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第32話 思い出と星飴と

「種良し。水、肥料良し。鉢植え良し。食料良し。毛布、薪、ライター良し」


 カリステモンと牧場のことは、申し訳ないが妖精と弟子たちに任せて。

 採取してきた星飴の材料は、ポーンに持たせ、町長に届けてもらった。

 残っているのは、リコリスが作る分だけだ。牧場の人数分である。


「防寒はしっかりしてくださいね。風邪を引いたら困りますから」


 所持品を確認していたリコリスは、背後からの警告に体ごと振り返って、コートの裾を翻らせた。声をかけてきた相棒を見、それから自分の服を見下ろす。


「大丈夫だと思うんだけど……」


 今のリコリスは、襟、袖、裾、ポケットにファーがあしらわれたゴシックコートに、厚手のタイツ、ロングブーツ、手袋と隙がない。そして上から下まで真っ黒だ。

 ちなみにコートには同じく黒で蝙蝠のシルエットが縫い取られ、ブーツには蜘蛛の巣のアクセントがついているが、これはどちらかというとハロウィンというより、ただのゴスロリに見えた。

 腰にあったポーチは、今は取っ手を付け替えられて、普通の手提げ鞄になっている。


 対するライカリスも、首まできっちり閉まった黒いロングコートに革のパンツと、冬仕様である。同じく真っ黒な皮の手袋を嵌めた手が、何か長い布を持っていた。


「あ、マフラー」


 思わずといった風に手で押さえたリコリスの首に、ライカリスが持っていたマフラーをかけてくる。

 帽子とマフラーが一緒になっていて、帽子には黒い猫耳がついている、見覚えのあるデザインのそれは、いつの間に……と考えるまでもない。確実に蝙蝠様が出したのだろう。

 リコリスの頭に帽子を被せ、マフラーをくるくると巻きつけてから、ライカリスは一歩下がって彼女の姿を確認する。


「まぁ、いいでしょう」

「ありがと。ライカはマフラーいらないの?」


 随分軽装に見える。寒いのが大嫌いなリコリスからすると、もっと着た方がいいのではないかと思うのだが。

 問われた方は面白そうに笑みを浮かべ、肩を竦めた。


「私はこれで十分ですよ」

「……そう? 寒かったら言ってね」

「ええ」


 ライカリスが頷いて、リコリスは彼から視線を移す。

 ――準備は整った。いざ、冷蔵庫的魔境へ。

 リコリスは冷蔵庫の取っ手に手を伸ばした、――その時。


「いやぁ。いいねぇ。お互いの服のことを気にかけて、ちょっと手直ししてみるとか……ああっ、穏やかな中に漂う微かな色香が堪らないよっ!」


 ライカリスが目にも止まらぬ速さで短剣を飛ばした。当然ながらそれは、うっとりと表情を蕩けさせている幽霊の体をすり抜けて、その向こうの壁に刺さる。

 思わずやってしまったのだろう。悔しそうな顔のライカリスというのも珍しい。

 ため息をつきつつ、リコリスはカリステモンを見上げた。


「何の用? 待ってるようにお願いしたはずだけど」

「ああ、そうそう。あのね、もうすぐ星河祭だって言っていただろう? 僕にも手伝いをさせてほしくて!」

「……幽霊に何ができるんですか」


 呆れと嫌味の混ざった言葉は、しかし正しい。カリステモンは、物に触れることができない。

 だが、幽霊はめげる様子を見せず、肩を竦めた。


「悲しいけど、そうなんだよね。だから、あちらの美しいレディたちの可憐な手を借りて、星飴作りをしてみようと思って。本当は僕も作ったことはないんだけど、いつも見てたからできると思うんだ」


 そう言って微笑んだその夢見る瞳に、懐かしげな優しい色が宿る。

 ライカリスが何かを言いかけたのを、リコリスはそっとその袖を引いて止めた。


「カリステモンの女神様は、星飴作りが得意だった?」

「わぉ! すごいね、レディ。その通りだよ! 彼女の作る星飴は、とっても美味しかったんだよ。他の町や、どんなお店で買ったものより、ずっとずっと特別だったんだ」

「……そう。――いいよ、キッチンも材料も、好きに使って。場所は、ペオニアが分かってるけど、まだ慣れてないから、ゆっくり進めてあげてね。あと、材料は」


 言い終わる前に、ぺっと吐き出された飴の材料が、机に乗る。……さすが蝙蝠様。

 材料を見てから、リコリスは視線を家の出口に向けた。戸口に立ってこちらを窺っていたペオニアに頷いて、カリステモンを示す。


「ってことだから、ペオニア。お願いしていい?」

「は、はい」

「よろしくね、レディ! ああ、そんなに怖がらないで? 僕はこの通り、美しくて、ちょっと透けてるだけの無害な男さ!」


 そのテンションで一般人に絡むんじゃない。

 しかし、そうやってくるくる踊ってみせる幽霊に、ペオニアは少しだけ表情を緩める。


「よ、よろしくお願い致しますわ」

「こちらこそ!」


 意外と上手くいきそうだった。昼間の幽霊だから、そう怖くもないのだろうか。

 ともかく、これで改めて出発できそうだ。懸命にペオニアの緊張をほぐそうとしている幽霊を横目に見て、リコリスは今度こそ冷蔵庫の取っ手に手をかけた。


 リコリスの家の冷蔵庫は黒い。それは他のアイテムと同じようにハロウィンにデザインを変更したからで、表面には無数の蝙蝠が描かれている。

 中は……畑だ。見渡す限りのカボチャ畑である。その上に、雪が降り積もっている。

 元々のハロウィンデザインが、この世界でリアルに冷蔵庫の性質を得たため、カボチャ畑に雪というよく分からない取り合わせになっている、らしい。

 そして入り口から少し離れたところに、小さな小屋が見えた。


 扉の位置は、調理台の棚と比べて随分低い。雪の積もる地面には、少し覚悟を決めれば飛び降りられる。その程度の高さしかない。

 リコリスの後ろから中を覗き込んだライカリスが、高さと、そして着地位置の周囲を確認する。


「私が先に下ります。少し待っていてください」


 ライカリスはそう言うなり、リコリスの返事も待たず、冷蔵庫の縁を飛び越えていった。

 そうして、軽く着地した彼はカボチャを避けて周囲を見回し、それから納得したのか、その背より僅かに高い位置から覗き込んでいるリコリスに手を差し伸べる。


「とりあえず何もいないようです。――下りられますか?」


 もちろんだ。この手がリコリスを落とすはずがないのだから。

 リコリスは冷蔵庫の縁に靴をつけないように、身を乗り出した。




 中は静かだった。風もなく、2人が雪を踏みしめる音以外、何も聞こえない。

 そして、無数のカボチャが光を放っている。

 上から見ていた時にはカボチャだとばかり思っていたものは、どうやら既に加工済みだったらしい。しっかりと顔もある。ここはカボチャ畑ではなく、ジャック・オ・ランタン畑だ。


「とりあえず、あの小屋まで」


 ライカリスの言葉に頷く。

 ここにいては、雪だるまになりそうで、2人は足を早めた。小屋まではさほどの距離もない。


 小走りに駆け寄って、改めて見上げた小屋は、地面に直接柱を立て、床はなく、壁も3面しかなかった。いかにも寒々しいが……まぁ、風がないので、雪をしのげるだけマシだと思おう。

 中には何もないので、作業にはちょうどいいはずだ。

 屋根の下に入ると、指示を出す前から蝙蝠様が次々と荷物を吐き出して、ライカリスが苦笑しながら薪を手に取った。


「私は火を熾しますから、リコさんは栽培を始めてください」

「うん。ありがと」


 これから、地味だが失敗できない戦いが始まる。

 リコリスは寒さに震えながら、空の鉢植えを引き寄せた。


 作物には格がある。それは入手難易度に依存し、格が高いものほど育成が難しく、使用するアイテムも質の高いものを使わなくてはならない。

 特殊指定素材の『雪の華』は、その最たるものだ。

 鉢植えも、土も水も肥料も、冬用の最も高価なものを使う。友人ソニアに錬金スキルで作ってもらって保存しておいたものだ。

 手順はやはりゲームとは違ってひとつひとつ手作業だった。これは、牧場の畑でも同じだ。


 鉢に植えた【雪の華】に意識を集中させ、情報欄を出せば、そこに名前と、成長率、水、肥料の充足度、そして栽培成功率が表示される。

 特殊指定素材はこの充足度が曲者で、常に100%の状態を保たなければ、栽培成功率がどんどん下がっていってしまうのだ。与えすぎても、減りすぎてもいけない。だというのに、1分に1度、10~50%がランダムで減っていく。普通の作物よりもそのスピードは早く、多めに与えておくこともできないため、目が離せないのである。

 これがゲームでは1時間ごとに5分の休憩を挟みつつ12時間、その後8時間の安定期があり、それからまた最初と同じく12時間続く。週末の2連休に育てろという、運営の作為を感じる作物だった。


 遠足用のシートに座布団を置いて座っていたリコリスの後ろに、焚き火を準備し終わったライカリスがコートの前を開けてから腰を下ろした。リコリスの両脇に足を伸ばし、後ろから彼女をすっぽりと抱いて、その上から毛布を被る。


「あったか~……」


 鉢から目は離さないながらも背後の温もりに擦り寄れば、ライカリスがリコリスの手を掴む。ここに来る前にはあったはずの手袋は、今彼女の手にはない。


「手袋、外したんですね」

「うん。やっぱ、土に触るしね。軍手でもあればよかったんだけど」


 そう告げると、ライカリスは少し考え、自らも手袋を外し隣に落とす。それから、リコリスの手を包み込んだ。

 空気の冷たさに痛みすら感じ始めていた指先が、にわかに温かくなって、リコリスは微かに吐息を漏らす。


「ごめんね」

「いえ、本当に寒いのは平気なので」


 そうして、しばらくの間、ライカリスは黙ってリコリスの作業を眺めていたが、それが10回目を数えた時、ふと口を開く。


「――訊いてもいいですか?」


 タイミングを計っていたのだろう。あの幽霊が2人から離れて、作業が流れに乗るこの時を。

 リコリスは躊躇うことなく頷く。


「何なりと」

「……何故、今雪の華を?」

「もうすぐ星河祭だから」


 最初の質問に、間髪入れず答える。

 これが全ての答えだった。他のどんな理由も、全てここに起因する。


「来年でもいいのかもしれないけど……何でかね、今年の方がいい気がしたんだ。あと、やっぱり早い方がいいかなって。それは多分、ライカがあいつの相手をしてあげたのと、同じ理由で」


 あれだけ鬱陶しい幽霊の話を、たとえ殺気を放ちながらだったとしても、ライカは我慢して聞いていた。

 その理由は分かっている。カリステモンがリコリスに向けた縋るようなあの目は、ライカリスがリコリスがいなかった時間を語った時に見せたそれと似ていたから。対象は違えど、「会いたい」と切望する、あの目。

 だから、どんなにアレでも、ライカリスは本気で突き放せなかったのだろう。

 リコリスも同じだ。だから……あの場では言えないことがあった。


「……リコさんも、私の考えを読んできますよね」

「まぁね~」


 のんびり言って、リコリスは水の入った瓶を傾けた。水が土にしみ込むのを確認して、リコリスは続ける。


「ライカさぁ、町の人たちとも、ほとんど関わらずにいたんだよね? 私と会う前」

「そうですよ。頼んでもいないのに時々様子を見にくるおせっかいな人もいましたけど」

「じゃあ、その頃から星飴好きだった?」


 さらりと吐かれた毒は無視で、問う。


「ええ……まぁ。姉さんが届けに来ていたので……」


 バツが悪そうなのは、おせっかいと言い切ったわりに、好物を貰っていたからか。


「マザー・グレースが届けてくれてたなら、多分ユーフィ婆様の星飴だね」

「ユーフィ婆様?」

「ユーフォルビアさん」

「って……義兄さんのお姉さんのユーフォルビアさんですか? ……そんな風に呼ぶ人リコさんくらいですよ。厳しい人でしたし」


 ライカリスの子どもの頃の話は、彼女からいくらか聞いたことがある。頭が良くて、生意気で将来が心配な子どもだったと。


(叱られたりしてたんだろうなぁ。厳しいって)


 でも、やはり、ライカリスは、彼女とリコリスの繋がりを知らないのだ。


「……厳しいけど、優しい人だったよ。すごくお世話になったんだ」

「そうなんですか?」


 ライカリスが目を丸くする。


「うん。色々教えてもらったの。ライカの子どもの頃のこととか」

「……それは…………何を聞いたんでしょうね」

「ふっふっふ。内緒~」

「近寄りがたい人間に近づく特技でもあるんですか、あなたは……」


 ため息混じりのそれは、自分のことも含めてだろうか。自覚があるのは何よりだが、それもどうなんだろう。

 それはともかく。


「――まぁ、それでね。昔の町のこととか、どこにどんな花が咲くとか、秘密基地のこととか。その中に雪の華の話もあって」

「へぇ」

「あとは、昔の写真を見せてもらったりね。ユーフィ婆様すごく綺麗な人だったよ。まぁ年取っても美人だったけど。それにサマン町長って、髪真っ白だけど、あれ別に白髪じゃないんだよね。町長の若い頃の写真も見たけど、あの人はあんまり変わってないの」

「義兄さんは……そうですね。そういえば、私が子どもの頃から髪は白……というか銀髪でしょうか。若白髪かとも思っていたんですが……あ」


 何気にひどいことを言って、ライカリスは不意に声を漏らし、口を閉ざした。

 リコリスは、静かに静かに、言葉を重ねる。


「私、ユーフィ婆様のこと大好きだったんだ。――私に星飴のレシピ教えてくれたのも、ユーフィ婆様だった」


 たとえそれがゲームの中、画面越しに培った絆でも。

 厳しい言葉は、よく考えれば他人を心配するものばかりだった。長いストーリーの中で、リコリスは彼女をとても好きになっていたのだ。自分の一言がたくさんの人を、大切な人を傷つけたと、最期に心からの後悔を語った彼女のことを。――その結末に、涙するほどに。


 しかし、ゲームの中では、どうしようもなかった。リコリスが進めたのは、ただ決められた、それ以上も、それ以下もないストーリーだったから。

 それが、今こうして、確かな過去をもって、存在しなかったはずの先を期待させる。期待することを許されている。

 動かずにはられなかった。


「町の人たちも知ってたよ。本当は優しい人だって、皆言って、心配してた。お菓子貰ったって喜んでる子もいたし。だから……」


 どんなに可能性が低くとも、それに縋らずにはいられなかったのだ。

 もう、それしか方法がないから。



「――星河祭で、帰ってきてくれないかな」



 本当は分かっている。

 星河祭はお盆で、基本的には現実と同じ。間違っても、ご先祖の魂が町をうろうろするのが目で確認できるというような、そんな愉快な祭ではない。


 でも。……それでも。


 星河祭の間、笹に飾られた御霊石はその光を大きくする。そうして強い光が宿る時は亡くなった人が帰ってきた時だと、そう信じられている。夜空を彩る星の河を渡って、大切な人たちが帰ってくるのだと。

 そして、カリステモンは御霊石に取り憑いて、55年経ってリコリスたちと出会う奇跡を起こした。あの幽霊が確かにいるのだから。

 だから、信じたいのだ。

 努力すれば叶う類のことではないが、それでもこの花が咲けば、と願わずにいられない。全力で咲かせてみせるから、だからもう1回奇跡を、と。


「ごめんね。こんな寒いところまで付き合わせちゃって」

「……いいえ。私もあの幽霊(バカ)に手を貸すつもりでしたから。――花、咲くといいですね」

「うん。頑張る」


 それきり黙りこんだリコリスの肩を抱く手に、ライカリスも言葉なく力を込めた。

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