第27話 知れ渡る貧乏
「リコリス、今、少し時間をもらえるかね」
そんな、のんびりとした声がかけられたのは、リコリスたちが収穫を終え、桃や夏蜜柑、プラムなどを潰したフルーツジュースを片手に一休みをしている時だった。
家の横にある大きなクヌギの木陰で、リコリスが立ち上がる。
「町長」
いつも通り穏やかな笑みで、しかし額には汗を浮かべたサマンが、一抱えある木箱をもって、牧場の入り口に立っている。
慌てて駆け寄ると、「今日も暑いねぇ」と暢気に言うが、木箱はなかなかの重さがあるようで、地味に息を乱していた。
「町の者からね、獲物のおすそ分けだそうだ。急かすようで悪いが、早めに仕舞ってもらえるかね。この暑さではすぐに悪くなってしまう」
「あ、はい」
リコリスが遠慮する暇もない言い回しがさすがである。
こう言われてしまっては、受け取る受け取らないの問答をすることもできない。
横から進み出たライカリスが木箱を受け取り、蓋を取ってリコリスにも見えるよう傾けてみせた。
それぞれビニール袋に入った肉と氷が、大量に詰まっている。
「ライカ、冷蔵庫にお願いしていい?」
「ええ」
頂き物の食材は配るものでもないので、自宅の冷蔵庫がいいだろう。
リコリスの冷蔵庫は例によってアレなので、箱のまま放り込める。見た目は若干……だが、考えようによっては便利なものだ。
ライカリスが箱を抱えて家の中に姿を消すと、リコリスは額の汗を拭っているサマンを、今まで休憩に使っていたクヌギの木陰へ促した。
ペオニアたちが、新しいコップを出して、ジュースを用意していた。
「どうぞ。作りたてのジュースでも飲んでいってください」
「ああ、嬉しいねぇ。リコリスの作る野菜も果物も美味しいから」
氷の入ったジュースに嬉しそうに口をつけ、サマンが一息つく。
その間にライカリスも戻ってきて、リコリスの隣に腰を下ろした。
サマンは冷たさを楽しむようにコップを両手で持ち、やがて常と変わらぬ笑みを、黙って用件を待っているリコリスに向ける。
「――さて。今日お邪魔したのには、もうひとつ用があってね」
もう一口ジュースを飲んで、サマンは続ける。
「リコリスが任せてくれた、作物のことなのだがね。皆とも相談してみたのだが、元々確保できていた食料のことを考えると、余りが出そうなのだよ」
スィエルの町では、ゲームで生産スキル伝道師などの特別な役職をもっていた者以外の、ほとんどの住民が狩りや漁で生計を立てている。
2年前の異変以来、ライカリスが処理していたとはいえ、それでも多少増えたモンスターが邪魔をして、獲れる量は減っていた。
それでも、住人たちがどうにか暮らしていけるだけの食料はあったのである。
そこへリコリスが返ってきて、状況は確実に良くなったが、だからといってそもそもが贅沢を好む者たちでもない。
「だから、その余った食料を、ここから一番近いヴィフの町に譲りたいと思っているのだよ。もちろん、リコリスがよければだが」
温かな灰色の瞳が、見透かしたようにリコリスを捉えた。
(ああ、ホント敵わないなぁ)
あっさりと悩みを見抜かれ、先回りされて、リコリスとしては苦笑するしかない。
「ええ、それはもちろん」
頷けば、サマンの顔に広がる満面の笑み。
「ああ、よかった。リコリスなら、そう言ってくれると思っていたよ。――それでだね、できたら食料の輸送を、リコリスたちに頼みたいのだよ」
「え?」
「これも町の者の意見なのだが、転移装置が使えなくなって、道中のモンスターが不安でね」
すまなそうに告げるサマンの表情に、リコリスは微かに首を傾げる。
嘘はもちろん言っていないはずなのだが、どうにも、それだけではないような気がするのだ。
「もちろん、その間、牧場のことはこちらで手伝わせてもらう。……ほら、ヴィフの町には冒険者ギルドの支部もあるだろう? 食料のことでお金をとろうとは思わないが、ギルドからの依頼ならば、それは正当報酬だ」
「………………」
これはつまり――、
要約:牧場の世話はしておくから、少しお小遣い稼ぎしてくるといいよ
……だ。
本当に言いたかったことが分かって、リコリスは項垂れた。
しかも、わざわざここに出向いて伝えてきたということは、間違いなくスィエルの町の総意。
町の方から、貧乏人に向けられる生温かい視線を感じるようで、ありがたくも、ちょっと悲しい。というか情けなくて切ない。
事実、ライカリスやペオニアたちからも、妙な視線を感じる。ああ、貧乏だから……と。
放っておいてくれ、と強がれたらどんなにいいだろう。いや、無理だけど。
それにしたって、皆に貧乏の心配をされるって、どうなんだ。
(……くすん)
せめて、と心の中だけで泣き真似をしておく。
「ああ、迷惑なら、もちろん断ってくれてかまわないのだよ」
慌てて続けてくれる、その優しさが逆に悲しいです、町長。
心の中の涙は置いておいて、リコリスはゆっくりと首を振った。
本当は、分かっている。
これは、リコリスの懐具合だけでなく、性格までしっかりと理解しての提案なのだ。
今の状況では、リコリスは作物の料金を絶対に受け取らない。
かといって物での施しも過剰には受け取るつもりはない。今日持ってこられた、狩りのおすそ分けは、ありがたく頂くとしても。
アイテムを大量に保持していて、今のところ生活に困らないし、町の人々のことが好きだから勝手に渡しているだけだし。
だが、リコリスのそんな考えは、見方を変えれば、断られる側が大層心苦しい思いをするということでもあるのだ。
貰うだけ貰って、返すことができないのだから。
――そして差し出されたこれは、「時間」というお礼。
(ああ、私は本当に至らない)
自分の未熟さを痛感させられる。
「すまないね。こういう言い方をすれば、君が気にするのは分かっているのだが……」
「いえ。嬉しいです」
気づけなかったことに、気づかせてもらえた。
表情を改め、リコリスは顔を上げる。
「喜んで引き受けさせてもらいたいですが、――色々準備もありますし」
「ああ、今すぐにということではないよ。もうすぐ星河祭の季節だから、それが終わってからでどうかと思っているのだが」
星河祭――七夕とお盆を兼ねたイベントだ。
笹に、短冊ではなく御霊石という光を放つ小さな石を飾り、祖先の霊に祈る。
祭というには静かなものだが、その時に星飴という特別なお菓子が配られるので、子ども達にとっては確かにお祭だろう。
期間限定クエストでは、御霊石と、飴の材料をたくさん集めたものだ。懐かしい。
星河祭の期間は夏の19日から25日まで。
色々と準備をして、それから出発するのにちょうどいいだろう。
「そうですね。では、それまでに準備しておきます」
「ああ、よろしく頼むよ。――さて、ではそろそろお暇しようかね」
交渉が成立して、ゆっくりと立ち上がるサマンに、リコリスは短く声を上げた。
きょとんとする彼に、ジュースの入ったガラスポットを差し出す。
「これ、暑い中来てくださったお礼に。マザー・グレースと飲んでください」
ポットにはまだまだたっぷりと中身が入っている。
今はいない弟子3人に残しておこうと多めに作ったからだが、それはまた、帰ってくるまでに作ればいい。
ポットを受け取って、サマンは嬉しそうに目を細めた。
「これは嬉しい。グレースも喜ぶよ」
リコリスも微笑み返す。
それから、一言二言別れの挨拶を交わし、サマンはのんびりと町の方へ歩いていった。
――そして。
『………………』
「……?」
周囲の人間が、何やら拗ねた雰囲気を醸し出しているのに、リコリスは当惑する羽目になる。
今度は何だ。
「どうかした?」
ためしにライカリスの顔を覗き込むと、彼はしばらくして気まずそうに、渋々と口を開いた。
「……リコさんが他の町のことを気にしているのは気づいていたんですが……何も役に立てませんでした」
「へ?」
ぽかんと目を丸くするリコリスに、ペオニアも力なく俯く。
「わたくしもですわ。何より、リコリス様がご自分を責められる必要などございませんわ。……責められるとしたら、わたくしたちです。今までのうのうと過ごしてきて、今なおリコリス様の恩を受けていますのに、――お心を軽くして差し上げることもできない……」
(え、ええー……?)
心底申し訳なさそうなその言葉に、周囲の誰も異論を述べない。
アイリスたちも神妙に頷いている。
これはどう返せばいいのだろうか。
心配してくれていたのは分かるが、そこまで深刻にならなくても。
というか、こういうしんみりとした空気への対処は、リコリスの最も苦手とする分野なのだ。上手く言葉が出てこないから。
リコリスは困り果て、空を仰ぎ、ため息をついた。
「えっと……えー、あー……相談しなくて、ごめんね? でも、頼ってなかったとか、そういうのじゃなくて」
しどろもどろ。
ああ、情けない。なんて未熟者なんだろう。
(どうにもならない問題だったから、言う必要が? って、これじゃダメだし。こんなことを相談されても困るかと思って? ……いや、これもダメでしょ)
「その、ずっと考えてたんだけど、上手く言えなくて、あとタイミングも掴めなくて、ホントにごめんね。……心配してくれて、ありがと」
これが限界だった。
強気に出られる場面ではいくらでも口が回るというのに、今はこの程度が本当に限界なのだ。
ライカリスのシャツの袖をちょっと摘まんで、全員の顔を順番に伺い見ると、リコリスが必死で言葉を選んでいるのが伝わったのだろう。
皆揃って表情を緩め、苦笑いをする。
ライカリスがリコリスの手をそっと包んで、彼女の顔を覗き込む。
「すみません。困らせるつもりではなかったんです。ただ――次からはもう少しだけ、せめて相談に乗るくらいは、許してください」
「……うん」
頷いて、それからペオニアと視線を合わせる。
「ペオニアたちも、ありがとう。でも、恩がどうとか、本当は考えてほしくない。今までとか、あの酒場でのことはともかく、今は一緒にいられて、私は楽しいから」
懸命に言葉を連ね、ペオニアが涙ぐむのを見て、リコリスは心の中で悲鳴を上げた。
(な、泣かしたーっ!)
泣かれるのも苦手なリコリスである。
……もう少し自分の考えを言葉にするスキルを磨かないと、この先どうにもならないらしい。
あまり人に関わる環境になかったリコリスは、今日改めてそれを痛感するのだった。