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第2話 相棒がエンカウントしてきた!

 リコリスは大きく息を吐いた。もう一度ゆっくりと吸って、吐いて。それから俯けていた顔を上げる。


「よし。考えても無駄だ」


 わざわざ声に出したのは、自分に言い聞かせるためだった。

 え? 落ち着いてる? 考えるのやめないと発狂しそうですがナニカ?


 頭の中でよく分からない問答をしながら、リコリスは立ち上がった。膝についた砂をはたき落として、大きく伸びをして、また深呼吸。

 とりあえず、家に入ろう。

 色々と周囲を確認することに決め、彼女はまず生活の拠点となるであろう、『自宅』の扉を開けた。


「見事に何もないなぁ……分かってたけど」


 外見も内装も素朴な木造建築だ。むしろ内装は素朴すぎるというか、質素というか……むしろ貧乏なの? という有様だ。本当に最低限の設備しかない。そして狭い。


「まぁ、貧乏は貧乏なんだけどね~」


 独り言が癖になりそうだと思う。だが喋っていないと頭が変になりそうなのだから、仕方がないではないか。


 リコリスは狭い室内を横切って、部屋の隅にある簡素な寝台に腰を下ろした。何故か落ち着くのは、多分気の迷いだ。

 寝台横にあったエンドテーブルの上に、鏡があった。キャラクター及び牧場作成記念に与えられる、最低限の家具一式の中のひとつだ。

 手にとって、覗き込んだそこに映りこんだのは、ある意味予想通り、ある意味予想外の姿だった。


 特徴的な真っ赤な髪は艶々と見事なキューティクルで、病的ではなく化粧もしていないのに白い肌。髪と同じ色の長い睫に縁取られた大きな目は緑色で、髪によく映えている。

 キャラ作成した本人だ。特徴など改めて確認するまでもない、はずだった、のに。


「なんだこの美少女……」


 ゲームで見慣れたと思っていた顔は、本物になると全く違って見えた。

 要はキャラクターの特徴を丸ごと引き継いだ本物の人間なのだ。確かにゲームのキャラクターそのものの見た目であったら、それはそれで不気味だが、逆にここまで美形にされると正直きつい。

 そりゃ、美形は目の保養だし、美少女も大好きだ。リコリスだって、綺麗になりたいと思ったことくらいある。

 しかし、持って生まれた美貌でなく、努力で掴んだ美しさでなく、こういう状況で眩いばかりの美少女になりました、というのは何というか……居た堪れない。そう。居た堪れないのだ。分かってもらえるだろうか。無理!


 リコリスは力なくベッドに倒れこんだ。鏡は適当に枕元にポイ。

 ぼへっと天井を見るともなしに見て、考える。これからのことを。


 こうなってしまった原因はもちろん気になるが、今のところ完璧なノーヒント状態で、どうしようもない。

 それよりもまず、目先のこと。

 精神的ダメージによるところが大きい疲労感に、時間の経過と共にじわじわ来ている空腹感。作り物ではない。

 ゲームと現実の混ざり合ったような周囲に、リコリスが設定したキャラクターの見た目で、本来の彼女ではなくても、この身体は本物なのだ。

 それは、死にたくないなら、生きていくことを考えるべきだということ。


 幸い、ゲームでリコリスが所有していた牧場はそのままのようだ。

 作物情報が表示されてはいたが、見た感じ、あのトマトは食べられる。後で齧ってみよう。


「…………知ってる人とか、いないかな」


 贅沢を言えばプレイヤー。同じようにこの意味の分からない状況にはまっている人がいてくれたなら。

 そこまで考えて、思い至る。


「そうだ。【フレンド】!」


 思わず大きく響いた声に応えて、羊皮紙が広がる。先ほどのステータスと似ているが、こちらはフレンドリスト。ゲーム中、ログイン状態の相手は名前の前に花がつくのだ。

 だが、期待を込めて上から下まで眺めても、花を咲かせた名前はひとつもなかった。もしかしたらフレンドシステムが機能していないだけかもしれない。あるいは、フレンド登録していないプレイヤーなら同じ世界にいるかも。

 どちらにせよ連絡を取り合う術はないが、全く希望を捨てる必要はない。リコリスは、必死に自分に言い聞かせる。


 プレイヤーがダメなら、NPCはどうだろう。

 ゲームの状態がどこまで反映されているか分からないが、リコリスの記憶通りなら、彼女の牧場は一般的なプレイヤー牧場と違い、独立エリアではなく世界マップに存在している。そしてそこは、ひとつの町のすぐ南の土地だった。つまり牧場を出て少し行けば、町があり、NPC――人がいることになる。


 ……いや、むしろいてくれないと困る。非常に困る。

 知っている人がいないだけなら残念で済ますこともできるが、誰もいないのは大問題だ。遭難。無人島生活。いくら何でも心が折れるわ。


(町に行ってみようか? でも怖いな~)


 ごろごろとベッドの上を左右に転がって、リコリスは悩んだ。状況が普通でないだけに、かなり怖い。

 知っているNPCがいるだろうか。いたとして、相手はリコリスをどう認識しているだろう。


 『アクティブファーム』には、牧場以外にもうひとつ大きな特徴がある。それはNPCの数と個性だ。

 世界中に散っている彼らは、名前を持ち、個性があり、過去が設定されている。ついでに大量のクエストを発生させてくれるものだから、必然、プレイヤーたちと深く関わっているのだ。

 リコリスからすると、近くの町『スィエル』の住人たちは皆、名前も性格も知り尽くしたなじみの人々。だが、彼らが生身で生活している現実に、いきなり入っていける自信がちょっとない。

 できたらもう少し、小規模な感じで、そっと様子を伺ってみる感じがベストなのだけれども。


「あ」


 ひとり。

 ひとりだけ、頼ってもいいかもしれないと思える人物がいる。


 存在しているだろうか。リコリスのことを知っているだろうか。

 相手はスィエルの町には住んでいない。牧場の近くの森の中に、小さな家を構えている。

 こっそり様子を見にいくのはどうだろう。


 いい考えに思えて、リコリスは勢いよく体を起こした。――と、ほぼ同時に。




 扉が吹き飛んだ。




「……っ?!」


 盛大な破壊音と衝撃に、小さな家がびりびりと振動する。ついでに鼓膜も心臓も揺れる揺れる。扉の破片がぱらぱらと足元まで転がってくるが、驚きすぎて声も出ない。


 音の原因は探すまでもなかった。

 視線の先、それまで扉があったところに、男が立っていたから。


 リコリスと同じ真っ赤な髪の男は、息を切らせて、切ないような思いつめたような顔をしていた。言葉にならない何かが、形のいい唇を震わせている。

 これまた結構な美形だったが、それよりもその暗褐色の瞳から、彼女は視線が外せなかった。音にならなかった言葉の代わりとでもいうように、形容しがたい想いが暗い焔になって揺らぐ。


 見ているだけで、ざわざわと胸のうちが騒ぐようなそれを、リコリスは知っていた。実際に、実物として目にしたのは初めてでも。



「――ライカ」



 零れ落ちたのは男の名前。正式にはライカリス・オルジェノヴァ。

 彼はこのゲームの、リコリスにとって最も重要な、NPCだった。そして、こっそり覗きにいこうとした相手。

 向こうから訪ねてくれたのはある意味好都合……な訳がない。無残な扉が、リコリスの顔を引き攣らせる。ただでさえ物の少ない家なのに、扉さえなくなるとかどうなの。


 名を呼ばれたのをきっかけにして、固まっていたライカリスの表情が動いた。泣きそうな顔のまま、花が咲くような嬉しそうな笑みを浮かべる。それはもう、蟲惑的といっていいほど艶めいて見えて、リコリスは思わず息を詰めた。


「リコ……!」


 叫ぶように呼ばれたリコリスが答える前に、視界が塞がれた。走り寄ってきた彼が、勢いもそのままに抱きついてきたのだ。すっぽりと抱きこまれて彼女は呻く。


「ぐぇぇ」


 力が強すぎる。何しろ、木の扉を弾き飛ばした腕力だ。


(……死ぬ死ぬ)


 色気のない呻き声がリコリスの口から漏れたのに、抱きしめてくる腕は全く緩まない。仕方なく、腕を回して背中を叩いた。

 手加減はしなかった。


「痛っ――痛いですよ、リコさん」

「私も痛いし苦しい! 圧死させる気?!」

「久しぶりに会ったのにひどいです」


 人を食ったような言葉遣いと久しぶり、の言葉にはたと気づく。これは、状況はともかく、親しい友人との会話だ。


 『アクティブファーム』のNPCには個々のプレイヤーに対して好感度が設定されていて、それはクエストやイベントなどで上下する。非常に非情にシビアな仕様だった。

 好感度の上がり方はNPCそれぞれ違い、必要数値以上を稼ぐとパートナーとなる。狩りに同行してもらったり専用イベントがあったり、特殊アイテムが貰えたりと恩恵は大きいが、パートナーはお互い1人だけ。

 既に誰かのパートナー設定されたNPCでは、一定数値までしか好感度を稼げない。また、パートナーを得たプレイヤーは、他のNPCの好感度は同じく一定値まで。大体目安として、『親しい友人』止まりだ。

 ちなみにパートナーとの関係は親友、恋人などのメジャーなものから、養子縁組、師弟、マニアックなものならパトロン(パパ)、女王様と奴隷、飼い主とペット……など、様々に特別な関係がある。


 目の前のライカリスは、好感度を上げにくいことと性格と口が悪いことで有名だった。一応リコリスのパートナーで、彼女の親友。

 ゲームで培った関係がそのまま延長されているなら、少しだけ安心できる……か? 癖がありすぎて若干不安な気もするけど。

 しかし孤独からは開放された。今までは画面の中だった相手が目の前にいて、しかもやたら親しいという状態に慣れなければならないが、ひとりぼっちよりはずっといい。


 締め付けていた腕の力も弱まって、色々ほっとしつつ顔を上げたリコリスは、そこで目を丸くした。


「ちょ、な、なんで泣いてんの?!」


 透明な雫がぱたぱた。顔を上げたリコリスの頬に落ちてくる。

 ライカリスは微笑んだまま泣いていた。困ったように、でも嬉しそうに。


「えぇぇ、似合わなすぎるでしょ」

「リコさんはひどすぎですよね」

「だって、あんたはもっとこう、ドライで意地悪で」

「……へぇ」


 対応に困って憎まれ口が口をつけば、潤んだ暗褐色の瞳に不穏な輝きが宿る。涙を流したままなのに、危険な感じがした。

 それを認めて、リコリスは納得した。彼女の知っている、そのままのライカリスだ。

 指先で涙を拭ってやると、ライカリスはため息をついて、その手に顔をすり寄せた。


「……ずるい人だ」


 甘えを多分に含んで零された言葉に、リコリスは笑った。実際に誰かとこんなに親密にすることなど初めてなのに、平然としていられる自分が、とても不思議だった。

 しかも、今までのお付き合いはゲームのプレイヤーとNPC、それがなぜか生身で初対面したばかりという意味不明っぷり。なのにずっと一緒にいた親友同士のようなやり取りができてしまうなんて。

 生きた人間として、大切な親友として、当たり前に受け入れつつある自分の心の方に、リコリスは少し戸惑う。全然嫌じゃないし、複雑だ。

 

 ライカリスの目尻に残っていた一滴を拭いながら、思わずまじまじと彼の顔を見つめる。


「あれ?」


 扉吹き飛び事件と涙のインパクトのせいで気づくのが遅れたが、記憶にあるゲームの画像よりも、大分頬がこけて見える。

 リコリスとよく似た、でも彼女よりも少し暗めな赤い髪も、背中の中ほどまであるそれを後ろで簡単に括っているのも、感情を強く映す印象的な瞳も記憶のまま、特徴を引き継いでいるのに。ただでさえ線が細かったのに、それに輪をかけて、その上顔色まで悪いって。

 リコリスは眉を顰めた。


「何か?」


 ライカリスが薄く微笑んだまま訊ねてくる。涙はもう止まっていたが、その跡はまだ目元に残っていた。


「なんか痩せてない?」

「…………そうですか?」


 妙な間があった。

 怪訝な顔の頬を、指先でつついて、そのまま摘まむ。摘まむ肉があまりない。


「痩せたよね」

「いひゃいれふ」

「っていうか、やつれた。ちゃんと食べてないの?」


 これは気づかないフリができる範囲を超えている。心配くらい、させてもらう。

 睨むリコリスの指を外させてから、ライカリスは肩を竦めた。


「死なずに動ける程度には食べてますよ」


 何だ、その微妙な返事は。

 ライカ、と促せば目を逸らされた。


「……2日に1回は食べてます」

「少なっ」


 痩せるはずだ。

 リコリスは目を丸くして、それから盛大に顔を顰めた。


「ダメでしょ、それは! 倒れたらどうするのっ」

「倒れてませんし、平気ですよ」


 答える声はため息まじりで、カチンとくる。

 倒れてからでは遅いし、倒れてないから平気というものでもないだろうに。


「あぁ、そう。確かに、人の家の扉吹っ飛ばすくらいには元気みたいだけどね~」


 扉を壊されたことは別に怒ってない。腹が立ったのはそのことではない。

 皮肉っぽく言ったリコリスにそっぽを向かれて、ライカリスは困った顔をする。


「――怒らないで……リコ」


 その、縋るみたいな声と顔は反則だと思う。思うが、リコリスは腰に回っていた手を振り払って立ち上がった。

 ライカリスはそれにひどく慌てた様子で彼女に手を伸ばした。


「い、行かないで」


 私を置いていかないでください。そんなことを真っ青な顔で言う。

 先ほどの涙といい、今の怯え方といい、何があったらこうなるんだろう。

 何となく不安になりながら、リコリスは伸ばされた手を掴んだ。


「置いてったりしないよ。あんたも来るの」

「え……」


 リコリスが歩き出すと、手を引かれたライカリスは素直についてきた。ぽかんと口を開けたまま。


 迷いなく向かった先は外。

 見渡す限り青々としている野菜のうち、最初に見たトマトの前で立ち止まる。ツヤツヤで綺麗なトマトだ。

 リコリスは掴んでいた手を離し、目の前のトマトを2つちぎると、そのまま牧場の横を流れている川まで移動した。持っていたトマトをその水で簡単に洗い、片方を齧ってみる。

 うん。食べられる。それも、すごく美味しい。


「はい」


 黙ってついてきていた後ろの男に、もう片方のトマトを差し出す。差し出された方は、瞳に戸惑いを浮かべていた。


「とりあえず食べて。トマト好きだよね?」

「えぇと……はい」

「畑にあるもの、好きなの好きなだけいっちゃって。まぁ生野菜ばっかりもアレだから、後でご飯も作るけど」


 だから、ちゃんと食べて、と。伝わったかな。


(これでも心配してるんだってば)


 丸々としたトマトが、ライカリスの手に移る。口をつけるのを見て、ほっとした。


「――美味しいです」

「そう。それはいいんだけど、」


 ほっとしたのも束の間。


「……なんでまた泣きそうなの?」


 え、トマト美味しいよね?

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