいいでしょう」


 確かに。

 それはそれでどうかと思うが、とりあえず納得して頷くと、ライカリスは苦笑しつつ、リコリスを片腕に抱き上げた。何をされるのか分かって、彼女は慌てて口を閉じる。

 その判断は正しく、その直後大きく視界が揺れ、気がついた時には目線は普段の遥か上。

 どういうわけか、行動の前に一拍ほしいと、言おう言おうと思っていて、いつも忘れてしまう。……どういうわけも何も、ただ単に忘れっぽいだけなのだが、とりあえず今回も舌を噛む危機を回避し、リコリスはこっそりと安堵の息をついた。


 そうして先に馬の背に乗せられたリコリスの後ろに、ライカリスが軽々と跨ってきて手綱を握った。小柄なリコリスは、ちょうど彼の腕の間にすっぽりと落ち着く形になる。


「凭れてもいいですよ」

「あ、うん」


 言われた通りにその胸に頭を預ければ、ライカリスは何やら機嫌がよさそうに笑う。

 はて。この程度のスキンシップならいつもと変わらないだろうに、とリコリスが思いながらぐりぐりと頭を押し付けてみれば、「擽ったいです」と笑い混じりの苦情が上から。


(ん?)


 ふと、見上げてくる弟子たちの微妙な視線が気になった。更に、エベーヌが笑うように鼻を鳴らしたのも。

 しかし、それを問うよりも早く、背凭れが微かに揺れた。


「チェスナットさん」

「は、はいっ?!」


 リコリスに対する時とあまりにも温度差のある声に呼ばれたチェスナットが、慌てて背筋を伸ばす。そんな弟子に、ライカリスは胸ポケットから引っ張り出した数枚の紙を差し出した。

 恐る恐る受け取るチェスナットをこれまた無表情で見下ろし、ライカリスは冷たく告げる。


「サボらないでくださいね」

「…………………………」


 何が書かれているのだろう。

 紙を受け取って目を走らせたチェスナットの顔が青い。


「何?」

「大したものではないです。私たちの留守中の、訓練メニューですよ」

「……へぇ」


 大した訓練でないのに、チェスナットのあの顔色。彼が持つ紙を左右からそっと覗きこんだファーとウィロウも、見る見る顔が強張っていく。


「体が鈍っては困りますから。ちゃんとしてくださいね?」

『……ハイ』


 項垂れた男たちが、小さく返事をした。

 本当にどんな訓練メニューなのか。ペオニアやアイリスたちも顔を引き攣らせる内容とはどんなものだろう。知りたいような、知りたくないような。

 逡巡しているうちに、弟子たちから興味をなくしたライカリスが手綱を握り直した。


「では、行きましょうか」

「え、あ、あー……うん」


 仕方ない。後でクイーンに教えてもらおう。

 動き出した馬から、後ろに流れた景色を振り返って、リコリスは上半身を捻った。

 左右にある腕が支えてくれると分かっているから、大きく身を乗り出し、そして手を振る。


「行ってきまーす!」

『行ってらっしゃーい』


 高低様々な声が、2人の背を追いかけて、送り出してくれる。

 それに応え、もう一度大きく手を振ったあたりで、弟子たちの姿は木々の向こうに見えなくなった。




「ふぅ」


 体を戻して顔を前に向けると、知らず、小さなため息が零れた。

 それを聞いたライカリスがくすりと笑う。


「実はもうホームシックでしょう」


 そんな意地の悪い言葉を、リコリスは「ふふん」と鼻で笑った。

 確かに丸きり否定はしないが、からかわれるほどではない。あるとすれば、この土地を離れなければならない不安だけだ。


(……あれ? これがホームシックっていうんだっけ?)


 それにしても、言われて初めて自覚することもあるのだから、これで寂しくなったらどうしてくれるのだ。

 わざわざそうやって指摘してくれる、性格のよろしくない相棒を肩越しに振り仰げば、間近に視線が合う。悪戯っぽく瞬く暗褐色に、リコリスは密かに苦笑した。

 この素直でない男が、どんな返事を望んでいるのか、何となく分かってしまった。……さて、ならば望み通りに。


「ん~、そうだねぇ。余計なこと言ってくれる誰かさんと一緒だと、素直な牧場の皆が懐かしくなるなぁ」

「……」


 ライカリスに凭れかかり、甘えるようにしながら、リコリスが告げたのはそんな言葉だった。もちろん分かりやすい嫌味である。

 途端ライカリスが情けない顔で沈黙して、彼女は込み上げるままに笑い、続ける。


「まぁ、その誰かさんのお陰で全然寂しくはないけど?」


 こう言ってほしかったのだろう。

 唐突に意味もなく、しかも分かりにくく甘えたがるのだから、困った男だ。

 それでも、ぱっと情けない表情を消して嬉しそうに微笑むライカリスに、リコリスも合わせて笑うしかない。


(もっと素直に甘えてくれれば、いくらでも……もっとちゃんと甘やかしてあげられるのに)


 やれやれと思ったところで、前方で「ぶふっ」と何かが噴き出した。


「……。……エベーヌ?」


 まさかと思うが、この馬、今確かに笑わなかったか。

 不審げな主人の低い声をどうとったのか、名を呼ばれたエベーヌは誤魔化すように首を振った。それがまた余計に怪しいことに気づいていないらしい。


「相変わらず笑い上戸ですね、お前は」


 ライカリスが片手を伸ばし、馬の首を宥めるように撫でた。


(笑い上戸? え、馬が?)


 どういうことなの。

 しかし当のエベーヌは、ライカリスに応えるように、短く鼻を鳴らしてみせる。「だって面白いんだもん」と聞こえた気がした。

 本当にしっかりと人の言葉を理解しているのか。

 つまり、先ほどリコリスが名前を呼んだ時にエベーヌが慌てて首を振ったのは、「笑いやがったね?」という主人からの叱責と勘違いし、言い訳のつもりで、ということだろうか。随分と人間臭いことだ。


(ああ……、なんかこういうの久しぶり)


 ゲーム時代の知識だけではどうにもならない、この世界に来て初めて分かること。しかし、知っているフリをしなければならないこと。

 まさかの笑い上戸の馬にも、リコリスは慣れていると対応しなければいけないのだ。


(まぁ、せっかく勘違いしてくれたんだし、便乗しようかな)


 あっさりと決めて、リコリスもライカリスと同じように馬の首に手を伸ばした。指先をすすす、と美しい毛並みに滑らせて、微かに笑う。


「何が面白かったのかな?」


 ギクーンとエベーヌの足が一瞬止まり、しかしその直後、何事もなかったかのように歩みが再開した。心なしか、止まる前よりも早足なのが、彼の焦りを表しているようで。

 むしろこの馬こそが面白い。

 それでもあまり苛めては可哀想かと、リコリスは手つきを改めて、馬の首を軽く叩く。別に怒ってないよ、と伝えるために。


「冗談」


 それを聞いた途端、エベーヌはまたしても盛大に噴き出した。

 いやだから、何がそんなに面白いのかと。


(笑い上戸って分からない……)


 そうして思わず沈黙した主人に、再び勝手に焦ったのは馬の方だった。


「わっ」

「おっと」


 ライカリスが支えてくれていなければ転がり落ちていたかもしれない。

 唐突に風を切って走り出した馬は、笑いのツボが分からない分、扱いが難しいようだ。……特に乗馬中は、危険。

 リコリスがこっそりとついたため息は、勢いよく流れていく風に押し流されていった。

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