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第18話 呪われたペット

 まだ薄暗い中、畑一面に揺れる作物を見渡して、リコリスはこの世界に来た時のことを思い出した。まだ数日前のことなのに、あの時の混乱が何やら懐かしい。

 初日の収穫の後妖精たちが植えた苗は、まださすがに育ちきっておらず緑の葉を揺らすのみだ。

 リコリスはようやく動くようになった体を盛大に伸ばした。


 現在AM5:05。

 家妖精たちはまだ夢の中だが、そんな彼らもリコリスが眠っていた3日間は頑張って早起きしていたのだという。

 昨日昼食後にリコリスと顔を合わせた妖精たちは皆、主の無事を喜び、そして泣き出した。

 その涙が止まればまた皆してはしゃぎ、かと思えばまた誰かが泣いて、それに釣られて全員が泣き出すのを何度か繰り返して、その度に宥める人間たちの苦労はなかなかのものだった。


 彼らは今、ウィロウが作成したという干草のベッドで眠っている。

 干草をシーツで包んで括りつけただけの、簡単だがロマン溢れるそれは、20人の家妖精が悠々と眠れる大きさだ。

 大きすぎるため、昼間は丸められてベッドの下、とリコリスは聞かされた。

 妖精たちは大層そのベッドがお気に入りだという。


「大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね?」


 背伸びをして気合いを入れるリコリスを、ライカリスが後ろで心配そうに伺っている。

 先ほどから何度も同じ確認をされた。リコリスは苦笑する。


「大丈夫、もうなんともないし。辛くなったら、絶対ライカに言うから」


 ライカリスの不安も理解できるから、リコリスは心配の言葉をかけられるその度に、真面目に返事をする。

 そうすると彼は必ず不安そうに瞳を揺らがせ、それから伏せるのだ。――今も。


「ごめんね、ライカ。今は本当に大丈夫だから」

「……すみません。でも、心配で……牧場を放っておけないのは分かっているんですが」


 しょんぼりと言いながら、彼は不意に右手を動かした。

 彼の手から離れた何かは、そのままリコリスの横を高速で通り過ぎて、後方の畑へと飛んでいく。それから間を置かず「ふぎっ」という声が響いた。

 確認したくない。例の人面芋虫の断末魔だ。


「こいつさえ出なければ、もう少しリコさんを休ませてあげられるんですが」

「……あはは」


 作物の間で腰を屈めたライカリスが、ソレを掴み出す。

 本当は彼が投げた短剣を拾っただけだが、人の腕サイズの芋虫も刺さったまま一緒に持ち上げられて、リコリスは思わず目を逸らした。


(あ、しまった……!)


 そんな芋虫など、慣れたフリをしなければいけないのに。

 一瞬血の気が引きかけ、しかしライカリスの忍び笑いが、リコリスの意識を引き戻した。


「相変わらず、これが苦手なんですね」


 そう言って、彼はくすくすと笑う。

 忌まわしい物体を足元に落とし、踏みつけながら。


(相変わらず? 相変わらずってどういうこと?!)


 今度は別の混乱が訪れた。

 元々リコリスは画面の向こうでも人面芋虫が苦手だったが、同じようにプレイヤーキャラクターのリコリスも奴が嫌いで……つまり酒イベントの夜の空白のようなプレイヤーの知らない何かがあるということだろうか。

 そしてライカリスもそれを知っていて――。


(ってぇ、頑張って平気なフリしたのって意味ないじゃん!)


 2日目の朝、ライカリスに不信感を与えないように、必死で駆除したというのに、どういうことだ。

 頑張って頑張って吐き気を堪えていたのに、無駄だったと。


「リコさんが戻ってきた次の日の朝、頑張って駆除してましたね。……涙目でしたけど」

「……?!」

「私が全部引き受けてもよかったんですが、せっかく頑張ってましたし。戻って最初の駆除だったからですか? 妙に気合入ってましたよね。なんだか必死なのが可愛くて」

「……っ!!」


 また短剣を投げながら、ライカリスが笑う。なんとなく、意地の悪い表情で。


(……つまり何もかも無意味だったと!)


 平気なフリをして頑張ったのも無駄なら、そのフリすらバレバレだった、と。

 色々なショックで呆然とするリコリスを余所に、ライカリスはどんどん畑を進み、ばしばし芋虫を仕留めていく。

 慌てて追いかけようとすれば、振り返った笑顔が彼女を止めた。


「私が全部やってもいいですよ? やっぱり無理はしないでほしいです。どうせ、もうすぐチェスナットさんたちも来ますから」

「や、やるよ……頑張る」


 リコリスは力なく、提案を断った。

 平気なフリをしなくていいなら、まだ気は楽だ。

 足元をよぎった紫の何かを、リコリスは蝙蝠から出した木の棒で突き刺そうとして、唐突に手を掴まれた。

 見上げれば、近くに戻ってきたライカリスが、彼女の腕を掴むのと反対の手で短剣をくるくると回している。


「そういえば、教えようと思っていっつも忘れてました。これを殺すときは、顔と胴体の間を刺せばいいんですよ。そうしたら破裂しませんから」

「え?!」

「見ていてくださいね」


 ライカリスはいつの間にか人面芋虫を足で踏みつけ、その動きを止めていた。

 尻尾付近を踏まれもがくソレの首に、すとんと短剣が刺さり、先ほどと同じく原形を留めたまま息絶える。

 以前リコリスがやったように、破裂することはなかった。


「ね?」

「……」


 ね? と言われても、リコリスの腕で可能だろうか。この芋虫は意外と素早いし、かといって今のように足で踏みつけるのも……。

 項垂れたリコリスの頭を、ライカリスが軽く撫でる。


「本当に無理はしないでいいですからね?」


 何度目かの言葉を残し、再び畑の中央へと向かう背を見送りかけ、リコリスは我に返る。

 とりあえず練習するしかない。

 ライカリスの言葉に甘えるのも、あるいは戦闘妖精を召喚してみるのも、まぁ今はありかもしれないが、いずれは慣れなければいけないのだ。

 ゲーム中、いくら倒しても慣れなかったことは、ひとまず頭の隅に追いやって、リコリスは足を踏み出した。




■□■□■□■□




 朝食後、リコリスはライカリスとサマンを伴って町外れの小屋を訪れた。

 町のお祭用具などを収納しており、ちょくちょく掃除の手が入るので、町外れとはいえ小奇麗な倉庫である。

 例の神官(プリースト)が転がされているという場所だ。

 小屋の前に立ち、サマンが重くため息をつく。


「最初は怯えていたのだが、君たちが姿を見せないことで、だんだんと高圧的になってね……」


 喋ることはできなくとも、それは態度に表れていたという。

 彼を見張る妖精が、リコリスの命令なく暴力を振るったりしないことにも気がついていて、更に増長した。


「話をするだけ無駄だと思いますがね」

「まぁ少しだけだから」


 不機嫌なライカリスを適当に宥めつつ、リコリスは早々に取っ手に手をかけた。 

 このまま会話を続ければ、絶対に死刑を勧めてくるからだ。

 扉を開いて覗き込めば、中は明るかった。小屋の明かりではなく、妖精が発光している。

 中にいたポーンは、リコリスを認めると場を譲るように一歩退いた。

 その足元に、ロープでぐるぐる巻きにされた薄茶の髪の男が転がっていた。


「ポーン、見張りありがとう」


 妖精に労いの言葉をかけながらリコリスが小屋に入ると、ダックウィードが青い目を丸くし、それからきつく彼女を睨みつけた。

 憎しみの篭った視線を向けながら、口をパクパクと開閉させる。【沈黙薬(サイレンスジュース)】の効果がなければ、その口からは罵倒の言葉が飛び出していただろう。

 むしろ、言葉が音になっていなくても、何を言っているか大体分かってしまう。

 反省どころか、自分の立場も理解していないのは明らかで、リコリスは困ったように眉尻を下げた。


「でも、一応話訊いてみるかなぁ……」


 手にした解毒薬を目の前の金魚男にかける。


「げほっ、何をする、この……あ? こ、声が」


 軽く咽てから声が出ることを確認したダックウィードは、勢いよく顔を上げ、改めてリコリスを睨んだ。


「貴様っ、よくも私をこのような目にぁげっ」

「うわ」


 哀れな男の台詞は最後まで続かなかった。

 ライカリスがブーツの爪先で思い切りダックウィードの顎を蹴り上げたからだ。

 がっ、と鈍い音と共に、きっと舌を噛んだのだろう。縛られて不自由な体がごろごろと転がり、リコリスは思わず自分の口元を押さえた。


「……う、うわぁ」

「自業自得というのです、この身の程知らずが。舌を引きちぎってやりましょうか」

「ライカリスはリコリスに対する暴力や暴言を許さないからねぇ」


(町長も怖い……)


 ライカリスの所業にも顔色ひとつ変えず、暢気にコメントするサマン。

 さすが町長というべきか、多少のことでは動じない……のか? もしくは、ライカリスを子どもの頃から知っているが故か。

 どちらにせよ空恐ろしい。


「あー、えーと。舌がなくなる前に一応動機を訊いておこうかな。この町を襲ったのはなんで?」


 痛くて答えられないかもしれない、と思いつつリコリスは尋ねた。

 対して顎を真っ赤に腫れさせ、這いつくばった状態のまま、ダックウィードは更に反抗的に喚いた。


「はっ、決まっているだろう。この町は食料が豊富だからだ! 貴様は知らないのか? 今王都では、貴族たちも節約を強いられるような状況なのだ! それをこの町の人間は!」

「……」


 リコリスが顔を顰める。

 ここに来る前に、リコリスはサマンから、襲撃事件の直前にあったことを聞かされていた。 

 ダックウィードとあの死んだ男がサマンを訪ねてきて、スィエルの町民を奴隷にすると宣言したのだという。

 町全体で食料を確保し、町の人間でそれを王都まで運ぶように、と。貴族ですら贅沢な暮らしができないでいる中、2年もの間飢えることもなく平穏に暮らしていた、その代償を支払うように、と。

 サマンは当然それを断り、直後あの事件に繋がったのだと。

 一応当人の口からも動機を聞いてみようと思っていたリコリスだが、ダックウィードの口から飛び出したのはサマンから聞いていたそのままだった。


「この町が恵まれていたのはたまたまで、食べ物を独占しようとしたわけじゃないでしょ。モンスターが増えて、他の町との行き来が難しくなったからで、町の人たちのせいじゃない」


 そう、この町の人間は、多少癖があっても皆善人だ。

 空白の2年の間、町では食べ物を節約しつつも平等に配っていて、それは外から来た人間に対しても同じだったのだ。

 ライカリスに追い出された連中はともかく、目こぼしされたペオニアやチェスナットたちは普通にこの町で暮らしていた。


「頼めばよかったじゃない。食べ物分けてくださいって。あなたたちの実力なら、それを王都まで運ぶこともできたのに」


 600近いレベルがあれば、いくらモンスターが増えたとはいえ、問題なく行き来もできたはずだ。今ここにいることが何よりの証拠である。

 だが返ってきそうな台詞はなんとなく想像がついた。


「頼むだと? この私がか? 私はソレイユ教の高位神官なのだ、その私が――」

「あー、典型的。ごめん、もういい」


 予想通りすぎる。

 ソレイユ教とはヴェルデドラードの2大宗教の片方だが、町や村に配属となる低位神官たちと違い、大きな都市に赴任する高位神官ほどこういった思想の者が多い。

 あまりに気分が悪くなるので、リコリスはそういったクエストの一切をスルーしていた。

 彼らは彼らで役目を果たしているので、全否定するつもりはないが、相容れないものは仕方ない。


(うん、こいつと仲良くなろうとした(プレイヤー)の気持ち本気で分からん)


 罵られたい見下されたい系か、あるいはこれで仲良くなればツンデレ的な要素があるのだろうか。

 そのプレイヤーが聞いたら、ライカリスを選んだリコリスにだけは言われたくないと、言ったかもしれないが。

 なんにせよ、この状況ではただ許すことはできない。


「殺していいですか?」


 ライカリスが軽く了承を求めてきて、リコリスは緩く首を振った。

 正直それも考えたのだ。

 大切な町を襲い、大切な人々の命を脅かした。許すことなどできようか。

 あの時、命を奪うことを悩み恐れ、倒れたリコリスは、まだ彼女の中に確かに存在しているが、――今は。

 リコリスは考え、そして不意にサマンを振り返った。


「町長、すみません。少し、出ててもらえませんか?」

「……リコリス」


 心配そうに目を細めるサマンに、リコリスは微笑んだ。


「大丈夫です。――ポーン、町長と一緒に外へ。誰も入れないでね」


 命令を受け入れた妖精が、静かにサマンを促した。

 背を押されながら彼は何度も振り返ったが、リコリスは穏やかに笑みを浮かべるのみ。

 2人が退出すると、ライカリスが短剣に手をかけたのを、更に制して。


「ライカ、殺さなくていい。いいの」

「でも………………い、いえ、分かりました」


 心なしか顔を青ざめさせてライカリスが一歩を退くと、ダックウィードに向き直ったリコリスの髪が、淡い燐光を放ち始めた。


「な、何をするつもりだ?!」


 顔を引き攣らせ、懸命に怯えを押し隠そうとする男に、リコリスは微笑みかける。

 それは虹色を纏った、とても艶やかな笑みだった。

 そして彼女は歌うように宣告する。



「あなたに呪いをかけてあげましょう」






 ――5分後。


 小屋をじっと見守っていたサマンの前で、扉がゆっくりと開いた。ひょこりと顔を見せたのは、彼が心配していた人物だ。

 サマンはリコリスと目が合うと、ほっと表情を緩めた。

 彼女の表情から、何も心配することがないと察したのだ。


「お待たせしました」


 そう言って、軽く頭を下げるリコリスの右手に、茶色い毛皮が握られていた。

 ――否、毛皮は毛皮でも中身入りだ。生きて、動いている。


「リコリス、それは……」

「犬です」


 にっこりとリコリスが笑い、首根っこを掴まれた犬を、サマンの前に引きずり出した。

 大きいが、細身の犬だった。立ち耳で鼻面も細く、全体的に鋭利な印象を与える。そして、薄茶の毛に、反抗的な光を宿した青い目。


「………………」


 どうにも見覚えのある犬にサマンは言葉を失い、次いでリコリスの後ろに立っていたライカリスに問うような目を向けた。

 しかしライカリスは、彼にしては珍しい引き攣った表情を浮かべて、す、と視線を外してしまう。


「……」

「今日からうちの番犬になる、ウィードです。――ウィード、妙なことしたら、毛毟って広場に吊るすからね?」


 鼻に皺を寄せ、今にも歯を剥かんばかりだった犬は、リコリスの言葉にギクリと体を強張らせた。

 どう見ても人語を理解している。


「町長、この件はこれで。……いいでしょうか?」

「あ、ああ………………まぁ……そうだね、ありがとうリコリス」


 サマンはそれ以外何も言えず、そしてそれ以上何も訊くことはできなかった。

 緩く微笑むリコリスに、微妙な表情のライカリス、そして怯えて尻尾を巻いた犬。

 それらを何度も確認し、結果彼はただ控えめに頷いたのだった。

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