第17話 戻った日常と努力のお嬢様
「いてえええええええっ」
「ちょ、やめっぎゃああああああああ!!」
「お、俺の髪っ! 俺の髪ぃいいっ」
3人分の悲鳴と一緒に、鳥の激しい羽ばたきと、「コケーッ!!」という鳴き声が無数にしてきて、何が起きているのか、見なくても大体想像がついた。
ライカリスが思い切り顔を顰める。
「しばらく放っておきましょうか」
「い、いやぁ、それはどうかと……すっごいつつかれてない?」
あんなことになっているのも、元はといえばリコリスが3日も目を覚まさなかったからで、彼らはその代わりに仕事を請け負ってくれていたわけで。
もちろん家妖精たちがいるのでそこまでの負担ではなかったのかもしれないが、その気遣いがとても嬉しかった。
リコリスとしては、できればすぐにでも助けたかったが、如何せん、思うように体が動かない。
困ってライカリスを見上げると、彼は盛大なため息を落とす。
「仕方ないですね」
本気で面倒くさそうな声音の後に、ライカリスが体を離す。その間際に指先がするりとリコリスの頬を撫でていった。
しかし、真っ直ぐ出口に向かった背中に、リコリスはあることに気づいて慌てて声をかけた。
「あ、ライカ!」
「はい?」
きょとんとして振り返るライカリスに、目線で近くに来るように促した。
素直に戻ってきた彼に、リコリスはスキルを発動させる。
【単体回復】
「!」
鈴を鳴らすような音と淡い光が降り注ぎ、ライカリスが驚いて一瞬動きを止めているうちに、彼の目元の腫れが治まっていく。
からかった時に泣いたことを知られるのを嫌がっていたから、でるだけ気づかれないように。
涙の跡までは消えないが、腫れがなくなればさほど目立たないから、よほど近くに寄られない限りは大丈夫だろう。
焦った様子のライカリスが、リコリスの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫なんですかっ? 魔法なんて使って……!」
「んー、平気だよ? なんか、さっきより体動くみたいだし」
3日も目を覚まさなかったのだ。ライカリスの心配も分かる。
分かるが、強がりでもなんでもなく体は動くようになってきている。
まだ起き上がって動き回るとまではいかないが、倦怠感は薄れてきているし、スキルを使用しても問題はないようだった。
ひらひらと手を振って見せれば、ライカリスは僅かに表情を緩める。
「……ロークワット先生の言った通りですね。一度診に来ていただきましたが、心配はない、点滴なども必要ないと」
ロークワット先生、とはスィエルの町唯一の医師だ。豊かな白いヒゲがチャームポイントのお爺ちゃん医師である。
そのロークワットが心配はないと診断し、そして実際に3日も眠り続けたのにこの程度の倦怠感で済んでいる不思議。あの声と何か関係があるのだろうか。
「後で先生のとこにも行かないとね。――でもライカ、心配してくれるのは嬉しいけど、」
リコリスは扉を指差す。正確には、今なお悲鳴の続く、家の外を。
「今はあの3人なんとかしてあげて、ください」
「……」
その時のライカリスの「チッ」という表情は、少なくともリコリスにはあまり見せない、なかなか珍しい顔だった。
それでもリコリスの願いを聞き入れて、彼は今度こそ外へと歩いていく。
ライカリスが扉を開けると、壁越しだった喧騒が直接リコリスの耳に届いた。
すぐに扉が閉められてしまったので、それは一瞬だったが。
ライカリスが静かな声で何事か言うと、それまでの大騒ぎが静まって、一転して不気味な静寂だけがリコリスの元まで届いた。
壁越しのために内容までは聞き取れなかったが、弟子たちも、鶏たちすら一瞬で黙らせて、彼は今どんな顔で立っているのだろう。
しかし冷風がここまで漂ってくるようで、見るのは怖い。
そうこうしているうちにも外の会話は続いているようで、しばらくしてニワトリたちの移動する気配がして、同時にそっと扉が開かれた。
静かに入ってきたのは対リコリス用に表情を取り繕ったライカリスと、心なしか青ざめたペオニアだった。
リコリスと目が合うと、ペオニアの吊り目がちな瞳に涙の膜が張り、次いで透明な雫が盛り上がる。
「リコリス様……っ」
駆け寄ってくるペオニアの後ろで、ライカリスが扉を閉めるのが見えた。
どうやら入室許可が下りたのはペオニアだけらしい。
「お目覚めになられて、本当によかったですわ……」
「心配かけて、ごめんね、ペオニア」
ベッドの脇に膝をついたペオニアに謝罪すれば、彼女は軽く首を振って涙を拭った。
「いいえ、ご無事にお目覚めでしたらもう、それで……」
「……ありがと」
本当に、初めて会ったときの居丈高なペオニアはどこへ消えたのだろうか。こちらが本来の性格なのかなんなのか、今は随分しおらしく素直で可愛くなっている。
「あ」
ところで――最初と違うといえば弟子たち。あの3人はどうなったのだろう。
それにペオニアの護衛、アイリスたちは。
リコリスはそろそろ動くようになってきた上半身をどうにか少しだけ起こして、扉の前に立って彼女たちを眺めているライカリスに問いかけた。
「ライカ。チェスナットたちは?」
「生きてますよ」
「………………」
そういうことではない。
黙って見つめ続けると、ライカリスはふいと目を逸らした。
「後片付けと温泉に行かせました」
「温泉?」
「えぇと、チェスナットが餌やりの途中、鶏小屋の中で転んでしまったようですの」
事情を知っているらしいペオニアが、ライカリスをわざと見ないようにしながら、困ったように口を開いた。
「それで餌を頭から被ってしまって、助けようとしたファーとウィロウも巻き込んで……」
「で、あの騒ぎね」
鶏たちに追いかけ回され、家の前まで逃げてきてしまった、ということか。
手伝いをしようとして鶏につつき回された挙句、ライカリスに説教されるとは、いくらなんでも。
(可哀想……)
ペオニアもさすがに気の毒だと思っているのか、こそこそとライカリスの顔色を伺いつつも、複雑な表情をしている。
「アイリスたちも、妖精さんたちと一緒に片付けに行きましたわ」
「んー、どれくらいで帰ってくるかなぁ。できたら温泉組が戻るまでにお昼ご飯くらい用意してあげたいけど」
只今の時刻はAM11:30、昼食の準備にはちょうどいい時間だが、今のリコリスにそれは可能だろうか。
いまいち動きの鈍い己の腕を見ながら首を捻る。
すると、ペオニアがぱっと顔を輝かせた。
「わたくしが作りますわ!」
「ええっ?!」
目を瞠るリコリスに、ペオニアは頬を染めて自信ありげに微笑む。
「リコリス様が目覚められたら何か作って差し上げたくて、わたくし少々勉強致しましたのよ」
リコリスが眠っている間に、リコリスの料理の師フリージアのところへ行き頭を下げたのだという。
「お料理の本も借りてきましたし、きっと何か作れると思いますわ! 包丁はまだ使ったことがありませんけれど」
「え、ちょっ、それは」
「わたくし頑張りますわ! 少々お待ちくださいませっ」
意気揚々と立ち上がり、ペオニアは後ろのキッチンへと向かう。
その背へと伸ばした手は虚しく宙を掻いた。
(包丁使ったことないって……使わずに作るの? それならそれでいいけど、使うつもりだったらどうしよう……! 大丈夫かな?!)
本人がやる気すぎて、止めるに止められない。
ハラハラしているリコリスの隣に、ライカリスが静かに腰を下ろした。
「大丈夫ですか? そんなに動いて」
言いながら、リコリスを抱き寄せ、彼女の上半身を支えるように凭れさせる。
その視線はリコリスだけに向いていて、キッチンで行ったり来たりを始めたペオニアのことは特に気にもしていない。
「私は大丈夫だけど……」
「ああ……、まぁ好きにさせればいいのでは」
冷たく言い切るライカリスに、手伝ってほしいと頼むことはできなかった。
リコリスが頼めば嫌々でもやってくれるだろうが、問題はそこではない。この男は料理ができないのだ。
過去のクエストの中で何度か目にしたライカリスの料理風景は、料理というより怪しげな実験だった。
そして出来上がった得体の知れない何かを、何故失敗したのかと首を傾げながら食べるのだ。
頼めるわけがない。
(つ、詰んだかな、これ)
いや、ペオニアが失敗すると決めつけるのもよくない。
頑張ってくれているのに、それは失礼というものだ。
だが、10秒おきに「痛っ」とか「熱っ」という悲鳴が聞こえてきて、リコリスは結局我慢できなくなった。
渋い顔のライカリスをどうにか説得して、支えてもらいながらペオニアの隣に立つ。
「……手伝うよ」
「まぁ! そんな、どうぞ休んでいてくださいなっ」
「いや、ごめん、手伝わせて」
できることなら任せたかったが、とリコリスはペオニアの手を見る。
その細い指は、まだ調理を始めて数分だというのに傷だらけで、なんとも痛ましい。
そっと掬い上げて、リコリスは【単体回復】でその傷を治療した。
「……魔法、お使いになって大丈夫なんですの?」
先ほどのライカリスと同じように、心配そうに見つめられて、リコリスは微笑を返す。
「平気だよ。さ、続きやろ。あんまり手伝えないかもだけど」
「は、はい」
自由に立ち回れなくとも、目を配り、要所要所で少し口を出すだけでも違うはずだ。
調理を再開したペオニアを、リコリスは時折助けつつ回復しつつ、見守り続けた。
――それから約1時間後。
温泉組も、鶏小屋の片付け組も30分前には戻ってきて、彼らは揃ってリコリスの無事をひとしきり喜んだ。
その時既に料理は煮込むだけという段階に入っており、後は完成まで時々そっとかき混ぜるだけになっていた。
合流した6人は前半リコリスが手伝っていたことを知らない。彼らが戻った時にはもう、ライカリスと並んでベッドに座っていたからだ。
ペオニアが料理をしていると知って、アイリスたちは顔を強張らせ、意外にもチェスナットたちの方が見守るオーラを出し……それから30分。
「お待たせ致しました!」
疲労困憊した様子で、しかし達成感に満ちた様子のペオニアがリコリスたちを振り返った。
彼女が示した鍋にたっぷりと入っていたのは、鮮やかな色のミネストローネだった。
真っ赤な、ミネストローネだ。
『…………』
(血じゃないよな……?)
(だ、大丈夫だと思うけど……)
(ほら、お嬢様も、手を怪我などもされておりませんしぃ)
(そ、そうだよな)
(あまりに大怪我して、師匠が治したから傷がないとかじゃねぇよな?)
(なんだ、その具体的な想像はっ)
だが、やり遂げました! という幸せな顔のペオニアに、彼らは結局何も訊けず、黙って用意を手伝い始めるのだった。




