第33話 真夏に降る雪
「それでね、彼女の髪は太陽の光で虹色に光って見えるんだ。でも、月の光だと青白く見えるんだよ。どちらもと~っても綺麗でね! 僕は思わずその髪にキスしてみたり、頬擦りしてみたりしてしまって、よく彼女に叩かれてしまったよ」
くねくね。うふふ。
「その時は睨まれるんだけど、その後は必ず小さな声で謝ってくれるんだよねぇ。それがうっかり天に召されてしまいそうなほど可愛らしかったのだけど……でも、怒っている時は怒っている時で真っ赤な顔をして、目は潤んでいて、素晴らしく甘美な痺れを覚えたものだよ」
ふふふ、と口元に手を当て、カリステモンは喋り続ける。幽霊なので息継ぎが必要ないらしく、一瞬たりとも途切れることがない。
その永遠に続きそうな惚気を聞く役目を負ったのは、不幸なことにペオニアだった。これがジェンシャンであれば顔色ひとつ変えずに相槌を打ったのだろうが、生粋のお嬢様ではそうもいかない。
相変わらず高いテンションで語られる話は彼女には刺激が強いらしく、白い頬を染めて俯きがちだった。
リコリスたちが冷蔵庫に篭って既に5日が経過した。
2人はたまにトイレ休憩やお風呂と言って出てくるが、それも大急ぎで戻っていってしまう。
1秒も無駄にしたくないというその様子に経過を尋ねることもできず、もしかしたらこの幽霊も不安なのかしら、とペオニアは密かに考えていた。だから、いくらうるさくとも、恥ずかしくとも、ただ黙って話を聞いていた。
最近いつもペオニアの近くにいるウィードは、今も彼女の足元に伏せている。
この犬も、最初こそカリステモンに牙を剥いていたが、それも「え? 君も僕の女神に話を聞きたいのかい? 仕方ないなぁ」攻撃の前にあえなく撃沈。それから静かになったこの犬を、ペオニアは本当に、犬とは思えないほど賢いと思う。
そのウィードの尖った耳がぴくりと動いて、ぱっと顔を上げたかと思ったら、おもむろにペオニアの座っている椅子の下に移動する。その直後、家の扉が開かれ、外で作業していたウィロウが顔を覗かせた。その後ろにはファーがいる。
リコリスが冷蔵庫の中にいる間、彼らは1人が交代でサイプレスの作業場に出向き、残りが牧場で働いている。今日はチェスナットが大工修行に出ていた。
カリステモンを見、それからペオニアに一瞬同情の眼差しを向けたウィロウは、軽くため息をついた。
「悪ィな」
家に入りながら向けられた謝罪を、ペオニアは正確に読み取った。幽霊の相手を任せて、という意味だ。
こうして言葉を交わせば、3人の男たちは随分性格が違う。見た目は適当な髪型に大柄な体躯、粗野な言葉遣いと共通点は多いのだが。
恐らく見た目通りなのは、今ここにはいないチェスナットだろう。全く裏表がない。単純で……そして話をしてみれば気のいい男だった。
そしてウィロウは、よく見ている。姉代わり1人であるジェンシャンと、どこか似通ったところがある男だ。
周囲を観察し、色々と考えて行動しているが、言動のせいでそれがとても分かりにくかった。
それから、今ウィロウの後ろで、テーブルの上の星飴に目を奪われているファー。ファーは………………ちょっと変だ。
以前のことを考えれば、今のこの状況は予想外も予想外だけれど、苦痛など欠片も感じない。
「外の作業をお任せしているのですから、お互い様ですわ。謝罪は必要ありませんのよ」
「……そうかい」
炎天下で働いている者が、謝る謂れはないはずだ。
それでもその視線に納得がいかないものを感じるのは、この幽霊の相手がそれほど重荷と思われているからだろうか。
(……それほどでは、ありませんのに)
多少は辛くはあるが、この幽霊に悪意はないのだから、ただ聞くだけという役割は随分楽なものに思える。ペオニアとしては、肉体労働を任せてしまって申し訳ない気持ちが強いのだが。向き不向きの問題だろうか。
そんな無言のやり取りに少しも気づかないカリステモンは、ウィロウの周囲を飛びまわって進行の邪魔をする。
「やぁ。熊さん。君たちも、僕の女神のことを聞きにきたのかい?」
「誰が熊だよ。交代で休憩がてら、飲みモン取りに来ただけだっつの」
幽霊には触れられないのだから行動を阻害されることはないのだが、それでも鬱陶しさからか足を止めたウィロウが、げんなりと肩を落とす。
「……やっぱ俺にゃ無理だぜ、これ」
まさしく向き不向きの問題だったらしい。
「え? やっぱり聞かずに戻るのは無理だって? 仕方ないなぁ! そんな風に期待されてしまったら、とっておきを教えるしかないじゃないかっ!」
「…………」
解釈のおかしい幽霊と、頭を抱えてしまったウィロウに苦笑いをして、ペオニアは席を立った。リコリスから、冷蔵庫にある物は好きに使っていいといわれているから、いつかのフルーツジュースでも見よう見真似で作ってみよう。
「今、ジュースを作りますから。――ファー、星飴は食べてはいけませんわよ」
それは星河祭用なのだから。
釘を刺されたファーが、慌ててその太い手を引っ込めた。
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「――それからねぇ、彼女は……」
カリステモンは止まらない。時計を見れば、休憩時間はとうに終了していた。
ペオニアがどうにか完成させたフルーツジュースを前に、ウィロウはやはり頭を抱えている。
休憩に入る時、ジェンシャンが笑いながら「時間オーバーしても大丈夫よぉ」と言っていた意味を、彼は今痛感していた。……これのことだ。ああ、間違いなく。
恥ずかしそうに頬を染め俯いているペオニアはともかく、のんびりと構えて話を聞いているファーが、ウィロウには理解できなかった。
そういえばリコリスとライカリスの目のやり場に困るやり取りを見ていた時もこんな反応だったか。――やはり理解できない。
「……ってことがあったんだよ。もう、本当に可愛いだろう?」
「へぇ~」
適当この上ない相槌を打ったファーが、そこでふと、首を傾げる。
「ところでよぉ。気になってたんだけど、あんたの恋人って、まだ生――」
ウィロウは咄嗟にファーの足を踏みつけた。
「……っ!!! な、何す――ぎゃっ」
声にならない悲鳴を上げたファーが、不満を述べようとして、更に短く呻き声を上げた。
見れば、ペオニアの椅子の下にいたウィードまでがファーの足に噛み付いていた。それにウィロウは「おや」と思ったが、深く追求する暇はない。
テーブルの下の惨事に気づかず、首を傾げているカリステモンに、どうにか今の質問を誤魔化さなければ。
「まだ? 何だい?」
「いや、えーと」
「まだ……その方は、同じ所に暮らしていらっしゃるのかしら? 同じ家でなくても、同じ町に」
ペオニアが顔を引き攣らせながら言葉を繋いだ。
幽霊は不思議そうな顔をしつつも、問われた内容に頷いてみせる。
「同じ町にはいると思うよ。彼女は、町のことをとても愛していたから。――スィエルという町なのだけど知っているかい? 森と海の美しい町でね、町の人たちもとっても優しくて。彼女がとても大事にしているのが、本当に納得できる素敵な町だったよ」
……知っているも何も。
カリステモンは、ここがどこなのか分かっていなかったらしい。
リコリスたちがこの幽霊を連れてきた時、騒ぎにならないように町を避けて帰ってきたようだから、そのせいだろうか。本人も思い込んだら一直線なところがあるから、55年ぶりに現れた念願の人間に纏わりつくのに必死で、周囲など確認しなかったのかもしれない。
それはともかく。
ペオニアが話を逸らしてくれたのだから、自分も便乗しよう。
まずは、隣で悶絶しているファーの首を殴って、……気絶させて。
目を丸くしている幽霊には笑ってみせる。何も、気にすることはないのだと、心配しなくてもいいのだというように。
「まぁ、そのあたりは師匠が何とかしてくれんだろ」
よし丸投げ。
丸投げだが、間違ってはいない。あの人ならば、何とかしてくれるはずだ。だから、今ここで迂闊なことを言うわけにはいかない。
かなり苦しいが、この幽霊ならばそれでも誤魔化せるはずだ。
「ああ……うん、そうだね。――ふふふ、あの赤い髪のレディ、しっかり者でとても優しい人だね。僕の女神によく似ているよ」
そう言って、懐かしそうに微笑む幽霊は、こんな時だけ普通の男に見えた。半透明でも。
普段の鬱陶しい言動を控えていれば、今こうして幽霊をやっていることもなかったのかもしれないと、ウィロウは思った。言っても仕方ないことだから、言わないけれども。
「しっかり……っつーか、周りを巻き込んで引っ張っていく人だな、ありゃ。しっかり者はライカリスさんの方だろ」
「ああ、なるほどねぇ。とってもお似合いだよね、あの2人!」
ぱっとカリステモンの顔が輝く。
まともな顔が掻き消えて、現れた恍惚とした表情に、ウィロウは顔を引き攣らせた。隣にいるペオニアとそっと視線を見交わせば、同じ意見であることが伺えた。
――曰く、話を逸らせたことは喜ばしいが、またコレに戻ってしまった。いつもまともならいいのに……である。
「初々しくて、でもお互いのことをとっても大切にしている恋人同士……あぁっ、心が踊るよ! ときめくと言ってもいいね! 昔の僕と僕の女神を見ているようで、心臓がキューンってなるんだ!」
(……いや心臓動いてないだろ)
それに、リコリスとこの幽霊の恋人が似ているかは知らないが、ライカリスとこの男は全く似ていない。似ているなどと言おうものなら、真夏に雪の華が育てられそうな冷たい殺気が吹き荒れるに違いない。
等々、つっこむことは多いが、まず何より。
「……あのぅ、カリステモンさん?」
おずおずとペオニアが片手を上げて発言権を求め、苦笑気味に幽霊を見つめる。
「リコリス様とライカリス様は、お付き合いなさっているわけではありませんわよ?」
「……え?」
「ですから、あの方たちは恋人同士ではありませんわ」
そう。それが一番重要なところだ。そして、一番デリケートな話題でもある。
ファーあたりはうっかり口を滑らせることもあるかもしれないが、他の者には容易に触れることのできない問題なのだ。主に、ライカリスが恐ろしいという理由で。
「……」
勘違いを指摘された幽霊は沈黙し、
「…………」
上を見て、
「………………」
下を見て、
「……………………?」
それから、コテンと首を横に倒した。
「ごめん。意味が分からない」
(ま、真顔になりやがったっ!!)
意味が分からないのは概ね同意であるが、まさかそんな真顔で。
何とも言えない気分でペオニアを窺えば、彼女もまた同じような複雑な視線を返してきた。気が合うな。
「だって! だって、アレだよっ?」
「え、えぇ。分かりますわ。ですが、言ってはいけませんのよ」
「どうしてだいっ?! アレで恋人同士じゃないなんて、愛の女神に対する挑戦、冒涜だよ!!」
頭を両手で抱えて、天を仰ぎ、海老反りになった幽霊は声高に叫ぶ。それから反動をつけて体を戻すと、拳を強く握り締めた。
「こうなったら、僕が何とかするしかっ!!」
そう、叫ぶように決意を表明した――その時。
「――何を?」
呆れたような声が、その場に割り込んできた。
狙ったかのようなタイミングに、うっ、と思ったのはウィロウだけではない。ペオニアも、口元を引き攣らせている。
顔を上げれば、冷蔵庫の縁に腰かけたライカリスと、その腕に抱かれたリコリスが、こちらを見ていた。そのライカリスの視線が、冷たいこと冷たいこと。正直、生きた心地がしない。
だが結局彼は何も言わず、ただ冷ややかにため息をつくに留め、ウィロウたちはひとまずの安息を得る。
「おかえりなさいませ、リコリス様。ライカリス様」
「ただいま。――ん~、暖かい」
部屋に戻ってきたリコリスが大きく背伸びをすると、次いで床に足をつけたライカリスが、彼女の肩や頭に乗っていた雪を払う。
……ああ、またそんなところを、この目を輝かせている幽霊に見せるから。
ハラハラとするウィロウたちの予想通りに、くわっと目を見開いたカリステモンが、身を翻してリコリスに向き合った。
「ちょうどよかった! 時間に都合がついたら、君たちに話があるんだ!!」
そんな両腕を広げての主張に、リコリスは首を傾げる。
「都合? ついたけど、それは後でね」
「えっ?」
見て、と。
勢い余ってぽかんと口を開けた幽霊に、リコリスは微笑んで、ポーチを開けた。
蝙蝠の口から、ぱさりと微かな音を立てて彼女の手の上に出てきた――それは。
「まぁ……っ」
「おぉ……」
ペオニアが口に手を当て、声を漏らす。花に感動するなど似合わないと自覚しているウィロウですら、思わず吐息が零れた。
目玉が零れ落ちそうなほどに目を見開いているカリステモンに、リコリスが銀色の茎を持ってそれを差し出す。
「――お待たせ。雪の華だよ」
その大人の手の平に余るほどの大輪の花。雪のような銀粉を刷いた真っ白な花弁が、白銀の淡い光を放って、どこからかはらりはらりと雪を散らす。
幽霊となってなお存在し続けた男の求めた物が、そこにあった。