第3話 異世界初日でまさかの……
明るい夏の空の下、空気の綺麗な森に囲まれた牧場はどこまでも長閑で。
それなのに川岸に並んで腰を下ろす2人の表情は硬い。
泣きそうになったライカリスを宥めて、リコリスは改めて彼から話を聞いていた。
「あなたたちが消えてから、この世界では2年が経っています」
2年前まではたくさんの牧場があり、管理する牧場主たちがいた。それがある日、突如として牧場主たちはいなくなり、彼らの牧場へのゲートは閉じて、世界マップに存在していたリコリスの牧場は更地になったという。
突然、全て消えたのだと。
そう聞かされて、彼女は息を詰めた。
プレイヤーたちがこの世界にいない。それは、つまり。
顔を強張らせたリコリスに、ライカリスは静かに頷いた。
「世界中が大混乱に陥りました」
「そう、だろうね……」
リコリスはこの世界のあり方を知っている。ゲームで遊ぶにあたって最初に目を通すストーリー、あるいはゲーム中で受ける説明で、故意に読み飛ばさなければ、目にする世界のルール。
この世界、ヴェルデドラードに生きる人々が日々得る食糧の約80%を、プレイヤーたちの牧場が担っていること。
都市と都市を結ぶ転移装置を動かすのが、牧場で生み出される生命力であること。
ただのゲームなら、それはあくまでも設定だ。プレイヤーが減ったからといってNPCたちは飢えたりしないし、転移装置も止まったりしない。
しかし、今いるこの世界がゲームの世界と同じルールで動いている、本物であったなら。生きた人々が暮らす実在するヴェルデドラードだったとしたら。
「……」
難しい顔で黙り込んだリコリスに、抑揚のない声でライカリスは語る。
「世界はあなたたちが動かしていました。だから、人々は必死で探しました。でも僅かな手がかりすらないまま」
取り戻したいもの、取り戻そうとしたものの欠片すら掴めないまま、時は経つ。人々に残ったものは、彼らとの記憶と、直前に収穫されていた農作物だけ。
そして、当然ながらその作物も減っていく。深刻な食糧危機を目前にして、人々は生活を優先しなくてはならなくなった。牧場主たちを探す余裕などなくなってしまった。
今では他の都市のことはほとんど分からない。転移装置が止まったのと同時に、都市同士の連絡回路まで閉じてしまって、お互いの情報が手に入らないからだ。
更には、狩る者がいなくなったことでモンスターまで増え始めて、隣町すら遠い。移動どころか、自衛で手一杯だという。
「…………」
(あ、頭痛くなってきた)
なんだその、最悪な状態は。
どう考えても、リコリスひとり戻ったからといって、改善される規模ではない。
「スィエルの町はまだマシな方です。クローグさんの農場があって、海も森もあるので、他の都市より遥かに食料を得やすい。モンスターも弱いですし。私などは身軽なので、もっと楽でしたね」
「町の周りのモンスター、狩ってくれてたの?」
「ええ、まぁ」
スィエルの町は、ゲームでプレイヤーが最初に降り立つ町だ。チュートリアルの要素が強く、牧場について指南するためのNPC、クローグ爺さんが小さな農場を経営していた。海と森の恵みも豊富だ。田舎で娯楽の少ない町だったが、今回はそれが幸いしたらしい。
しかもライカリスがいる。
パートナーNPCはそのペアのプレイヤーと共に行動すると同じように経験値が入りレベルが上がっていくため、ほとんどの時間をリコリスに連れまわされていた彼のレベルは1000のはず。
どう考えても初期マップにいる強さではないので、彼が動いてくれていたならきっと大丈夫。
他の都市にもパートナーNPCは大勢いるが、そのどれだけが、ライカリスのように町を守ってくれているだろう。
戦闘向けとなると全体の4分の1くらい。非戦闘NPCはパートナーであってもレベルが存在せず戦えない。上位プレイヤーたちのパートナーは一部例外はいるものの軒並み性格に難ありで、あまり他人のために動くとは思えなかった。
リコリスは、彼女の仲間の廃人プレイヤーたちと、そのパートナーを思い出してみる。
もちろん、例外がいないわけではないが……、
(……うん、大体無理)
ぶっちゃけた話、ライカリスがスィエルの町を守っていたというのが既に十分驚きだ。
「町の人は全員無事ですよ。食べるものは多少減っているので節約はしているようですが、それ以外だと特に変わりはないはずです」
スィエルの町はリコリスにとって大切な町だ。ライカリスに勝る存在こそいないが、住人たちは皆友達だから。
「ありがとう」
心からの礼を述べたリコリスに、ライカリスは目を細める。
「いいえ。……あなたの大切な場所ですから」
「…………」
(すみません。すみません。失礼なこと考えてごめんなさい)
ゲームでのライカリスは人間嫌いで、他人に対して氷の如しだったが、これではリコリスの方がよほど人でなしだ。罪悪感で胸が痛い。
「リコさん?」
「……なんでもない。ホントにありがと、ライカ。……ごめんね」
「いいんですよ。多分、この人間嫌いが町を守ってるなんて驚きだ、とか思っているんでしょうけど、謝らなくていいです。概ねその通りなので」
返す言葉もございません。そして沈黙は肯定デス。バレバレですかそうですか。
ていうかそれ自分で言っちゃうってどうなの?
引き攣っているリコリスの顔を覗き込んで、ライカリスはいたずらっぽく笑う。
「あなたのことがなかったら、わざわざ動きません。他人なんて生きてても死んでてもどちらでもいいですからね」
はい。出ました人でなし発言。しかも超いい笑顔。
リコリスも笑い返す。
「よかった、私の知ってるライカだ」
さらば罪悪感。
思い返せばゲーム初期、こんな毒まみれの発言ばかり投げつけられて、何度心折れそうになったことか。懐かしい。
「あなたのそういう素直なところ、好きですよ」
「私はライカの素直じゃないとこも好きだな」
「……」
「ふ、照れるな」
リコリスが笑顔全開で言ってやれば、ライカリスが口元を押さえて顔を背ける。その耳が赤いのを確認しつつ、彼女は追い討ちをかけた。
甘いぜ。こういうのは照れたほうが負けなんだ。
感じなくてもいい罪悪感に苦しめられた仕返しをしておいて、目の前の赤い頬を撫でる。「ずるい」とかなんとか聞こえてきたが、スルーで。
「で? こんなにやつれちゃってるのは、食糧難のせい? 皆に食べ物分けてたとか」
でもライカリスは自分で狩りができるし、モンスターだって構わず食べてしまうから、こんなに痩せるのはおかしくないだろうか。
「ああ、いえ、それは――まぁ、そんなところです」
言い淀んで、結局言葉を濁した。
リコリスもそれ以上の追求はしなかった。彼の瞳をまた、あの苦しくなるような光がよぎったから。それに。
(――ごめんね。私にはそんな資格、ない)
全部話せと、言える立場にない。言っていないこと、言えないことが多すぎる。
リコリスは大きく息を吐く。それから、不安そうに彼女を伺っているライカリスの肩を軽く叩いた。
「じゃあ、これからはちゃんと食べてよね。私が帰ってきたからには、スィエルの町の食糧難も解決だし?」
「え、あ、はい」
返事をしたライカリスに微笑んで、立ち上がって、大きく伸びをした。
「さぁて。これから働くぞー!」
「……無理はしないでくださいね」
「倒れたら看病よろしく?」
ぽつりと言われた言葉には、遠まわしな返事で。と思ったら、視線がきつくなった。
「――リコ」
あ、怖い。
「ライカにだけは怒られたくないなぁ、そんなに痩せて」
「リコ!」
怖いけど、過保護だね。
勢い込んで立ち上がったライカリスの切れ長な瞳が見下ろしてくる。
内心ちょっとヒヤヒヤしながら、その視線を挑発的に見つめ返した。
「じゃあ、ちゃんと生活するって約束しなさい」
「リ――」
「しっかり食べて、危ないことはしないで、もっと自分を労わりなさい。心配させないで」
「あの」
「隠せって言ってるんじゃないからね? ちょっとなら大丈夫とかでもないからね?」
リコリスの知らない2年間だけではない。ゲームであった出来事も視野に入れて、問答無用で畳み掛ける。
そうだ。これはもう、ずっとずっと言ってやりたかった。この男は自分に無頓着すぎる。
クエストでは要望に従って動くだけだったし、そもそも会話ができるわけでもなかったし。画面の中のキャラクターに怒っても仕方ないと思っていたが、しょっちゅう目の前で怪我をされるものだから、本当は悔しく悔しくて。
こうして目の前に生きている以上言っておかなければ。あんな調子で無茶をされたら、身がもたない。絶対胃がねじ切れる。
いいチャンスだから、言えるだけ言っておこう。
「たいした怪我じゃないとか、ちょっとくらい怪我しても平気だとか……私の方が平気じゃないの」
「わ、分かりましたから」
「ホントに分かった? また繰り返すなら、私だって色々やっちゃうよ? ひっくり返るまで働いたり、敵の大群に単騎特攻とかしてやるんだから」
「やめてくださいっ!」
堪りかねて叫ぶように言ったライカリスの目を真っ直ぐに見る。
「だったら。もっと自分を大事にするって約束しなさい」
「約束、します。しますから」
「ん、よし。なら私も無茶はしない」
満足したリコリスが頷くと、大きなため息が返ってきた。
「……本当にやめてくださいね。妖精師で特攻なんて自殺行為以外の何ものでもない」
(そりゃそうだ)
なんといっても、リコリスはメインの職業に妖精師、副業に神官を選んでいる。
双方共に防御が非常に低く、その2つが合わさると文句なしに紙である。ぺらっぺらだ。レベルが上がってもそれは変わらない。
そしてその上、単体火力も最低だ。攻撃魔法なんて1つだけという悲しさ。
狩りをする時など、MPの多さと回復魔法に物を言わせての持久戦だ。しかも雑魚相手に。
(1人なら、ね)
「しないしない。ライカが約束守ってくれるならね。私の戦い方知ってるでしょ?」
「知ってますけど」
そう。極めてしまえば、妖精師には妖精師の戦い方ができる。
その光景を思い出したのか、ライカリスが微妙な顔をした。本気のリコリスの戦い方は実に独特なのだ。
「――とにかく、約束しましたから。あなたも無理はしないで」
「うん、分かってる」
やっと少し安心できたのか、ライカリスは表情を緩めた。
「さ、戻ってご飯にしよう」
町の方も気になるけど、そこまで深刻な状況でないなら、ライカリスに食べさせるのが先だ。
その後は畑でありったけの作物を収穫して町に向かおうか。
(いや、でも。ライカこの顔色だし……休ませたいなぁ)
町に行くといったら絶対ついてきそうだ。優先すべきは――、
「リコさん」
「うん?」
色々考えていたら、後ろから静かな呼びかけがあって、腕を掴まれていた。リコリスは足を止めて振り返える。
「もう、どこにも行かないでくださいね。私の隣に……いて、ください」
約束を求める声だった。
咄嗟に答えることができず、リコリスは沈黙する。
答えるの? 答えていいの? 答えられるの?
確かに、強く願うほど戻りたいと思っているわけではない。戻りたい理由がない。
困ったことに、目の前の相棒の近くになら、いてもいいかもしれないと、思い始めてもいる。
でも。それでも。
何が原因で、どういった理由でここに来てしまったのか、分からない。
それは、いつまた、この世界から消えるか分からないということだ。
――ライカリスを置いて。
(この人を置いて?)
腕を掴む大きな手が震えていることに気づいて、リコリスは唇を噛んだ。
「ライカ。私は牧場主たちが消えた理由が分からない」
「そんなの、私にだって……」
「そうだよね。だから、またいつ同じことが起きるか分からない、と思う」
「――っ」
ライカリスの顔が歪む。歯を噛みしめて、きつく眉を寄せる。決壊は目前で。
掴まれた腕が痛い。感情が高ぶると、本当に手加減できないようだ。
「ずっとここにいるって、はっきりと断言はできない」
「……そんなの、嫌です」
「分かってる。だから……だからね、私の意志だけでいいなら。約束、するよ」
まさかの異世界初日で、永住の決断を迫られるとは思っていなかったけど。
我ながらなんて単純で流されやすい、とも思うけれども。
正直、相手が悪かった。勝てない。
「もし選択の余地があるなら、迷わずライカを選ぶから。許されるなら、ずっとライカのところにいるから。それだけは、約束」
「――はい」
伏せた瞳から、一滴、ほろりと落ちた。
そんなライカリスの長い前髪をかき上げて、リコリスは顔を覗き込む。
「……やーい、泣き虫」
「なっ」
「ところでそろそろ腕放して。折れる」
長袖だから見えないけど、痣くらいできていそうだ。
途端に慌て出すライカリスを眺めながら、リコリスは決めた。
こうなったら意地でもここに残る方法を、あるいは確証を探しだす。
探して、必ず掴んでやろう。