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第36話 出稼ぎに向けて

 星河祭最終日の翌日、リコリスはスィエルの町の北に隣接している墓地に来ていた。

 スィエルの町で生き、終の棲家として死んでいった者たちが眠る場では、ひとつひとつ名が刻まれた沢山の白い石が、朝の日差しを反射していた。まだ気温の上がりきらない時間、柔らかく吹く風が、赤い髪を揺らす。

 リコリスが向き合うのは、2つの名前が刻まれた墓石だった。他のものと同じ材質だが、その中でも一番新しい。カリステモン・フェイレル。そしてユーフォルビア・フェイレルの名が、縦並びに刻まれている。


 ここには元々ユーフォルビア・リッカーの墓石があった。

 だが昨日まで続いた星河祭の間に、町の人間たちが新しい物に挿げ替えたのである。無論、墓石だけが変わったのではない。

 カリステモンと、彼に引き摺られたユーフォルビアが教会で式を挙げたのだ。逃げられないようにと花嫁ががっちりと抱きしめられていて、しかも主役2人が幽霊という、かなり斬新な結婚式だった。


 リコリスは手を伸ばし、その真新しい墓石を撫でる。

 いつになく騒がしかった星河祭も、昨日で終わってしまった。

 ずっとこの世に留まり続けたカリステモンは、祭りの終わりを告げる送り火の後、ユーフォルビアと共に姿を消した。きっと今頃、離れ離れだった55年を取り戻すように、仲良く喧嘩でもしていることだろう。……そうであればいい。


 墓石の前の供物台にリコリスはそっと、手にしていたものを置く。

 それは、水晶で作られた小さな箱だった。【水晶の小箱】は本来は錬金で作成可能な室内オブジェクトのひとつで、飾られることのないままポーチの中にあったのを、今回持ち出してきた。

 中に入っている物は3つ。光を失い、ただの石になった2つの御霊石と、雪の華の花びらを2枚、枯れる前に押し花にしたもの。

 萎びて色褪せた雪の華の本体は、リコリスが連れ帰ったカリステモンの遺体と共に、元々はユーフォルビアだけが眠っていた墓の下に加えられた。


 しばしそれを黙って眺め、小さく吐息を漏らしてからリコリスは墓に背を向けた。墓地の入り口に立って彼女を見つめているライカリスに、明るく笑って、走り寄る。


「お待たせ、ライカ」

「それほど待っていませんよ。……とりあえず戻りましょうか」

「うん」


 差し出された手をとると、緩く手を引かれて木陰に導かれる。ああ、そろそろ日がきつくなるから。

 そうして柔らかい影の中に入ると、2人並んで歩き出す。


「……平和になりましたねぇ」


 のんびりと言ったライカリスに、リコリスはくすりと笑って彼の顔を覗き込む。


「寂しい?」


 あの陽気で調子がよくて、そして一途な幽霊がいなくなって。

 からかう口調に、ライカリスは渋い顔で首を振った。


「静かで何よりですよ。彼の境遇には共感もしましたが、言動には全くついていけませんでしたから」

「あははは。あれで意地悪してるとかじゃなくて、完全に素だったからねぇ」


 無邪気な幽霊だった。

 恋人と55年間離れ離れという窮境に思うところあって、珍しくも手助けを拒まなかったライカリスだが、その悪意ない発言には事あるごとに顔を引き攣らせていた。かといって、物理攻撃は効かない。嫌味は曲解する。

 最終的にその矛先はユーフォルビアに移っていたわけだが。


「……賑やかな七夕だったなぁ」


 ぽつりと呟いたリコリスに、ライカリスが首を傾げる。


「タナバタ?」

「えっとね、私の故郷での星河祭みたいな行事なんだけど」


 説明しかけ、リコリスはふとある事を思い出していた。『アクティブファーム』の公式サイトで読んだ、この世界の成り立ち、牧場主たちの立場を。


 太陽神ソレイユ、月の女神リュヌ、豊穣の女神ヴェルデという3柱と、ヴェルデに導かれて何処からかやってきた牧場主に支えられる世界、ヴェルデドラード。

 牧場主たちは不思議な魔法のかかった船に乗り、大陸の端、スィエルの町の港に現れる。その船が一体どこからやってくるのか、この世界に暮らす人々は誰も知らない。知らないが、豊穣の女神の加護の元、世界に豊かな実りをもたらしてくれる彼らを、人々は歓迎するのだ。


 過去、進めたクエストの中で何度か郷里について問われたことがあったが、その時の選択肢がいずれも『誤魔化す』、『とぼける』、『聞こえなかったフリをする』だったから、牧場主たちの生まれは本当に謎なのだろう。

 今、「故郷」と口に出したリコリスに、ライカリスは興味深そうに目を瞬かせている。


「リコさんの故郷の話、初めて聞きました」

「うーん……、場所は上手く説明できないんだけど」


 画面を挟んでの、こちら側とあちら側。ゲームと現実。説明のしようがない。

 しかし最初こそそう思っていたが、最近はそうではないような気がしてきている。カリステモンに関わって、リコリスがゲームで経験する以前の、存在しないはずの過去を知ったからだ。

 確かにゲームの設定として、大昔からこの世界は牧場主たちが動かしていたのは知っていた。クエストで見たユーフォルビアの過去も。

 けれどカリステモンの名は一度も出なかったし、彼が昔の牧場主から情報を得、志半ばで力尽き、挙句幽霊になって55年もこの世に留まり続けたことなど、リコリスは知らない。そんな話は、どこでも、誰からも聞いたことがなかった。

 いつか実装されるクエストとして、事前に準備されていた設定だったのだろうか。そのあたりの開発事情など分からないが、どうにも、違う気がしている。

 漠然と、けれど確かに、生きた世界を感じるのだ。そしてそこに、妙な具合にゲームのシステムが入り込んでいるような……。


 しかし深く考えると、頭痛がする。忘れている何かと関わりがあるのだろうが、今は無理そうだった。

 リコリスは軽く頭を振ってそれを払い、興味津々と彼女を見ているライカリスに微笑んだ。


「七夕では、こっちの星河祭みたいに笹を出してきて、御霊石の代わりに短冊にお願い事を書いて飾るんだ。離れ離れになった夫婦が、1年に1回再会できるっていう逸話があったりしてね。星の河――天の川の両岸にある星をその夫婦に見立てて、七夕の日だけその川を渡って会えるっていう」

「へぇ……嫌な話ですね。1年に1回しか会えないなんて」

「……まぁ……うん」


 ライカリスの中では織姫と彦星の話はロマンチックにはならないようだ。本気で嫌そうに顔を顰めている。らしいといえばらしい。


「離れ離れの2人の再会というところは、今回のことに似てますか。――でも、あの2人はこれからずっと一緒にいるでしょう」


 その言葉は静かに、今は明るい空に視線を投げながら。

 リコリスは思わず、その顔をまじまじと見つめてしまった。


「な、何ですか」

「いや、何ていうか随分と……」

「似合わないっていうんでしょう? 分かってますよ、そんなこと……」


 ぷう、と膨れる相棒はリコリスとしては心底可愛いと思うが、しかし元来の性格を思うと本人の言う通り。だから、似合わない、の部分はフォローできないが。


「まぁ、らしくないとは思うけど」

「……そうでしょうね」

「でも、ライカがそう言ってくれて、嬉しい」


 リコリスが心から望む彼らの幸せを、誰よりも、ライカリスが共感し、口に出してくれたことが本当に嬉しい。

 ライカリスと視線を合わせて、リコリスは微笑んだ。


「ありがとう」

「…………その、そこでお礼って、おかしくないですか?」


 そんなことを言って、僅かに顔を背けるライカリスの、耳が赤い。

 それはそれは可愛いと思いつつ、そこには触れずにリコリスは朗らかに笑う。


「でも、嬉しかったんだもん。だから、ありがと」

「……からかってません? いえ、本当にリコさんが嬉しいなら、いいんですけど……やっぱり遊ばれてるような……」


(ほほう)


 照れ隠しにか、素直でない言葉に、思わずニヤリ。


「ん? からかってほしいの? 仕方ないなぁ、それなら喜び勇んで全力で」

「す、すみません。ごめんなさい。やめてくださいっ」

 

 不穏な笑みを浮かべ、リコリスがライカリスの頬を撫でる。そして続いた不穏な発言を、ライカリスは即座に謝罪で遮った。


「えーっ、そんな照れなくていいのに。遠慮しないで?」

「してませんからっ。――ほら、もう帰りましょう? 準備を始めないと」


 露骨に話題を逸らして、ライカリスが心なしか足を早めると、手を繋いでいるリコリスも当然引っ張られる。それでも転んだりしないように気を遣ってくれているのが分かって、彼女は密かに笑みを浮かべ、それ以上の追及を取りやめた。




■□■□■□■□




 朝食後、妖精たちが忙しなく走り回る畑を見ながら、そしてそろそろ実りを迎えるキュウリを確認しながら、リコリスは考えていた。

 果たして、今回の出稼ぎでどれだけの食料を持っていけるだろうか。前回の収穫分と合わせて、そこからスィエルの町の分、自分たち用を差し引いて……それでもかなりの量を確保できそうだ。

 蝙蝠様のおかげで量も、鮮度も考えなくていい。さて、今回の目的地であるヴィフの町の人口は。

 そんなことを考えていたリコリスの頭に、不意に声なき声が届く。


「――お?」


 リコリスは立ち上がり、頭の中で鈴が鳴るような感覚に耳を澄ませた。

 この不思議な感覚は――妖精の声だ。声は、ヴィフの町が見えるところまで来たと、そう伝えてきた。


 ヴィフの町に出稼ぎに行くにあたって、リコリスがまず始めたことがある。

 本体(リコリス)と妖精とが離れていられる距離を測ることと、そして距離を置いた状態でも会話ができるようにすること。

 後者はもし可能ならば、と思ってのことだったが、数日訓練してみればこの通り。星飴の材料集めの時から始めて、そして今、少なくとも今回の目的地までは、双方可能であると判明した。


(これなら、私とライカが町を離れても問題ないかな)


 例の襲撃からずっと、町とその周辺はリコリスの戦闘妖精たちが見回っている。

 もし本体と離れすぎて妖精の存在が維持できなくなるのなら、最悪出稼ぎを見合わせることも考えていたから、これは朗報だろう。

 そんなことを思って、リコリスは自分の薄情さにため息をついた。正直嫌気が差すほどに、自分の思考が偏っているのを感じる。


 他の都市の窮状を思うと胸は痛むが、スィエルの町のことを後回しにしてまで助けようと思わない。思えない。全てはスィエルの町の安全が確保されてこそ。

 ライカリスの力があれば、彼に町を任せ、リコリスが動くことは可能かもしれない。だが、その選択肢を、リコリスは真っ先に排除した。

 ライカリスと離れることは、絶対にできない。彼が反対し、不安定になることが容易に想像できるのもあるが、リコリス自身も平常でいられない気がするから。


(何でかなぁ……)


 優先順位はライカリス、そしてスィエルの町の人々が続く。

 そうはっきりと決めてしまえることが怖い。怖いけれど、どうしようもない。


(……この感情は、いつからだった?)


 この世界に来てから? ――それとも。


「リコさん。……リコさん?」


 唐突に掴まれた腕を強く引かれ、リコリスはそこでやっと、いつの間にか隣に来ていた相棒の存在に気がついた。

 見上げれば、眉が寄せられているのが間近に見え、心配そうな視線にぶつかる。


「……ライカ」

「大丈夫ですか? 気分でも」


 悪いのか、と問われ、リコリスは慌てて首を振った。

 確かに、突然思考に耽るのは不審だったかもしれない。


「あ、違う違う。妖精から連絡が来て。ヴィフの町に着いたって」


 訓練のことは説明していたから、それで納得したらしい。

 ライカリスの表情が安堵で緩み、それから申し訳なさそうに眉が下げられる。


「ああ、会話中でしたか。すみません。邪魔をしてしまって」

「ん、平気だよ。ちょっと情報貰ってただけだし」


 若干他の事を考えていたし……とは、心の中で。


「でも、ヴィフの町から100メートルくらいが限界だって。無理に進もうとすると消えそうだって言ってる」

「そうですか……」

「そこから先はちょっと行けそうにないね。妖精消えたら、こっちを守る子がいなくなるし」


 そう告げれば、ライカリスが微かに瞳を揺らす。不安そうに。怯えるように。

 何を言おうとしているか分かって、リコリスは苦笑した。


「……一緒に行ってくれるよね?」


 瞳を覗き込んでの言葉は、懇願。

 ライカリスの言おうとしたことを考えれば、置いていかない、と告げるのが正しいのだろう。それでもあえてこう言ったのは、一緒にいてほしいと、リコリスの方から伝えるためだ。請われて、行動を制限されているのではないと。

 それらを正確に察して、ライカリスは更に申し訳なさそうな顔で肩を落とした。

 そんな顔をさせたいわけではないのに。


「……すみません」

「必要ない謝罪。っていうか、謝らないでよ。ライカが一緒じゃないと、私が不安なんだから」


 そう。何よりもこれが本音なのだ。

 リコリスは背伸びをして、俯きがちだったライカリスの髪の毛をやや乱暴に掻き混ぜた。そうして相棒が顔を上げたのを確認して、今度は畑を見渡す。


「――さて。じゃあ、次の収穫を待って出発かな」

「そう、ですね」

「それまでに色々準備しないとねぇ」


 弟子たちに食事の作り置きとか。ペオニアにレシピを書き残してもいいかな。

 ウィードのことはまぁ、ジェンシャンに任せておけばいいだろう。最近は何やらペオニアに懐いているようだし、家妖精たちに対する態度も軟化している。


 後は……と、リコリスが指折り確認し始めた時、もぞりと動いた蝙蝠が、ぺっと吐き出したものがあった。隣にいたライカリスが咄嗟に受け止めたそれは。


「紙とペンですね」

「ああ……メモしろってこと」


 ……忘れ物がないように、ということらしい。

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