第15話 避けて通れない道
温い残酷描写あり。
リコリスは咄嗟にスキルを放った。
【戦闘妖精ビショップ召喚】
今までにない発動の早さだったが、それを気にしている暇などない。
花と共に現れた妖精に、リコリスは走り出しながら指示を飛ばす。
「ビショップ! マザー・グレースをお願い! ――ライカ!!」
「はい」
声はすぐ近くで聞こえた。
ふわ、とリコリスの体が掬い上げられ、抱きかかえられた、と認識する前に視界が大きくぶれた。
リコリスを抱えるライカリスを中心に冷たい風が渦を巻き、一瞬の後それが消えると、今度は呼吸を阻害するほどに強く風が吹きつけてきた。
認識できないほどに周囲の景色が流れ、2人の赤い髪がばさばさと靡く。
ライカリスの戦闘におけるメイン職業は暗殺者、副業は狩人だ。
近接、遠距離の違いはあるが、双方ともスピードを持ち味とする職で、防御はそこそこでも回避と命中率は他職の追随を許さない。
そしてそれが発揮されるのは戦闘だけではない。フィールドなどでの移動にも特化したスキルがあった。
今ライカリスが発動した【風の祝福】は、暗殺者と狩人の組み合わせで習得可能なスキルで、キャラクター本来の移動速度に%で上昇効果をつけ、職業レベルを上げていけば最終的には5倍の速度で移動が可能になるものだ。
ゲーム中、パーティを組んでいるパートナーNPCは独自のAIでスキルを発動させるが、プレイヤーの指示でのスキル使用も可能だった。
そのため、プレイヤーたちはよく対象に【しがみつく】アクション機能を使った上で【風の祝福】を発動させ、首にぶら下がって高速移動していた。
ちなみに最高で5倍速、といっても、そのままだと速すぎて操作不能なため、基本的にはスキルレベルを下げて使用される。
リコリスも一度試したが、マウスでの方向転換と画面回転が全く間に合わず、凄い勢いで海に落ちた過去がある。
ライカリスがどれくらいのスキルレベルで発動したのかリコリスには分からなかったが、遊園地のジェットコースターよりもずっと速い。
ゆっくり歩いてもそう遠くない距離を一瞬で飛び越えて、リコリスたちはスィエルの町に着いていた。
強い風に乾燥した目に涙が滲むが、それどころではない。
さすがに町に入ってからライカリスはスピードを落としたが、それでも黒く立ち昇る煙はすぐ近くだった。
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周囲を一瞬にして瓦礫に変えた凶刃が、鈍く光を放ちながら振り上げられた。
ヒース少年の視界の端に彼の父親の姿が映る。
今から行われようとしている凶行を止めようと必死で叫んでいるが、その足からは夥しい血が流れ、そして悲鳴のような声は目の前の男には何の影響も及ぼさない。
小刻みに震える彼の手足は抵抗にも逃亡にも役に立たず――否、仮に動いたとしても道が開けるとは思えなかった。
「悪いなぁ、少年。この町の人間は頑固みたいだからよ。とりあえず見せしめになってくれや」
そう言った男は、ヒースが見たこともないような服を着て、見たこともない顔で笑っていた。
高く掲げられていた巨大な剣が、次の瞬間、ヒースめがけて振り下ろされる。
どうすることもできずにきつく目を瞑った彼は、心の中で名を呼んだ。父と母と、それから……。
赤く濡れた切っ先が少年の頭に迫り――、
金属の擦れる音がその場に高く響いた。
「なっ?!」
驚愕の声と、何か硬いものが折れる音。驚いて見上げたヒースの目に、赤い髪が揺れた。
次いで認識できたのは、ヒースと男の間に割り込んだらしいその人の手に握られた、凝った意匠の黒い刃の短剣、翻った黒いコートの裾。
返された短剣が、剣を弾かれた衝撃で隙を作った男の顔を大きく真横に抉る。
よろめき、血の噴き出した顔を押さえようとした男の手ごと、ブーツの踵が勢いよく蹴り飛ばして、何かが砕けるような鈍い音がした。
それは瞬きひとつの間のこと。
回し蹴りを入れた体勢から、素早く隙のない構えで立ったその高い背を、ヒースは呆然と見た。
「ライカ兄ちゃ……」
応える声はなかったが、代わりに温かい風が吹いた。
ぽんっ、ぽんっ、と何かが柔らかく弾けるような音と共に、周囲に花が咲いていく。
半透明のそれを、ヒースは知っていた。この町の人間なら、きっと皆知っている。
「リコ姉ちゃん……っ!」
震える小さな背に、細い腕が伸ばされた。
優しく抱きしめてくれたのは、ヒースが呼んだ人。
「ん、もう大丈夫だよ、ヒース」
その声はヒースを安心させるのに十分なほど優しかったが、抱きこまれた胸の中から彼が見上げたリコリスの表情は、いつになく厳しい。明るい緑の瞳が燃えるようだった。
リコリスの周りに、光り輝く妖精たちが立ち、それから彼らを中心とする地面に巨大な魔法陣が描かれた。
白い魔方陣は瓦礫の山と化した広場をぐるりと囲めるほどに広く、絶え間ない輝きが場を満たしていくと、倒れていた人々の傷が癒えていく。
「ポーン、ナイト、町の人を避難させて。ビショップは、他に怪我人がいたら治療を」
よく通る声で指示を出し、リコリスはヒースを隣に立っていた妖精にそっと預けた。
離れがたく思ったが、その場の張り詰めた空気がそれを許さない。
その心情を察したのか、妖精が宥めるように背を撫でてきて、それでずっと固くしていた彼の体から力が抜けた。
身を任せた妖精には体温がないのに、何故か温かかった。
同じように妖精に抱え上げられている父の姿を前方に見て、ヒースの意識はそこですとんと落ちた。
去っていく妖精たちをリコリスは見送った。
間に合ってよかったと安堵する心を、震えがくるほどの怒りが塗り替えていく。
ライカリスに蹴り飛ばされた男を、リコリスはきつく睨みつけた。
男はまだ地面に倒れていて、その手から離れた大剣の柄には、刃がついていなかった。
斬りつけられそうだったヒースを助けた時に、ライカリスが叩き折ったのだ。根元から折られた刀身は、男から大分離れた場所に突き刺さっている。
いつ目を覚ますか分からない男から、リコリスを庇うように立つライカリス越しに男を見据えると、情報が視界に入ってくる。
リードという名、9割減ったHPと――レベル。
(レベル523?! パートナーNPCか、こいつ……!)
レベルがここまで上がっているとなると、この男はきっとプレイヤーの誰かのパートナーだったのだ。
プレイヤーの中で見れば中堅だが、戦う術を持たない者やレベルの低いデフォルト状態の者からすると脅威だ。
後衛であるリコリスも、単体で正面からぶつかればどうなるか。
ライカリスや、大量に町に放ったリコリスの妖精たちならば、全く問題はないのだが。
「……ん?」
ふと、リコリスは目を細めた。
倒れ伏す男のHPがじわじわと回復している。時間経過による自然回復にしては不自然なそのスピード。
そもそもライカリスに攻撃されてHPが残っているというのがまずおかしい。ライカリスが手加減などするはずもないし。
男には、HPと一気に8~9割減らされた際にランダムでつくステータス異常『気絶』がついていた。
これは効果時間が非常に長く、HPが大きく回復するか、状態解除スキルでないと自然回復を待つのは辛い異常だ。この分ならば、当分起きることはない。
――だが、とリコリスは他にかかっている2つを見た。
「『全能力上昇』に『持続回復』――ライカ、多分どこかに神官がいる」
【全能力上昇】は事前にかけておくタイプの補助スキルだが、もう一方の【持続回復】は明らかにライカリスの攻撃を受けてからかけられたものだろう。残り時間を確認して、リコリスはそう判断した。
どこかに男の仲間の神官がいて、こちらを伺っているのだ。
【持続回復】は【単体回復】などの直接的な回復スキルよりも射程が長いので、通常の戦闘以外に、後衛の接近が危険な敵、あるいは様子見などの時にも使用された。
そして【全能力上昇】は高レベルの神官のスキルならば、やはり%でステータスが上昇する。
数値を見るに、相当レベルの高い神官がついている。ライカリスの攻撃を辛うじてとはいえ、耐えたのも納得がいく。
こちらに近づく危険を冒さなければ【持続回復】以外の回復スキルは届かないから、男が即時復活する可能性は低いが。
ライカリスが男から目を離さないまま、肩を竦めた。
「ああ、道理で手応えがおかしいと……顔半分、飛ばすつもりだったんですけどね。思った以上に刃が通りませんでした」
手の中の短剣を弄びながらライカリスがそんなことを言う。
彼は無造作にまだ気絶している男に近づくと、男の顔を踏みつけ、リコリスを振り返った。
「とりあえずこれは始末してもいいですよね?」
どく、とリコリスの心臓が大きく波打つ。
「他にもっと仲間がいるかもしれませんし、数は早めに減らしておきましょう。尋問は神官を捕まえればいい」
至極当然のようにあっさりと言われて、しかしリコリスは咄嗟に答えられなかった。
ライカリスの意見は尤もだ。
ゲーム中でも、当たり前のようにたくさんの敵を倒してきた。獣も、人間も。
ゲームならばHPが0になって消えるだけ。プレイヤーやNPCなら、戦闘不能になって復活地点に戻されるだけ。
この状況でも、躊躇いなく止めを刺しただろう。
――しかし。
(この場合、どうなるの……?)
このゲームと現実の混ざり合った、線引きが曖昧な世界では。
人が死んで、しばらくすればまた復活するなどということはあり得るか?
彼女を囲む壊れた建物と、残っている血の跡が、耳に残る悲鳴が、その疑問を否定する。
分かっている。迷っている時間はない。迷う必要もない。
家族のような人々を傷つけられたのだ。
許せないと、リコリスの中で声がする。許すものかと思う。
それでも本当なら、捕らえて罪を償わせるべきだと、そうしたいと、この世界に来る前に培われた理性が心のどこかで叫ぶ。
だが仮に捕らえたとして、もし逃げられたりしたら。むしろ、これだけのレベルならば、その可能性が高い。
そうなってしまえば、これ以上の惨事になる。
それに。
答えられなければ、それが命を奪うことに対する恐怖だと知られれば、きっと疑われてしまう。
そして最も大切なものを失うだろう。ライカリスとの、関係を。
どちらが恐ろしい? ――そんなの、考えるまでもない!
怒りと、理性と、そして大きな恐怖が、リコリスの背中を押した。
彼女は目を伏せた。
「そいつの、パートナーに謝らないとね……」
呟きを許可と受け取って、目で追えない速さで閃いた黒い刃が、男の首を撫でた。
リコリスは最期まで目を覚まさなかった男のHPが0になるのを確認したが、そこにゲームのように『戦闘不能』の状態異常が付くことはなく、しばらくしてその情報も表示されなくなった。
鮮やかな鮮血を器用に避けて、ライカリスがリコリスのところへ戻ってくる。
平然としている彼は、不思議そうにリコリスを見た。
「どうかしましたか?」
「ん、なんでもない」
……本当に、なんでもないような顔で笑えているだろうか。
指先が冷たい。足が地面についている、その感覚が遠い。
「リコさん?」
ライカリスの手が頬に触れ、心配そうに撫でてくると、リコリスは目を閉じて吐息を零した。
「ぎゃあああああっ! は、放せ! 放してくれっ」
「!」
唐突な叫びと瓦礫の崩れる音が、静寂を壊した。
身構えた2人の視線の先、リコリスの召喚していたポーンがローブの男を引き摺っていた。
捻り上げられているらしい腕に力が込められるたび、哀れな悲鳴が上がる。件の神官だった。
ライカリスが笑う。
「さすが。あなたの妖精は優秀ですね」
問えば、他に不審な者は見られなかったと報告された。
町の人々は酒場に集まっている、とも。
戦闘妖精は声を持たないが、どうやら召喚者は意思の疎通ができる。もしくは妖精師だからか。
「酒場に行こう。ポーン、そいつそのまま連れてきて」
早口に言って、リコリスは踵を返した。
むせ返るような血の匂いが淀む広場に背を向けて、早足で歩き出す。
去り際、視界の端に見た男の死体も大量の血液も、消えることなく残っていた。




