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第29話 正解は?

「リコ! やめてくださいっ、クイーンも待っ――」

「そういうわけにもいかないのですわ」

「本当に申し訳ありません」


 心底済まなそうに眉尻を下げているクイーンたちが、次々とライカリスに向けて槍を振るう。銀色の軌跡が数度、赤い髪を散らしていた。

 どうにか本体に近づこうとするも、リコリスを抱いたクイーンは体重を感じさせない動きでひらりひらり。

 その間も前後、左右から絶え間なく銀槍に襲われ、ライカリスは仕方なく自らの短剣を抜いた。


「――くっ」


 どういったことか、クイーンたちの動きは柔らかく、ライカリスであれば避けるのには問題がない。だが、だからといって彼が攻撃に出ることもなかった。

 黒い短剣と銀色の槍とがぶつかり、入れ違い、しゃらんと場違いに澄んだ音を立てる。

 そうしてクイーンたちの手を捌きながらも、ライカリスの目は真っ直ぐにリコリスに向かう。


「リコッ!!」


 荒げられた声には、怒りではなく焦りと困惑ばかりが走る。

 必死で差し伸べられる手から、しかしリコリスは目を逸らした。


(……何で気づかないんだろう)


 分かりにくいのは自覚しているが、それでも気づいてほしいと思うのは――あぁ、どう考えても我侭か。しかも、これは半ば八つ当たりであるし。

 クイーンがライカリスに槍を振るうたびに酷くなる、頭を締め付けるような痛みに、リコリスは瞑目する。


 吐息を漏らして上げた視線の先、累の及ばない場所へ避難している弟子たちがいた。

 皆一様にハラハラとしているが、その中のジェンシャンと視線が合うと、彼女はリコリスの表情に何を見たのか、はっと口元を押さえる。

 さすが、恐らく弟子たちの中では最も人の機微に聡いだけある。すばらしい観察力だ。

 今気がついても全く意味を成さないことに感心しつつ、ゆっくりとライカリスに視線を戻す。


 避けられる一振りは最低限の動きで避け、体勢を崩した際の攻撃のみ、ライカリスは短剣を使っていた。それでも、彼はクイーンに怪我を負わせないよう、細心の注意を払っている。

 少し離れて見ているリコリスにはそれがよく分かって、眉間に皺が寄るのを止められない。


 状況――否、リコリスの意思を把握できないが故に生まれる焦りのためか、こんなことでは息も乱さないはずのライカリスの動きが、一瞬揺らいだ。

 そこに振り下ろされた刃を彼はどうにか後ろに避けて、更に横から迫る槍を短剣で――、


「しま……っ」

「あっ」


 力加減を間違えたのだろう。

 双方が短く声を上げ、クイーンの手から、槍が弾け飛んだ。

 衝撃に顔を歪めるクイーンを見、青褪めたライカリスが唇を噛み締めて、後方にいるリコリスを見据える。


「もう、嫌です! こんなの……リコッ、――嫌だっ、やめて……っ」


 必死にリコリスを呼ばうライカリスに別のクイーンが槍を突き出した。

 それは彼の肩の上に大きく逸れ、更に一歩を踏み出したクイーンが、そっと彼の耳元に口を寄せる。


「――ライカリス様。何故、攻撃してこないのです?」


 場違いなほど静かで、そして責める色のない問いかけだった。

 ライカリスは盛大に顔を顰め、後ろに跳び退りながら低く、唸るように答える。


「できるわけがないでしょうっ? だってあなたたちは」

「ええ、私たちは主の一部……」

「リコリス様に最も近く忠実な影、最も強い僕です。1人でも、ライカリス様にも、遅れはとりませんのよ?」


 次いで後ろから繰り出された刃をかわせば、同じ声が静かに言葉を繋いだ。

 意味深に瞬く青い瞳が、真っ直ぐにライカリスを射抜く。

 クイーン4人がかりで攻め立てておいて、彼に掠り傷のひとつもない状況。そしてこの言葉。――その意味するところは。


「――――……」


 ライカリスが不意に体の力を抜き、短剣を持つ腕を下ろした。風を切って首を狙ってくる切っ先を、今度は避けようとはしない。

 リコリスと、彼女を抱えているクイーンだけが、暗い瞳に映っていた。


 クイーンたちの攻撃を気にしなければ、そしてライカリスがリコリスの捕獲だけに全力を注げば、それを止められる者はいなかった。

 むしろ、それまで幾度となく攻撃を繰り出していたクイーンたちが、それを邪魔しないよう手を緩めているようにも見える。

 のらりくらりと安全な空間へ逃げ回っていたクイーンに、大きく踏み込んだライカリスの手はすんなりと届いた。


「……そろそろ返してもらえます?」

「ええ、喜んで」


 ひどく不機嫌な声に、答えたクイーンは満面の笑みだった。


(妙な会話……)


 どこか他人事のようにぼんやりとリコリスが思った瞬間、ふ、と白銀の影が揺らぐ。

 それまでリコリスを抱きかかえていた白い腕が空気に溶け、その代わりに目の前で険しい顔をしているライカリスの手に体が抱き取られた。

 抵抗もなくその腕に収まると、ライカリスを攻撃し始めた時から次第に酷くなっていた頭痛があっさりと薄れ、リコリスは軽く頭を振った。

 思考がクリアになり、呼吸が楽になる。


「はー……」


 大きな吐息が零れ落ちると、低い声が降ってきた。


「……ため息をつきたいのはこちらの方なんですが?」

「まぁ、そりゃそうだろうねぇ。あー、降ろし――……」

「却下。大人しくしてなさい」


 言葉には棘があり、見上げた顔は厳しかった。

 リコリスが無駄だとは知りつつ口にした要求は途中で止められ、代わりに彼女を抱える手に微かに力が入る。彼女が痛みを感じない程度には抑えられているが、逃げることは不可能である。

 あまりにも自業自得過ぎてそれ以上抵抗する気も起きないが、それ以上に今この腕の中にいるという安堵が、リコリスの口元を緩ませた。


(ああ、面倒くさいなぁ私)


 本当に面倒くさい。自分の心が。


「……何を笑っているのか、教えてもらえますか?」 

「えっ? えーと」


 地を這うといっても差し支えのない声音に、言葉を探す。さて、何と説明したものやら。

 何か突破口はないかと彷徨う視線が、遠巻きに2人を見ている弟子たちを捉えた。


「ファー」


 ぴく、とライカリスの体が震えたのは感じたが、リコリスは構わず手を上げ、大きく肩を跳ねさせた弟子に、手招きをした。

 ファーの顔には、「ライカリスサンコワイ」とはっきりと書いてあったが、そもそもの原因はこの弟子にあるのだから、問答無用である。

 そろりそろりと、ライカリスの顔色を窺うように近づいてきた彼に、リコリスは問う。


「ね、疑問は解消した?」

「あ、え、う……」


 もにゃもにゃと意味もなく口を開閉させるファーにライカリスの氷のような視線――むしろ殺気が突き刺さり、浅黒い肌に大量の汗が浮いた。

 このまま放っておけば、うっかり心臓が止まるかもしれないな。

 リコリスがそう思った時、真っ青なファーの後ろで、ジェンシャンがのんびりと声を上げた。


「正解は、勝負にならない。相打ち、引き分けにすらならない。……そんなところですかしらぁ」

「……ジェンシャン、ライカより先に気づいてたもんね」


 正しく言い当てられた「答え」にリコリスは苦笑した。


 戦闘妖精たちに関して、この世界に来てから実感したことがある。

 彼女たちは主人の意思に敏感だ。リコリスが命じなくても、願わなくても、ただそこにある感情に影響を受ける。画面越しに妖精たちを扱っていた時とはあまりにも違うのだ。

 薄々そのことに気づいていたリコリスは、それ故に今回実験をした。――結果は、彼女の予想通り。


「クイーン1人で、ホントはライカと互角に戦えるんだよ。あの子、回復魔法使えるし」


 攻撃力とスピードではライカだが、防御と回復手段ではクイーンだ。しかも、彼女も別に攻撃力が劣るわけではない。だから、いくらライカリスでも、複数のクイーンをまともに相手にするのは無理がある、のだが、先の戦いではその無理が実現した。

 何故か。


「でも、本体(わたし)が拒絶すると、動きが鈍るんだよね。これはクイーンだけじゃないんだけど。――今回は、相手がライカだったから」


 状況にもよるだろうが、少なくとも今は無理だった。

 自分から仕掛けておいてなんだが、ライカリスに怪我をさせることを、リコリスは自分で許容できなかったのだ。クイーンに伝わったそれは、ライカリスが避けられる程度の攻撃として表れ、彼が避けるのをやめると攻撃そのものができなくなってしまった。

 頭痛までついてくるのは、全くの予想外だったが。

 ライカリスはライカリスで、リコリスはもちろん、彼女の分身である妖精にも手を上げることなどできなかったから、結果、ジェンシャンが言った通り、『勝負にならない』のである。


 そんなことをリコリスがのんびりと説明する間に、ライカリスの眉間の皺が深くなっていく。

 ただでさえ近づくのを躊躇っていた弟子たちが、それで更に一歩退いた。恐怖で体が動かないらしいファーと、ニヤニヤしているジェンシャンを除いて。


「嫌がらせですか。そんなこと、口で言えば済むことでしょう」


 苛々と言うライカリスを、リコリスは真っ直ぐに見る。


「嫌がらせだよ? 口で言ったって、私の気が済まないし」

「………………」


 あまりにも正直な言葉に、ライカリスの怒気が殺がれる。まだ完全に怒りが収まったわけではないにしろ、それを上回る戸惑いを浮かべ、彼はリコリスを見返した。

 無表情に、薄い笑みを貼り付けているだけの、リコリスの顔を。


「……何か、怒ってます、ね」


 リコリスは目を細めただけで、答えない。

 攻守が逆転しつつある2人を面白そうに眺めていたジェンシャンは、そこでぱん、と手を叩いた。


「私どもは、今日はこれでお暇しますわねぇ。参考になりましたわぁ……色々と」


 ジェンシャンは楽しげに笑いながら、戸惑っている他の弟子たちを追い立てた。

 確かに、いつの間にか夏の日が、遠い山の縁にかかろうとしている。

 上手く足が動かないでいるファーの背を押しながら歩き始めた彼女は、立ち去りかけて、ふと足を戻した。ライカリスの横に立ち、爪先立ちになって、その耳元に顔を寄せる。


「クイーンさんも仰っていましたでしょう。早く謝ってくださいね? それから、深読みすることをお勧めしますわぁ」

「は? ……何を」


 訝しげなライカリスににっこりと微笑んで、ジェンシャンは身を翻した。金色の髪が風に靡く。

 それにしても、的確な助言を残してくれるものだ。深読みしろって、……悪かったな、捻くれ者で。

 しかしまさにその通りなので言い返しもせず、リコリスは鼻歌混じりに歩き去る背を見送った。


 途中、アイリスのペオニアを呼ぶ声がする。

 弟子たちの戦闘訓練中、ペオニアは家妖精たちと共に、ウィードの相手をしていたのだ。

 一言二言、話し声がリコリスの耳に届く。内容までは聞き取れなかったが。ただ、妖精たちが高い声を揃え、「また明日」と言ったのだけが聞こえてきた。

 そして、しん、と人の気配のない静寂が訪れる。


「…………はぁ」

「ライカ?」


 不意にため息をついたライカリスが、その場に座り込む。無論、リコリスのことはしっかりと抱えたままなので、彼女の体は自然と彼の胡坐の上に収まった。

 まだ太陽の完全に落ちていない夕暮れに、戸惑いの表情が染まる。


「何を怒っているのか、教えてください。教えてもらえるまでは謝りませんし、このままでいますから」


 腕の中に包み込まれて身動きの取れないリコリスは、少し考え、そっとライカリスの胸に頭を預けた。まだ緊張している様子の彼に、抵抗する気はないという意思表示に。

 それでも、拘束は緩まなかったけれども。

 軽く息をついて、リコリスは口を開く。


「――ライカが、私の方が強いって言ったから」

「……はぁ?」


 予想もしていなかった言葉だったのか、動揺した腕が揺れた。


「あっさり言ってくれたよねぇ。強いのは、私の方だって。あれって、何? 私がライカに普通に攻撃できるって、そういうこと?」


 決着がつく程度に、ライカリスに対して攻撃し、ダメージを与えられる、と。

 そう思っていたということだ。深く考えたわけではなくても。

 それが気に食わなかった。

 不機嫌に顔を顰めたリコリスに絶句したライカリスが、一呼吸置いて、片手で顔を覆った。


「――わ、分かりにく……」


 深読みってそういうことですか。項垂れて、誰にともなく呟く。

 その声があまりにも呆れ果てたという響きだったものだから、リコリスは口を尖らせた。


「ライカだって、(クイーン)に攻撃できなかったでしょ。私だって、同じなのに」


 クイーンの動きがそれを証明した。リコリスは、ライカリスに攻撃はできない。恐らくは、彼とそう違わない理由で。

 それなのに、そう思ってくれなかったことが嫌だったのだ。

 ああ。分かりにくいことなど承知の上だとも。


「あぁ、もう。妙なところで捻くれているんだから」


 はー、と今日一番の盛大なため息をついたライカリスが、リコリスを抱えなおし、彼女の髪に唇を寄せた。前髪が、吐息で揺れる。


「……どうせ、捻くれ者だし」

「ええ。下手をしたら私の上を行きますね」

「ぐ」


 色々な意味で言葉に詰まって、俯きかけたリコリスの頬を、ライカリスの手が包んで動きを妨げる。

 そうしておいて、彼は更に続けた。


「でも、分かりました。そんなつもりはなかったんですが、あなたを甘く見ていたようです。すみません」


 だから、と言葉は続く。


「謝りますから、もうあんなことは二度とさせないでください」

「うん。……ごめん」


 相手が譲歩してくれて初めて素直に謝れるリコリスは、捻くれ者で、――子どもだ。面倒くさい、ガキ。

 ライカリスを試したことは正直悪いとは思わないが、この分かりにくくて面倒くさい性格については、心から申し訳ないと思う。


「う?」


 頬が摘ままれて、横に伸ばされた。

 視線を上げれば、複雑な顔をしたライカリスと目が合う。


「リコさんの思考回路がどんなに面倒でも、複雑怪奇でも、私は絶対にあなたを手放しません。だからそんな、不安そうにしないでください」


 今は随分正確に心を読んできたな。

 心情を言い当てたライカリスが、更にリコリスの表情を見て苦笑する。


「ああ、今はすごく分かりやすいですよ? いつもそうだったらいいのに」

「ごめーんねー」


 投げやりな謝罪には、笑い声だけが返ってきた。

 ようやく空気が緩んだところで、ライカリスが立ち上がった。胡坐で座り込んだ体勢から、リコリスを抱えたまま軽く立ち上がるのだから、すごい鍛え方である。

 しかし、そのまま「そろそろ戻りましょう」などと言って歩き出すものだから、リコリスは慌てて身じろいだ。


「いや、もう降ろしてほしいんだけど」

「駄目ですよ。このまま戻るんです」


 ぽかんと見上げた先の笑みは、にやりと感じが悪い。


「しばらく抱えたままでいきますから」

「はぁっ?」

「楽しそうですねぇ。妖精たちがどんな反応してくれるでしょうか」

「――……」


 くすくす、くすくすと。

 楽しげなライカリスに対し、リコリスは言葉もない。

 妖精たちの明るい声が、次第に近づいてくる。

 本当にしばらく抱えられたままになるのだろうか。そうなると、本気で周囲の反応が怖い。


(うわぁ……ああぁぁ……)


 迷いない歩みと揺らがない腕の中、彼女はこれから『しばらく』を想像し頭を抱えるのだった。

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